国連人権理事会が、2013年5月に行われた北朝鮮に関する普遍的定例検討(UPR)の結果をまとめた最終報告書を全会一致で採択した。この報告書は北朝鮮に対して、連座制の廃止と国連北朝鮮人権調査委員会(COI)の勧告案の履行、国連北朝鮮人権特別報告者の訪問の許容、政治犯収容所の閉鎖、出身成分による差別の撤廃などを求めている。
北朝鮮専門家らは北朝鮮の3代世襲体制を支えている要素は主体思想と思想教育であると力説するが、実は北朝鮮の家庭革命家とその土台と言える連座制が核心要素である。連座制による一家の没落は、あまりにも悲しい結果をもたらすため、家族同士でもお互い統制して監視するしかなくなる。
連座制こそが世襲体制の土台
私の親戚のおじさんも連座制の犠牲者だった。彼はわが家族の脱北事実を全く知らなかった。おじさんは人民軍の高位将校で、韓国戦争当時は洛東江戦線まで南下して心臓に破片が刺さったにもかかわらず戦った軍人中の軍人だった。そんな彼も本人は何の罪もないけど、ある日急に消えた妹のせいで「北倉(ブクチャン)18号管理所」に連れて行かれ、ろくな寝場所もないまま獣のような扱いをされる苦労をし、結局凍死してしまった。
北朝鮮に住んでいた時、隣の家には金日成大学の語文学部の講座長を務めている博士が住んでいたが、その夫婦も兄が罪の連座で、高齢にもかかわらず、林産事業所に追放されて伐木作業員になってしまった。この夫婦は北朝鮮でもまれに見る博士夫婦だった。妻はモスクワ総合大学で留学した微生物博士で、夫は金日成大学を卒業した語学博士だった。
悲劇は夫の兄が飲み会で体制に反する発言をこぼしたことから始まった。兄は結局政治犯収容所に収監された。そして、金日成大学の教授で北朝鮮の権威のある語学博士だった弟も奥山に追放され伐木を強要され、ロシアに留学中だった息子も強制召喚され、妻も山間僻地の労働者に転落した。
追放されて初めて知らされる「笑えない親戚関係」
北朝鮮「主体思想」の創始者である思想家「黃長燁(ファン・ジャンヨプ)」先生が亡命した後にも、ファン先生と関連のある全ての親戚らが強制追放された事実はよく知られている。自分がファン先生と親戚関係であることも一生知らないまま生きてきたが、粛清されることになってはじめてその関係を知ったという笑えないケースもあったそうだ。
北朝鮮で「6軍団事件」という大型政治スキャンダルが起きた時にも、連座にまつわる色々なエピソードがあった。特に私の印象に残っているのは、ある日6軍団政治委員の遠い親戚がやってきたが、6軍団政治委員はその親戚が僻地の労働者出身だったので「そんな親戚はいない」とし、そのまま追い出したそうだ。その労働者は親戚だと思って挨拶に行ったのに門前払いされたことを悔しがっていたが、そんな中6軍団事件が起きたのだ。当時6軍団政治員の家族は遠い親戚まで全員粛清するよう指示が出され、その労働者も家族と一緒に政治犯を収容する集団管理所に連れて行かれた。そこで、自分は6軍団政治委員と会ったこともなく門前払いまでされたと必死に主張したが、何も変わらなかったという。
▲韓国に亡命した北朝鮮伐木作業員の合同記者会見 |
もう一つのエピソードは、北朝鮮の金貞淑郡の行政委員長だったある女性は、その仕事ぶりで兩江道地域内で有名だった。三水郡の行政委員会委員長、最高人民会議大議員、金貞淑郡の行政委員会委員長などを務めて活躍をし、当局からの信任が厚く、その助成の兄弟もみんな国家安全保衛部と党機関、安全部などで幹部を務めていた。
この女性は、子供ができなくて男の孤児を養子に迎えて育てていたが、その子は権力のある養母のおかげで金日成大学に入学をした。しかし、この養子が反政府陰謀に関わったことが発覚し、養母の女性は直ちにすべての職位を剥奪されて、党からも追放され、農場員に転落してしまった。それにとどまらず、彼女の兄弟もみんな保衛部と党機関、安全部から追放され、鉱山の労働者になってしまった。
国のためにどれほど献身をしたかも問わないで、普段お付き合いがあったかどうかも問わないで、集団的に処罰をする連座制。この連座制で北朝鮮住民たちに強要される苦痛は尋常ではない。2014年現在、この瞬間も北朝鮮ではそんなことが続いている。
[未来韓国]