エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

大食漢で大酒飲み ルター

2015-12-12 06:52:41 | アイデンティティの根源

 

 

 
子どもの不思議 : 子どもが真実を知っている不思議
  子どもの面接をしていると、「子どもは不思議」と思うことによく出会います。子どもは誰に教えられずとも、人間の真実を知っている、ということに繰り返し出会うからかも...
 

 ルターは、バケツ11杯のウンコをしたという武勇伝もあるらしい。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.245の、第2パラグラフ、下から14行目途中より。

 

 

 

 

 

 

ルターがこの手のことすべてに、気まぐれであるだけではなくて、猥雑であったことは、ルターのしなやかさの証明です。このしなやかさは、いつもは、ルターの複雑な心理の様々な側面と折り合い、ルターのデブッチョな身体とも折り合いをつけるものでした。ルターは、バク食いをしては、ビールをあおるという生活を楽しんでいたことに間違いありません。ルターは、「内的状態」の故に、ほとんど食べられなくなる時も、お腹を悪魔に支配されないために、ガッツリと食べ続けたのでした。

 

 

 

 

 

 ルターがいかに摂食障害だったかが分かります。また、いわゆるクリスチャンのイメージとルターの実態が、いかにかけ離れていたかもわかりますよね。大喰いで大酒のみのルターですからね。でもね、これも間違いですね。イエス・キリスト自身が、「19人の子が来て食べ飲みすると、大食漢、酒飲み、取税人、罪びとの友と人々はいう。しかし知恵の正しさはそのわざによって示される」(「マタイによる福音書」第11章19節)と言われていたのですからね。

 

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体育のような、精神分析家の働き

2015-12-12 06:00:05 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
心のパラダイス:内なる自然の中にある「平安の源」
  捨てライオンの「野生のエルザ」と、その育ての親であるアダムソン夫妻の関係は、仲の良い、本物の親子のようで、素晴らしいですよね。 p230の第2パラグラフ。...
 

 精神分析の場は、いつでも何度でも、クライアントが赤ちゃんの頃から抱いてきたイメージや気持ちを吐き出す場です。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p97の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 次に、精神分析家が、「訓練を受けた精神分析家」になると、ある種の、ずっと続く感じはあるのに、(一番うまくいけば)統制のとれた、控えめな感じの意識で、しかも、発達の時間と、歴史の時間を、あちらこちらへと自由に歩きまわることが出来る意識があることに気付きます。このように、クライアントが話し言葉にしたことを、男でも女でも、セラピスト自身の人生の一般論から学んだことを光として見る一方、精神分析家が、クライアントの現在の状況や過去の葛藤を、男であろうと、女であろうと、精神分析家自身の人生の状況に照らしてみて、クライアントの舞台に対応する自分自身の舞台にある、様々な感情やイメージを呼び覚ましていることにも、いつでも何度でも、気付くことができます。これは「対抗感情転移」ですね。こういった、込み入ったやり取りは、単に、今まで気付かなかったことに気付くということではなくて、話しを聞いた精神分析家自身がいつも空想していることや認めたくないと思っていることを、クライアントがいつも空想していることや認めたくないと思っていることと、無意識裡に混ぜ合わせになっていることに、気付いていくことに役立ちますし、また、そこから学ぶこともできますね。

 

 

 

 

 

 簡にして要を得る、エリクソンの見事な記述です。ここまでできれば、プロですね。クライアントの現在の問題と過去の折り合いがつけられずにいることを、クライアントの話を聞きながら、時空を自由に動き回って、クライアントの立ち位置を正確に理解すること、それからまた、その立ち位置を、セラピスト自身の内的なイメージと感情と照らし合わせて理解すること、この2つが同時にできるようになりますね。そうすると、相手の状況が手に取るように、立体的に理解できるようになります。これは、知的操作というよりも、体育のパフォーマンスや、芸術鑑賞に、遥かに近い感じですよね。

 

 

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宮城まり子さんと、ねむの木学園のもう1つのシンボル

2015-12-12 02:23:30 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
子どもの不思議 : 子どもが真実を知っている不思議
  子どもの面接をしていると、「子どもは不思議」と思うことによく出会います。子どもは誰に教えられずとも、人間の真実を知っている、ということに繰り返し出会うからかも...
 

 宮城まり子さん。御年88才。女優、そして、ねむの木学園の創立者。ねむの木学園設立は、1968年創立ですから、三年後に創立50周年を迎える、寄宿舎付き身体障害児学校、という位置づけでしょう。

 私も、いまから6年前に、施設・学校を見学したことがあります。北欧の福祉事情を知っている者にとっては、ああいう田舎に、障害者だけを集める施設や学校を作ることが、果たしていいものかどうかには、私は疑問を感じています。今もその気持ちに変わりはありません。施設・学校としては、美術教育、表現活動に特化した教育をしていている感じを強くしましたね。しかし、一番印象に残ったのは、そのことではありませんでしたね。

 私が印象に残ったのは、創立者の宮城まり子さんが作ったという、ねむの木学園のシンボルですね。それは、女の人と、子どもが、同じ方向を≪共に見る≫浮彫です。正確に申し上げれば、大人の視線よりも、子どもの視線の方が、やや上向きの浮彫です。

 ≪良い良心≫、すなわち、寛容で鷹揚で、自分と人の自由を大事にする良心を育むために、この施設・学校を作ったことが、ハッキリ分かります。そう、≪良い良心≫が子どもの中にできる時、大人とその子が同じ方向を見ていながら、しかも、現実には、子どもの方が高みを見ている感じが強いですね。大人よりも、子どもの方が、「上」なことが、本物の臨床をしていれば、圧倒的に多いからですよね。それはね、心理的支援でも、教育でも、変わらないでしょう。

 このシンボルは、≪良い良心≫が出来る時の、心の在り方を見事に表現している、と強く感じた次第です。下の写真が、そのシンボルです。

 

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安心とゆとりが基本線だ!

2015-12-12 01:41:56 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
子どもの不思議 : 子どもが真実を知っている不思議
  子どもの面接をしていると、「子どもは不思議」と思うことによく出会います。子どもは誰に教えられずとも、人間の真実を知っている、ということに繰り返し出会うからかも...
 

 ストレスホルモンが分泌されるのも、生理反応、大事な働きです。 

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.219の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 どうしていいのか分からないことや、ビョーキが治らないことがあると、人は、自分自身を守るために、ストレスホルモンが使えなくなります。ストレスホルモンが使えない時でも、いろんなホルモンがまだ出ているけれども、自分にエネルギーを注ぐことは上手く出来ません。結局、物事に対処するはずの行動パターンが、身体の働きを台無しにするだけじゃぁなくて、ぶつかり合いと逃げの反応に、エネルギーを無駄遣いし続けることにもなります。物事もうまく対処できるようになるためには、この根強い緊急避難的な反応は、終わりにしなくちゃなりませんよね。身体は、安心とゆとりという基本線に戻さなくっちゃ、ということです。安心とゆとりがあって初めて、身体は本物の危険に対処する時に、行動がとれるのですからね。

 

 

 

 

 

 発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもと日々付き合ってますとね、ここで、ヴァン・デ・コーク教授が指摘するように、自分の身体を守るための行動が、とれない場合が非常に多いですね。危機場面を生きざるを得なかったからでしょう、守りに入らなくても良さそうな状況でも、過剰防衛して、怖がったり、気持ちを出さなかったり、逆に、誰彼かまわずに、人の後を追ったり、打ったりする…。エネルギーを、過剰防衛に使って、本当の危機や建設的な活動に使えません。ですから、そのようにエネルギーの無駄遣いを防ぐためにも、安心とゆとりという基本線が大事になりますよね。

 

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