(1969/ジョン・シュレシンジャー監督/ジョン・ヴォイト、ダスティン・ホフマン、ブレンダ・ヴァッカロ、シルヴィア・マイルズ)
ジョン・シュレシンジャー監督が25日に亡くなりました。思い出深いこの作品を今回初めて“ビデオ”で見ました。
そもそもは、「卒業」でファンになったダスティン・ホフマンの1年ぶりの新作ということで見たんですが、前作とうって変わって、都会の片隅で文字どうりドブネズミのようにして生きている男を演じているのが面白かったです。ヴォイトは、どちらかというと平たい顔で、いかにも間抜けそうな表情が、ジョー・バックにぴったりと思いましたが、今回の特別版ビデオのインタビューによると、オーディションでは候補から落ちていたらしいです。第一候補はJ・ビセットの彼氏だったマイケル・サラザン(「ひとりぼっちの青春」「猫」etc)。ギャラの問題で土壇場でヴォイトに変わったとのことです。
今回見た特別版のビデオには、1994年にこの作品の25周年記念式典があって、そのインタビュー記録が付録で録画されていて、非常に興味深い話が色々出ていました。
ニューヨークのロケはどうゆう風に撮影したんだろうと思っていましたが、隠しカメラも使っていたようです。
当初は成人指定の映画だったらしいですが、アカデミー作品賞を取ったため、成人指定をはずして世界に公開されたとのこと。初めてこの作品を見たときは、男優のお尻がモロに出てきたため、「えっ!」という思いをしたことを覚えています。シルヴィア・マイルズのぼてっとした腹を丸出しにしているのも、どこまで演技なんだろうかと思ったし、愛らしい表情のブレンダ・ヴァッカロがヴォイトの背中に爪を立てるような演技をしているのも刺激的でした。
テキサスの田舎町でレストランの皿洗いをしている若者ジョー・バックは、ニューヨークの女性はたくましい男性を求めてお金を払うという雑誌の記事に心を動かされ、己の肉体を武器に、大都会ニューヨークで一稼ぎしようと思う。タンガリーのシャツにカウボーイ・ハット、ピカピカのウェスタン・ブーツに身を包んで颯爽とグレイハウンド・バスで東部に向かうが、どっこいニューヨークに着いても思ったように女性は寄ってこない。困惑しているところへ助け船と現れたのが、ラッツォ(どぶねずみ)と呼ばれるリコ。
そういう仕事をするには有力者のコネが必要だと、ラッツォは小銭をもらって或る人物を紹介する。案内されたアパートの一室で会った男は見当違いも甚だしい代物で、初めてジョーはラッツォに騙されたことを知る。
数日後、2人は街でばったり再会し、ラッツォは騙した代償に、ホテルを追い出されたジョーを“我が家”へ案内する。そこは廃墟となったアパートで、簡易封鎖された裏口が入口である。こうして、体力はあるがお人好しのジョーと弱虫で狡猾なラッツォの、大都会ニューヨークの片隅、まさにドブのような場所での互助生活が始まる。【続きはビデオでどうぞ】
当時は原作本も読みました。早川文庫から出ていて、多分映画でフラッシュバックで描かれていた、ジョー・バックの生い立ち等をはっきりさせるために読んだんだと思いますが、今回ビデオで見ても、さて初めて見た人はどう理解するだろうか?と思わせる描き方ではあったように思います。なんとなく、分かればいいのかな。
意気揚々と乗り込んだジョー・バックがだんだん都会の厳しさに追い込まれて、みすぼらしくなっていく様が見事に描かれていましたが、笑っちゃったのが、ポン引きとなったラッツォがジョーの靴を開店前の路上の靴磨き屋の道具で磨いていると、次々と本物の客がついてくるところ。なんと最初の客が警官というおまけ付で、ホフマンのパントマイム的名演技が見れます。
男同士の友情物語は、後々「スケアクロウ」なんかに繋がっていく一つの系列になったと思います。
悲しすぎる結末は原作でも同じでしたが、今回ビデオを見なおすと、ジョーがフロリダを走るバスの中でラッツォにこれからの生活について話しかけるシーンがありました。ジョーがあの話を実行すると考えたら、当時感じた絶望感は今回は襲ってきませんでした。
この作品が思い出深いのは、もう一つ主題歌を歌っている二ルソンとの出会いがあったからです。「うわさの男」は数年前には、引っ越し屋さんのTVCMにも使われたりしていましたが、二ルソンのレコードは当時の私の宝でした。この作品の為に「孤独のニューヨーク」という曲を彼は作ったんですが、それは不採用となり「うわさの男」で全米ヒットチャートの№1をとりました。「孤独のニューヨーク」もベスト10には入ったのではなかったでしょうか。
最後に。今見ても古くささは感じられません。過去と現在、夢と現実が交錯しながら描かれるジョーの心象風景。そして、お人好しのジョーと弱虫で狡猾なラッツォの互助生活の面白さ。ラストに希望ありと見れば、シュレシンジャー監督の緩急を心得た演出は、2時間があっという間です。
1969年度アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞受賞。そして、ホフマンとヴォイトは共に主演男優賞にノミネートされました。
※ 2011年2月に再見した時のつぶやきから、“「真夜中のカーボーイ」におけるカットバックの妙”。トレーラーも付いてます。
ジョン・シュレシンジャー監督が25日に亡くなりました。思い出深いこの作品を今回初めて“ビデオ”で見ました。
そもそもは、「卒業」でファンになったダスティン・ホフマンの1年ぶりの新作ということで見たんですが、前作とうって変わって、都会の片隅で文字どうりドブネズミのようにして生きている男を演じているのが面白かったです。ヴォイトは、どちらかというと平たい顔で、いかにも間抜けそうな表情が、ジョー・バックにぴったりと思いましたが、今回の特別版ビデオのインタビューによると、オーディションでは候補から落ちていたらしいです。第一候補はJ・ビセットの彼氏だったマイケル・サラザン(「ひとりぼっちの青春」「猫」etc)。ギャラの問題で土壇場でヴォイトに変わったとのことです。
今回見た特別版のビデオには、1994年にこの作品の25周年記念式典があって、そのインタビュー記録が付録で録画されていて、非常に興味深い話が色々出ていました。
ニューヨークのロケはどうゆう風に撮影したんだろうと思っていましたが、隠しカメラも使っていたようです。
当初は成人指定の映画だったらしいですが、アカデミー作品賞を取ったため、成人指定をはずして世界に公開されたとのこと。初めてこの作品を見たときは、男優のお尻がモロに出てきたため、「えっ!」という思いをしたことを覚えています。シルヴィア・マイルズのぼてっとした腹を丸出しにしているのも、どこまで演技なんだろうかと思ったし、愛らしい表情のブレンダ・ヴァッカロがヴォイトの背中に爪を立てるような演技をしているのも刺激的でした。
*
テキサスの田舎町でレストランの皿洗いをしている若者ジョー・バックは、ニューヨークの女性はたくましい男性を求めてお金を払うという雑誌の記事に心を動かされ、己の肉体を武器に、大都会ニューヨークで一稼ぎしようと思う。タンガリーのシャツにカウボーイ・ハット、ピカピカのウェスタン・ブーツに身を包んで颯爽とグレイハウンド・バスで東部に向かうが、どっこいニューヨークに着いても思ったように女性は寄ってこない。困惑しているところへ助け船と現れたのが、ラッツォ(どぶねずみ)と呼ばれるリコ。
そういう仕事をするには有力者のコネが必要だと、ラッツォは小銭をもらって或る人物を紹介する。案内されたアパートの一室で会った男は見当違いも甚だしい代物で、初めてジョーはラッツォに騙されたことを知る。
数日後、2人は街でばったり再会し、ラッツォは騙した代償に、ホテルを追い出されたジョーを“我が家”へ案内する。そこは廃墟となったアパートで、簡易封鎖された裏口が入口である。こうして、体力はあるがお人好しのジョーと弱虫で狡猾なラッツォの、大都会ニューヨークの片隅、まさにドブのような場所での互助生活が始まる。【続きはビデオでどうぞ】
当時は原作本も読みました。早川文庫から出ていて、多分映画でフラッシュバックで描かれていた、ジョー・バックの生い立ち等をはっきりさせるために読んだんだと思いますが、今回ビデオで見ても、さて初めて見た人はどう理解するだろうか?と思わせる描き方ではあったように思います。なんとなく、分かればいいのかな。
意気揚々と乗り込んだジョー・バックがだんだん都会の厳しさに追い込まれて、みすぼらしくなっていく様が見事に描かれていましたが、笑っちゃったのが、ポン引きとなったラッツォがジョーの靴を開店前の路上の靴磨き屋の道具で磨いていると、次々と本物の客がついてくるところ。なんと最初の客が警官というおまけ付で、ホフマンのパントマイム的名演技が見れます。
男同士の友情物語は、後々「スケアクロウ」なんかに繋がっていく一つの系列になったと思います。
悲しすぎる結末は原作でも同じでしたが、今回ビデオを見なおすと、ジョーがフロリダを走るバスの中でラッツォにこれからの生活について話しかけるシーンがありました。ジョーがあの話を実行すると考えたら、当時感じた絶望感は今回は襲ってきませんでした。
この作品が思い出深いのは、もう一つ主題歌を歌っている二ルソンとの出会いがあったからです。「うわさの男」は数年前には、引っ越し屋さんのTVCMにも使われたりしていましたが、二ルソンのレコードは当時の私の宝でした。この作品の為に「孤独のニューヨーク」という曲を彼は作ったんですが、それは不採用となり「うわさの男」で全米ヒットチャートの№1をとりました。「孤独のニューヨーク」もベスト10には入ったのではなかったでしょうか。
最後に。今見ても古くささは感じられません。過去と現在、夢と現実が交錯しながら描かれるジョーの心象風景。そして、お人好しのジョーと弱虫で狡猾なラッツォの互助生活の面白さ。ラストに希望ありと見れば、シュレシンジャー監督の緩急を心得た演出は、2時間があっという間です。
1969年度アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞受賞。そして、ホフマンとヴォイトは共に主演男優賞にノミネートされました。
*
※ 2011年2月に再見した時のつぶやきから、“「真夜中のカーボーイ」におけるカットバックの妙”。トレーラーも付いてます。
・お薦め度【★★★★★=二人の名演技、大いに見るべし!】
この後「ジョンとメリー」、「小さな巨人」、「わらの犬」と違うタイプの名匠たちと組んで様々な役柄に挑戦してくれたので、毎回楽しみな俳優でした。
>フラッシュバック
同じ年の「イージー・ライダー」にも次のカットをフラッシュする技法が出てくるんですよね。効果は違ってたので、真似とかじゃなくて、当時のニューシネマではそのような実験を試す映画人が多数いたんでしょうね。10年前のヌーベルバーグみたいです。
>画像問題
ブレンダ・ヴァッカロ並みのマニアックな男優もリストには有るんですが、なかなか出す勇気が・・・。
コメント欄に見る懐かしいブロガーの方たち、今は何をされているかなあ?
>ダスティン・ホフマン
「卒業」の草食系男子と同じ人間とは思えません。名役者よのお。
>フラッシュバック
僕は、とにかくこの映画のフラッシュバックの鮮烈さにKOされました。「真夜中のカーボーイ」と言えばフラッシュバック、フラッシュバックと言えば「真夜中のカーボーイ」という感じですね。
十瑠さんも別稿でご指摘の、フラッシュフォワードによるカット・バックにも映画少年たる僕は腰を抜かしましてね。今観ても凄いな。
>ブレンダ・ヴァッカロ
彼女くらいの知名度で画像問題は如何ですか? 個人的にはやってみたいのですけれどね^^
ほお、それでは私とほぼ同年代ですな。
やはり、この映画は強烈に残りましたよね。
>、「卒業」のダスティ・ホフマンのラストシーンのバス車内の表情と同様に、様々な解釈ができますよね。
この頃の映画は、スカッとしないラストが多かったです。
こちらこそ、宜しくお願いします。
この映画は、ぼくも封切り時、高校生の時に見たのですが、やはり一生、忘れることのできない作品です。
最近、見直してみて、新たな発見が数多くありました。とくに最後のジョーの表情ですが、「卒業」のダスティ・ホフマンのラストシーンのバス車内の表情と同様に、様々な解釈ができますよね。やはり、演出がうまいのでしょうね。
それでは、またよろしくです。
<映画に目覚めてまだ日が浅いの>に、「真夜中のカーボーイ」がお好きだとは、ミリアムさんも映画から離れられない人のようですね。
今後とも宜しくお願いします。
またお邪魔します!
ン~ん・・・、“マダガスカル”から“カーボーイ”は浮かんでこなかったなぁ。^^
初めて観たのは、高校生の頃でしたでしょうか。ニューシネマ的ラストに呆然としたものでした。
この記事を書いた時には、“希望的観測”ができる余裕がありました。(ホッ)
謹んでTBお送りいたします。ハンコください。
ラストの解釈は、たぶんご覧になった方でそれぞれ異なるでしょうね。私自身何度も観た作品ですが、若い頃に感じた印象と今受ける印象では、やはり違います。
希望的観測に過ぎんのでしょうけど、あのラストの後、ジョーがどこか小さな町でかたぎの仕事を得て暮らしているような気がしてなりません。不思議と絶望感は感じなかったのですよね。この作品は、観るときの年代や心境などで様々な捉え方ができるものなのでしょう。
ヘンデルとグレーテルのパーティー・シーン、今観ますと、妙に時代を感じる映像でした(笑)。考えてみれば、今の映画にああいう映像ってありませんよね。…あ?「マダガスカル」にありました!アニメですけど。
50~60年代くらいから、欧米の映画ではこのような退廃的なムードを描いたシーンが増えたように思います。
最近は珍しくなくなって、こういうシーンを描かなくなりましたな。
封切り時には、そんな余裕が無くて愕然としたものですが、年をとって観るとこのシーンにホッとしましたな。
早速拝読。カゴメは「ハッピーエンド」か、
「アンハッピーエンド」かに拘らない性質なんですが、
この映画のラスト、ジョーの表情が何を意味するのか?
がいっつも気になってます。
今回も観てみて、「うま~くはぐらかされたなぁ」、
と感じました。
カゴメは、フロリダに行く途上の、
カウボーイの衣装をゴミ箱に捨てて、
カジュアルな服装で店員さんと談笑する彼の姿に、
ほのぼのと感動します。
「ああ、よーやっと勝ったんだなぁ」と。
『すごい終わり方だった』ってのは気になる。
「ダイ・ハード」の嫌われ記者、アサートンが出ていましたね。
シュレシンジャー監督が亡くなったのは知りませんでした。なにはともあれ合掌。
同監督の「イナゴの日」もすごい終わり方だったですが、「真夜中のカウボーイ」とちがって、もうひとつうけませんでしたね。