チョコな奴

チョコはチョコでも卵巣チョコレート嚢胞から命名。すっかり体調も戻りブログに趣味のことなど書きたくなってきた今日この頃…

3ヵ月後検診

2006-04-27 23:49:26 | 子宮内膜症
大病院を先週予約していたのだけれど、生理が来てしまったので、予約なしで本日行ってきた。予約をキャンセルしたときに状況を聞いたのだけど、GW明けもいっぱいなので、えいっと今日の行くことにした。

2時までに受付を済ませたら、診察を受けられるのだそうだ。今まで予約どうりに行ってきたので、手続きから違っているのでとまどった。再診予約窓口はすでに10人待ち。これじゃ2時に間に合わないよ~と思ったけれど、なんとか間に合って待合室に行こうとふと予約票をみると15時27分と表示されていた。まだ13時45分なのに~。これはもう覚悟を決めて、まだお昼を取っていなかったので、病院内のタ○ーズカフェでアップルパイとカフェラテで腹ごしらえ。外待合室で読書をした。そのうちに眠くなって20分ぐらい熟睡していたけれど、まだポケベルは鳴らず。(大病院はポケベルが鳴ると中待合室にはいります)結局呼ばれたのは4時過ぎだった。

ここのところ2ヶ月続けての重~い生理、動悸などを訴えて、内診の前にすぐに血液検査で貧血を調べてもらう。検査結果はすぐにでて、鉄分は12以下ではあったが、まあまあだった。その後、内診。術後の経過は良好だそうだ。

卵巣を取っているのでホルモンバランスが崩れることはよくあるそうで、様子を見ましょうとのこと。ただ鉄分12以下なのでとりあえず鉄分注射をしておきましょうとのことだった。ここ20年ぐらい貧血とはいつも付き合ってきたけれど、注射は初めてだった。真っ黒い液体が体の中に。急に元気というわけではないけれど、薬よりは効くんでしょう。せっかくだからにんにく注射もお願いしたかったけれどさすがに言えませんでした。1週間分の鉄剤の処方箋をもらって5時過ぎに終了。

帰りは1700mも掘ってでた日帰り温泉にGO。温泉でのんびり昼寝、のんびり夕食をしてさきほど帰宅。鉄分注射と温泉で気分爽快。ちなみに領収書を見ると注射料はたったの490円、自己負担147円。たぶん技術料がほかにかかっているはずだけどヤスッ!

体調不良

2006-04-22 13:54:43 | 子宮内膜症
またまた、ブログを更新できずにいた。春のこの気候のせいと突然以前のように規則正しくやってきた生理に体が悲鳴をあげていた。

ここ2ヶ月、以前と同様に生理が25-26日周期でやってきた。量も大量、期間も1週間、生理2-3日前から体調が崩れるため、まあまあ体調がよいというのは、生理の期間を除くとおおよそ2週間ということになる。こうなると、大好きな日帰り温泉、スーパー銭湯、スポーツクラブなどがこの2週間に集中することになって、結局どれかを抜かさなくてはならない。最後にあげたスポーツクラブに行く回数が減ってくる。そうなると体調も悪くなるという悪循環になる。

子宮内膜症の場合は生理の量が多いため、鉄欠性貧血になるひとが多い。私もまだ子宮内膜症なのか筋腫なのか全くわからない20代中盤から鉄欠性貧血になっていた。ここ数日頭がふらふらするので、もしかしたらまた貧血になっているのかもしれない。今度の検診で調べてもらおう。



退院後1ヶ月

2006-03-04 23:44:53 | 子宮内膜症
すっかりご無沙汰してしまった。日日の生活に追われていると、時間というのは以外にないものである。

2月23日、1ヶ月の検診で大病院に行ってきた。9月に手術を勧めてくれた先生だった。大病院は先生が毎回違うので、手術後初めてお会いした。K女医先生に手術してもらえてよかったわね、と言われた。ほんとうによかった。

検査は問診の後、内診、超音波検査のいつものコース。異常はなし。本人もすこぶる健康なので、次は2ヵ月後の検査、その後は6ヶ月ごとの予定である。

とりたてて症状のなかった私にとって、以前と比較してよくなったかなと思われるのは10年以上前の盲腸の手術と内膜症でできたお腹の中の癒着が少し剥がれたことにより、便秘の症状が少しよくなったこと。ただし、ここ数日はは仕事の忙しさ、運動不足、寒さなどでやはり時々便秘になる。ホルモンのバランスもあまりよくないような・・・まあ、大きく体調に異常がないので自分の中ではよかったということにしようと思っている。

実は、この診察の日に母が別の大病院で白内障の手術を受けた。病院の帰りに寄ってみた。母は年齢のこと、既往症のこともあり3日間入院した。そこの病院は感染症を気にしてすべての病室が個室。最低でも1日31,500円の部屋で私が手術の時に使用した個室のおおよそ倍額。

部屋の中はさして違いはなかったが、シャワーとトイレの部屋が段差がなくて点滴などをした場合は使いやすそうだった。あとはTVが天井からのぶら下がり式になっていて、寝たままでも前向きで見ることができる。後は母談だけれど、食事がとてもおいしいそうだ。私の入院した病院もとてもおいしかった。今、大病院では制限のない患者は選択式でA定食、B定食と選べるようになっていたり、カフェテリア式にいくつか追加料理をとれるようになっていたりする。入院していると食べることがとても楽しみになってくる。こういった試みは患者にはとてもありがたい。

ここ数日花粉症がひどくなってきた昨年に比べるとぜんぜん楽なんだけど、やっぱりいやなものだ。眼科に行って花粉症の目薬をもらってこよう。

退院後2週間

2006-01-31 21:37:48 | 子宮内膜症
1月17日に退院してからちょうど2週間たった。お腹の傷は4箇所、おへそが上のひし形である。右と下は1cmの傷、おへそ1.5cm、左は2cmだ。右と下の傷はほぼ完治でお風呂タイム以外は絆創膏も貼っていない。おへそは皺になっているのでたいした痛みもない。左の傷は少しでっぱっていて絆創膏はかかせない。

傷は小さいものの、お腹の中では切ったり貼ったりしているので、不思議とときどきお腹が痛む。痛いといってもきしむ、つられるという感じで、たいした痛みではない。あと身体をねじったりすると痛むときもある。そんな感じなので、今だスポーツクラブのヨガ教室も行っていない。だいぶ痛みもなくなったのでそろそろ行ってみようかなぁ~。

食事はなんでも食べられる。入院中の4日の絶食、浣腸とその後、油ものがを控えたのでほんの少し痩せた。手術で腸の癒着をはがしたせいかお通じもよくなった。ただ、以前から冷えるとお腹がごろごろなるのは治らないようだ。普段はパンツスタイルなんだけど、今日はお客が来るのでスカートを履いて会社に行ったら、ちょっと冷えてしまった。女性に冷えは大敵。気をつけましょう。


入院6日目 (2006年1月17日) 術後4日目

2006-01-25 20:24:28 | 子宮内膜症
今日は明日の社会復帰に向け外出してきました。この調子だとぜんぜん問題なさそうです。では、退院の日の記録です。

朝6時半に看護師さんに起こされた。昨夜よく眠れなかったせいだ。10時までに部屋を開けないといけないので、洗顔、歯磨きの後、久々にパジャマから洋服に着替える。荷物を小型スーツケースに押し込み、不要なゴミを捨てたりしているとあっという間に8時の朝食時間。結局最後まで部屋食だった。今日の朝食は久々のパン。クロワッサン、ロールパン、マーガリンとブルーベリージャム、ウィンナー2本に野菜炒め、ぶどう、牛乳だった。普段からパン食なのでとてもうれしい。当然完食。食後は向かえの妹と父が10時ごろ車で来てくれる予定なので、することもなくTVを見て過ごす。

本来、会計は前日に終了しているはずだったが、私の場合は遅れているようなので、朝9時ごろくるらしい。看護師さんに確認してもらうと、9時ごろ事務担当の方が金額を知らせてくれた。

手術ほか診察料自己負担額(3割)     145,330円
入院時食事療法費(780円4日分)      3,120円
特別室使用料(16,800円6日分)   100,800円
文書料(診断書1通、保険会社用診断書3通)  5,250円
              合計     254,500円


今回個室を使用した為、高額になっているが、個室料、文書料を抜かすと健康保険3割負担で148,450円である。高いのか安いのかはよくわからない。昨年8月末からの診察料、術前検査料、子宮頸がん検査などなどで3万円近くかかている。やっぱりけっこうなお値段だ。

9時45分ぎりぎりまで部屋にいてから、部屋を空け、ナースステーションに体温計を返し、手首に巻かれた名札バンドをはずしてもらい病棟をでて1階にて家族を待つ。妹が看護師さんに菓子を渡すと言うので、しかたなくまた病棟へ。さすが大病院、看護師さんはそんなもの受け取りませんでした。

父の運転で帰路につくが、老人暴走族の父は車線変更禁止のところを無理に曲がり、白バイに捕まって罰金6千円也。こんなことなら電車で帰ればよかった、トホホ・・・

オチがついたところで(入院日記にオチはいらない)入院日記は今日で終りです。今後もブログは書き続けたいと思いますが、病気のことだけではなく普段の生活の記録として書いていきたいと思います。どうぞよろしく。

入院5日目 (2006年1月16日) 術後3日目

2006-01-24 18:38:39 | 子宮内膜症
1月24日、今日は1週間後の検診があったので大病院に行ってきました。大病院の外来は相変わらずの混雑で午後も患者さんでいっぱいでした。摘出した卵巣の細胞診断も特に悪性との判定もなく、子宮内膜症性のものであろうとの診断です。入浴は特に規定があるわけではないので、1番風呂なら入ってもいいでしょうとのことでした。お腹の傷からのばい菌の進入というよりは、下からお湯がはいることによりばい菌の進入を恐れて入浴が禁止されているんだそうです。さて、入院5日目です。

昨夜遅くまでTVを見たけれどちゃんと6時には起床。熱も36.6度と平熱に戻りつつある。まだ点滴をするかもしれないということだったけれども、点滴の針をさしている血管の上部ひじの上が腫れてきて痛かったのでもし点滴する場合は翌朝針を刺しなおしてもらうということではずしてもらった。そんなわけで身体の管は昨夜で全部はずれておりすこぶる気分がよい。洗顔、歯磨き、タオルで身体を拭き、着替える。昨日もらったミルクプリンを食べてみる。おいすぃ~。

8時、待望の朝食の時間だがまだ来ない。まだ2食目なので重湯のはずだから部屋に持ってきてもらえるはずだが来ない。自分で取りに行ってみるけれど、自分の分はない。もしやラウンジでの食事ではないかと思い、ラウンジで腕についているバーコードをかざしてみるけれど「食止めです。看護師さんに問い合わせしてください」とのメッセージが悲しくスクリーンにでた。しかたがないので部屋に帰って、ナースコール。看護師さんの説明では、日曜でコンピューターの記録がまだ更新されていないのかもしれないということであったが、少し遅れて待望の朝食を持ってきてくれた。2回目の食事なので、今回も流動食。重湯、実のない味噌汁、りんごジュース、牛乳にお茶。いくら水分を取るのが好きな私でもさすがにりんごジュースは10時のおやつにとっておいた。

M女医先生が様子を見に来てくれたので、シャワーのことを聞いてみる。ドレーンが抜けていればOKとのこと。ほんとうはすぐにでもシャワーを浴びようと思ったが、11時ごろ医師の診察があるかもしれないと待機。結局なかった。

12時。待望の昼ごはん。今度は5分かゆ、うずらの卵いりおすまし、鮭のムニエル、人参など野菜の炒り煮、煮豆。すべておいすぃ~。かゆのみずっぽいところ以外はすべて完食。

昨夜の食事からだけれど、まだ腸が安定していないせいか、食べるとすぐにトイレという状態が続いている。こういった意味からもラウンジでの食事よりは部屋での食事が通常術後3日目の昼からということなのかもしれない。私はさらにガスの出が遅くて遅れていたので結局退院まで部屋での食事となった。

昼食後、病気友達のMさんがお見舞いにきてくれた。Mさんは私が手術を決めた後、患者の立場からブログやHPを書いているものを読み漁っているときに、Mさんのブログから同じ病院と気がつきこちらからメールでしてお返事を頂いた。メールでは何度もお話していたのだけれど、お会いしたのは初めて。でも今までメールでお話していたことや、共通の話題(医師、手術のこと)があってすぐに打ち解けた。今日はだれもお見舞いにくる予定がなかったので本当に気分がほぐれて助かった。

Mさんが帰ってから、念願のシャワーを浴びた。身体は拭いていたものの久々の洗髪にすっきり。その後はひたすらTVを見たり、読書をしたりして過ごす。明日は10時までに部屋を空けなければいけないので、荷造りもする。

6時夕食。5分かゆ、クリームシチュー、ゆで野菜とマヨネーズ、野菜の炒め煮、黄桃のコンポート、やっぱり完食。Mさんが上げ膳据え膳で病院にいたいと思うと言っていたのがよくわかる。食事がおいしい病院というのはポイントが高い。

ごろごろしていたせいか、10時ごろ消灯したが、よく眠れない。元気になったせいで眠れないようなんで、少し運動でもしないといけなかったのかもしれないなぁ。お腹の中はケロイド状態らしいので歩行訓練が一番いいのかもしれない。夜中に何度も目を覚ますが、おとなしくしていた。

入院4日目 (2006年1月15日) 術後2日目

2006-01-23 20:42:21 | 子宮内膜症
日毎に回復しています。ただ、朝寝坊し、3食病院時間に近い時間で食事をし、たいした運動もせずにごろごろしているので社会復帰できるかちょっぴり不安。今日は社会復帰に向け、まず髪を切りに行きました。では、入院4日目です。

痛み止めの点滴のせいで、とてもよく眠れた。5時半ごろ汗びっしょりになって起きる。身体の熱っぽさもだいぶなくなり、熱も37度に下がっていた。洗顔、歯磨きの後、身体を拭き、着替える。さっぱりした後にのろのろと起きだし、なんとかガスを出そうと部屋の中を行ったりきたりしてみる。調子もでてきたので、10分歩いて、20分インターバルと決めて歩行訓練。喉が渇いたのでポカリスェットを少し飲んでみる。久々の水分がおいしい。

看護師さんがガーゼを取り替えてくれたので、水分のことを聞いてみるが、ガスがでるまでは飲まないほうがいいといわれる。お腹が痛くなることがあると脅かされる。また栄養補給の点滴を開始したので、点滴くんをお供に部屋の中を行ったり来たりする。なんとか午前中の早い時間にガスを出して、昼から食事をしたいとひたすらがんばるが腸はなかなか動かない。

午前中の診察でK2先生がお供を引き連れてやってきた。お腹の傷を見て「あ、まだドレーン抜いてないんですね」といわれたので「まだどんどん液がでるんですけど抜いちゃっていいんですか?」と聞いてみた。「抜かないとどんどん出てきますよ、それも大切なたんぱく質なんで・・・」お供の先生がでっかいピンセットで抜いてくれた。「気持ち悪いかもしれませんけど我慢してくださいね」そんなことよりさっさと抜いてよ、もう何度もガーゼ取り替えてもらっちゃってるんですからね~たんぱく質出っ放しなんですから~と突っ込みたかったけど、ドレーンはしゅるしゅると身体から離された。はいったままのほうがぜんぜん気持ち悪かったんですけど~。1cmの傷は縫われるわけでもなく消毒後絆創膏で塞がれて終了。前夜に看護婦さんが「まだ抜いてないんですね~」と言いながらガーゼを取り替えてくれた。やっぱ普通は翌日には抜くはずだったのではないかと思った。

個室なので気配だけだけれど、12時ごろまわりが昼ごはんをたべているみたい。なんとなく匂いに誘われて点滴くんといっしょにふらふらと部屋の外にでて徘徊。意味もなくラウンジも覗いてみて食事をしている人たちをうらやましげに覗く。匂いをかいだせいか、1時半ごろ無事ガスがでる。うれしくてすぐにナースコールで看護師さんに連絡。これで夕食は食べられる。

日曜で友人3人がお見舞いに来てくれた。お見舞いにいただいたプリンは友人たちに食べてもらう。点滴くんとともにラウンジに行っておしゃべり、その後部屋に戻ってもさらにおしゃべり。3時間もしゃべっていた。5時半ごろ少し疲れたが夕食を待っていると、K2先生がK女医先生の診察と手術の説明があるので来て欲しいとのこと。

内診後、予定どうり17日に退院決定。K女医先生が切除した右卵巣と卵管の写真を見せてくれた。取り出すためなのか、切り開かれていてまるでイカの干物のよう。次にK女医先生が色鉛筆にて絵にしてくれた私のお腹の様子を見ながら説明。私の場合、穴を開けたとたんから、10数年前の盲腸の癒着がひどく、その癒着をはがさないと卵巣に届かなかったとのこと。その後、10cmに肥大した卵巣が子宮、腸などに癒着したものと丁寧にはがしてもらって、子宮の癒着、子宮の位置の修正などをしてくれたとのこと。さすが理系、絵もとってもきれいで上手。

やっとやっと待望の夕食が・・・診察に行っていたため忘れられているかと思い、すかさずナースコール。しばらくして持ってきてもらう。メニュー:重湯、身のない味噌汁、ヨーグルトドリンク、ゼリー 全部液体だけれど、みんなおいしくて完食。久々の日本茶もおいすぃ~。これからは水分も飲み放題なので、それもうれしい。

食後、友人ご推薦の「功名が辻」「輪舞曲・ロンド」と3時間にわたりTVドラマを見てから消灯。「輪舞曲・ロンド」はクリスマス前の12月23日に汐留にて竹野内豊とチェ・ジウを目撃し、ぜひ見たかったので消灯後の9時から2時間特番にもかかわらず見てしまった。個室だと周りを気にせず見れるのでよかったなぁ。

入院3日目 (2006年1月14日) 術後1日目

2006-01-21 16:31:13 | 子宮内膜症
首都圏では朝から久々の大雪です。寒さのせいか、お腹が痛むので、痛み止めを飲みました。早く痛みがなくなるといいな~。

さて術後1日目の朝。いつものように看護師さん6時ごろ登場。今日は2人です。まずは、自動血圧計をはずしてもらい、これであの急な腕の締め付けもなくなるのねと感動。次に酸素マスク、人差し指にぐるぐる巻きのテープをはがして脈拍計とさよなら。残るは点滴と尿道カテーテルとフットマッサージ器。その後、お腹のガーゼを換えてくれているようだが、術後は枕が使えないので、首を持ち上げることもできず自分のお腹なのによく見えない。なんだかお腹の上に20枚ばかりのガーゼがのっけられて封印。(まさに封印という感じに紙テープでびっちりはられている)検温結果、38.4度(が~ん)

ドレーンという管がお腹からでているのだ。これは後でわかったことだが、手術後、出血が起きていないかの判断となるらしい。お腹の中の浸出液がどんどんでてくる。特に血液性のものがなければ早めに抜いてしまったほうがよかったらしいがなぜか私の場合には術後2日目(日曜昼ごろ)に抜かれることになる。以前盲腸で管が入れられているときには、お腹の中の膿を出すためといわれていたから、てっきり今回も癒着のせいで膿のようなものがいっぱいでるからなかなか抜いてもらえないんだろうと思っていた。尚、管を抜いてくれた先生の説明によると入れておけばどんどん液はでてきてそれも大切なたんぱく質だから閉じてしまっていいんですよということだった。私の場合は何度もこのガーゼを取り替えてもらったいて、2日目朝の看護師さんから「あらまだ管ついているのね」と意味深な発言があったのを思い出す。これってもっと早く抜くものだったんですか???

多少身軽になったとはいえまだまだ付属品がたくさんついているが、今日から起き上がらないといけないと先生の指示もあったため、文明の利器(←古すぎ)電動ベッドで上半身を起き上がらせる。看護師さんが歯ブラシに歯磨き粉をつけてくれたもので歯を磨く。蒸しタオルで顔を拭いて少しさっぱり。

その後、上半身を起こしたままでうつらうつら過ごす。9時ごろになって、日中当番の看護師さんが現れる。手術着からパジャマに着替える前に蒸しタオルをたくさん用意してくれて身体を拭いてもらう。フットマッサージ器ともさよならしさらにさっぱり。なんとかパジャマに着替えてこれで歩行訓練に備える。しばらくして看護師さんといっしょに起き上がってみる。お腹をかばって前かがみだけれどなんとか歩ける。これで尿道カテーテルとおさらばかと思ったけれど、30分したら外を歩いてみましょうとのこと。また30分待って今度は外を歩いてみる。熱があるのでおでこにはヒエピタ、口にはマスク、友達の点滴くんを連れてのお散歩である。外とは行っても病棟の中。ラウンジまで1周の歩行。「もう一回りしてみますか?」という看護師さんの優しいお言葉も熱のためやんわり却下。とりあえず尿道カテーテルははずしてもらえた。

その後も看護師さんとの歩行訓練のあとはひとりで時々歩行訓練してみる。見舞いに来た両親といっしょに1階売店にもでかけてみる。熱さえなければ楽勝な気がするのだが、頭がふらふらする。ベットに戻るとまた炭酸ガスの肩の痛み、時々胃も痛む。まあ、我慢できない痛みではないれれど、ちょっと辛い。

看護師さんから「ガスでませんか?」と何度も聞かれるけれど、ぜんぜん出る気配はない。ガスがでないと水分、食事はだめなんだそうだ。お腹がすいて胃が痛いのではないかと思い無理して部屋の中で歩行訓練を繰り返すが熱のためすぐに挫折。TVを見たり、うつらうつらしながら夜を向かえる。21時点滴をはずしてもらい眠りにつくが、急なお腹の痛みが襲ってきて脂汗をかいて起きてしまった。すぐにナースコールで痛み止めの点滴を入れてもらう。朝まで爆睡。

入院2日目 (2006年1月13日) 手術日

2006-01-20 20:03:52 | 子宮内膜症
いよいよ手術の日がやってきました。

病院の起床時間は6時。消灯9時だからすぐにねれば9時間睡眠。病人にはちょうどいい睡眠時間。すぐに検温してみたけれど、あいかわらず37度。このままであればなんとかいけるかもしれないけれど、正直言って風邪の症状がつらい。洗顔のあと手術用の寝巻きに着替え点滴を再開。点滴がつけられると行動しにくくなる。病院にいるあいだ私は唯一の友達と思って仲良くしようと思ってがまんしたけれど、正直うっとうしいです。

8時前に麻酔科の先生が見に来てくださった。万一風邪が悪化している場合に手術すると肺炎になったり、熱があがったりと説明してくださり、担当医に再度血液検査とレントゲンの検査をするように話してくれた。早速K女医先生登場で血を抜かれ、8時過ぎには車椅子に乗せられ看護師さんと一緒にレントゲン室へ。今日の手術は2番目で予定では11時ぐらいから。そんなわけで血液検査、レントゲンもできたけれど、1番目だったら有無をいわさず、手術室だったんだろうなぁ。

その後、熱は少々上がり37.4度。頭痛はしてくるし、気弱になってきて看護師さんに病状を話す。11時半ごろK2先生、手術着姿で登場。検査結果は大丈夫なんでがんばってやりましょう、下剤も飲んじゃったしとのこと。その後、K女医先生も外来から現れて、大丈夫がんばりましょうと声をかけてくださった。11時55分ごろ、ストレッチャーに乗っかってM女医先生と看護師さん付き添いのもと手術室へ。

手術室はいくつもの手術室が集まったところで、とっても広いところらしい。手術専門の看護師さんに外来の看護師さんから申し送りがされ、麻酔科の先生も声をかけてくださった。いよいよ手術室へはいる。自分で手術台へ乗っかる。手術室はTVとかで見るよりもとても広くてさすが大病院と感心。足にフットマッサージャーをつけられたり、いろいろな器具がつけられる。(このフットマッサージャーは血栓防止のためのもので病室に戻ったあとに使用)しばらくしてから麻酔科の先生が「これから眠くなる薬を点滴からいれますからね」と言われる。5秒後ぐらいに頭がボワ~ンとしてきた。これに逆らって眠らないようにと思ってはいけないない、素直に眠くなりましょうと思った後に意識不明。

12時に病室に入ってからおおよそ4時間。たぶん3時半ごろに目を覚ましたと思われる。麻酔科の先生の「わかりますか?」という声にぼ~という感じでなんとか目を開ける。すかさずK女医先生の「すご~い癒着だったわよ~」と半分興奮した声が聞こえてきた。本人はうなづいていたつもりだったけど、ちゃんとうなづけていたかもよくわからない。

それから病室に戻され口には酸素マスク、左腕には点滴、左人差し指には脈拍計、右腕には血圧計、導尿カテーテル、そして足にはフットマッサージャー。お腹は生理痛のちょっと痛い版。盲腸の麻酔が切れたときの痛みを考えるとぜんぜん痛くない。時間がたつにつれて痛みが増すのかとも思われたが、いてもたってもいられないような痛みはなかった。ただし、手術をしやすくするためにお腹を膨らます炭酸ガスが抜けてくるにつれ肩が痛むので付き添いの妹にさすってもらう。風邪のせいかやたらと喉が渇く。看護師さんに割り箸に綿を巻いたものを頂いて時々口の中をしめらせてもらう。身体の位置を変えるのがけっこうしんどい。夜8時の面会時間終了ぎりぎりに妹が帰る。

9時の消灯の前にお腹が痛くなってきたので痛み止めの点滴をいれてもらう。足マッサージャーはそのうちなれてきて眠れたけれど、右腕の自動血圧計は30分起きぐらいに目がさめてしまう。薬のせいですぐに眠れるんだけど。あとは身体を位置を左斜め45度、真ん中(足はお腹が楽なので膝立て)、右斜め45度と3つの位置を自分で決めてなんとか腰痛をこらえる。

ほんとうに苦しいのはこの夜だけ。あとはどんどんよくなる。

入院1日目 (2006年1月12日)

2006-01-19 14:02:41 | 子宮内膜症
今日は入院1日目のことを書きたいと思います。

入院のご案内によると、8時半までに入院センター(大病院の入院棟の受付)にて手続きを終了させ、9時までに病棟(女性外科)に入っておくようにとのこと。大病院まではドアツードアで1時間半はかかる。までにということは朝の電車の遅れなども考慮して7時の電車にはのらないとということで、5時半起き、術前最後の食事の朝食は食べておくようにとのことなのでたんまりと食べてから出発。

大病院には8時過ぎに無事到着したものの、なんと入院センターは8時半オープンとのこと。守衛さんから受付の札「3番」をもらう。私のように元気な患者はよいけれど、具合の悪い人にはちょっとたいへんなシステムだなぁと感じる。向いにある売店(ほとんどコンビニ)には何でも売っている。最後のコーヒーじゃ~とホットコーヒーを買って飲みながら待つ。8時半受付開始。今度は、もらった札を銀行などにある、受付番号がでてくる機械の紙に順番に変えてくれる。これも何だか無駄なシステムだし、重病人には辛いだろうなと思う。すぐに呼ばれて入院に関する書類を提出して名前、生年月日、血液型の記入された名前シール、腕につける紐を作ってくれた。

すぐに3階の女性外科病棟へ。看護師長さんから病院の施設の案内、決まりごとなどの説明を受ける。お部屋の準備ができていないので、ラウンジ(食堂)でお借りした病棟の詳しい案内を読みながら過ごす。担当の看護師さんに呼ばれ、内診室手前のソファーで家族構成、病状など聞かれる。検温をしてみると、なんと37.1度。が~ん、ね、熱が~。風邪により手術を延期することもあると聞いていたので、ずいぶん気をつけていたんだけど、祭日9日に喉が痛くなり風邪発症。10日より12日までは仕事が詰まっていたので、悪化させないように風邪薬は欠かさず飲んだんだけど。(この風邪が後々まで響くことになります)

その後、医師による内診。ここで初めて私の担当医師チームが大発表。最初は責任者の偉いO先生、そして私が希望を出していたK女医先生、K2先生(イニシャルが重なったので)、研修医と思われるM女医先生。一般的に腹腔鏡下手術の場合はチーム2-3人で担当するのが普通なんだそうです。O先生が内診しながら英語でムニャムニャと言って、だれかが記録している模様。大病院はまだカーテン越しでの内診です。病院、あるいは医師によってはカーテンをはずしてしまうところも増えてきているようですが。次にK女医先生の内診で「ここ痛いですか?」「痛いです」たぶん癒着を調べているんだと思う。私の内膜症は年季が入っているので癒着は相当だと本人はそこを一番心配しておりました。

終了後、お部屋がまだできていなかったので、さらにラウンジにて待機後、お部屋に案内される。お部屋は北向きらしくちょっと暗かったけれど、自分の家より快適そう。今回は6日入院予定のため、奮発して個室にした。

さっそくパジャマに着替えていると、看護師さんが、おへその掃除と剃毛しますから内診室まで来てくださいとのこと。10数年前の盲腸のときには病室でかみそりでちょっとお腹を剃ってくれたので、同じようなものを想像していたんだけど、ここは違ってました。まず内診台に乗ってお股を開いたまんまおへその掃除。その後、異様な音が。何かと思っていたら電動バリカンだった。どんどん刈られているのがわかる。どこまで刈っちゃうんだろうなぁ、天使のような看護師さんが悪魔に見えてきた。(実際はカーテンがあるので見えない)「はい、終わりましたよ」と言いながら毛をぱさぱさと落としてくれる。これでいよいよ病人という気がしてくる。病室にてM女医先生により採血。この病院は採血など針を使うものは全部医師が行うようだ。これが本当の姿とは知りながらも、改めて大病院に入院してよかったなぁと感心する。

今日の午後の予定は2時から大量の下剤(1.8リットル)を飲みお腹の中を空っぽにするのが目的。当然だけど食事はずっと抜きである。それまでは時間があるので、看護師さんに指定されたT字帯、大人用オムツを買いにに1階コンビニ売店に行く。一応病室では携帯禁止なんで友人、家族に病室を連絡するために携帯も持参。戻って熱を測ってみると相変わらず37度。困ったなぁ。

14時前に妹到着。今日は16時ごろから手術の説明があるので、家族の立会いが原則なのでわざわざ仕事を休んできてもらう。M女医先生により、点滴用のぶっとい針を刺し、点滴開始。さらに看護婦さんが1.8リットルの氷入り下剤を持参。今夜21時までに飲みきるようにとのこと。お酒は飲めないけれど、ソフトドリンクなら余裕なので、少しづつのみ始める。味はみんな不味いというけれど、ポカリの甘くない版のような味。TVを見ながらのみ続けるが熱を少しでも抑えようとおでこにヒエピタを貼る。また、鼻水が滝のように流れてきて風邪の悪化が心配。でも薬は飲まないほうがいいと思い、ひたすら我慢。移さないようにずっとマスク着用。

16時50分ごろ、やっとK女医先生、K2先生、M女医先生から手術の説明を受ける。私の卵巣は10cm近く腫れあがっていて、年齢的に妊娠の希望もなく、左の卵巣は大きくなっていないので正常に機能しているので、右は卵管とともに切除するという最終確認をする。手術的にも、卵巣の悪いところだけをとると血液などの内容物が漏れ出して手術時間も長くなると聞いていたので、切除でお願いする。K女医先生も私も心配は癒着だった。

19時ごろ妹が帰る。それまでぜんぜんもよおさなかったのに急にもよおす。20時ごろまでに3-4回トイレへ。20時ごろ、夜担当の看護師さんが、浣腸をするので、処置室へ行くように言われる。すでにひとり浣腸待ち。看護師さんが浣腸器を持って部屋にはいる。前の人が終わって私の番。どうやら中味は下剤ではなくてお湯のようだ。大体中味はでてしまっているからきれいにするという感じ。「3分から5分我慢してからトイレに行ってください」とやさしく言われる。きっちり3分守った。熱が少し上がっているようなので、9時消燈と同時に寝る。