エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

衝動も悪い良心も、恐れるに足らず

2015-08-09 18:54:33 | アイデンティティの根源

 

 衝動と悪い良心をコントロールすることができれば、心は平穏、自ずから、人に役立つ人になります。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.217の 下から5行目途中から。

 

 

 

 

 

それは、ルターが、opera manus dei 「神の御手を動かすこと」と呼ぶものを、自我が豊かにする場合の話です。すなわち、自分を確かにさせることを、価値あるものと認め、正しいと認めることは、仕事をすると同時に、人を大事にすることによってのみ、出来る場合です。こういった状況下では、完全に服従することが、完全に事態をコントロールすることとなり、完全に受け身になることが、能動的に活動するために新たなエネルギーを解放することとなります。悪い良心を、自我の目的のために働かせることは、逃げずに悪い良心と向き合うことによってはじめてできることです。私どもが衝動コントロールし、創造的に活用することは、衝動の力を、楽しく陽気なこと、意識的なこととして認め、仕事に能動的に関わること通して、初めてできる話ですよ。

 

 

 

 

 

 素晴らしいでしょ。悪い良心は、気付かなかったり、逃げたりするから、悪さをするんですね。立ち向かえば、恐れるに足りません。衝動も、気付かなかったり、逃げていたのでは、踊らされます。衝動も、むしろ、その力を楽しんでやれば、悪さはしないもの。

 人生は上手く出来てますね。

 

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発達の飛び級はない!

2015-08-09 18:43:04 | エリクソンの発達臨床心理

 

 世の中を守ることが大人の務めだと言います。それはヒンドゥーの教えとも重なるらしい。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p66の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私どもの2つの大人の舞台、すなわち、成人期と若い成人期は、思春期と老年期の間にある、あらゆる別の舞台を先取りするものではありません。でもね、他の研究者が別の分類を示してくださっていることに感謝しておりますが、ここでは、私どもは、もともとお示しした舞台をもう一度振り返ります。それは第1に、このような一覧表に備わった、あらゆる人の揺りかごから墓場まで渡る論理を、お伝えしたいからです。つまり、ここで今からやろうとしている振り返りにおいては、私どもは、1つずつ、すぐ前の舞台に進めば進むほど、その前の舞台が、すでに申し上げた後の舞台にとって、なくてはならないことがハッキリしたはずです。

 

 

 

 

 難しく響きます。前の舞台は、後の舞台に必要不可欠だとエリクソンは言います。どういうことでしょうか?

 それは、発達には飛び級はない、ということです。ですから、最初の赤ちゃんの舞台で、主にお母さんとの繰り返しやり取りすることによって、根源的信頼感を、根源的不信感よりも、確かにできなかった場合、その人は、戸籍上の年齢が、10才になっても、30才になっても、50才になっても、80才になっても、中身は、眼に見えない心は、0才だ、ということですね。

 「心はいつもエバーグリーン」は、素敵です。

 「心はいつも0才」は、苦しすぎます。

  その人も、周りの人も…。

 

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ユングの示す、3つの教育から、新しい教育を考える

2015-08-09 04:02:32 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
権力の手先には、陽気で楽しく「良し」と言おうよ。
陽気で楽しいヴィジョン 約束という声の光2013-08-08 01:30:33 | エリクソンの発達臨床心理  <私>を育てることは<生きてい...
 

 

 今晩は、明日山登りに早朝から出かけますから、ショート・カット版でお届けします。ユングの第5夜。教育を考えます。

 ユング著作集第17巻(The collected Works of C.G.Jung, Vol.17, pp.149-164)に戻って、The significance of the unconscious in individual education. 「個人を教育する上での、無意識の重要性」を主な素材として考えます。

 ユングはこの文書で、3つの教育のやり方について触れています。1つは具体例を用いた教育、2つは、集団教育、3つは個別教育です。最初の具体例を用いた教育は、ユングが言うには、一番古くて、一番効果があるかもしれない教育だと言います。集団教育と言うのは、必ずしも学校教育とイコールではないようですが、規則、方針、方法に従う教育だと言いますね。最後が個別教育です。これは集団教育とは逆で、生徒ひとりびとりの持ち味を引き出すという目的をハッキリさせて、その目的にかなう規則、方針、方法を決める教育だと言います。

 特にどれが良いとユングは言っているのでは必ずしもありません。私が注目するの、生徒が不安神経症になっている場合は、「普及している教育方針(集団教育)は役立たないばかりか、有害だ」としている点です。そんなことよりも、「子どもの家庭状況を徹底的に調べなさい」とユングは言いますね。

 私は、これを読んで、今も変わらないと考えたわけですね。ルールを子どもに押し付けるような、今の日本の学校教育は、アメリカては「禁忌」とされている「正しいことを押し付ける関わり」になっちゃってますでしょう。教員の方は、それが正しいと信じているし、他に方法を知らない場合も少なくありません。そしたら、子どもは不幸ですよね。その教員もある意味気の毒ですね。

 愛着障害だらけの今の日本の学校では、真の意味での個別教育計画(IEP)が必要ですし、それを教員以外の保育士、ソーシャルワーカー、医者、サイコロジストなどの、多職種が、≪対等な話し合い≫で決めていく時代が、もう、とっくに来ています。

 

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