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宇宙航空MBAブログ

Aerospace MBA(フランス・トゥールーズ)が考える宇宙航空マネジメントの進化系ブログ

シエスタ

2007年06月14日 | MBA
 
別に今スペインのMBAと合同授業を受けているからというわけではないのだけど、ポルトガルやスペインなどの南欧の習慣Siesta(シエスタ)を僕も体験してみることにした。彼らの話によれば、スペインでは昼間は暑くて暑くて仕事にならないため、お昼ゴハンを食べてから夕方4時くらいまで、家に帰ってゆっくりと寝るのがベストなのだそうだ。

今日はちょうど午前中のみの授業で午後からは学校がお休み。12時過ぎに授業を終えた僕は、新たなクラスメート達とカフェテリアで食事をした後、車でIASキャンパスへと戻った。シエスタの目安は、大体13時から16時とのこと。ピッタリの時間だ。

13時になったので、僕はいつもなら明日の授業の予習をしたり、フランス語の勉強をしたり、とにかく何かをして過ごすのだけど、今日はシエスタ体験のために部屋を真っ暗にしてベッドに向かった。着替えるのが面倒なので、着ていた服はそのままでベッドに横になった。

予想どおり、なかなか寝付けない。部屋を閉め切って暗くしているとはいえ、窓の隙間からは南仏の強い太陽の日差しが入り込んでくる。気温はすでにかなり高い。もし外に出たら相当日焼けしそうな勢いだ。

慣れないことはするもんじゃないのかなあ~と思っていたら、急に眠くなってきた。お昼ゴハンを食べて食欲が満たされ、次は睡眠欲というワケだ。人間の体は本当によく出来ていると思う。

という感じで、気付かないうちに僕は深い眠りへと落入っていたらしい。もちろん、監視カメラなどは設置していなかったので、寝ている最中のことはレポートできない。しかし、途中で一回も起きなかったところを見ると、相当心地よい眠りが続いていたのだと思う。

そして、僕はなぜか16時ピッタリに目が覚めた。別に目覚まし時計をセットしていたわけではないのだけど、目安時刻の16時ジャストに目が覚めた。ひょっとしたら、僕にはシエスタの先天的な才能があるのかもしれない。自分でも驚いた。

目覚めてしばらくはボーっとしていたのだけど、5分も経つと体の中に自然とエネルギーが漲っているのを感じた。2時間以上も寝たのだから当然と言えば当然なのだけど、疲れはしっかり取れているし、頭は普段の午後の状態よりもクリアーに冴えている気がする。

目覚めてからのMBAの宿題のはかどり方も素晴らしかった。いつもなら集中力が切れてしまいそうな場面でも、ちゃんと集中力が持続する。新しい能力が覚醒したのではと思うほど、作業がどんどん前に進んでいく。とても能率の高い午後となった。

一見時間の無駄に見えるシエスタだけど、目覚めてからの作業能率の高さを考えると、シエスタをしなかった場合よりも優れた選択肢といえる気がする。

日本にシエスタの習慣が根付く日は、果たして来るだろうか。来てほしい。。。
 

スペインとの合同授業

2007年06月13日 | MBA
 
今週のAerospace MBAでは、Managing Subcontractor(サブコントラクター・マネジメント)に関する授業が行われている。講師を務めてくれるのは、先日行われたプロセス・ワークショップでChange Management(変革のマネジメント)を教えてくれたポルトガル人のLeandro教授だ。

Leandro教授の授業は、とにかくケーススタディの量が多い。一日2本は当たり前で、時には3本、4本のケーススタディをこなす。ケースは1本あたり大体20ページから30ページ程度なのだけど、英語のみで書かれた文章を体に染み込ませるように理解しながら読み込むのは、僕にとってかなりエネルギーが必要な作業だ。

さらにLeandro教授の授業が超ハードなのは、ケーススタディ当日の朝までにグループを作って問題点を深く議論し、その結果をWordファイルとPower Pointファイルにまとめて提出しなければいけないからだ。この事前の課題に基づいて成績の40%が評価されるので、気を抜くことはできない。

さらに今回のサブコントラクター・マネジメントに関する授業のハードルを高くしているのは、スペインのMBAスクールとの合同授業であるという事実だ。僕達にとっては初めての経験なのだけど、スペインのセビリアにあるビジネススクールでMBAを学ぶ30名の学生が今Toulouse(トゥルーズ)に来て、僕達と一緒にLeandro教授の授業を受けているのだ。

当然、ケーススタディに関する宿題に関しても、今回に限ってはスペイン人の学生と一緒にチームを作り、十分に議論を重ねた上で結論をまとめなければならない。同じMBAの学生とはいえ、一緒に作業したことのない他人と即席でチームを組み、ディスカッションを重ねて合意に達するのはかなり至難の業だ。いつもやっているAerospace MBAのクラスメートとの議論のほうが、はるかに楽に感じる。

なぜスペインのビジネススクールがAerospace MBAに生徒を送り込んできたかというと、Airbus Military(エアバス・ミリタリー)社が開発を進めるA400Mという軍事輸送機の最終組立工場が、ドイツでもフランスでもなく、スペインに建設される予定になっているからだ。最終組立工場がスペインに完成すれば、当然その工場に部品を供給する多数のサプライヤーをマネジメントをする人材が必要となる。そのマネージャーを戦略的に育成するプログラムの一環として、今回の合同授業開催が実現したらしい。

僕達Aerospace MBAの学生にとっても、将来的に宇宙航空ビジネスの世界で活躍するスペイン人MBAホルダーと知り合いになれるチャンスはとても貴重だ。授業以外でも一緒にランチを食べに行ったり、名刺やメールアドレスを交換したりと、皆将来のためのネットワーク作りに余念がない。人的ネットワークは、宇宙航空ビジネスの世界で成功するための最も重要なリソースの一つだと言われている。

そんなスペイン人MBA学生との授業も、残すところ明日と明後日の2日間だけだ。可能な限り僕の人的ネットワークを広げるとともに、日本の宇宙航空の最新動向を伝えていきたいと思う。

(写真はスペインの国旗)
 

面接の結果

2007年06月12日 | MBA
 
インターンシップの面接を無事終え、僕はほっと一息ついてATR社を後にした。やれることは全てやったし、MBAで学んだ航空ビジネスのマネジメント知識も、独自に分析したATR社の将来戦略も、全て面接の中でいい方向に作用してくれたと思う。後は幸運を祈りつつ結果が来るのを待つだけだ。

僕はIASキャンパスへと戻る車の中で、この1年の間に僕がどれだけ宇宙航空ビジネスのマネジメント知識を深めてきたかを実感し始めていた。今回の面接は、間違いなく僕の人生の中で一番長く、そして、一番厳しい面接だったと思う。母国語ではない英語とフランス語で計1時間30に渡って1対1で議論をし続ける。そして、その議論の相手は、航空ビジネス業界で何十年も経験を積んできたATR社のVice Presidentクラスだ。その企業の経営者レベルを相手に、僕は少なくとも航空ビジネスの未来について議論を戦わすことができた。

たとえ今回のインターンシップの採用面接に合格できなかったとしても、自分自身の成長を少しだけでも感じることができたのは確かだ。この1年間が僕にとって無駄でなかったことが分かっただけでも、この厳しく長い1時間30分の意味はある。僕にはそう思えた。

それから採用面接の結果通知を待つこと数日、やっと昨日ATR社の封筒に入った面接の結果通知が僕の元に届いた。面接の出来にかなり満足していたので、僕自身としては、たとえ合格していようと合格していまいと、面接をしてくれたATR社に対する感謝する気持ちで心の中はいっぱいだった。

採用面接の結果通知の中身は、もちろんフランス語だった。

Monseiur,

Nous avons le plaisir de vous informer que nous serons en mesure de vous accueillir parmi nous au sein du service Commercial d'ATR pour un stage.....

なんと、ATR社のCommercial部門での採用が決定した!Commercial部門といえば、あの僕が絶妙のプレゼンに心の底から感動してしまったGianni Tritto氏が副社長を務める部門だ。Marketing(マーケティング)部門と共に航空機の新規市場開拓や新たな国への進出など、主にビジネス開発を担当している部門だ。そして、なによりあのTritto氏の下でビジネスの修行が積める。今の僕にとってこれ以上ない最高のポジションだ。

しかし、ATR社も思い切った決断をしたものだなあ~と正直に思う。僕には航空ビジネスの実務経験は全くないし、フランス語だってビジネスで流暢に話せるレベルではない。イタリア語にいたっては今から学ぶレベルだ。それに、ATR社には毎年たくさんのインターンシップ採用希望者が殺到すると聞いていたし、僕よりもすごいMBAの学生なんてたくさんいたはずだ。それでもあえて僕を採用することを選んでくれた。ATR社に感謝だ。Merci!

労働契約書によると、月曜から金曜まで週5日勤務で、月給は800ユーロ(約13万円)。日本の新入職員よりも安い給与だけど、ヨーロッパの宇宙航空ビジネスの実務を経験できるだけで、僕にっては十分なご褒美だ。それに、僕は元々給与を受け取れない身分なので、給与の額は関係ない。不安がないと言えば嘘になるが、とにかく今はヨーロッパの多国籍企業で働けることになったという事実がたまらなく嬉しい。

ATR社は僕の可能性に賭けてくれた。今度は僕がATR社の期待に応える番だ。勤務スタートまであと数日、しっかり準備をしてATR社の将来戦略立案に貢献したいと思う。そして日本へ帰国する頃には、ビジネス開発とマーケティングの実務経験を積み、もう一回り成長した自分に会えるのを楽しみにしている。

自分のベストを尽くし、頑張っていこうと思う。

(写真はATR-42旅客機の機内。エコノミーにしてはゆったり広々だ。)
  

インターンシップ(その4)

2007年06月11日 | MBA
 
Commercial部門の副社長であるGianni Tritto氏との面接を終えた後、僕は次なる試練として、Technical Sales(テクニカル・セールス)部門のAlberto Palumbo部長の面接を受けることになった。副社長の次に部長の面接というあたりが、日本と違って面白い。なんでもトップダウンで仕事を進めるのがヨーロッパ流のマネジメントなのかもしれない。確かにMBAの授業の中でそう習った気もする。

Palumbo部長との面接は終始和やかなムードだった。採用面接というよりも、僕がどんな人物かを吟味しているように感じられた。もし採用することになれば、これから数ヶ月間部下としてマネジメントしなければならないのだから、当然かもしれない。最初に僕のことをNobuと呼んでいいかと尋ねてきて、自分のことはAlbertoと呼んでほしいと僕に言ってきた。とてもコミュニケーション能力の高いイタリア人紳士だ。

Alberto(そう呼んでほしいと言われたので)部長との面接は、その後30分くらい続いた。内容は僕がこれから担当することになるかもしれない業務の話で、ここで僕が準備してきたATR社の将来戦略が大いに役に立った。彼は僕のフレッシュで斬新なアイデアに興味があるといい、もし採用されたなら、僕のAutonomy(自由裁量)を最大限に尊重したいと言ってくれた。僕もこんな人となら一緒に働いてみたい。心の底からそう思える人だった。

しばらくすると、当初面接を受ける予定だったMarketing部門のFormica副社長が会議から戻ってきたので、彼と面接をしてほしいと言われた。僕はAlberto部長に面接をしてくれたことへのお礼と感謝の気持ちを伝えた後、Formica副社長の待つ部屋へと急いだ。いよいよこれが最後の最終関門だ。僕は自分の中にある全ての集中力をこの一瞬のために賭けようと決心した。

Formica副社長は、いかにもイタリア人らしいおしゃれなシャツに身を包んで僕を待っていた。これで学校での授業も含めてFomica副社長に会うのは3回目だ。僕も彼のことを知っているし、彼も僕のことを知っている。軽い挨拶を交わして、面接はスタートした。

またまた面接の内容は詳しくは言えないのだけど、僕が一番驚いたのは、イタリア人のマネジメントに対する基本的な考え方だ。彼らは、僕を労働力として必要としているのではなく、外部からのフレッシュなアイデアの供給源として見ているようだ。

とにかく、業務の遂行にあたっては、キミの自主性と自由裁量を一番に尊重したいと誰もが言ってくれた。もし、ATR社が深く専門的なコンサルティングサービスを必要としているのなら、間違いなく専門のコンサルティング会社と契約するとまで言われた。そうではなくて、僕に期待されているのは、専門のコンサルティング会社では思いつかないような大胆な発想に基づく新しい戦略の立案らしい。ATR社の僕に対する興味は、結局のところそれだけに尽きるように感じられた。

イタリア人が天才的な発想の連続でルネサンス時代を切り開いてこれたのは、こういった斬新なアイデアの源泉に並々ならぬ注意を払うマネジメント観が昔から存在したからなのかもしれない。彼らは、常に外部の新しいものに目を向け、それを積極的に取り入れ、自己をさらにリフレッシュさせようとする努力を決して怠らない。少なくとも僕にはそう感じられた。

こういった精神性が、イタリア人のファッションセンスの良さや、フェラーリなどのデザイン性の高さにつながっているのかもしれない。一人の天才によってではなく、イタリア人独特のマネジメント観によって、あのイタリア独特の感性は生まれているような気がしてならなかった。

僕はフランスのMBAに来たはずなのに、なぜかイタリア人のすごさに圧倒されてしまっている。もしATR社に採用されることになれば、上司は全員イタリア人だ。イタリア人とフランス語と英語で会話する。なんだか、とても面白くなってきた。そんな感じで、僕のATR社での採用面接は無事終了したのでした。
 

インターンシップ(その3)

2007年06月10日 | MBA
 
面接の日、僕は約束の午後2時に間に合うように車でATR社の本社へと向かった。カバンの中にはCV(履歴書)とProposal(提案書)に加え、必死に分析して書き上げたATR社の将来戦略に関するペーパーが数枚入っている。できるだけの準備はしたので、あとは自信を持ってMBAとしての潜在能力をアピールするだけだ。

ATR社の本社に到着すると、僕はまず受付へと向かった。フランス(EADS)とイタリア(Alenia Aeronautica)の合弁企業なので、いきなり英語は失礼だろうと思い、フランス語で面接を受けに来た旨を伝えてみた。すると、意外にも僕のフランス語は彼女に理解してもらえたらしく、結局、以後の受付での会話は全てフランス語で通すことになった。多忙なMBA生活の合間をぬって、毎週フランス語のプライベートレッスンを受け続けてきた甲斐があった。フランス語の先生に感謝だ。Merci!

僕の面接は、ATR社のMarketing部門で行われる予定になっていた。ビジネススクールにも講義に来てくれた、あのMario Formica氏が副社長を努める部門だ。彼の部下である女性が僕を迎えに来てくれ、僕は彼女と一緒にFormica氏の待つオフィスへと向かった。

しかし、彼女いわく、現在Fomica副社長は取り込み中なので、その間Commercial部門の副社長と面接をしておいてほしいとのこと。ん、Commercial部門の副社長?それって、ひょっとしてあのGianni Tritto氏では?間違いない、僕がプレゼンに感動してしまったあのTritto副社長だ。

僕は緊張しながらTritto副社長のオフィスのドアをノックした。すると、「Come in!」という声とともに、満面の笑顔が僕の目に入ってきた。やはりあのTritto氏だ!間違いない。再び彼に会えるとは思ってもみなかった。

Tritto氏は僕を席に案内すると、早速僕の履歴書を机の引き出しから取り出して、質問をし始めた。3時から会議があるので、あまり時間がないとのこと。でも、3時までは時間は大丈夫なので、しっかり話をしようとのこと。おぉ、あと50分もあるじゃないか。僕は果たして持ちこたえられるだろうか。途中で僕に興味を失って面接打ち切りなんてこともあるかもしれない。そんな心配が僕の頭をよぎった。

Tritto氏の一番の懸念は、僕に航空関係での実務経験が全くないことだった。仮にどんなにMBAとして優秀な学生であってたとしても、航空の素人に仕事を任せるわけにはいかない。そのため、まず僕の航空ビジネスに対する専門知識が試されることになった。

僕はこれまでAerospace MBAで学んできた航空ビジネスの業界特性、最新動向、将来の予測などを、できるだけ簡潔に、ポイントを絞って説明した。ローコスト航空の台頭や原油高の影響、アフターサービスの重要性などについても言及した。Tritto氏はニコっと笑って、これなら大丈夫!といった様子でうなずいてくれた。とりあえず、第一ステップはクリアした模様だ。

その後も、Tritto氏との1対1の面接は30分に渡って続いた。内容については詳しく言えないのだけど、僕がインターンとして採用された場合に担当する職務の内容についてと、それを僕が遂行するだけの能力があるかに関する質疑応答が中心だ。本当に試験を受けているかのような雰囲気だった。

しばらく質疑応答を繰り返した後、Tritto氏はいきなり「まだ時間は大丈夫か?」と聞いてきた。僕は、今日の午後は何もないので何時まででもOKです、と答えると、Tritto氏は電話をとって社内の誰かに電話をかけ始めた。僕がインターンとして採用された場合に直接の上司となるDirector(部長)を今すぐ呼ぶから、彼とも面接してほしいというのだ。

どうやら、Tritto氏には気に入ってもらえたようだ。次の面接に進むことができそうな雰囲気になってきた。しかし、難関はこれからだ。直接仕事を担当する上司との面接だけに、もっともっと具体的な内容の質問が飛んでくるはずだ。僕はさらに気を引き締めて、更に厳しい面接への心の準備をすることにした。
 

インターンシップ(その2)

2007年06月09日 | MBA
 
僕は卒業後にヨーロッパですぐに就職先を探すというわけではないので、苦労してインターンシップを選択する必要性は全くない。採用面接だって一筋縄ではいかないほど厳しいし、競争率だってかなり高い。英語とフランス語で何時間も、そして、何人もの経営幹部と面接をしなければならない。そんなの考えただけで気が重くなる。

さらにインターンシップでは、日本の新入職員よりもはるかに安い給与で、毎日朝から晩まで企業の中で働いて、最終的に企業の方を満足させられるだけのコンサルティングレポートを執筆しなければならない。とても大変で、かつ、気力も体力も必要な一番厳しい選択肢だといえる。

だが、僕はあえてインターンシップとして企業に採用される道を目指すことに決めた。僕がヨーロッパのMBAを選択した一番の理由である『競争のための協力』哲学を、100%本物に近い状態で身に付けて日本に帰国するためには、やはりヨーロッパの多国籍企業の中で実際に働いてみるしか方法はない。理論や感覚で理解していることを、実際に実務の中でアウトプットしてみて、本物に変えていく必要があるのだ。

なので、今年の3月くらいから、僕が働いてみたいと思うヨーロッパの宇宙航空企業に対しては、ずっとCV(履歴書)とLetter de Motivation(志望動機書)とProposal(提案書)を送り続けてきた。ビジネススクールに講師としてやってきた企業の方には名刺を渡して自分をアピールしたし、企業訪問の際には積極的に企業の方と会話をして少しでも僕の名前を覚えてもらおうと努力し続けた。

ヨーロッパでの就職活動なんて初めての経験だし、ヨーロッパ流の履歴書だって何をどう書けばよいのか良く分からない。それでも、何もしなければ、何も始まらない。とにかく、自分としてのベストを尽くすことだけを心に決め、フランス人クラスメートからのアドバイスを頼りに、僕はヨーロッパ企業にアタックし続けた。

しかし、現実はそんなに甘くはない。実際、日本人であるという事実に加え、フランス語もビジネスレベルで通用するほど流暢でないこともあって、面接さえ受けさせてもらえない状況が続いた。企業から門前払いを受けることなんて当たり前という逆境の中で、それでも僕はあきらめずにインターンシップとして採用される道を探し続けた。自分の可能性を信じること以外に、僕にできることは何もなかった。

先日になって、ようやくあるヨーロッパの多国籍企業1社から面接のオファーを受けることに成功した。こんな状況がずっと続いていたので、企業から最初に「面接してあげてもいい」というメールを受け取った時は、思わずクラスの中でガッツポーズをとってしまった。それは決して採用のオファーなどではなく、ただの面接をしてあげるというオファーなのだけど、それでも僕にとっては最高の知らせだったのだ。

僕が面接をしてもらえることになった企業は、Avion de Transport Regional(ATR)社だ。ヨーロッパを代表するターボプロップ機メーカーであり、フランスとイタリアの合弁による多国籍企業である。もっと言うと、プロペラ機を製造している世界的企業という意味で、最近日本でのトラブルが続いているカナダのボンバルディア社のライバルでもある。

ひょっとしたら覚えてくれている人がいるかもしれないが、このATR社は、僕が昨年の9月にIASの研修の一環として企業訪問をし、Commercial部門担当の副社長Gianni Tritto氏の絶妙かつ説得力のあるプレゼンに心の底から感銘を受けてしまったあの企業だ。とにかく、当時何の知識もないのに最高のプレゼンだ!と確信してしまったATR社から声がかかったことに、僕は思わず運命を感じてしまった。ちょっと単純すぎるだろうか。でも、感じてしまったのだから仕方がない。

 ■「最高のプレゼン」はこちら

 ■「Hot&High戦略」はこちら

神様は僕にチャンスをくれた。これを掴むことができるかどうかは、僕次第なのだ。

(写真はATR社のターボプロップ機を採用しているインドのKing Fisher航空)
 

インターンシップ(その1)

2007年06月08日 | MBA
 
Aerospace MBAでは、経営学を体系的に身に付けるための最後の仕上げとして、学生に対して企業へのコンサルティング活動を課している。僕達は、①インターンシップ、②コーポレートミッション、③論文執筆、の3つの選択肢の中から1つを選択することになる。

インターンシップとは、学生が企業内で一定期間業務に従事し、実務を経験しながら特定分野の問題解決に挑むことをいう。日本では就職活動という意味でのインターンシップはほとんど定着していないのだけど、欧米では企業の採用活動の最も重要なステップである。

当然、MBAの学生達にとっては、企業にまずインターンとして採用されることが正職員への第一歩であり、皆最初は必死になってインターンシップのポジションを探す。インターンシップの学生には企業から給与が支給されるが、そのぶん複数回の厳しい面接と高い競争率を勝ち抜かなくてはならない。

それに対して、コーポレートミッションとは、企業に対して特定の問題解決テーマを提案し、そのテーマが企業側に認められれば自分で独自に調査研究を行い、最終的に企業に結果をプレゼンをするというものだ。インターンシップと違って企業内部に深く入りこんで実務に従事することはなく、企業の担当者と連絡をとりつつ、学校や図書館などを利用して自分でレポートを執筆することになる。

当然、コーポレートミッションの場合は給与が貰えないが、インターンシップのように高い競争率と厳しい面接をクリアしなければならないこともない。テーマの需要があって、かつ、学校側の紹介があれば、基本的に企業側にテーマを受け入れてもらえる可能性は高い。

論文執筆というのは、将来的にアカデミックな領域で活躍したい場合や、教授の指導を受けて専門的な経営学のテーマをさらに深く極めたいMBA学生を対象としたものだ。しかし、実際にはインターンシップにもコーポレートミッションにも採用してもらうことができず、このままではMBAを取得できない学生のためのセイフティーネット的な色彩が強い。

もちろん、どのコースを選ぼうがそれは個人の自由だ。やる気と能力と体力に従って、自分にとってベストな選択をすればよいと僕は思う。MBAの履修によって既に経営学の体系的な習得は完了しているのだし、ムリをする必要は全くない。

人生をどう生きるかを決めるのは、結局、本人の強い意志だけなのだ。それだけにかかっているのだ。心の底から僕はそう思っている。
 

航空会社シミュレーション優勝

2007年06月07日 | MBA
 
航空会社シミュレーション最終日の3日目は、第7期と第8期の意思決定、及び、2年間の総決算としてのAnnual Report(年次報告)の発表が行われた。僕達のチームは、アメリカの五大湖を拠点としたRegional Airline(地域航空会社)を設立し、Beechcraft(ビーチクラフト) 1900という19人乗りの小型飛行機を使って比較的短距離の航空輸送サービスを提供している。

これまでの成績は、第1期の意思決定から第6期まで、常にトップを維持してきた。株価、株主資本利益率、総資産利益率、売上高など、経営で通常用いられる標準的な指標の全てにおいて、僕達のチームは常に1位であり続けてきた。これは思っていた以上にプレッシャーとの戦いだったと思う。業界1位の座を守り続けることがこんなに大変な、つらい、気の重い作業だとは思わなかった。

トップの座を守り続けてこられた秘訣は、可能な限りシンプルな経営モデルを構築し、常にマーケットを注視した最適の意思決定をし続けることに尽きる。細かく言えばもっとあるのだけど、基本はこれ一つだ。Simple is bestは格安航空会社の経営では、決して忘れてはならない最重要事項だ。

僕達は採用機種をビーチクラフト1機種に絞り、これをオペレーティングリースという契約形態で大量に導入し、一つの路線に需要が飽和するまで他頻度で投入し続けた。顧客にとっては、多方面に1日一回限りのフライトがあるようりも、同じルートであっても一日に何回もフライトがあったほうが、より利用時間の選択肢の幅が広がって魅力的に映るはずだ。小さな地域航空会社としてスタートした僕達は、これを最初の成長戦略の鍵と考えた。

僕達の予想は当たり、あまり集客率の良くない他チームの航空会社と比べて、僕達の航空会社のフライトでは、平均して75%以上のLoad Factor(乗客搭載率)を達成することができた。言い換えれば、乗客が乗っていなかった席というのは、全フライトを全て足し合わせて平均したとしても、全体の25%しかなかったことになる。

一般的な航空ビジネスでは、全体の50%から55%の乗客搭乗率があればBreak Even(損益分岐)に達するといわれている。それを下回ると、フライトすればするほど損失が発生するが、逆にそれを上回れば儲けが出るということになる。僕達の航空会社が達成した80%という数値は、乗客搭乗率としては極めて優れた数値なのだ。これを8期間にもわたってキープし続けてこれたのは奇跡に近いといってもいい。

今回僕は、チームの中で航空機のオペレーション計画とコスト管理を担当した。一日1機種1,800マイル以内という制約の中で、いかにしてムダなく、ムリなく、効率的に航空機をフライトさせるか。保有する航空機(12機)について、いつメンテナンスを行えば地上に駐機させておく時間を最小化できるか。さらに、需要の拡大に備えて、いつのタイミングで新たな航空機をリースし、どの市場に投入すべきか。古くなった航空機はメンテナンスコストがかさむので、早めにリース換えも検討しなければならない。

さらに、来期の航空燃料を今の価格で先物契約しておくべきか、それとも、市場価格をにらみながらその場で購入するのがよいか。搭乗率の低い路線は撤退するのか、それとも、便数を減らし需要を調整するのか。マーケティング担当からチケットの値段を下げるかもしれないとの情報を聞かされれば、当然に新たな需要が喚起されて乗客の数が増えることが予想されるので、また新たな航空機を手配せねばならない。航空会社の経営の根幹に関わる部分だけに、考えなければならないことは本当に山ほどあった。

全8期2年間のシミュレーションを終え、結果的に僕達のチームは1位でゴールインすることができた。全8期で一度も1位の座を明け渡すことのない、完全優勝だったと言ってもいい。

実は、この航空会社シミュレーションで完全優勝を達成したのとほぼ同時に、広島に住む僕の叔父が他界したという知らせを受けた。正直に言って、かなりショックだった。小さい頃から本当によく可愛がってもらい、勉強することの大切さをいつも語ってくれた叔父だった。大学の合格祝いとして叔父がプレゼントしてくれたモンブランの万年筆を、僕は今でも大切にしている。

今回の優勝は、天国へと旅立った僕の叔父に捧げたいと思う。
 

航空会社シミュレーション2

2007年06月06日 | MBA
 
航空会社シミュレーションの2日目は、第3期~第6期までの4回の意思決定が行われる。この期間には予期せぬ様々なトラブルがプログラムされているらしく、いかにして経営危機に陥らないように航空会社をマネジメントしていくかが勝負の鍵になる。攻めの経営も大切だが、守りの経営も大切なのだ。

まず最初のトラブルは、冬期がやってきて天候が不安定になり、航空機の欠航が相次いで発生するというものだ。このケースでは、乗客へのRefund(払戻し)費用の発生などで支出が増える一方で、運行できる便数が減るので当然航空会社の収入は減る。運行に関わるコスト以外を可能な限り削減するとともに、運転資金がショートしないように最大限の注意を払わなければならない。

次なるトラブルは、従業員の退職だった。何が原因かは分からないのだけど、突然に航空会社のメンテナンス従業員が他社に引き抜かれていく。人事評価システム等を再検討して報酬の額を増やしたり、トレーニング予算を増やしたりして、会社としての魅力を高める努力をしなければならない。当然のことではあるのだけど、会社として魅力がなければ、会社として存続することはできないのだ。

さらに、原油高に連動した航空燃料の高騰が始まる。僕達のチームは、当然にこれは起こりうる事態と予測していたので、ちゃんと航空燃料の原料となる原油の先物市場を使って価格変動リスクをヘッジしておいた。おかげで、このトラブルの影響を最小限に抑えることができた。やはり、先を読んでリスクを最小限に抑える行動を常に取れている企業というのは強い。今回改めてそう思った。

トラブルの極めつけは、僕達の会社の航空機に起こったエンジントラブルを、必要以上に大きくマスコミに取り上げられ、航空会社としてのイメージがダウンするというものだ。コンピューターからの情報では、僕達の会社が新聞の一面に載ってしまったらしい。イメージダウンは株価にも影響するので、なんとかして短期間に航空会社としての名声を回復せねばならない。

チームでの議論の結果、僕達は多少のコスト増にはつながってもメンテナンスのレベルを上げること、そして、マスコミに対してプレスリリースを出し、会社としての新メンテナンス戦略を大々的にアピールすることを決定した。この意思決定が功を奏し、次の期には僕達の航空会社のイメージは回復することになったのだけど、同時に増えたコストをどうやって相殺するかという問題も抱えることになった。

一つの問題を解決するための意思決定が、さらに別の問題を発生させ、次から次へと問題解決のための知恵とエネルギーを要求される。コンピューター上のシミュレーションとはいえ、よく出来ているなあ~と思ってしまったのでした。
 

航空会社シミュレーション

2007年06月05日 | MBA
 
今週のAerospace MBAでは、Airline Simulation(航空会社シミュレーション)の授業が行われている。いつもの講義やケーススタディ形式の授業とは違って、コンピュータを使って架空の航空会社の経営をシミュレーションしながら、航空ビジネス特有のビジネス戦略を学ぶものだ。

僕達がコンピューター上で経営するのは、Regional(リージョナル)航空と呼ばれる地域型航空会社。大手航空会社のように大型旅客機を使って大都市間をフライトするのではなく、小型~中型の航空機で国内の中規模都市間を結ぶ、いわば地域に密着した地域のための航空会社だ。

僕達Aerospace MBAの生徒は複数のチームに分かれ、まず航空会社としての長期戦略を練ることから始めた。とにかくチケット代の安い格安航空会社として経営するのか、あるいは、ビジネス客やバカンス客等にターゲットを絞った豪華な航空会社として経営するのか。この最初の戦略をいかにして実現するかで勝負が決まる。自分達が置かれたマーケットの状況を見ながら、慎重に判断しなければならない。

僕が今回所属するチームは、フランスのThomas、コロンビアのAlvaro、フランスのTin、中国のShi、そして日本からは僕の5人。今回もまたまた多国籍チームなので、意思決定に至るまでの調整がとても大変だ。何度トレーニングを受けても、何回多国籍チームで一緒に作業しても、毎回新たな文化の違いの発見がある。それを身をもって知ることができるだけでも、こういった授業形式の意義はあると僕は思う。

シミュレーションはまだ始まったばかりで、これから8回に分けて意思決定をコンピューターに入力していかなければならない。1回の意思決定が3ヶ月(1期)という想定になっていて、最終的に2年間分の業績でチーム毎の順位を競うものだ。

もちろん、1回の意思決定で行った結果は、次回のビジネス環境に影響を与えるし、他チームの意思決定の内容は、僕達の意思決定にも影響を及ぼすようにプログラムされている。そこがコンピューターシミュレーションの面白いところだ。結果は常に1つではないし、正しい答えが少なくとも最初から存在するわけではない。状況を見ながら、常に最適の意思決定をし続けることが大切なのだ。

今日はまだ第1日目なので、最初の2回分の意思決定をするのみで授業は終了してしまった。結果だけを見ると、株価、経常利益、売上高利益率、株主資本利益率において、僕のチームはクラスのトップに位置している。

明日は業界No.1として、他航空会社(他チーム)からの挑戦を受けなくてはいけない。創業は易く、守成は難し。しっかりとトップをキープしていきたい。