お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

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清明節

2006年04月05日 00時29分15秒 | 歴史探索
今年の清明節は4月5日、天下の大陰陽師「阿倍晴明」は清明節の日に産まれたといわれています。清明節の日は中国ではお墓参りの日だそうです。
 清明節の前日は寒食の日、中国ではこの日は1日火を使わないだとか。かまどの火も使わないそうです。
 宮城谷 昌光著「介子推」では「この日は雨が多い」という意味の漢詩と共に、寒食の日の由来を紹介されています。介子推という人物は伝説上の人物、春秋の五覇 「晋の文公」に仕えた陪臣。史記などでも書かれています。宮城谷 昌光氏の「重耳」(晋の文公の物語)でも介子推は出てきます。
 清明節は雨が多い。春祭りが多い4月第一土日にこの日と重なる年も多い。多くの祭礼人を悩ませますが、古くから雨が多い日として有名ですので、漢詩の存在を知ってからですが、私は諦めて、雨の日も楽しむようになりました。雨も自然の恵み、その恩恵を忘れてはならない。

 各地に「清明」と書かれた石碑がありますが、実は阿倍晴明とは全く関係なく、「清明節の日は雨が多い」から火災の時に雨が降るようにする「まじない」ではないか?と考えています。(多くの阿倍晴明本には「清明節」の説明が無いなあ、是非書いてほしい。)

 とにかく阿倍晴明も雨とかかわり深く、晴明は80歳を越えた晩年、雨乞いで見事雨を降らし、後生に伝説を残しました。

 余談になりますが、2003年、名古屋市東区筒井町「湯取神子車」は大将人形「阿倍晴明」と巫女を新調しました。人形師より筒井町へ渡されたその日は雨は降りませんでしたが、1週間後は清明節、この日は朝から、しとしとと、雨が降りました。

 新しい晴明の写真を見て一人苦笑いをしたのを覚えています。

 4月5日にこの記事を書いていますが、やっぱり雨が降っています。多くの人へ恵みの雨でありますように!!


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