エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

間違いがありましたので、訂正します。

2015-08-23 23:11:22 | エリクソンの発達臨床心理
 
老子 矛盾律は矛盾しない
  アリストテレス論理学はむずかしい。ついてけるかな?(☺) p68第3パラグラフ。  ...
 

 先日のブログ「戦争と知的障害児たち 忘れちゃいけない歴史 改訂版」で、滝乃川学園の利用生から2名の利用生が兵隊に行かされて戻って来なかった、それは津曲祐次先生の『滝乃川学園百二十年史』にも載ってない、ということを記しました。これは間違いでしたので、お詫びして、訂正します。

 津曲祐次先生の『滝乃川学園百二十年史』下巻のp.1068に「園生の応召」の一節があり、やはりそこに「昭和十六年から十九年にかけて、少なくとも2人の園生が応召している」と出てきます。資料は、津曲祐次先生が、戦時中「若葉寮」の保母だった安藤春さんから預かったハガキと、筆子先生の「学園その日その日」です。そのうち1人は「衛生兵」であり、無事帰還し、敗戦後短期間滝乃川学園に在園しています。もう一人は、やはり「戻ってきていない」ということです。そして、「アジア・太平洋戦争戦争下の戦争・軍隊と障害者問題については、さらに他の民間「精神薄弱」者施設における入所者に「応召」の有無などの調査を行い、実証的に究明していく必要がある」と津曲祐次先生は、この一節を結んでいます。

 以上、間違いがありましたので、ご報告するとともに、訂正いたします。

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一本道 or 終身刑 ?

2015-08-23 09:59:03 | アイデンティティの根源

 

 仕事は、世のため、人のためにしたいものですね。組織のための仕事は、止めましょう。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.220の第3ラグラフ、下から9行目途中から。

 

 

 

 

 

仕事が個人的に上手く出来たかどうかは、ある種の技術的出来栄えを反映したものとなるでしょう。でも、その技術とは、手順の合計以上のものですよね。仕事のスピリットの大事さをルターが主張する時には、マルクスに先んじて、そう主張したんですね。しかし、それは、もちろん、政治的な意味じゃぁないし、経済的な意味じゃぁないけれども、価値の次元で、ルターは、進歩を考えたんですね。ルターは人間を解放して、新次元の価値に目覚めさせたわけですね。ルターの視点は、職人的ですから、1つの仕事は、他の仕事と同様に、うまくすれば、それに携わる個人が全うになるための一本道になる、と考えたわけですね。それはまた、ルターが、1つの仕事が、他の仕事と同様に、悪くしたら、「生涯続く牢獄」つまり「終身刑」にもなる、と考えたんですけどね。

 

 

 

 

 これは、『プロテスタンティズムと資本主義の精神』にも通ずるところですね。つまり、資本主義勃興期のプロテスタントたちは、仕事は神の栄光を実現するものとして、仕事をしたいからしていた、ところが、資本主義安定期に入ると、資本主義そのもののシステムが自動的に動くようになりますから、仕事を好きかどうかを問わず、仕事は「ねばならないこと」になっちった、という訳ですね。それでも、仕事を喜びとすることもできます。そうすれば、エリクソンが言うように、その仕事をする人が、自分をまっとうにする手立てにも、仕事がなりますよね。でも、仕事が「ねばならないこと」になれば、それは「生涯続く牢獄」になる訳ですね。

 あなたは、どちらを「選んで」いますか? 

 いままで、そんなことを考えたことがないのでしたら、この際、仕事を「自分が全うになる一本道」としたいのか? それとも「生涯続く牢獄」にしたいのか? 考えてみてはどうですか?

 

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宇宙から地球を眺めてね

2015-08-23 07:56:33 | エリクソンの発達臨床心理

 

 「人間を上下2つに分けるウソ」ほと、恐ろしいものはありません。ご当人は、ミラノコレクションの服を着ているつもりなのに、実際にやっていることは、殺人鬼にも似た、ひどい人権侵害だからですね。本人はその自覚がありませんから、「人権侵害」を批判されても、ミラノコレクションの服に文句を言われてる感じになりますよね。ですから、その「文句を言う方が悪い」となってしまいがちですね。でも、この手の人って、じつによくあるパターンです。あなたの周りにも結構いますよ。まずは自己点検ですけどね。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p69最後の行目途中から。

 

 

 

 

 

人が、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」を無意識に抱いてしまうという問題は、様々な人種の人が生き延びるのに、広範に、深く関わってますし、ひとりびとりが自分の心の発達を遂げていくのにも、幅広く、深く関わってんですね。というのは、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」は、単に押さえつけられるだけですと、自分自身に対して、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」をぶつけることになっちゃうからなんですね。

 

 

 

 

 

 rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」がいかに恐ろしいかが、分かりますでしょ。熱心にその出口を求めるんですね。rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」はほぼ、無意識の力、それも、無意識の圧倒的な暴力だからですね。人にぶつけることができないと、今度は自分にぶつけることになっちゃいますね。人にぶつけたら、意地悪やイジメに始まり、ハラスメント、言葉の暴力、差別、暴力、怪我をさせたり、殺したり、あるいは、ジェノサイドや戦争にまで、核のボタンを押すことまでなるんですね。でも、それを抑えつけているだけでは、今度は、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」は自分に向かってくるから厄介でしょ。

 大事なのは、人類は1つ、地球は1つ、と心の底から目覚めることですね、宇宙飛行士の野口総一さんがおっしゃるように、「宇宙から地球を眺めると良い」のかもしれませんね。そうすれば、「地球は1つという感覚を持てる」からです。すくなくとも、宇宙から地球を眺めることを想像することでしょう。

 

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「山の日」お休み、大反対!

2015-08-23 04:55:16 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
「勇気」が湧いてきた!
第2の見方 生き直し2013-08-22 01:29:58 | エリクソンの発達臨床心理 能動的再体験が、激しい怒りと恥も笑...
 

 

 日ごろから、お休みを大事にしたい、と言うのが私の主張です。しかし、今回「国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)が改正されて、来年から、8月11日が祝日、お休みになるようです(http://www8.cao.go.jp/chosei/shukujitsu/gaiyou.html)。私はこれに大反対です。

 今晩は、「お休み」を考えます。

 「山の日」(8月11日)がお休みになると、祝日が年間16日になると言います。他の先進国ですと、祝日は年間10日くらいが多いそうですね。アメリカは10日、イギリスは9日、スウェーデンが15日、ドイツは9日、ロシアが17日…(http://www.longtalker.net/world_holidays/europe/uk.html)。ただし、ロシアの場合、1月1日~8日が8連休になっているのが特色ですね。こうなると、祝日は、欧米に比べると、日本の祝日は多いですね。

 「政府は、日本市民がお休みを採ることに熱心」なのでしょうか?

 私は、日本に祝日が増えるのが、ウソとゴマカシ、であると強く感じています。しかも、「お休みが増えます」と言われて、私のように反対するのは、「チュット頭がおかしいんじゃぁないの?」という人くらいでしょ。大体の人が、賛成、歓迎しますでしょ。何故私は、祝日を増やすことに反対なのか? それは、「祝日を増やしたって、働く者の労働環境の改善に繋がらない」、と強く感じるからですね。言葉を換えれば、祝日を増やすのは、「政府は、日本市民がお休みを採ることに熱心」に見せるポーズに過ぎない、と私は考えているからなんですね。

 私は、日本人の働き方の外形的(外から見える)特色は、1)残業、しかも、ただ働き残業(ただ働きを「サービス」と呼ぶのに、強い違和感を覚えます)が長い、2)有給休暇が少なく、しかも、有給休暇がなかなか取れない、3)基本給(ベース)が安い、つまり、景気で増減するボーナスが年収に占める割合が大きい、ということです。今晩は、その内、「2)有給休暇が少なく、有給休暇がなかなか取れない」を中心に考えたいと思います。

 ヨーロッパですと、特にバカンスという言葉の発祥地、フランスでは、連続5週間までバカンスが取れるような法律があるそうですね。まあ、フランスでなくても、1か月程度は連続して休むのは、ざらでしょうね。国際労働機関(ILO)は、「第54回総会で1970年6月24日に採択されたILO第132号条約では、労働者の有給休暇は1年勤務につき3労働週(5日制なら土日以外に15日、6日制なら日曜以外に18日)以上とされている。また、休暇は原則として継続したものでなければならず、事情により分割することができるが、その場合でも分割された一部は連続2労働週以上でなければならない。また、原則として放棄してはならないものとされている」という訳ですね。ですから、3週間か、4週間くらい休むのが、当たり前だ、になる訳ですね。

 しかし、日本は、半世紀近く、この条約を批准していないんですね(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E6%AC%A1%E6%9C%89%E7%B5%A6%E4%BC%91%E6%9A%87)。企業が反対しているからですね。企業から献金をもらって、議員に当選している、自民党の議員連中は、企業の反対することは基本的にやんないでしょ。

 このように見てくると、政府は、日本市民がお休みを採ることに非常に消極的なことが分かりますでしょ。その消極的姿勢を、ウソとゴマカシ で隠すために、「海の日」に続き、「山の日」が祝日になった、というのがことの本質です。本末転倒ですね。

 私は、少なくとも、連続して3週間休める社会、基本的に残業がない社会、景気で給与が増減しないシステムのある社会、の方(つまり、今のヨーロッパのような社会)が、今の日本の社会の比べて、遥かに人間的だと思うんですね。そのような、人間らしい暮らしが出来る社会にしていくのが、政治の使命ですし、民主化だと私は考える訳ですね。

 ですから、あなたが、もし「タコツボ型」人間でしたら、それを早く卒業して、広い社会、世界に目を向けて、世界標準、「人間らしい暮らし」の出来る社会を目指そうじゃぁ、ありませんか!

 

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