国立新美術館で日展を見てきました。
改組 新第4回日本美術展覧会 2017 年 11 月 3 日-12 月 10 日 /国立新美術館
神谷町から、泉屋博古館の明清絵画⇒ 小山登美夫ギャラリーのソピアップ展⇒ 新美術館と、六本木を歩き通したので、ヘトヘト。頭もいっぱいいっぱいゆえ、日本画だけ見ました。
今年は同階で安藤忠雄展が開催されており、少し手狭。日本画は、会場が二つの階、しかも三か所に分かれ、展示壁も幾何学的な迷路みたい。全部は見れませんでしたが、以下、印象に残ったものの記録です。
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今までの日展、日春展で見てお気に入りし、今年も楽しみにしていた画から。(撮影は、平日のみ記名して申請すれば可)
加藤晋さんワールドは真っ先に探しましたよ。今年もいろんなものが、こっそりといる。
「こちらの向こう側」
お嫁入りの行列には、正体をあらわしちゃったキツネがいる。狐の嫁入りのシーンは何人もの画家が描いているけれど、こういうのもフフフ。
木には、七福神が。
スケール大きすぎに山に擬態したキツネが寝そべっている。別のところでは龍も寝ていましたよ。
男女とつばめがいるのは、「おやゆび姫」のお話?。おやキリスト様?もなにげにいる。大きな木の幹にもなにか仕込まれてる気がする。
わくわく。
その上に、この絵に魅せられてしまうのは、田や森、山の奥行き。ずうと見通すと、思い出の幻影のようななんともいえない、青く緑の色。
木から向こうは、「向こう側」の世界。はるか記憶の奥まで遠く、入っていく。
木の幹にこっそり、「こちら」を見ている小鬼がいる。目が合って、向こう側とこちらの私がつながる瞬間。
諏訪智美「聲」(こえ?セイ?読み方がわからない) 今年も魚の世界が好きな作品。
魚群は一方向へ向かい、一斉に散るような印象。でも別の方向へのベクトルもあり、いくつかの魚群が交錯しているのだ。もちろん、一人で好きに進む魚もいるし、さらにその下には岩陰にもかくれているのがいる。魚の動きに、川の肥沃な水は濁りをみせ、そこへ微妙な光も入っている。石が玉石のように揺らめく。
細密で安定した筆致も美しいなあ。やはり丁寧に描かれた日本画って素晴らしいなあと思う。
池内璋美「縁陰」 日春展では金地に和風の犬がかわいらしかったけれど、おお、こんどは日本ザルの母子では
母猿の両手の間に安全圏を確保した子猿がかわいいなあ。お母さんの微妙な表情。この毛並み!森狙仙越え。
動物の親子ってかわいいなあ。そうだ、池内さんにこそ、いまのうちに上野のパンダ親子を描いて欲しい。シャンシャンが雑に背中にメジャー当てられて身長測定されてるの、もうすぐ見られなくなっちゃうものね。
藤島大千「VITAE」
VITAEとは??。イタリア語かラテン語で「女性」の複数形のよう。生、生命、存続、といった意味もあるよう。
実は日展を見ても、現代人物画では、あまり好きな作品がない。今風なお洋服を着た現代社会の化身のような女性だったり、たまにエロティックなのもある。彼女たちは、「人間」なのだ。でも私はおばはんなので、普遍的な域の人物画にひかれる。日常の中の女性でも別格の上村松園や、仏性をまとったような女性や、安田靫彦や高山辰雄みたいなオーラを放つ女性が好き。たとえ「人間」でも、小径、土牛、片岡球子、小倉遊亀などで好きな作品が止まってる。
そんな私でも、この方の女性には毎年足が止まる。モデルは現代の人間なのに、神秘的で普遍的な感じ。東洋なのか西洋なのかも超越している。そしてシャープ。
今年の女性は、なにか魔術的な妖しさ。
スカートにうごめくもの。モチーフはギリシャ風でもある。赤黒くそして金に輝く背景にも、ナニカイル。カエル、胎児?、トカゲ?、そして異形のもの。この女性の手下?。
妖しくも神秘的なこの手、足、この肌。こんなゴージャスな犬も、まるでシモベ。その手はなにか印を踏む指に呼応するよう。
官能的ですらある足。
でも下品にならない美しさ。神殿の奥に迷い込んだら、そこはこの女性の王国。もう戻れない。この犬たちみたいに、超越した女性にかしずく極上の幸せ…ってあるかしら。そういうのもいいと思う。
土屋禮一「雄飛」
見上げた水と空がまじり合って、光もにじんでいる。塗り重ねられているのに、奥へ透けるような深み。アシカの単純な構成なのに、こんなに素晴らしく描けるんだなあ。
米谷清和「朝の陽ざしと」
なにげない日常を独特にトリミングする。黒、白、青の分量比がすごい。黄金比率のよう。黒の動きに流されるように、青に目が行く。時間とともにこれから、その青が占める比率は増えていくのでしょう。11/15~23まで多摩美大美術館で米谷清和展が開催される。
鍵谷節子「葡萄の丘」 葡萄の色が素敵で、幸せな気持ちになる。
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今年初めて印象に残った方の作品
服部泰一「机上のスクランブル交差点」 特選受賞作
?。特選?。?。と最初思ってしまったが、よく見るととても面白かった。
スクランブル交差点上の人も車も模型パーツ。着色され忘れたニンゲンもいるし、袋から出してさらに投入しようとさえしている。
最初に「??」と思った素人っぽい並木や車の彩色も、模型パーツに着色したものだからなんだと気づく。
洛中洛外図や日本の絵巻並みの小さくて大勢の人物は、たしかに日本由来のものなのかもしれない。でも、全く違う。
現実か虚構なのか、揺らぐのは、現代の諸相そのものかも。
ふっと、私って模型パーツだったっけ?と自らに確かめてみたり。
でも、渋谷のスクランブル交差点を通ると、本当に人間がおもちゃみたいに見えてくるよね。
服部さんは、1969年愛知県生まれ、小学校に入る頃滋賀県彦根市へ移り住み高校卒業までを過ごす。名古屋芸術大学美術学部で日本画を学び在学中、日春展に初入選。1991年に同校を卒業し上京。現在日展会友。 (こちらから)
来年も楽しみにしていよう。
星野宏喜「大地を師とし、天に拳を」
今年は東博でいくつか牛の屏風をみて重量感に押されてしまったけれど、こいつみたいに野心をたぎらせたヤツはいなかった。目が赤くぎらつく。
諏訪千晴「アンペールの象」
日本画でもこんなにきれいに光を通すのだなあ。吉田博を思い出したり。旅先をへんに聖地化していなくて、とても素直な印象の色遣いが好きだなあ。
吉田千恵「予感」
雪が舞う中、目の端に見える少しの白木蓮が、遠い春の訪れをアナウンスしている。
西野千恵子「流転」
全体としても圧倒されるけれども、細部にも驚いた。幹は爬虫類のうろこのような、蝶の斑紋のような。
木田雅之「樹」 やっぱり木の絵が好きらしい私。
山本隆「東海道 滋賀・追分」 線描のみで車なども書き入れられている。松本峻介を思い出したり。
山崎隆夫「雲映ゆる」 色がきれいで、どこを見ても吸い込まれそう。水中、水面、水上、空、境界もあいまいに、重なっている。
全体的に青色が美しいのに、細部もとてもきれい。光の粒子が溶け込んで様々な色で彩られているのだ。魚たちもカラフルにかわいい。
水面には落ち葉が浮かんで、空と雲が映る。この蓮、いいなあああ。
林和緒「刻を待つ」
来るぞ、来るぞ。その刻を慎重に息をつめて待つ。
一木恵理「下町慕情」 瓦屋根にのれんのうどん屋と、キッチュな洋風(にした)店舗が混在しているのが、下町の魅力。
たらしこみの瓦が美しく、カラフルなドット文様の洋壁も楽しく、細部も見どころ満載。あまり塗り重ねたり盛りあげたりしていなくて、地の色が見えそうなくらいなのも、好みかも。
勝手に二階に棚台作って植木鉢とか置いているけれど、落ちたらあぶないよ~とか私が移入してどうする。
藩星道「TOUKEI」 これも特選受賞作。鶏の瞬時をとらえる、若冲の墨の鶏のような、動体視力。コンマ1秒の軌跡を線で描きだすのも、若冲のよう。
他にも心惹かれた絵がいくつもありましたが、きりがないのでこの辺で。
厚く描き込んだ作が多いのは日展の特徴かもしれませんが、今年は受賞作の傾向が少し特徴的だったように思いました。
浮遊する現代社会の諸相、掴みにくい現代の若者たちの間によぎる感覚。そういうものの断片を切り取った、現代の日本画。日展を続けて見初めてまだ三年ゆえ、知らないだけで、流れとしてはこの傾向なのかもしれません。線や余白の美しさや四季の情感といった古来の美しさを求めると、受賞作のいくつかには違和感を覚えるかもしれません。
日展は、むしろ若い人の感性を評価している。現代を生きる者による、現代を写した日本画。表現としても、古来にかかわらない、型にはまらないことを審査員の方たちは求めている。そんな感じがしました。
先日、東京近代美術館で、高山辰雄、東山魁夷、杉山寧の日展の1964年の出品作が、当時の配置を再現して展示されていましたが、それぞれ個性的。今の感覚では大御所ですが、あの三作もその当時の現代的な表現だったのでしょう。そして50年経ってもちっとも古びれず、普遍的に感動を与えている。今年の日展の出品作のいくつかも、50年後の人がみてるのかもしれない。
工芸も見たかったですが、もう一枚チケットがあるのでまた行けるといいかな。
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