恒例の「博物館に初もうで」の干支特集(2019年1月2日(水)~1月27日(日))
ここ数年の干支特集を振り返ると、猿は猿社会のなかのコミュニティー性、鳥は装飾性、イヌはひとの暮らしの中にとけこんで、、とざっくりそんな概観だった。
さてイノシシは美術の中でどんなキャラクターなのか。
タイトルには「勢い」とある。多くの展示作も、予想を裏切らないイノシシの勇猛な姿だった。そんな絵を通して、日本人の中に猪突猛進なイメージが刷り込まれてきたということなのかな。
イノシシの装飾品は少ないのだそうだけど、その分縄文から、そして多方面からのアプローチだった。こんなとこにも登場していたの、という意外性もあり、楽しい展示だった。
毎年思うのだけれど、猪が主役の大作はもとより、重箱の隅をつつくようなところに小さな猪の絵を見つけ出してくる、東博の学芸員さんたちを尊敬してしまう。
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パネルの解説に、日本のイノシシは、まだ大陸と陸続きだった時に渡来し、二ホンイノシシとリュウキュウイノシシがいるとある。
積年の謎だった、中国の干支ではなぜイノシシではなくブタなのかも解決。中国語では猪・亥はブタ(家畜化されたイノシシ)のことだそう。中国では漢時代にはブタの飼育が一般化していた。日本ではイノシシの家畜化は進まなかったのね。
そのようなわけで、1章:イノシシと干支では、中国のブタ製品が並ぶ。多産や財の象徴であるブタに願いを込めて、死者と埋葬された、手のひらサイズのブタたち。
前漢(前2~前1世紀)「灰陶豚」くるんとしたしっぽがすてき。
日本では、縄文時代の出土品から展示が始まっていた。
2章:イノシシと人との関わりでは、縄文から弥生時代、古墳時代へと、イノシシと人とのかかわり方から社会形態の変化を示していたのが興味深く。中国と違い、「イノシシ=狩り」という”対野生”の姿勢が一貫している。
縄文時代の土のイノシシは、犬型土製品と組み合わされて出土されることから狩りの成功を祈ったのではとあるけれど、うりぼうにきゅんとして思わず造形しちゃったのでは、と思うかわいさ。子孫繁栄、狩りの安全などさまざまな解釈がなされるらしい。
猪形土製品 青森県つがる市木造亀ヶ岡出土 縄文時代(後~晩期)・前2000~前400年
弥生時代では、袈裟襷文銅鐸伝香川県出土 弥生時代(中期)・前2~前1世紀。高床式の建物に、杵でうすをつく様子も描かれ、農耕社会の様相。イノシシはまさに弓矢で狩られるところ。
亀もかわいい。
古墳時代には、古墳の副葬品の埴輪として。当時の狩猟は、王がおこなう盛大なイベントであったとある。1500年前の人たちも、ブタっぽい鼻と長い顔の形に留意して造っている。
埴輪 矢負いの猪 (伝我孫子市出土)6世紀矢が刺さり、たてがみを建てて興奮するイノシシ
それから一気に時代が進み、3章:仏教のなかのイノシシへ。
イノシシが仏教美術のなかにこんなにも溶け込んでいたとは。
ひとつは、金剛界曼荼羅の中に、イノシシの頭を持つ「金剛面天」。ヴィシュヌ神は生類救済のために10の姿で地球に表れ、その第三の化身がヴァラーハ(イノシシ)。
金剛界曼荼羅旧図様 平安時代・12世紀
もう一つは、イノシシに乗った「摩利支天」イノシシも摩利支天もこの猛進ぶり。陽炎を神格化した摩利支天は、ゆらめいて捉えられないことから戦国武将に信奉された。
仏画図集 (江戸時代)切れ長の目も、白描で現した毛並みも良いなあ。
目貫の摩利支天といのしし。他にも、小柄や脇差しといった武具の装飾にイノシシの突進するモチーフが。
海野盛寿の目貫の摩利支天 江戸時代(19世紀)両者の眼、猪の毛並み、雲といい、感嘆。
北斎漫画のなかの摩利支天のイノシシは、正面向きに突進してくる。思わずよけてしまう。
仏教といえば、涅槃図にもいたのだった。うりざね型がかわいい。
仏涅槃図 室町時代(15世紀)(部分)
絵巻では、イノシシが主役ではないけれど、十二類合戦絵巻(模本) 下巻狩野養長 江戸時代19世紀に登場。狩野養長(1814~1876)とは初めて聞くけれど、肥後細川藩のお抱え絵師。年末の永青文庫「江戸絵画の美」展にも、養長筆の博物図譜があった。木挽町狩野最後の当主・狩野雅信(勝川院)に師事したらしい。
干支に恥をかかされたタヌキは、十二支軍に戦いを挑み、愛宕山に籠城する。
「殿、門が突破されました」な感じ
「なにっ(狼狽)」的な。
イノシシは十二支軍の先陣を務める。豪胆な感じ。
龍たちの迫力。
最後はタヌキはちょっとかわいそうだったけど、よく頑張りました。
「富士の巻狩り」を描いた二つの作品も、大胆な構図に一目でひきこまれる。1193年に源頼朝が開いた大巻き狩り。このときに曽我兄弟の仇討事件が起こったのだった。
岩佐又兵衛周辺の作といわれる「曽我仇討図屏風(右隻)」江戸時代17世紀
さすが又兵衛工房、すばらしいライブ感とスピード感。
個人的は動物がとてもかわいいのにくぎ付け。
この絵師の描くウサギはとてもかわいい
白うさも茶色うさもかわいい。
画中には3頭のイノシシが登場。そのうちの巨大イノシシを、新田史郎が殺める。
もう一作は明治時代。結城正明「富士の巻き狩り」1897南画のようにうねる山に滑り落ちる富士がどこかシュール。
こちらの動物もひねりがきいてて、逃げ惑う感が。
霊獣とすら思わせる大いのししとの死闘。。
最後の6章では、博物図譜、京都画壇と、写実的に描かれたイノシシ。
博物図譜では、細川家、伊予大洲藩主に関係するものが展示され、江戸後期の大名たちの博物学への没頭ぶりをここでも感じる。
「諸獣図」江戸時代19世紀細川家の「珍禽奇獣図」との関連が指摘されている。(雌、雄の展示のうちの牝)
表裏のひづめの形状、固そうな毛並み、ボリューム感まで丁寧に再現している。
岸連山(1804~59)の「猪図」は、まさに猪突猛進。飛び出してきたスピードを、筆の勢いがそのまま表す。足やひづめ、体躯の墨の濃淡にも見入ってしまう。
一方、望月玉泉(1834~1913)の「萩野猪図屏風」江戸~明治時代は眠るイノシシ。「臥猪(ぶすい)」は「撫綏(鎮めて安泰にする)」に通じる天下泰平を願った画題とのこと。それで巨体に似合わず、かわいい顔ですやすや眠っている。
金砂、金泊の背景から、つゆ草や萩までとてもきれいだった。
応挙が、「寝ているイノシシの絵」の注文を受けた話を聞いたことがある。変わった注文主だな?と思ったけれど、そうか吉祥画題だったのね。応挙は、出入りの柴売りの者に、寝ているイノシシを見かけたらすぐ知らせるよう頼んでおいた。すると柴売りから連絡があり、山を案内させて写生をしてきた。しかしその絵を見た、鞍馬山から来た老人が、これは病気のイノシシにそっくりだと感嘆。応挙が気を悪くしていると、なんと、柴売りから、あの翌日に例のイノシシがそこであのまま死んでいたことを聞いた。逆にその写生力にさすが応挙と評判になった、という話。...玉泉のイノシシはさてどちら??。
最後は浮世絵。見立てが楽しい。
葛飾北斎「見立て富士の巻狩」1803
大黒天が打ち出の小づちでしっぽをきろうとする。皆が満面の笑みでとってもごきげん
大小暦類聚 1791は、亥年の絵暦をまとめた一冊。さまざまな絵がとりあわされるなかで、これがツボ。
仮名手本忠臣蔵にも、イノシシが登場。わき役なのだけど、存在感あって、おもしろい感じになっちゃって。
北斎
歌川豊国の「浮繪忠臣蔵・五段目之圖」はイノシシがもっと前面に。
マイペース感がおもしろい
最近は農地や住宅でもイノシシの害が増えていることが時々報道されるけれど、江戸時代にもこんなふうに田畑に出没することがあったのかな?。
イノシシの造形は、狩りの対象であるとともに、猪突猛進で大きく手ごわい存在に向ける、どこか神聖視する眼差し。一方で親しみもあり。イノシシの役割は、多彩だった。
来年の干支は、ねずみ。ちょっと苦手な動物。おにぎりころりんや鼠草子のように物語に小さく描かれたのはかわいいけれど、博物図譜みたいにどどんと細密に描かれたのがあったら、逃げだしてしまうかも。
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