テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

またしても名匠がひとり シュレシンジャー監督逝く

2003-08-18 | [コラム]
 テレビや劇場で、年間数百本もの作品を見ていた多感な10代の頃、素晴らしい感動を与えてくれた俳優や監督がここ数年の間に相次いで亡くなっている。昨今は、ビデオなる便利なものがあって、忙しくしながらも時間を見つけては借りて懐かしく見ている。

 大好きだった、『明日に向かって撃て(1969)』『スティング(1973)』などのジョージ・ロイ・ヒル監督も今年亡くなっているし、先月にはジョン・シュレシンジャー監督が亡くなった。

 シュレシンジャーは1926年2月生まれというから、享年77歳だ。派手な作品が無いため印象が薄いが、長編一作目の『或る種の愛情(1962)』はベルリン国際映画祭金熊賞(『千と千尋…』と同じ)を獲っているし、2作目の『ダーリング(1965)』ではNY批評家協会賞の監督賞を獲り、アカデミー監督賞にもノミネートされた。その『ダーリング』では、主演のジュリー・クリスティーにオスカーをもたらした。

 渡米第一作の『真夜中のカーボーイ(1969)』で、ついに監督賞を獲り、脚本賞と作品賞まで獲ってしまった。その次の『日曜日は別れの時(1971)』でも、グレンダ・ジャクソンピーター・フィンチという演技派を揃え、監督賞にノミネートされた。

 ビデオになっている作品は少なくて『真夜中のカーボーイ』と『マラソンマン(1976)』くらいしか見かけない。『真夜中のカーボーイ』はアメリカン・ニューシネマの代表作の一つだが、テーマは実は非常に不道徳なものだった。

※(『真夜中のカーボーイ』については作品紹介で)

 この作品の2年前に『卒業(1967/マイク・ニコルズ監督)』で彗星のように現れたダスティン・ホフマンが、2作目でうって変わった汚れ役に挑んだ事で話題となった。ホフマンは前作に続いてこの作品でもアカデミー主演男優賞にノミネートされた。ジェーン・フォンダと共演した『帰郷(1978/ハル・アシュビー監督)』でオスカーを射止めたジョン・ボイトはこの作品でデビューし、ホフマンと共に主演男優賞にノミネートされた。原作での主人公はジョーなのでボイトが主演のはずだが、ホフマンの存在感はダブルノミネートを納得させるに充分だった。

 シュレシンジャーの訃報の後に借りたビデオは特別版で、作品公開25周年を記念して行われた監督やプロデューサー等の回顧インタビューも録画されており、興味深い話を聞くことができた。当初、ジョー役はマイケル・サラザンに決定していたが、ギャラの問題にマネージャーが出てきて折り合わず、土壇場でボイトに交代になったらしい。ボイトのスクリーンテストのフィルムも編集してあって、面接者とのやりとりが面白い。どこまでがジョーの話なのか、どこがジョンの本音なのか分からない。ニューヨークの街中でのシーンでは隠しカメラも使われたとのことだった。

 男色や売春の話が出てくるので、アメリカ公開時は成人指定だったらしい。アカデミー作品賞を獲った後、その指定がはずされ全世界に公開された。

 12歳の小学生が性を売る時代では、この映画の不道徳性など毛ほども感じられない。一攫千金(それほどの大金になるのか?)を夢見たジョーの方が、遊ぶ金欲しさに繁華街をうろつく子供たちより可愛く見えてしまう。

 大都会の厳しさに追い込まれ、みすぼらしくなっていくジョーとラッツォ。悲しすぎる結末は原作でも同じだが、今回ビデオで見なおすと、ジョーがフロリダを走るバスの中でラッツォにこれからの生活について話しかけるシーンがあって、ジョーがあの話を実行すると考えたら、当時感じた絶望感は今回は襲ってこなかった。

 人間心理の普遍的な真理を覗かせてくれるシュレシンジャー作品。『ダーリング』、『日曜日は別れの時』は是非とも見たいのだが…。
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