気まぐれ猫と音楽だらけの暮らし

マイフェバレット満載!好きなことしかしない気まま気まぐれでもちょっとセンチメンタルな、お話ばかりですが、聞いて!

今更感強すぎてなんも言えねー!

2016-08-09 12:58:51 | 東日本大震災

 お昼前にインターフォンがなったので出てみると、行政福祉課がうんたらいうので、話を聞いてみたら、被災した事業主への補助金制度があるとかないとか。まあ、返済する必要のない金ならラッキーですけど、今更ですか?っていう。五年経って今から辛くなってきているっていう事業主も確かに多い。賠償金をもらえない事業主も沢山いますからね。というのは、東電の賠償金は「利益補てん」なのでそもそも税金逃れのために上手に赤字計上をしていた企業は、補填がされるわけがない。だらか0円の会社も多い。しかし、政府の指針で最初に罹災企業には五年据え置きの震災枠融資があったんです。2000万×2で、四千万は入ってる。もちろん利息は国が払ってくれている。元金は返さなくてはならないけれど、使わないなら別に気にもならない。銀行は履歴が大切なのでそういう取引履歴があると次の融資が受けやすいので、そのまま借りている状況。なので、今更750万についてうんぬん説明されてもねえ、困るわ。

 ハローワークに登録しても人材が集まらず、しかも派遣事業法の改定で至極面倒になっているので、弊社は派遣事業から撤退したんです。そもそも弊社は派遣を受け入れることができないし、出すことも出来なかったのを、親会社の意向で無理やりにやっていかなければならなくなったので、慌てて体裁を取り繕うために派遣事業登録をしたという経緯もある。親会社っていったらかの東電ですからね。ははwいったいどうすればいいんですか?って逆に聞いちゃった。

 担当来ましたよね?

 知りません。

 あれ?おかしいな。

 おかしくても知らないものは知りませんし、必要ないです。

 でも…何かのお力になれるかと思いまして。

 こういうおバカな部署を作るくらいなら、もう少し現地に行って復興のことを考えてよ!って言いたくなるわ。何が復興支援対策チームだ・・・・。

 ふざけんな!っての。


キャンカーが動くぞ!

2016-08-03 23:08:15 | 東日本大震災

「こいつ・・・・動くぞ!」

と、思ったのは内緒にしておいてくださいw

我が家のキャンピングカージェイコ、アメリカはFord社の物です。六人乗り六人就寝可能、かなりでかい(笑

19フィートあるんだったっけ?勿論これよりも大きなサイズはありますけれど、当時はこれしか買えなかった。でも贅沢品ですよね。キャンカーを持っているって、今時は珍しくもないけれど、我が家では大活躍。北海道にも行ったし、あちこちキャンプ場巡ったり、湖水浴にも出かけた。ボウリングの大会に遠征するときにも大活躍。でも、東日本大震災の避難の時には使わなかった。すぐに帰れると思っていたし、何よりもでかいので迷惑だと思ったんだよね。これがあれば、避難所でも快適に過ごせただろうけれど、当時はそういうことを思いつかない程切迫してたし。引っ越しも何回もしたけれどいざこのキャンカーを持ってこようとは思っていなかった。それが今回、熊本震災の復興支援の為に!っていうんで、動くかどうかを確かめに行ったんです。

 輸入元から新品のバッテリーを取り寄せて、当時から付き合いのあった某車のメーカーさんに協力してもらってエンジンをかけてみたら・・・・。あっさり動くじゃないですか!すごい!えらい!

 この熊本復興支援プロジェクトは「ありがとう!恩返しプロジェクト」として被災地福島から出発するっていう話。物は缶詰に限定。何故缶詰かっていうと、各家庭に備蓄してあるはずだし、一家庭一つの缶詰なら負担じゃないだろうし、その缶詰にメッセージを書いてもらって、恩返しをしようという発案をしたのが、缶詰バーのマスターTさん。音楽好きで冗談好きで面倒見が良くて、バイタリティーに溢れていて、とても明るい人柄。皆に好かれてる良い人なのです。市内の他の居酒屋でも客をまとめる「会長」として活躍しています。祭りにも出店ブースを出すくらいの人で、とにかく動きたがるw

 呑みに行ったときに何気に「キャンカーあるよー」と話をしたら、是非にも貸してくれってことになった。でも、五年間動かしていないんだからわからないよ?ってことを言ってみたら、それを動かすからいいんじゃないかって話。つまりは、五年放置してある車。警戒区域になって全員避難して誰もいなくなった街。そこからの復興の礎となるべく頑張っていこう!という象徴にしたらいいのでは?と。えーまじですか?!って。

 たぶん、被ばくしてるとか、放射能をまき散らすとか…色々言われるんじゃないかと心配なんですけどね。

 それでもいいんだっていうので、今回街に入ってまずはキーを回してみたんです。

 私の心も動き出した感じです。

 Tさんも初めて避難区域になっている街を見たとかでものすごく無口になっていましたね。五年前はこれ以上でしたよ。除染作業が始まる前はもっとすごかった。今は更地になっている場所も多いし、除染作業の車は多いし、人もいる。けれど以前は誰もおらずにでも何も変わっていないという奇妙な風景が広がるばかりでしたからね。

 復興するんだって、町は色々いうけれど、本当の意味での復興ってなんだろう。町に還ることが復興なのかな。それでいいのかな。帰りたくても元の街じゃないんだし。何もないんだよ?人の営み、生業というのは、ただそこに居ればいいってものではないと思うのよね。望郷の念はあるけれど、さってばさと・・・、帰れない。そういう矛盾した気持ちがなんていうのかな、モヤモヤしてます。

 とにかく!Tさんが喜んでくれたので、これから車検を通すべく動きます。

 熊本待っててね!


福島から熊本へ

2016-07-31 09:08:25 | 東日本大震災

 隣町まで居住制限が解除されて一週間。大体40人ほどが戻ったとか。わが町は上水道を通すとのことで、少しずつ住めるようにという町の努力が感じられますが、一方で家屋は老朽化し解体を余儀なくされています。五年も放置すれば新築だった家でも中は散々です。地震の影響で傾いた古い家屋は、ほぼ片づけられ、更地になっています。もともと空き家だったところも更地になり、除染が入って綺麗になっています。ぽっかりとね。

 で、我が家の所有するキャンピングカーをメーカーに見てもらい、新しいバッテリーをつなげば何とか走行は出来るかも・・・ということで、この段階から取材を始めることにしました。そう、このキャンカーを何とか動かして、熊本復興支援へと向かおう!というプロジェクトなんです。勿論色々な障害はあるでしょうね。スクリーニングをしなければならないだろうし、それでも放射能がー!っていう人はいるでしょう。県産の食品や物品の風評被害もまだありますしね。

 このキャンカーは北米仕様でかなりでかい。よって避難の際には邪魔になるだろうと思って、使用しなかったんです。今となっては非常に悔やまれるんですけれどね。途中の早い段階で持ち出すことも検討しました。ところが置き場所がない。避難所ではダメだし、受け入れてくれた親せき宅にも駐車場はない。アパートは勿論ない。メーカー本社の駐車場もあるのですが、結局は放置することには変わりなく・・・・。そのまま五年経ってしまったというわけです。

 いよいよ、バッテリーが届いたので、メーカースタッフと共に現地入りする、日程を調整中です。

 果たして動くのか?!次回の報告を待たれよ!


居住制限・準備区域除染後に行ってみた

2016-07-17 20:01:15 | 東日本大震災

 除染が行われています。以前の住民よりも多い人たちが働いている様子。さてさて、いつもの通りに検問を抜けて、いざ自宅へ!あれえ?雑草がない!それどころか・・・・・。50本あったバラが一本もない!!!!!!残されたのは、ゴールドクレストとさつき、山茶花一本、枇杷の木、もみじ????????他は・・・・?白い牡丹は?どこ?黄色の牡丹は???は?まるっきり何にもないじゃん!ええええ、確かに聞かれましたよ。出来るだけ残すようにとか要望には応えますとか・・・なんとか。で、面倒なので「あー適当にやってくださいよ。どうせ全部やるって言ってるんだし~」とか答えたのがまずかったのかなあ。

 ものすごく綺麗になった庭。道路。あちこち崩れてた家は取り壊されてる。屋根の吹き替えをしている家もある。帰還に向けて動き始めた町・街。戻らない戻れないと覚悟を決めてきたのに、ここにきてまだどうしようかと悩む人もいる。家の中はまだ片付かない。知り合いは東電に頼んで全部運び出して、からっぽにしたんだとか。ごみをまとめてくれて全部きれいにして、さて、壊すのか残すのかを検討中とか言ってる。帰還した人に貸しても売ってもいいだろう・・・て。海側で津波に流されてしまった人が戻りたい場合、都合が良いだろうって。まあ…そういう考えもあるけどね。

 隣町までは避難解除になって、でも一人もまだ戻ってないとか言ってるし。

 ついでに庭に置いたままの車はどうしようかと検討してみたけど。どうなるんだろう。

 妙にこぎれいな玄関先で、しばらく呆然としてました。

 なんだかなあ。これでいいのだろうか。

 一番怖かったのは、国道のトンネル。トンネル内だけ濡れてる。これって地下水とか山水とかそういうの?トンネルがいくつかあって、全部が濡れてる。出ると乾いていて晴れてるのに、トンネル内だけビショビショって・・・・なんじゃこりゃ。


愛犬が虹の彼方に逝きました

2016-04-25 21:11:33 | 東日本大震災

 うちの子アンジーがですね。昨日虹の彼方にいってしまいました。えーと14歳かな。頑張った方だと思う。震災で避難した時においていかれ、知らない土地で暮らし、引っ越すこと数回。結構ストレスだったと思います。最後の引っ越しの後散歩にも行きたくないっていう状況になって、運動の為にとトレッドミルという犬用のランニングマシンも買ったんですけどね。なんだかあまり好きじゃないみたいで、それでも元気でご飯食べてたし、仕事の邪魔しながらも、一冬越して、元気に春を迎えたんです。あったかくなってきたなあっていうこの時期に、動かなくなった。寝たきりで起き上がろうとするも腰が崩れて立てない。あれ?という感じで、もう水も飲まず、ご飯も食べず、トイレもしなくて・・・。横になったままぜーぜーと息をしていて。まあ医者にも相談して、老衰ということで・・・・。と。

 お嬢が顎を膝に乗せて撫でていたら安心したかのように、呼吸が楽になって、そうやって二晩目に亡くなりました。人間がご飯食べてお風呂入ってさて今夜も看病するか・・・と。一日中はさすがに看てあげられていなかったんですけど、それでも一時間に一回くらいは見ていて。最後私が頭を撫でて声をかけると、もう目が虚ろで見えてない。水も飲めなくて舌がでちゃってて。で、がは!っと咳をしだしたんで、家族を大声で呼んで。そうしたらそれを待っていたかのように、ゆっくり呼吸が止まって・・・・・。

 ありがとう

 って、この言葉しかないです。いつもそうですけど、彼らには本当に癒されていて、与えてもらうばかりで、本当になんていうのかな。悲しいんだけどごめんねっていうよりありがとうって。そういう気持ちしかなくて。過去から何回もこういう経験をしているのに慣れたりはしませんね。慣れたらだめだろうけど。毎回辛い。じゃあ、ペットなんか飼うなっていう人もいるだろうけど、なんだろ。そういう考えにはならない。人間ってエゴの塊だね。自分だけかな。どんだけ彼らを苦しめたのかって考えちゃう。でも、彼らが居ないと人間は生きていられない。

 不思議。

 再開した時の笑顔。忘れない。

 もうだめだなって時に、元旦那に連絡して、会いに来ておいた方が良いよって言って、来てくれたみたいで。うん。それも良かったかな。マジでなんかあっという間で。本当に信じられなくて。でもまあ、どこかで覚悟していたんだけどやっぱりねー。ダメだわ。

 朝なんか普通にドアを開けておはよーって声をかけちゃった。爪のかちゃかちゃいう音を耳で探す。あれ?静かだなーまだ寝てるのか?と思ってみると・・・いないんだよね。あー。そうだった!って思う。こうなると仕事にならない。

 使ってた部屋を掃除する気力も湧かないので業者に来てもらうことにした。あー情けないなあ。

 友達も知人も心配してくれて。慰めようもないってまあねぇ。うん。ありがとう。大丈夫。

 東日本大震災で取り残されて、頑張って頑張って命をつないでくれて、勇気と生きる希望を持たせ続けてくれた天使。アンジーに感謝して、これからも生きていこう!と思う。

 熊本でもペットがいるからって外で寝泊まりしている人も多いみたい。とにかく疲労してしまわないうちに何とかして欲しい。何とかなりますように!