はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

赤壁に龍は踊る 三章 その12 星座の下で

2024年06月10日 09時48分37秒 | 赤壁に龍は踊る 三章



夜が更けていく。
静かに音もなく移動していく星座のまたたきを上に、徐庶は闇のなか、目を凝らしつづけていた。
建屋の小さな扉がひらくことはない。
そも、徐庶が夜陰に紛れて動こうと考えたのは、ほんとうに死体を処理しているのなら、目立たない夜にも動きがあるだろうと判断したからだ。
こちらは一人で、相手は複数だろうから、現場を押さえることはむずかしい。
だが、なにか証拠をつかみ、それを公にできたら……


そこまで考えて、徐庶は、ふと思った。
『丞相はこれを知っているのか?』
まちがいなく、いま軍中に流行り病が広がりつつある。
それを隠蔽しようとして、病人が出ると建屋に押し込めて、見殺しにしているのにちがいない。
それを主導しているのはだれなのか?
仮にそれが曹操の命令だとすると、とてもではないが、もう付き従うことはできない。
しかしだからといって、そのままほったらかしにして、自分ひとりで逃げることはできなかった。
『出奔するにしても、証拠を掴んでからだ。世に少しでも正義を明らかにしてやる』
正義、ということばが浮かんだとき、徐庶はつい、おのれのなかにあった青さにおどろいた。
同時に、そんなことを自然と考えられるようになるまで、おたずねものの剣客だった過去は遠くなっていたのだなと感慨深く思った。
手にしている剣が重い。
『これを抜かなくて済むといいんだが』


そうしてしばらく夜闇のなかでうずくまっていると、ごとごと、と建屋のほうで音がしはじめた。
来なすった、と徐庶は身を固くし、息を殺した。
ぎょっとしたことに、関羽とほとんど身の丈が変わらないだろうというくらいの大男が、ぬっと小さな扉から出てきた。
手には手燭を持っており、油断なく外をうかがっている。
ぼおっと明かりに浮かびあがるその顔は、図体のわりに小作りで、どこかちぐはぐな印象を与えた。
男があまり知恵のあるほうではないのは、服のだらしない着こなしでもうかがえる。


男は、きょろきょろとあたりをうかがうと、建屋の中へ向かって、出てこいというふうに合図をした。
すると、口元を布で覆った異様な風体の二人組が、布にぐるぐる巻きにされた細長いものの右と左をそれぞれ持って、ゆっくり出てきた。
「寒い。こんな夜に、たまらぬな」
口元だけを布で隠している男のひとりが、緊迫した空気にそぐわぬ愚痴をこぼした。
とたん、大男が叱る。
「ばかやろう、そんなことを抜かしている場合か。
とっとと、そいつを埋めて戻ってくりゃあいいことじゃねえか」
「ちがいねえ。まったく、いやな仕事だぜ」
愚痴の多い男と仲間は、布にくるまれた何か……徐庶には人の体に見えた……をかついで、大男の先導で闇のなかを移動しはじめた。


男たちは夜の移動に慣れているようだった。
満月に近い月が出ているというのもあるが、行く手に障害物がないとわかっている足取りである。
徐庶も足音を殺しつつ、かれらのあとを尾行する。
じっとしていたので膝が痛かったが、構っている場合ではなかった。


やがて男たちは、要塞の隅にある、まだ建物ができていない一角にやってきた。
ちょうど、木でできた堀棒が、地面に突き刺さっているのが、月下に見える。
かれらは、
「あそこだ」
と口々にいいながら、堀棒のもとへ向かった。
「重いぜ。腰が痛くなっちまった」
「とっととやっちまおう。建屋の中にいたほうが、いくらか寒さがまぎれるからな」
そんなことを言い合っているのが、徐庶の隠れている木陰からも聞こえた。
ざくざくと土を掘る音が聞こえてもなお、まれに男たちの笑い声すら聞こえてくる。
つらい作業を冗談で紛らわせようとしているのかもしれないが、異常な光景であった。


つづく

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本日分はちょっと短めですがご容赦くださいませ。
果たして、徐庶の冒険はどこへ行きつくか?
どうぞ次回もお楽しみにー(*^▽^*)

赤壁に龍は踊る 三章 その11 深夜の冒険

2024年06月07日 09時57分35秒 | 赤壁に龍は踊る 三章



梁朋《りょうほう》は夕暮れまで戻ってこなかった。
そろそろ帰って来いと呼びにいくかなと徐庶が考えていると、その梁朋が、建屋のほうから、息を切らせて駆け戻ってくる。
「どうした」
徐庶が問うと、梁朋は、きょろきょろとあたりを見回してから、小声で言った。
「おかしなことがあります」
「どんな?」
「建屋の後ろに、小さな扉があるんです。
あそこから、医者の部下みたいな連中が、人を運びだしているんです」
「なんだと、だれを運び出しているのだ」
「わ、わからないけれど」
ごくり、と梁朋はつばを飲み込み、それからさらに小声で答えた。
「あれは死体だと思います。布をかぶせられていたから、絶対とはいえないけれど。
元直さま、危ないよ、これは」


徐庶はそれを聞いて、暗然とした気持ちに襲われた。
予感はしていた。
戻ってこない兵士は、どこへ連れていかれるか?
新しい部署で養生しているということは考えられない。
だったら、元気になった者の姿をだれかが見ているはずである。
あの建屋には病人が集められ、そして死ぬに任せる状態になっているのではないか……


「医者の姿は見たか?」
梁朋は緊張した面持ちで、こくりとうなずいた。
「泥鰌《どじょう》ひげの、偉そうなやつです。鍾獏《しょうばく》さまって呼ばれていた」
「鍾獏か、聞いたことがない名前だが」
とんでもないやつだ、と徐庶はこころのなかで付け加えた。


「そいつが部下にどんな指示をしていたか、わかるか?」
「うん。建屋の外のどっかに死体を運ばせていました。それとね」
「ほかにもなにかあるのか」
「あります。荊州のおれたちの宿舎以外からも、病人があそこに運び込まれているみたいなんだ。
元直さま、めったなことを言っちゃいけないのかもしれないけれど、もしかしたら、は、はやり」
流行り病、と言いかけた梁朋の口を、徐庶は手ぶりで止めた。
「言いたいことはわかる。だが、それ以上は言うな。ともかくよくやってくれた。
あとはおれに任せて、おまえは宿舎に戻れ」
そう言うと、梁朋は目をまん丸にして抗議してきた。
「任せるって、どういうことです! 言ったでしょう、危ないですよ! 
何かあったらどうするんです?」
「だが、このままにはしておけん。いいか、今日見たことは、だれにも言うなよ。
おれのことも、これ以上、気にしなくていい」
「気にするなって言われたって……」
「いいか、これは監軍のおれからの命令だ。
命令違反はおそろしい罰を受けるぞ。それはわかるな?」
「わかるけれど」
「だったら、宿舎に戻れ。いいな?」


徐庶にきつく言われて、梁朋はしょんぼりと宿舎に向かっていった。
そのとぼとぼとした足取りの後ろ姿を見送って、徐庶はこころでつぶやいた。
『それでいい。おまえを面倒に巻き込みたくないんだ』


そして徐庶自身も、おのれの宿舎にもどり、長いこと使わずにいた長剣を取り出して、その腰に佩《お》びた。
ひさびさに意識して身につけた剣は、思っていたよりずしりと重く感じられた。
おそらく、それは徐庶が荊州の兵士たちに感じていた責任と同じ重さだったろう。


徐庶は、母を失って以来、長らく気鬱の病にとりつかれていた。
それが治って来たのは、荊州の兵たちのおかげだと思っている。
かれらに頼られたことで、自分にもできることがあるのだと思え、立ち直れたのだ。
かれらのためにも、この不穏な空気を払わねばなるまい。


あたりが夜陰に包まれて、兵士たちが宿舎に戻り切ったころを見計らい、徐庶は部屋を出た。
こういうときこそ、恐れられ、憚られていたことが役に立つ。
だれにも見とがめられずに、自由に動けることを徐庶はありがたく思った。


鍾獏という医者がどんな男かは知らない。
だが、おそろしく職業意識の低い、くわえて慈悲の心などみじんも持たない嫌な奴だろう。
建屋の中を見てからの話になるが、予想が当たっているなら、ぶん殴るくらいではすまないことをしているはずだ。


空には満月に近い月が出ている。
篝火があちこちに焚かれてはいたものの、宿舎から離れていくにつれ、その明かりも遠くなっていった。
だが、月のおかげで足元に不自由はない。
やがて、例の黒塗りの建屋が目の前にあらわれると、徐庶は近くの木材の山に隠れ、様子をうかがった。


昨日とおなじ顔ぶれの、頑強そうな兵士たちが入口を守っている。
『あいつらをなんとかしなければな』
建屋のとなりにある小窓は閉じられており、中を覗くにしても、こじ開けるのはむずかしそうだ。
まごまごしていたら、連中にすぐに気づかれてしまうだろう。
そういえば、梁朋は建屋のうしろに小さな扉があると言っていたと思い出し、徐庶はそちらを回ってみることにした。


すると、さいわいなことに小さな扉は実際にあって、そこには見張りはいなかった。
足音を殺して扉に近づき、開かないか確かめてみる。
だが、思うようにいかず、押しても引いてもびくともしない。
中にだれがいるかもわからないので、声をかけることもできないから、徐庶はふたたび扉から離れ、近くの井戸のそばに隠れ、様子を見ることにした。


つづく

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さて、次回は月曜日の更新でございます。どうぞおたのしみにー(*^▽^*)

赤壁に龍は踊る 三章 その10 烏林の朝

2024年06月05日 09時55分01秒 | 赤壁に龍は踊る 三章



徐庶は、起床して顔を洗うと、持ち場に行くまえに荊州の兵士たちがあつめられている宿舎へ向かった。
昨日の、高熱に苦しんでいた兵士がどうなったか気になったためである。
すると、宿舎のおもてでは、梁朋《りょうほう》がひとりでつくねんと徐庶を待っていた。
徐庶の姿を見るなり、梁朋は駆け寄ってくる。
「おはようございます、元直さま。あのう」
「なんだ? その様子じゃあ、今朝は喧嘩はなかったようだな」
「喧嘩のことじゃないんです。あのう、昨日のことなんですけれど」
昨日と言われ、徐庶は梁朋が、何者かわからない背の高い男と話していたことを思いだした。


歩きながら、徐庶は梁朋にたずねる。
「あいつは本当に道を聞いてきたやつだったのか?」
「そ、そうです。それが本当だって言いたくて」
「待っていたのか。朝っぱらから」
この寒さが日に日に増しているなかで。
呆れて徐庶が目を向けると、梁朋は、にっ、と白い歯を見せて笑った。


梁朋のこのひたむきさは、ほんとうに孔明に似ているなと、徐庶は思った。
見た目については、両者はまったく似ていない。
梁朋はどこにでもいるような、いかにもあか抜けない田舎の少年といったふうの平凡な顔立ちだったし、背丈も孔明のように高くない。
だが、自分に向けてくる憧憬のまなざし、好いた者へ尽くさんとする心などは、ほんとうによく似ていた。


これが作り物の表情のわけがない。
そう判断した徐庶は、となりを歩く梁朋に言った。
「わかったよ、信じるよ」
「ありがとうございます!」
元気よく挨拶すると、その大声に、なんなんだ、というふうにほかの朝の支度をしている兵士たちが顔を向けてきた。
梁朋はそれには頓着しないで、鼻の下をかいて、えへへと、うれしそうに笑っている。
「おれ、なんだかよくわからないけれど、元直さまに疑われるのは我慢ならないんだ」
「そうかい。安心しな。おまえを疑ってはいないよ」
「だったらうれしいな。今朝はいい朝です」
鼻歌でもうたいかねない機嫌のよさをみせて、梁朋は言った。


「ところで、おまえは昨日の病人がどうなったか、知っているか?」
「ああ、崔淵《さいえん》さんっていうひとのことですよね、あのひとなら、医者がやってきて、こっちで看るからっていって、連れて行ってくれましたよ」
「こっち、だと?」
徐庶はぎょっとした。
梁朋はのん気に、早く治るといいね、などと言っているが、昨日みた、あの物々しい建屋の様子からして、医者がまともな治療をしているかは疑わしい。
それなのに、てきぱきと患者だけは運んでいくという。
連れていかれた者は帰ってこない、という喧嘩の仲裁役の男のことばが、不吉に徐庶の頭の中でこだました。


「梁朋、おまえは皿洗いの係だったな」
「そうだよ。やせっぽっちだから、どうせ力仕事なんぞできなかろう、だったら皿でも洗えっていわれて、毎日つめたい水でじゃぶじゃぶ皿洗いです」
言いつつ、梁朋はあかぎれの出来ている両手を徐庶に見せた。
「それじゃあ、今日はその仕事は休みにしてやるよ。
ほかのやつに皿洗いを言いつけるから、おまえは別の仕事をするのだ」
「え、なにをすればいいのです?」
皿洗いの仕事がよほどきついらしく、梁朋は仕事の内容を聞かないうちから、目を輝かせた。
「宿舎のはずれに、大きな長方形の建屋があるだろう」
「ありますね。あそこに偉そうな兵がいつも見張りについている」
「そうだ、そこを見張ってほしいのだ」
梁朋はきょとんとして、徐庶を見る。
「見張ってどうするのです?」
「なにか変わったことがあったら、すぐにおれに知らせろ。それだけでいい。
いいか、何か見たり聞いたりしても、ひとりでなんとかしようとするなよ」


すると、ありとあらゆる小動物が危機に対して敏感であるように、小動物に似た梁朋も、なにか危険がありそうだと察したようだ。
半歩、徐庶のとなりから、下がる。
「なんだか怖そうな仕事だね」
「変わったことがあったら、おれに知らせるだけの仕事だ。かんたんだろう?」
「そりゃそうかもしれないけれど……ほんとうに、なにもしないで、元直さまに教えればいいのかい? でも、何かあって、それを知った元直さまは、どうなさるんです?」
「それは、その『何か』によるな」
「元直さまが痛い目に遭うのはいやだよ」
梁朋は心配そうに顔を曇らせる。
こんな表情をしてくれるのは、亡き母か、孔明くらいのものだった。
両者をなつかしく思いつつ、徐庶は、なるべくおどけて見えるように答えた。
「案ずるな、おれは意外と強いのだぜ。
このあいだの喧嘩だって、ちゃんとおさめてみせただろう?」
「そうだけれど」
「なら、安心しろ。おれだって命は惜しい、無茶なことはせんよ」


徐庶のことばに、梁朋は納得したのか、それとも観念したのか、わからないが、言いつけどおりに建屋のほうへ歩いて行った。
その背中を目で追いながら、徐庶はひさびさに、戦場の最前線で陣頭指揮を執っていたときと同じ緊張感を味わっていた。


つづく


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さて、本日よりしばらく徐庶のエピソードがつづきます。
どうぞお付き合いいただけたならと思います。

ではでは、次回は金曜日です、どうぞお楽しみにー(*^▽^*)

赤壁に龍は踊る 三章 その9 曹操からの使者

2024年06月03日 09時47分53秒 | 赤壁に龍は踊る 三章



そうこうしているうちに、周瑜のもとへ、曹操から使者がやってきた。
使者は四十がらみの頑固そうな顔をした男で、死をも決意して曹操のためにやってきたのは一目瞭然だ。
どうするだろうかと、孔明は大勢の将兵たちとともに、周瑜の行動を見守った。


周瑜は使者の持ってきた曹操からの親書に目を通し、ときどき、こらえきれない、というふうに笑みをこぼす。
まったく事情を知らない者がその様子をみたら、親戚が寄越した手紙をひさびさに読んで笑みをこぼしているのではと、まちがった感想を抱いてもおかしくないほどの様子だった。
周瑜があまりに余裕たっぷりの態度なので、手紙の中身を知らない将軍たちが、おなじく馬鹿にしたように笑いを浮かべ始めたほどだ。
使者はそれが我慢ならない様子である。
だんだん、使者のこめかみに青筋がたち始めているのが、孔明の目からも見えた。


「使者どの、わざわざ対岸の烏林《うりん》からご足労いただいたところ申し訳ないのだが、この親書にあるように、わたしが曹丞相と対面するときは、わたしがかれの前に膝を屈した時ではないだろう。
おそらく曹丞相がわが軍に敗れて逃げ散るときか、あるいは、我が勇猛な将の誰かに討たれた丞相の首を実験するときであろう。
せっかく美文で書かれた手紙であるが、内容には、ちと丞相の耄碌《もうろく》ぶりが反映されておるぞ、そこが残念だな」
「言葉が過ぎましょうぞ!」
使者の抗議に、しかし周瑜は動じず、尚もいう。
「すまぬな、わたしは率直なたちでな。
陸にあがった河童も同然の北の老兵に、降伏せよと居丈高に言われて冷静でもいられぬのだ」


そう言って、周瑜は、ぱっと親書を払いのけ、かたわらの魯粛に押し付けた。
魯粛がそれを拾い上げ、読み通してから、また周瑜とおなじように笑う。
「なるほど、たしかに美文ではありますな。
しかし、曹丞相は夢見がちな乙女のようなところがある様子」
「そうだ、ただし、その夢は、悪い夢のようだな。
われらが勝利するこの戦において、降伏することなどありえない」
いささか芝居がかった言い回しをしつつ、周瑜は言って、それからじろりと使者をにらんだ。
「使者どの、戻って伝えよ。周公瑾はけして孫家の者以外に膝を折る人間ではないようだと。
そして、手紙をせっせと書く暇があるのなら、無力な河童でないところを証明してみろとな」
「な、なんと無礼なっ」
使者は顔を赤黒くして震えている。
そして、周瑜をまっすぐにらんで、挑戦するように言った。
「その無礼なことば、たしかに曹丞相に伝えよう。あとで後悔なさるな」
「後悔も何も。現実を分かっていない漢賊に、折る膝を持ち合わせている者は、江東の地にはいないという事実があるだけのこと。
使者どのは、見たこと聞いたことをそのまま伝えればよいのだ」
「きっと後悔なさるぞっ」
捨て台詞を吐いて、使者は背中を向けて帷幕《いばく》から出て行った。


孔明は、周瑜が使者を斬らなかったことに感心していた。
というのも、周瑜と魯粛が読んだ手紙を、そのとなりで同じく目を通していたのだが、内容はまさに慇懃無礼《いんぎんぶれい》な脅迫文と言ったほうが正しいものだったからだ。
寛大な周郎。
その評判は、いままさに証明されたと言ってよい。
あわれなのは曹操の使者で、帰りの船に乗る途中でも、将兵の嘲笑や野次を受けつづけていた。


『これほど嘲弄されて、曹操はどう出るだろうか』
考えていると、周瑜が笑顔のまま、孔明を振り向いた。
「曹操はどう出るか、と考えてらっしゃるな?」
「よく分かりましたな」
「分かります。わたしもおなじことを考えておりましたからな。
まあ、ふたつにひとつ。我慢するか、挑戦を買うか。おそらく曹操は後者を選ぶはず」
「小手調べ、と言うわけですか」
「左様。曹操はこちらの力を測ろうとするでしょう。
そうであれば、こちらも願ったり叶ったり。
鄱陽湖《はようこ》での調練の結果を実戦で見ることができますからな」
そう言って、自信満々に周瑜は高らかに笑う。
「これで案外、決着がついてしまうかもしれませぬな。
そうなれば、孔明どのと劉豫洲の御手を煩わすこともなくなる」
冗談か真剣なのか、いまひとつ判然としないことを言って、周瑜はまた笑った。


『ずいぶんと自信があるのだな』
孔明は愛想笑いを浮かべつつも、周瑜の自信の高さに危険を感じ取っていた。
『たしかに曹操は水軍を操って戦をした経験が浅い。
しかし、いまその水軍を束ねているのは、経験の豊富な蔡瑁《さいぼう》と張允《ちょういん》。
しかも数では圧倒的に向こうが有利なのだ。
仮に曹操が攻めてきたとしても、こちらによほどの戦略がなければ、烏林の要塞に曹操軍を追い払うのが精いっぱいだろう』
周瑜は機嫌がよいようで、魯粛や程普らに、曹操の軍に備えるよう話をしている。
『仮に曹操軍が烏林から長期間も動かなかった場合、疲弊してくるのは江東の軍だ。
曹操は長期戦を見据えて、水軍の調練をすでに行っているにちがいない。
数で勝《まさ》る曹操軍が水軍で江東の軍を撃破したら、もう江東の軍にはあとがない。
柴桑《さいそう》に向けて、北からも軍が押し寄せてくるはずだ。
曹操を舐めてはいけない。百戦錬磨の古強者なのだ。
周都督は、果たして兵を鼓舞するために自信のあるようにふるまっているのだろうか。
そうではないとしたら、危ういぞ』
そう思い、周瑜のほがらかな顔を観察してみるのだが、そこに弱気な陰りはどこにもなく、孔明はますます危うさを感じるのだった。


つづく


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今後も精進してまいりますv

さて、次回からは、ふたたび烏林の徐庶のエピソードとなります。
次回は水曜日です、どうぞおたのしみに(*^▽^*)

赤壁に龍は踊る 三章 その8 刃をしのぐ

2024年05月31日 09時49分42秒 | 赤壁に龍は踊る 三章
やがて、馬をかっ飛ばしてきたらしい魯粛が、挨拶もそこそこにやってきた。
従者も連れていない。
いや、連れていたのかもしれないが、あまりに急いだので、脱落したのかもしれなかった。


「おい、孔明どの、本気かっ」
前置きもなく魯粛は怒鳴るように言った。
孔明はそれに対し、しらっとして答える。
「本気も何も、劉玄徳の軍師に二言はございませぬ。
この甲冑を見ていただければ、わたしの覚悟がわかるはず。
周都督に聚鉄山《じゅてつざん》を攻めろと言われ、出来ますと答えたのですから、やらねばなりますまい」
「ばかな、死ぬぞ」
「そうでしょうな」
「なに?」
「わたしには、たしかに軍略があります。
だが、ざんねんながら大軍を率いて戦った経験は一度もない。
それでもなお、周都督はわたしに五千もの尊い命を預けて戦えとおっしゃった。
周都督の厚い信頼には答えねばなりますまい」
「だから、それは無茶だというのだ」
「無茶でも仕方ありますまい。それが都督の決断の結果なのですから、なあ、子龍」
趙雲は、合点がいったようで、にまにまと笑いながら、孔明に合わせ始めた。
「そうさ。おれたちが聚鉄山で死んだ場合は、都督は人を見る目がなかったということになるな」
「子龍のいうとおり。評判になるでしょうな。悪い意味で」
「そう、悪い意味で評判になる。
都督は、軍事の采配は素人だと、烏林《うりん》にまで聞こえていくかもしれぬ」
「周都督の名誉は傷つけられるでしょう」
「軍の士気もがた落ちだろうな。戦は勢いが大事だというのに」


魯粛はそれを聞き、顔をゆがめる。
「そ、それはそうかもしれんが」
と、そこまで言って、甲冑姿の孔明と、意味ありげに人の悪い笑みを浮かべている趙雲を見くらべて、急に、ふっと肩から力を抜いた。


「読めた。あんたら、おれがここにきて、あんたらを止めるだろうことまで読んでいたのだな?」
だが、孔明はとぼけてみせる。
「さて、どうでしょう?」
「おとぼけは、なしだ。人の悪い。あんたらを死なせたら、同盟が壊れてしまう。それはさせんよ」
「しかし、子敬どの、あなたはこう言い含められていたはずだ。
『諸葛孔明がいまごろどうしているか……嘆いているか、混乱して怯《おび》えているか……実際に見て、すべてを報告せよ』と」
「そのとおりだ。都督はあんたの動向をとても気にしておられる」
「では、都督にこうお伝えください。諸葛亮は混乱している、と。
なにせ、味方であるはずの都督が、わたしを害そうとする理由が、さっぱりわからないのですからね」
魯粛は、困惑しきりといった表情を浮かべた。
「都督があんたを気に入らなかったのはわかっている。
あんたもとうに気づいているだろう? 
だが、殺意を抱くまでになるっていうのは、おれもどうしてかわからんのだ」
「都督は先を読みすぎなのでは? 
確かに、この戦が終わったなら、わたしたちは味方ではいられなくなる。
しかし、まずはあの強大な曹操に勝たなければならない。
それを小さく見積もって、わたしという目の上のたん瘤《こぶ》を取り除こうと急ぎ過ぎているのは、いささか先走りのように思えます」
「たしかに。あんたの言うとおりだ」
「子敬どの、都督にはありのままをご報告なさい。
孔明が軍を率いて出撃するということは、都督の采配の能力のなさ……つまりは軍略の才のなさを証明しようとしていることと同然だと言っていたと」
「それはできる。そう言えば、都督の性分からして、誇りを傷つけられるのをおそれて命令を撤回するだろう。
だが、しかし、そうなると、あんたはますます憎まれるぞ」
「いま以上に憎まれたとしても、わたしには知恵と言う甲冑がある。なんとかしますよ。
いまは、わたしの言うとおりになさってください」
「おれの立場を慮《おもんぱか》ってくれているのかい?」
「それもありますが、わたしがちょっと意趣返しをしたいだけです」


孔明が歯を見せて笑うと、魯粛もまた、困ったように笑みを浮かべた。
「仕方ない、ではあんたの言うとおりにしよう。
だが、ほんとうにいいんだな? 都督はこれくらいで諦める方ではないぜ」
「覚悟のうえです。そうだろう、子龍」
同意を求められた趙雲は、おおきくうなずいた。
「軍師のいうとおりだ。同じ死ぬにしても、犬死はごめんだ。
周都督にも、男らしく堂々と正面からぶつかってこいと言ってくれ」
「子敬どの、分かっておられるとは思うが、子龍が言ったことは内密に」
「もちろんだ。まったく、あんたらは命知らずだよ、ほんとうに」
そうぶつくさ言いつつ、魯粛は去っていった。


あとに残された趙雲はなにかを言いかけたが、またも孔明は手ぶりでそれを止めさせた。
「言いたいことはだいたいわかる。危ない橋を渡ったな。ひやひやさせてすまなかった、謝るよ」
「危ない橋。まったくだ。これからもこんなことの連続だろうな。
知恵の甲冑があるって? そいつは本物の刃は防げまい。
都督が刺客を送ってきたらどうするつもりなのだ」
「その時は、主騎たるあなたが防いでくれるだろう。
それに、いまのことでわかったろう。
都督はわたしを狙ってはいるが、こそこそと刺客を送ってくる可能性はかなり低いとみていい。
かれはもっとこう、複雑な手腕をとるほうを好むのだ。
思うに、都督にはわたしが心を読むような態度をとるのが気に入らないのではないのかな」
「腹の読みあいをしなければ、こちらとて生き残れぬ。それを許せぬというのか」
「そうなのだろうさ。それより、せっかく結んでくれたこの背中の紐だが、今度はほどいてくれないか。
甲冑が重すぎて、肩が凝ってしまいそうだ」


その後、急使がやってきて、孔明の狙いどおり、聚鉄山への進撃はとりやめとなった。
魯粛は孔明の願いのまま、周瑜の自尊心を突くことを報告したらしい。
五千の老兵とその将である洪啓《こうけい》は、死を回避できて、こころから安堵しているようだった。
翌日、周瑜は寛大なところを見せて、昨日の命令は行き過ぎだったと詫《わ》びてきた。
だからと言って、その双眸の奥から冷たい悪意が消えることはなかった。


つづく


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次回も孔明のお話です。
それから、またしばらく徐庶のエピソードとなります。
徐庶のエピソードはちょっと長いですが、楽しんでいただけたならと思います。

ではでは、次回もどうぞお楽しみにー(*^▽^*)

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