関西に行く用があったので、京都で途中下車。
4時間ちょっとしかないので、京博と建仁寺へ行くことにしました。
京博は、1月27日まで公開されている渡辺始興の襖絵と干支特集の部屋だけに絞って、他の部屋では足を止めないことを決意。誘惑のなかでこれは苦行に近いものがあります。
建仁寺は、「京の冬の旅 非公開文化財特別公開」のうち、建仁寺塔頭の正伝栄源院で狩野山楽の障壁画を。
という弾丸プチトリップを試みました。
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京都国立博物館
京博は、特別展じゃないので撮影可かと思っていましたが、東博と違ってこちらは不可なのですね。
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まず京博の干支企画。
全11点と、小ぶりな展示ですが、あれもこれもとお気に入りの作品だらけ。東博と関連する作品もいくつかありました。
ここでも望月玉泉のいのしし登場。東博のイノシシは眠っていたけれど、こちらはうりぼう。
花卉鳥獣図巻 国井応文・望月玉泉筆(部分)
応文が鳥、玉泉が獣を担当した図巻。画像では切れているけれど、手を口に当てて笑っているようなクロクマもいた。ちょっと怖そうなくろやぎについていくうりぼう。草をはむのほほんとしたしろやぎ。毛並みまで細密に冴え冴えと描かれていながら、なんとなくほのぼの感が漂っている。イノシシは秋の季語で、リンドウ、つゆ草、秋牡丹、萩の秋の花とともに。玉泉は花も美しい。
森狙仙は、深い銀世界のなかの動物たち。さるはもちろん、鹿、イノシシ、雀もかわいくて、寒いけど楽しい。
雪中三獣図襖 森狙仙筆 京都・廣誠院
ふかふかのサルの毛並みに比べ、イノシシの毛は硬そうな。毛の手触りも伝わるのはもちろんのこと、外隈で現した雪までもしっとり濃厚な質感まで手に感じてしまう。鹿の毛並みも惚れ惚れするほどで、白い斑点は地を塗り残してある。
東博で、"狸vs.十二支動物軍"の戦いの絵巻が展示されているけれど、その発端が描かれた絵巻があった。東博で「狸が恥をかかされた」とあったのは、歌合わせの席でのことだったのだ。
重文 十二類絵巻
皆りっぱに盛装している。着物の柄も気を使って、イノシシは秋らしい萩の模様の着物。職業絵師によるものとのこと。
サロメのイノシシ版?と思ったら、狩野山雪の筆。中国にイノシシの頭を好んで食べる「猪頭和尚」がいたそうな。
猪頭像 狩野山雪筆
中国では干支の猪というとブタのことだそうなので、豚の頭をもって伝わったのだろうけれど、これはどちらかな?。蛭子和尚らと三幅対だったと考えられるそう。達観した感のある面相。衣文線は、強く勢いをもってかすれつつも、おおらかさを含むように思った。
新羅十二支像護石拓本のうち亥像
西遊記に仲間入りさせてあげたいキュートな彼は、お墓の護石のレリーフ。
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渡辺始興(1683~1755)のコーナー
江戸中期の京の絵師は、応挙、大雅、若冲と個性的な面々ぞろい。始興は、彼らの前、光琳のあとと、ちょうどはざまに活躍した。
応挙、大雅、若冲は見る機会も多いけれど、始興はたまに一点ずつみる機会がある程度。今回は4点まとめて展示されてる貴重な機会。
これまでの日記に検索をかけてみると、何度か登場している(・畠山美術館「四季花木図屏風」、・岡田美術館「松竹梅群鶴図屏風」「渓上遊亀図」、・東博「春日権現縁起絵巻 陽明文庫本」、・東博「吉野山図屏風」、・根津美術館「梅下寿老人図」、・三井記念美術館「鳥類真写図鑑」)。見るたびに、始興の違った面を知らされてきたのだった。
狩野派を学び、乾山と交流があり、近衛家煕の命で写実からやまと絵まで幅広い画風をこなした始興。今回の4作品に、それら全ての画風が入っていた。
「四季耕作図屏風」、やまと絵のような鮮やかな色彩で細密に描かれた耕作図。中国の風俗ではなく、日本の四季と人物が描かれている。人も動物も生き生き、行動に細やかな設定がされている。「春日権現縁起絵巻」の復元絵巻を3年かけてあれほどにすばらしく描き切れるのだから、始興にはこれくらいは苦でもないだろうか。着物の柄や店の商品まで緻密。それにしても庶民の暮らしをよく観察している。
《右隻》には爽やかな春夏の風景。街では、神楽、茶店、草履売りなど。店の奥では赤い針刺しの前で女性が着物か何か縫物をしている。農村では、牛で田おこしをしたり、子どもも天秤棒を担いで苗を運んでいる。あぜ道では火をおこしてお茶タイム。お社やつばめまで、芸が細かい。
《左隻》は稲刈り。綿の摘み取りも行われていて、名主さんの屋敷に積まれた白い綿のなかに猫がまみれている。普請に来た役人や、建築中の家の大工など、ひとの様子も細かい。渡辺崋山の耕作図にもあった脱穀機?は、”唐箕”といい目新しいものだそう。
松に百合図襖(霊屋障壁画)(部分) 奈良興福院は多様な画風が併用されている。松は狩野派、写実的な百合、波の意匠は光琳風。でもどの画風にもとくに引っ張られることなく、全体として始興の世界になっている。始興の世界といってもわずかしか見ていないのだけれど、吉野山図屏風のようにリズムに富んで明晰な感じが始興らしい。
おおいかぶさるような松の大木の下に、小さな百合が負けていないのが印象的。花鳥や風が会話をするような抒情的な風ではないのだけど、各々内在するエネルギーを放っている。
四季草花図屏風力強い抑揚のある線と鮮やかな彩色で描かれた草花。これもいろんな要素が取り込まれている。特に個人的に興味深いのは、樹の幹が水墨で描かれ、おおらかで自由な省筆が、たしかに狩野尚信を思わせるものであること。尚信好きとしてはうれしい。尚信は近衛家煕が高く評価していたそう。そして桐の幹や菊の葉などはたらしこみ。これは宗達風で、ゆったりおおらかな感じ。ウコンは、家煕が親密にしていた島津家由来のものでは、とのこと。写実的に細密に描かれた花々は、其一を思い出す、じっとりとした存在感。といって、マニエリズムというほどではない。金と銀の砂子や切箔の美しい背景は琳派風か。地が雲がゆらめくようで美しかった。
竹雀図屏風 文化庁解説では、これは「浜松図屏風」の裏面であったもので、雀は応挙につながる要素が見受けられるとのこと。
竹のカサカサした皮?まで写実的。荒い筆致ながら雀も的確で動きに満ちている。筆の勢いあるはらいで、鳥の羽ばたきのスピードが見える。紙の継ぎ目が見え、これは立てて描いたのだろうか?丘の部分の薄墨がかすかに垂れている。細やかな写実なのに、全体として即興で描いたのではと思うスピード感。こんな一面もあるとは。
4作品に、それぞれ違う始興が見える。職人としての凄み。さまざまな影響・要素を垣間見せつつ、それらは始興の感性にとりこまれ、どの流派でもない始興独特の絵画となっている。人間味ある風俗も描くけれども、過多な詩情は盛らず、明晰。自然を冷静に見つめた、始興独特のリアリズムなんだろうか。
始興ってどんな人だったのか、全貌はやっぱりつかめない。特定できる始興の作品も、文献に登場するのも、家煕に仕えるようになってからのことらしい。それまではどんな絵を描いていたのだろう。
どこかで「渡辺始興展」を開催してくれないかな。
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そのほか、足を止めてはならぬと誓っていたのにつかまってしまった品々。
塩川文麟の雪の日の空気の色につかまる。
平等院雪景図屏風 塩川文麟筆
解説には、和歌のイメージのを絵画化し、円山四条派仕込みの空間把握、描法による実感に富んだ景観描写と。
金や銀砂子で表された、しんしんと重い空気。でもどこかふわりと平等院とまわりの風景を包む。凍てつく水の色もなんともいいなあ。芝舟や船頭の笠にも積もっている。文麟の弟子・「幸野楳嶺が伝えたこと」展(岡山竹喬美術館)にも文麟の作品も展示されているようなので、ますます行きたくなる。
花鳥蒔絵螺鈿角徳利及び櫃17世紀大航海時代、西洋人のために日本で造られた葡萄酒用のとっくり。注ぎ口のねじを切る技術は、ポルトガル人の小銃から学んだとのこと。
捻梅蒔絵野弁当(ねじりうめまきえのべんとう)は、ドット模様に散らされたねじりうめがかわいらしく、現代でも人気の出そうなお弁当箱。
厳島縁起絵巻は、マーカーのような赤い着色の味のある絵も印象的だけど、ストーリーに目が点。かつての東海テレビの昼ドラマになりそうな愛憎うずまく展開に、これが霊験あらたかな神社の縁起とは。。
天竺のせんさい王と妻・あしひきの宮はそろって美貌。せんさい王の父王の妃たちはあしひきの宮に嫉妬し、あれこれ陰湿な嫁いびりをする。人形を埋めて呪詛するシーンなどは、等身大の人形を二人がかりで運んで地中の穴に入れていて、もはや刑事事件レベル。妃たちの企みで薬草を取りに出されたせんさい王が鬼たちから草を受け取るシーンは、鬼たちのかわいいこと。と思っていたら、そのあいだに、妃たちは宮と若い男との不義密通をでっちあげ、なんと宮は斬首。宮が連行されるシーンは気の毒で。宮は死の間際に男の子を生み落とす。せんさい王は愛と執念で、山中で生きていたその子を見つけ出し、紆余曲折あって、父子協力のもとに、宮の蘇生に成功し、親子三人幸せに暮らす。。。
が、そのあとにまだ続きが。。せんさい王~~~っ怒。
狩野元信「浄瓶踢倒図」サントリー美術館の元信展以来の再会。
瓶をけって立ち去る霊裕の気骨ある表情と、ぽかんとした百丈の顔が見もの。手前の善覚だけは、そんな霊裕を理解しているような顔。さわさわとした葉の流れとまんなかの絶妙な余白が、この想定外の出来事の間合いを演出している。ササや小枝の柔らかでハリのある筆使いは、腕と筆が一体になったようで、ほれぼれ。
他には、慧可断臂図、豊干図、などもあったけれど、横目に見ながら、建仁寺へ。続く。
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