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二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●泉屋博古館分館「バロン住友の美的生活ー美の夢は終わらないー」

2016-08-04 | Art

泉屋博古館分館「バロン住友の美的生活ー美の夢は終わらないー」の第二部

「数寄者住友春翠ー和の美を楽しむ」2016.7.5~8.5 後期展

泉屋博古館は、京都も東京の分館も初めて。住友家が収集したコレクションですが、その多くを収集したのが住友春翠(1865-1926)。

御曹司の道楽が高じたものかなと思っていたら、高じ方が正統をいってます。春翠自体がスーパークールでちょっと面白い。

春翠は住友財閥の基礎を築いた第15代当主とのこと。でも、公家(東山天皇の血筋)からの婿養子であり、西園寺公望の弟だったとは知らなかった。まさに華麗なる一族。欧米に視察した春翠は、欧米の実業家がそうであるように社会貢献や文化事業に力を注ぐ。

この辺りについては、日建設計(最近では、東京ガーデンテラス紀尾井町(旧赤プリ)、東京スカイツリー、京都迎賓館など)のサイトの「日建設計115年の生命誌」が面白い。

日建設計の始まりは、春翠が住友家に入った三年後、住友銀行の本店を建てるために1895年に発足した「住友本店臨時建築部」(本店が完成すれば解散予定だった)。

このために、春翠は辰野金吾に学んだ野口孫一をハンティングし、欧米に送って学ばせる。孫一が帰国して、「住友本店臨時建築部」が正式に発足。春翠が銀行本店の建設に先立って命じたのが、「須磨別邸」と「大阪図書館」の建設。大阪図書館は府に寄贈。太っ腹。

この展覧会では、入ってすぐに「須磨別邸」1897の図面(画像はこちらから)や写真、特注のディナーデットが展示されていた。

英王子が滞在した時のビデオ(地引網漁を見て喜んでいた)も上映していましたが、関西の迎賓館としての役割を担ったとか。

外観も内装も迎賓館のようだけれど、中に飾られていたという絵画がすごい。広間にローランス「ルターとその弟子」等。大食堂には、モネ「モンソ―公園」、「サンシメオンの農場の道」。寝室に、ヴイッツマン「芍薬」、コラン「裸体美人」。化粧室に黒田清輝「朝?(読めなかった)」。客室にはメアリ・カサットの母子の絵、ローランス「年代記」、浅井忠「秋林」など。

洋画の多くは鹿子木孟郎が買い付け。須磨別邸に合わせて買い付けたのでしょう。特に寝室や客間の絵は雰囲気に合っているような。

鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう:1874-1941)は、以前千葉市美術館で見た「吉田博展」の吉田博とともに、不同舎で学んでいたっけ。乏しい資金でフランスに留学。他の日本人も学んでいたというローランス(1838-1921)に師事。お金が尽き、つてがあって住友に支援を頼んだところ、援助する替わりに、西洋絵画の買い付けを依頼されたとか。それで須磨別邸には、ローランスの作品や、鹿子木孟郎のコローの模写や風景などが多いのか。吉田博とアメリカで一緒に展覧会も開いていますが、吉田博なみにたくましい・・。

太平洋戦争で、建物もほとんどの絵も焼失してしまったのが惜しい。モネ「モンソ―公園」、「サンシメオンの農場の道」、藤島武二「幸ある朝」などは残っているそう。

その後建築された大阪の「茶臼山本邸」1915の写真や立面図も展示されていた。こちらは野口孫一が逝去後の完成ですが、庭園のある純和風建築。春翠は、野口亡きあとを継いだ日高胖を信頼し、大工棟梁・二代目八木甚兵衛、庭師・七代目小川治兵衛とのコラボ。今の大阪市立美術館がある場所です。

 

建築のことばかりになってしまったけど、、展示されている作品もよかった。(以下絵ハガキから。)

解説では春翠の好みとして、「古くて新しい」「典雅で清楚」「抑制の効いた程よい装飾性」と。なるほどでした。

斉藤豊作「秋の色」

「色彩の興行師」と言われているとか。コランに学びます。突き詰めた感じはなく、素直で明るい感じで、心楽しい。

 

都鳥英喜は「春の図」「秋の図」。それぞれ法隆寺と比叡山方面の風景を油絵で。

 

木島櫻谷(1877~1938)の「菊花図屏風」と「雪中梅花図屏風」は、大阪の茶臼山本邸のための発注品。表書院の次の間に置かれたそう。春翠は、当時新進気鋭の櫻谷を抜擢した。

「菊花図屏風」1917 (部分)

お客様を迎えるにふさわしく、きっと春翠が気に入ってくれるだろうと描いたのがわかる気が。華美に過ぎない色使い。白とみどりの中に、この赤の効かせ方。バックの金も、単に背景でなく、白、緑、赤とともに、色の構成のひとつのようだ。花びらの一枚一枚も、少しながら動きがあって、楽しかった。

 

「雪中梅花図屏風」1918(部分)

ほとんどは、蕾。雪の中でもうすぐ咲こうとする梅の魅力。右双では太い幹が余白たっぷりに描かれているけど、左双に移動するにつれ、細い枝が乱舞するよう。全体の画像がないけれど、こちらもバックの余白が、ただの余白でなく、全体としてとても意味深いというか。これがバランスってことなのでしょうか。

咲いた花は、西洋画の油彩のような描き方。春翠と櫻谷ともに「古くて新しい」という道程を歩いているをでしょう。抑制が効きつつ、キレッキレな屏風絵。櫻谷自身の画業は平穏にはいかないようですが、通して観てみたいもの。

この二幅の屏風と茶臼山本邸の写真を見ていると、和の建築は、建物だけで完成させるものでなく、そこに置かれる屏風、掛け軸、生け花、座る人などとともに完成するものだと、しみじみ。

 

伊藤若冲「海棠目白図」

若冲を見られるとやはりうれしい。動植綵絵より少し前の時代のものだということで、色彩も控えめ。

 

白い輪郭だけで描いている木蓮の花が美しかった。はしっこでひとり、背中向けて違う方を向いている一羽が。

 

板谷波山「葆光彩磁珍果文花瓶(ほこうさいじちんかもんかびん)」大正6年(1917)

写真は桃の籠盛りですが、他の角度ではぶどうの籠盛り、枇杷の籠盛りが。その間には、鳳凰、魚、羊が。それぞれの絵がふくふくと楽しくてリズム感があって。薄い霞ごしに見ているような風合い。

 

「茶人 春翠」「春翠好みの茶道具と茶風」の展示室も見ごたえありました。

等伯の息子、長谷川久蔵と伝えられる「祇園祭礼図」に出会えたのは幸運。もとは絵巻だったのを12分割して掛物に仕立てたそう。ガラスケースが遠かったけれど、ちょっと人のよさそうな人物の顔はたしかに以前に見た久蔵の絵のように思えますが、祭りの形式が江戸時代の形式とのことなので、どうなのでしょう。

 

黙庵霊淵「布袋図」14世紀

黙庵は1330年ごろ元にわたり、帰国することなく亡くなります。中国で評価が高く、「牧谿の再来」と言われたそう。牧谿のふんわりとした筆致が、布袋さんの樽おなかに活かされて(笑)。顔もハートフル。

 

「饕餮文筒形ゆう」商時代 前11世紀は、筒形の上に饕餮(とうてつ)、横に?文(きもん)の中国の神獣の文様。?文は竜とヘビの間のようなものだそうで、小さくかわいい模様。

 

泉屋博古館の青銅器コレクションは、評価が高く、春翠が亡くなったとき、ロンドンタイムスが「中国青銅器の収集家として著名なバロンスミトモが死去」と伝えたそう。

 

野々村仁清「白鶴香合」17世紀

仁清の香合は、この首のひねりが魅力的。

 

「佐竹本三十六歌仙絵切 源信明」

に藤原信実の絵と言われるそう。

よく見ると、この足先がかわいい。

ちょっといじけた感じで、のの字のの字みたいな。

はだしなのは意味はあるのかな?と思い、他の36歌仙なども見てたら、だいたいこんな感じで裸足。男性の歌仙たちは足先をちらっと見せ。定番らしい。

この足先がかわいく見えてしまうのは、この信明のほっぺたがぽっと赤くて、下を向いちゃった目線と相まって、かわいく完成してしまったのかな。

 

点数が少ないながらも予想以上に見入ってしまった展覧会。目と鼻の先のホテルオークラにも行くつもりが、ここでタイムアップ。楽しい時間でした。

隣のスペイン大使館は戸嶋靖昌展以来、ダリ展のチラシが貼ってありました。

こちらの東京展も楽しみ。

 



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