hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●東博平成館企画展示室「手わざー琉球王国の文化ー」

2022-12-07 | Art

書きかけ日記の蘇生作業の3回目です。

今年は沖縄復帰50年ですので、東京でも貴重な展示をいろいろ拝見できました。

そのひとつ、1月の東博平成館の企画展示室「手わざー琉球王国の文化ー」は、

沖縄県立博物館・美術館の「琉球王国文化遺産 集積・再興事業」ということで、

琉球王国から伝わる宝物類の模造復元品を制作することで、当時の技術を解析し、未来に伝えていこうというものでした。

絵画、金工、染織、三線など様々なジャンルに触れていましたが、そのなかに、「螺鈿」も。

宝石などの光りものにはさほど惹かれない私ですが(持ってないだけか…)、螺鈿は別。螺鈿の七色の輝きは魅惑的です。

とくに琉球王府の螺鈿は、Top of Radenです!と思っています。そもそも螺鈿に魅せられたきっかけも、サントリー美術館の琉球展ですから。(螺鈿歴浅いな...)

この再興事業の漆芸部門の監修者のひとりに、室瀬和美さんのお名前がありました。

おりしも、同じ1月に銀座和光で室瀬和美の展覧会がありました。そちらで拝見した螺鈿も素晴らしかったので、追ってそちらの日記も載せようと思います。

以下、2022年1月の日記です。

2022年1月 東博平成館 企画展示室「手わざー琉球王国の文化ー」

沖縄県立博物館・美術館の「琉球王国文化遺産集積・再興事業」の 巡回展ということで、沖縄県立博物館・美術館のあと、宮古、石垣、首里城世誇殿と巡回して、九州国立博物館と東博に来たようです。

現物と復元模倣品が展示されています。

明治以降、琉球王家が東京に移ったあとも、首里に残り伝来の品々や伝統行事を守ってきた王族の方々や職人の方々が沖縄戦で命を落とし、文物のほとんどが焼失したなかで、これらの現物がどれほど稀なものだろうと思います。沖縄の外にあったために焼失を免れたのでしょう。

模造復元品も、与那嶺恵著の「鎌倉芳太郎 首里城への坂道」にも詳細に記述されていますが、戦前に鎌倉芳太郎が撮っておいた写真などがなければ、復元がかなわかったのです。展示を拝見して、改めてこの本を読み返したくなりました。

 

展示は、絵画、石彫、木彫、漆芸、染織、陶芸、金工、三線。

模造復元品は、レプリカと違い、現資料について調査・研究を重ね、可能なかぎり同じ原材料、技法で当時の姿に忠実に、新しく作ることとあります。

会場では、製作の過程も紹介し、制作会社名や制作した方も記されていました。尊敬と感謝の念を抱かずにはいられません。

 

模造復元品:「玉御冠」

琉球の世子家に伝わってきたものを、鎌倉芳太郎が撮影してあった写真をもとに令和元年に復元したもの。現物は沖縄戦で焼失。

 

 

「孔子及び四聖配像」:現物(19世紀)と模造復元品を並べて展示。

こちらも鎌倉芳太郎の写真でしか確認されていなかったものが、2005年に現物が発見されたそう。

 

 

模造復元品:「三御飾(美御前御揃)御酒器」

三御飾は王家の正月祭祀に使用されたもの。こちらも、王族家の中城御殿に伝わっていたものは沖縄戦で焼失。鎌倉芳太郎の撮った写真や同例から復元されたもの。

細密さに目を見張るばかり。

先述の「鎌倉芳太郎 首里城への坂道」では、香川県生まれで東京から来た一介の教師、研究者だった芳太郎が、中城御殿の所蔵品の撮影の機会を得たのも、沖縄の人とのつながりあってのことだったことを詳細に記している。

 

模造復元品:「黒漆雲龍螺鈿東道盆」

単眼鏡で見ると、視界いっぱいに龍が輝き、さらには角度によって光が変化し、夢のようでした。

黒漆の透明感、雑味?の皆無さにも見惚れてしまいました。

19世紀に貝摺奉行所によって製作された東道盆を復元したもの。雲龍螺鈿の東道盆は、中国皇帝への献上品として製作されたものだそう。

”夜行貝を薄さ0.08mmに削り出す”。え?当時もすごいけど、現代でその技術を持つ人もすごいです。

 

織物にも感嘆しました。細やかな文様がとても美しいです。

絹経縞ロートン織反物:左の反物が現物、右は模造複製品

現物(19世紀末~20世紀初め)は、琉球王国最後の国王尚泰に曾孫である井伊文子の旧蔵品。とても薄く、写真でも透けているのが少しわかります。

模造複製品は平成30年のもの。裏に黄色の小紋紅型を会わせて、着物にしてあるようです。

 

こちらは士族の着用していたもの。

…なんかISSAに似合いそう…

 

こちらは「百姓たちの祭りや祝いの席で着用されたもの」とあります。

 

どの着物も文様が、海、空、花、陽光など沖縄の自然の光景に思えてきました。

 

紅型には、流水、菖蒲など日本の影響がみれます。

 

一方、こちらの模造復元品「四季レイ毛花卉図巻」には、中国の影響がみられます。

 

摸造復元品:蛇皮線

胴にはべっ甲、鯨のヒゲと象牙の鋲。

 

小さなスペースでしたが、琉球当時の技術と今の技術と両方が相乗しあったすばらしい展示でした。

沖縄の伝統に限らずですが、一度絶えてしまうと、作れる人もいなくなり、工法、材料すらもわからなくなる。その前になんとか、記録だけでも受け継がれてほしいと思います。いつか再興しようというひとが現れたら、その記録をもとに可能になる。そんなことがあるかもしれませんし。

(追記)三線の監修にお名前のある、人間国宝、照喜名朝一さんが、2022年9月に90歳で亡くなられました。

東博の表慶館、「ユネスコ無形文化遺産 特別展「体感! 日本の伝統芸能―歌舞伎・文楽・能楽・雅楽・組踊の世界―」でも、沖縄の組踊が紹介されていましたので、また追って。

 

ちなみに、沖縄県立美術館HPの、カメおばあと学ぶ「沖縄近現代美術史年表」、とってもいいです!

 



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