エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

詩人フレデリックの役目

2015-12-16 09:27:46 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
僕は0才、困ったちゃん
  大人になっても、情緒的に0才ですと、その人は確実に「くれない族」か「いじめっ子」。 p88下から4行目途中から。  &nb...
 

 私は詩人が大好き。マハトマ・まど・みちおさん、金子みすゞ、宮澤賢治、谷川俊太郎さん、ウィリアム・ブレーク、八木重吉、…。私は、エリック・エリクソンも詩人だと考える口です。桝本梅子先生の書で、宮澤賢治の詩「稲作挿話」の一節、「雲からも風からも / 透明な力が / その子どもにうつれ」のことばを、かれこれ20年くらい、部屋に飾っているくらいです。

 詩人には、眼には見えない偉大な力があります。

 それを、子どもにも、おとなにも、分かりやすく教えてくれている人に、レオ・レオニさんがいます。絵本『スイミー』で有名な、絵本作家であると同時に、グラフィック・デザイナーですね。もちろん、詩人でもあります。その絵本が『フリデリック』。

 フレデリックは、「仕事」もしないで、冬が来る前に、光や色や言葉を集める、のねずみです。そして、冬が来ると、仲間ののねずみに、集めた光と色と言葉を、プレゼントします。そして、みんなが温かい気持ちになります。

 あなたも、子どもさんに、ぜひ、『フレデリック』を読み聞かせてあげて下さいね。 

 

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振り子が振り切れがちなルター

2015-12-16 09:05:02 | アイデンティティの根源

 

 

 
ここからの希望
  自民党が「圧勝」。残念です。 これだけ横暴なことをしていてても、自分が直接「被害者」にならない限り、NOといえない平均的日本人。利益誘導されちゃう。 ...
 

 ルターにとって、うつ病は、創造の病でしたね。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.246の、第1パラグラフの、下から10行目途中より。

 

 

 

 

ルターがローマ教皇に対してウンコを投げつけるように攻撃したのは、明らかに強迫的でした。ルターが指導者と呼ばれるに値するものになった時、ルターは、(訳注:時のローマ教皇)ファルネーゼと言う苗字をから、「フェびり腰」と言う言葉を作ったり、ローマカトリックを、悪魔の子を産むケツにした木版画をつくったりしました。

 

 

 

 

 ルターは権威を否定するのに、非常に下品な言葉を使いましたね。それは、無意識裡に自分を抑え込んできたことの反動でした。ですから、振り子が降りキレる嫌いがありました。これも一種の無意識の暴力のなせる業なんですね。

 

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関係性を見ていく見方が、毎日の生活を礼拝にする

2015-12-16 08:18:31 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
自分を確かにする道の≪秘密≫ 日常生活の中の礼拝を司式すること
  黄金律でさえ、≪やり取り≫なんですね。 p232冒頭から。      私どもはこ...
 

 精神分析の訓練されたセラピストは、いつでも何度でも、関係性を見て生きます。人を見て生きます。それはワンダーフルな人生の始まりです。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p99の、8行目途中から。

 

 

 

 

 

しかしながら、同時に、新たに、自分が生きていく上での気付きであると同時に、歴史上の気付きであるのは、この関係性を見ていく見方を、現代人の倫理にまとめ上げたいと願うことです。すなわち、関係性を見ていく見方は、癒しの流れとして、玄人はだしの仕事に、シッカリとしていっているのか?あるいは、関係する様々な領域、たとえば、社会学、政治学、のいろんな仕事が、日常生活に対する内省に次第になっているのか? が問われているんですね。

 

 

 

 

 

 実に壮大にして、射程の長い視点でしょ。関係性を見る見方というものは! 心理学だけではなくて、政治学や社会学も、この視点で見ていくとき、現代人の倫理を形作るものとなります。いまどきのニッポンのウソとゴマカシだらけの現実と、それを追認してばかりの社会学、政治学ばかり見せられていると、信じがたいことかもしれせんけれども、関係性を見ていく見方には、倫理と結びついた視点が強烈にあります。それは現代の礼拝、毎日の生活を礼拝にする視点なんですね。

 

 

 

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発達トラウマは、強盗に似ている?

2015-12-16 03:20:21 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
ここからの希望
  自民党が「圧勝」。残念です。 これだけ横暴なことをしていてても、自分が直接「被害者」にならない限り、NOといえない平均的日本人。利益誘導されちゃう。 ...
 

 ヴァン・デ・コーク教授は「クライアントはリラックスして、笑顔になり、「やったぁ」(あるいは「出来たぁ」)という感じになりますもんね」と言ってますでしょ。本当にそうなんですね。特にクライアントが子どもの場合は、嬉しくて嬉しくてたまらないので、自然に体が動き出して、ピョンピョン飛び跳ねますからね。あるいは、「出来たぁ」って言いますもんね。昨晩、そんな翻訳をしてましたら、早速、昨日の学校でプレイセラピーをしている子が、そのヌミノースの悦びを、「出来たぁ」と言って、ビョンビョン飛び跳ねて、「預言通り」になりましたもんね。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.220の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 有無を言わせない力に、仕方なく甘んじている時、それは虐待されている子どもたち、家庭内暴力に晒されている女性たち、男でも女でも、獄に繋がれている人達にも、当てはなるものなんですけれども、こういう人達は、「もうダメだぁ」と、自分の人生を生きることを諦めて、人の同調しながら生きてる場合が多いでしょ(訳注:圧倒的多数の日本人がこれです)。諦めて生きるこの根深い生き方を克服する、最善の方法は、人と関わりを持ち、自分を守る体力を回復することです。上手に戦い、上手に逃げる応答が出来るようにする、身体志向の、私の好きなやり方は、私が住んでる地域のあるインパクトセンターがやっている「強盗プログラム」なんですね。その「強盗プログラム」では、女性たちが(次第に、男性たちも)強盗のお強いられるのを上手に撃退することを学びます。

 

 

 

 

 アメリカ人が好きなやり口ですね。強盗に入られて、平常心でいられる人は、そうそういませんでしょ。それが平気でいられるようになり、むしろ、強盗に一泡吹かせることが出来るようになったなら…。

 発達トラウマの、有無を言わせぬ力も、強盗みたいなもんでしょ。それで、強盗プログラムで練習する、という運びになっているのですね。

 でも、諦めて生きる生き方を克服する最善のやり方が、体力の回復だというのも、アメリカ人的プラグラディズムなのでしょう。

 

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