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二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●デトロイト美術館展1 表現主義ブリュッケ周辺

2016-11-29 | Art

デトロイト美術館展 上野の森美術館

 

印象派以降の絵画がひととおり網羅されていた。デトロイトの財政難とはいえ、代表作をこんなにもよく貸してくれたもの。ありがとうございます。

特にドガは5点。こうやって複数枚見られると、ドガが見つめていた、表情の奥にあるものをなんとなく感じたような。

モディリアニも3点。「男の肖像」「女の肖像」を並べてみると、切なくなってくる。

1点だけどヴァロットン、ルドンがあったのもうれしかった。

 

今回のお目当ては、20世紀ドイツ絵画のコーナー。好きといえるほど見ていないけれど、見るとつかまる表現主義。デトロイト美術館はアメリカでも有数の表現主義のコレクションがあるとのこと。

二階に上がると、まずミュンヘンの青騎士からカンディンスキー。それからドレスデンのグループ、ブリュッケに参加した画家たち。そしてココシュカなど、それ以外の表現主義の画家。

後で「ドイツ表現主義の世界」(神林恒道編)を斜め読みしてみたところでは、ブリュッケの創設メンバー4名のうち、キルヒナー、ロットルフ、ヘッケルの三人もの作が上野にそろっていた。そして(頼まれて一年だけブリュッケに参加した)ノルデ、後から加わったペヒシュタイン。

ブリュッケが、小さな人数で、期間もたった8年だったのは意外だった。ドレスデン工科大学の学生だった4人は、1905年にグループを結成。正規の絵画教育を受けたものではない者たちが始めたのが面白い。尖った?若いエリート学生が、労働者エリアのお肉屋さんの二階に借りたアトリエで旗上げた。「満ち足りた暮らしに安住する時代遅れの人々に対して(略)。自らを創造へとかりたてるものを直接偽らずに表現しようとするものなら、だれでも我々の仲間なのである」とキルヒナーは宣言している。展覧会や会報を出したり、その後会員・準会員と出るもの入るもの、意見の対立、さまざまありつつ、やがて消滅。そして世界は二度の戦争へ。

キルヒナー(18801938)「月下の冬景色」1919

絵画はミュンヘンで学んだそうなのだけど、ドレスデンに戻って創作。1914年に第一次世界大戦に志願出征するも神経衰弱にかかり、サナトリウムで療養生活。薬物とアルコール中毒この絵は前年に移ったスイスで描かれたもの。

 こうこうと照らされた白昼夢のようだけど、これは夜明け前の情景。あやうい心象。でも新鮮な感動に満ちている。

「今朝早く、素晴らしい月の入りを観ました。小さな桃色の雲の上にある黄色の月と澄んだ深い山やま、本当に素晴らしい情景でした。」と手紙に書き送っている。

抱一の月はひそやかに萩やすすきと遊ぶけれど、この月は雲を驚かせるくらいにハイなパワーに満ちている。針葉樹も月の光をあび、声を上げている。慟哭のような自然の遊びを、不眠症のキルヒナーは目撃したんでしょう。自然の声と彼の内声は、この絵の中で混じり合ってどちらがどちらかわからないくらいに一緒くたになり表出している。泣きながら、もがきながら、苦しみが全身を洪水のようにむしり取りながら流れ巡りながら、そんな中で見たもの。

下の方を見ると、不安な衝動が洪水のように流れ、一軒ある家も安住できる感じではなさそう。

そしてナチスの台頭。ナチスに「退廃芸術」との烙印を押される。1937年の「退廃芸術展」なる恐ろしい展覧会でつるし上げられ、その精神的ダメージから這い上がることはかなわず、翌年ピストル自殺。

キルヒナーは人物の(確かに退廃的って感じな・・)絵が多く、これをたくさん一度に観るのは、ちょっと避けたい。でも彼の自然の絵は、危ういんだけどいいなあと思う。

チューリヒ美術館展で見た「小川の流れる風景」192526 もピンクが鮮烈で、森が生き物みたいなところに共感を感じたのだった。

森羅万象に霊魂を感じる日本人と通じるものがあるのか、時々ドイツ人の絵を観て、日本の絵みたいだと思うことがある(フリードリヒの樹とか)。

「月下の冬景色」の解説には、「自然に神秘性や崇高を感じるドイツ的心性へ立ち戻ることによって、精神の均衡をもとめようとしたのだろう」と。

この絵も上の「月下の冬景色」も、鮮烈な色でありながら、キルヒナーを責め立てることはない。不安なキルヒナーの側に立っている。助けてほしいという声。

 

同じくブリュッケのカール・シュミット・ロットルフ「雨雲、ガルダ湖」1927も、同じように感じた一枚。ストレートに自然と親しんでいた。

木が踊っているよう。スノウマンの手みたいな雲が山を抱いている。大きな自然と自分の小さな心の中が同期しているようで、好きな絵だと思う。「自然に親和性を感じ、擬人化する創作態度は、「自然の声」を聴く北方的神話主義と相通じる」と解説に。

ロットルフはつるまない性格のようで、ブリュッケのメンバーとの共同生活や共同製作はせず、適度に距離をとっていたらしい。

 

エーリッヒ・ヘッケル「女性」1920

見るなりパワー消沈させる女性の眼。

情けない感じの男性はヘッケル本人なのかな。ヘッケルも従軍の過酷な体験に苦しみ、放浪していた時期に描かれた絵。

彼からは見えないはずの、女性の本当の表情。女性が毎日こんな顔でいることを彼は気づいてないのか、わかっているけれどどうしようもなく毎日が過ぎていくのか。諦めつつもやりきれない彼女から立ち上るものが、あの左側の赤や青のタッチや、黄色の破裂音のような形なんだろうか。

自分と妻のこの姿を、ヘッケルは、まざまざとよく見つめたものだと思う。

解説には、男はゴーギャンの「黄色いキリスト」を思い起こさせ、そうすると女性はマグダラのマリア。なら復活したキリストの存在に女性が気付く寸前なのかもしれない。そうすると希望の持てる絵ということになるのだろうけど。

ヘッケルが女性を愛していることは伝わるけれど、それはきっと女性にしたら重荷でもあり、やはり見れば見るほど一緒に消耗してしまった。

 

マックス・ぺヒシュタイン「木陰にて」1911

ブリュッケの中では、彼だけがドレスデン美術学校で正規の美術教育を受けていたということで、やはり画家の絵って感じがする。これまでの三人はプロ画家というより、自己の内面を暴露した感じ。計算なく。それが印象の強さでもあり、忘れられない絵になる理由でもあるのでしょう。ペヒシュタインも色彩には似た感じはあるけれど、画業を意識し、その意味では安定している絵。

 セザンヌ「水浴」から構図を拝借し、ゴーギャンのプリミティブな絵画への試行の途上と。

大気も雲も光りも一つの強い波動の共鳴のような。それを体に受ける女の堂々とした肢体。バルトのリゾート地、ニダ。南洋の光ではない深い空もいいなあと思う。

ペヒシュタインはこの翌年ブリュッケを脱退し(内規違反的なことで脱退させられ)、安松みゆきさんによると、1914年に妻と南洋を求めパラオに向かう。二年ほどの制作の予定だったのに、日本軍の捕虜となり2ヶ月で強制送還されてしまう。日本との因縁。南洋で描いた作品は、20年後にやはり退廃芸術展にさらされてしまう。

 

エミール・ノルデ(18671956)「ヒマワリ」1932 

この作品は、まだ退廃芸術として国中の非難を浴びる前、65才の作だけれど、当時ガンに侵されていたノルデの心情が重い。

わずかに入れられた赤色はノルデの血のようで、左側のひまわりはノルデの顔に見えてくる。消えゆく命の中で、必死に力を振り絞って息を吐くよう。ギリギリの中で、種を産み落とす。

もとは木版画の制作からスタートし、32才でパリにでてから絵も描き始めたという。ノルデはブリュッケに参加したのは一年ほど。すでに活躍していたノルデの絵をみて感銘を受けたキルヒナーは、ノルデにブリュッケへの参加を頼む。とはいえブリュッケの共同生活や共同作業にはついていけず、一年くらいで会は脱退したらしい。1909年(42才)には北ドイツ、1921年(54才)には故郷のデンマークへ移り、農場で生活をしながら制作していたよう。

彼はナチスが弱小政党だったときからのナチ党員。なのに、1937年(70才)にはナチスにより退廃芸術とされる。作品は美術館から押収され、画材の購入すら禁止されてしまう。それから戦争が終わるまでは、ばれないように小さな日本の和紙に水彩画を描いていたようで、それも見てみたいもの。

ひまわりの絵は時々登場する。ひまわりだけでなくノルデの描く花の絵は、ただの植物ではない。泣いている人、悲しい心をもつ人、不安な気持ちの人の姿に見えてきて、胸締め付けられる。さらに人の内的な感情だけでなく、大きな自然の中で寄る辺ない人の姿のようにも。風の中、抗えないものに翻弄される姿、力無い存在。逆に否応無しに動く大気、風、光。自然の大いなるぜったいせい。彼の自然観。

ベルリンのフランスドーム一角から見えるところにノルデ美術館があったのに、最近閉館したよう。国境近くの本館のほうはお庭も美しく、ノルデが過ごした田園風景を感じられそう。


ここまで我を忘れるくらい没頭して見ていた。
今まで少し見かけてはひかれたブリュッケの絵、鮮烈な色彩と感情の強さにぱっと見でひかれていたんでしょう。でもこれだけの枚数だけでも改めて見ると、時代の中で自己存在に悩む姿が共通して、重くて。ナチスが存在を増す時代と今とでは全く違うけれども、メンタルに沈んでゆくストレートな表出は、現代社会の人間もそのまま重なる。自分の中にだってはしばし感じることや落ち込みが絵に見出され、だからこんなに見て疲れるのでしょう。

ドイツ表現主義の展覧会があるといいなとこれまで思っていたけれど、会場中これで埋まったら最後までもたないかも(..)。やはり何かの機会に少しづつ見るくらいにしておいたほうがいいのかもしれない。

なのでここで少しひとやすみ。残りの表現主義は後回しにして、先に20世紀現代絵画のほうへ逃避。そしたらピカソのメンタリティの強さがひときわ感じられた。ピカソは、(周りの女性たちを沈めても自分は)あんまり沈まずどんどん動く。

残りの表現主義の絵は続きに。

 

 



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