エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

私どもが、アンパンマンになるために 改訂版

2015-05-01 23:19:27 | エリクソンの発達臨床心理

 

 口やお尻の動きと、対人関係のあり方に共通点があることを見出したのは、精神分析の大きな功績でした。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p35の下から2行目から。

 

 

 

 

 

 「口と感覚の舞台」はね、2つのやり方の取り入れによって、コントロールされています。「手に入れる」ことは、第1に、与えられたものを受け取り、受け入れることです。もちろん、これは、息を吸ったりすることと、おっぱいを吸ったりすることと似ている点で、本当に根源的に大事でしょ。「おっぱいを吸う」やり方は、人生で最初に学ぶやり取りのやり方ですし、お母さんとの関係の中で、すなわち、「初めに出会う人」が、まず初めに、一心不乱に赤ちゃんの相手になり、慈しみ深い愛着を育んでくれるからこそ、学べるものなんですね。このようにして、「与えられたものを受け取ること」において、それから、望んだことを「与えてくれる誰かがそばにいてくれる」ことを学ぶことにおいて、赤ちゃんも、また、何時の日か「与える者になる」という、この世で生きてくときになくてはならない根源的な基盤を手に入れることになるのですね。

 

 

 

 

 人は、慈しみ深く与えられて、初めて、慈しみ深く与える者とになります。

 人は、与えられたからこそ、与える者になれるんですね。

 人は、慈しみ深く信頼されて、初めて、慈しみ深く信頼するものになります。

 人は、信頼されているからこそ、信頼する者になれるんですね。

 このようにして、私どもも小さなアンパンマンになるんですね。

 

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自由なルター

2015-05-01 14:01:14 | アイデンティティの根源

 

 ルターも、フロイトも、見つめられるのが苦手でした。

 Young Man Luther 『青年ルター』p196の最後の行から。

 

 

 

 

 

 マルティンの立ち居振る舞いが、修道士に求められた柔和さと次第次第に矛盾するようになりました。実際に、マルティンの身体は、もたれかかるように見えたので、マルティンの額は、横柄に空に向いていました。マルティンの首に乗っかった頭は、広い肩と熱い胸板の間にありました。ドイツ選考帝のチャプレンと顧問のスパルティンのような人ですと、マルティンをもろ手を挙げて称賛する者もありました。また中には、ドイツ選考帝、フレデリック賢明王自身のように、マルティンがいると、落ち着かない感じの人もありました。ルターと選考帝は、時にはご近所に住んでいたと言われますが、後年になると、その狡猾な駆け引きと軍事的な保護のおかげでルターは死なずに済んだのですが、「個人的な会って」話をしたためしなど一度もありませんし、選考帝にしても、ルターの説教を聴いたためしがありません。ときには、ルターの説教はフレデリックや他の選考帝たちを批判する場合もあったのでした。

 

 

 

 

 

 ルターはずいぶんですね。でもね、保護してくれる選考帝に、単に取り入ろうとするのではなく、批判すべきは批判したのがルターでした。じゃないと『キリスト者の自由』が泣くでしょ。

 

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ことばを贈る 自由でいるため 正気でいるため

2015-05-01 03:28:38 | エリクソンの発達臨床心理

 

 いつもながら、高橋源一郎さんは痛快ですね。今月の論壇時評もとても良いですね(朝日新聞 4.30,2015.  12版▲ 13面)。

 ことばは自由を得るためにあることがハッキリ分かります。したがって、ことばを贈ることは、その相手に自由を手にしてもらいたいからです。

 「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネによる福音書第8章32節)。国立国会図書館にもこの聖句から出た言葉「真理はわれらを自由にする」が掲げられているくらい。真理は言葉によって表され、また、伝えられます。

 高橋源一郎さんも指摘しているように、日々の生活の中では、その生活、仕事の現場に埋没しがちでしょ。「埋没」というのは、考えないこととイコールです。ルーティーン・ワーク、いつもやってることは、馴れてますから、いちいち考えずとも、身体が覚えていますよね。だから、間違いも少ないし、能率もそれだけいい。しかし、それは1つの頑強な枠組み、縛りにもなって、その生活、その仕事を別の視点から考え、工夫し、新たなものにつくりかえることに対する足かけにもなりやすい。とってもアンビバレント、良い面と悪い面とがありますもんね。

 そこで役立つのが、ことばですね。言葉には真理と精神が宿る。ことばは神様でもありうる。その真理、その精神、ことばにまします神様と、今の生活、今の仕事、今の自分とを照らし合わせ、対話をする。そのようにすることが、今の生活、今の仕事、今の自分を生き返らせることに繋がることが少なくない。

 安倍晋三首相は、アメリカの国会で、「戦争で一番傷つくのは女性でした。私どもの時代にあっては、女性の人権が尊重されるような社会を実現しなければなりません」と言いました。良いことですね。しかし、「戦争がない」と言われた敗戦後70年、特にこの「失われた20年」で、果たして女性の人権がどれだけ尊重されているのでしょうか? シングルマザーの萩野小雪さんが言う通り、近くの保育所も見つからない、幼子を抱えた母親は仕事もなかなか見つからない、住む家さえなかなか見つからないんですね。見つかったとしても、なかなか借りるだけのお金がない…。全く、安倍晋三首相の想像力の貧困は大したものですね。

 こんな権力批判ができるのも、ことばのおかげでしょ。私どもは、「閉塞感」がますます強まる時代の空気の中で、それにもかかわらず、自由でいるために、正気でいるために、ことばが必要です。

 

 

 ことばをふたつ

 「個人は、社会全体よりも価値がある。」

 「1人の命は、地球よりも重たい。」

 

 

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