「1797年江戸の文化人大集合ー佐藤一斎収集書画の世界ー」実践女子大学香雪記念資料館
2016.10.10~11.10(前期) 11.14~12.10(後期)
先日前期展へ。
佐藤一斎(1772~1859)は、江戸後期の儒学者。幕府の儒臣として、門人は佐久間象山、渡辺崋山ら含め3000人とも。
実践女子大学の学祖、下田歌子と同郷の岩村藩(現在の岐阜県恵那市付近)の家老の次男。
儒学系に全くもって疎いのに、この展覧会を訪れたのは、渡辺崋山の「佐藤一斎像」1821(東京国立博物館蔵)が脳裏に刻まれていたから。(今回の展示ではありません)
鋭く疑り深そうな目線は、厳しく真を問うているよう。崋山の人物画は何とも言えない不気味さが漂う。不気味と言っては違うのかもしれない。私のように難しいことを問いただされるの受け付けない人間には、そう見えてしまうのでしょう。でも、自身も儒学者である崋山は、動じることなく、この射貫くような師の目に対峙する。
今回は崋山の弟子、椿椿山(1801~1854)の作とされる一斎像が展示されている。
伝椿椿山「佐藤一斎像 佐藤一斎賛」1855(安政二年)
一斎が84歳の時に賛を入れたのでしょう。この時すでに椿山は亡くなってる。この画はおそらく椿山の晩年の作でしょう。
一斎が50歳頃を描いた崋山の作と比べると、一斎も年齢を重ねて少し角が取れたかな。椿山の絵は、華山に比べると少し線が細くおだやかな絵が多い気がするので、そのせいかもしれない。でも、やはり鋭くものを見透かすような目は健在。80歳になっても、賛の筆力にも衰えすら見えなかった。
一斎「墨竹図」は、七言絶句二首に竹。画も賛も一斎の筆。
晩年のもの。右肩上がりの字にはかすれも見ることができ、字から気迫が立っているようだった。竹も、幹など、かすれた筆を強く紙に押し付けながら一気呵成にひいたときにできる独特の横擦れというか。迫力だった。
今回は、一斎と交流のあった人の絵も展示されている。
中心となるのは、「名流清寄」1797(寛政二年)という、寄せ書きのようなもの。父親の古希の祝いに、一斎が交流のある大名・文人・書家・画家たちに一筆頼み、巻物にしたてたもの。
阿部正精(蕉亭)の熟れたゴーヤの絵は印象的。
ゴーヤが黄色く熟れつくし、裂けて真っ赤な種が露呈している。つるの先端のくるるん感がないのが個人的には残念。
熟れたゴーヤはもう一点、一斎の収集物、宋紫石画譜1765の中にもあった。赤い実をつっつく鳥も。阿部正精がこの画譜から範を得たのかな?、ゴーヤは当時の流行なのかな?。
10代の市川米庵の書も。幕末の三筆と称されているそうな。
渡辺崋山が描いた米庵像の下絵。
米庵といい一斎といい、字と表情って似ているような。
金子金陵「蛙図」
蛙がすさまじいオーラをたぎらせている。戦闘モードか。草の手慣れた筆致にも見惚れた。金子金陵は、谷文晁の弟子であり、椿山、崋山の師。意外と狭くつながっている人間関係。
その谷文晁(1763~1840)は、弟、妹、妻の絵も展示。
谷文晁「山水図」もよかったけれど、特に妹と妻の絵にひかれた。
谷舜英(谷文晁の妹)「石榴図」1797
26歳頃。赤い実もつぼみも、楚々とかわいらしくて、好きだなあと思う。兄文晁から絵を学んだそうだけど、のびのびした感じ。
逆J型の枝の曲線がきれいだなあ。いったん画面から消えてまた戻ってきている。そして歌うように点在する葉。
谷幹々(文晁の妻)「墨梅図」
一見まっすぐ硬質な枝のように見えたけれど、見ていると、ふわりとした気持ちに。花びらに優しい感じがしたのだと思う。先端の枝分かれの様は、わずかに柔らかな曲線、それでいて潔い感じ。先端までどこも凛として見えた。
幹々(1770~1799)は、16歳で文晁と結婚、やはり文晁に絵を学ぶ。
夫と一緒に一幅に仕立てられた掛け軸の「雪景楊柳図」は、さらに心に残った作品。(下側の絵が幹々)
画像では見えにくいけれど、柳のしだれた枝の先端までかなり細かく線が引かれていて、その様が踊るようで。例えばタンゴのような。どこか妖艶。山の稜線も、線と形の遊びのような。文人画の寒々しい雪景色だけれど、文人画っぽくない。実はこっそり自由で奔放な感じ。他の絵も見てみたくなる。
文晁の妹の絵も妻の絵も、基本は文人画でありながら、個性が生きていて、文晁の教育方針のたまものなのでしょうか。
小さな展示室ですが、貸し切り状態で楽しい時間でした。
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