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レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

知られざる二ツ井町②~狐に化かされた人もいる

2020-03-20 | 街:秋田







地方の田舎に、今の感覚では不可思議なほど大きな町並みがある。それは、人々が「どこまで行ける」かによって決定されていたのだと思う。昭和の初期までは、人々の生活は徒歩を基本に成り立っていた。街道でも、次の宿場や町場まで行けなければ、人々はそこに留まるしかない。そうなると、宿なり、飯屋なり、商店が形成される。そこに住む人たちも同様だ。大きな買い物、例えば金物を買うとか、布を買うとか、魚を買うのであれば、「歩いて一日」が行動範囲だったであろう。人々は山道を歩き、近隣の大きな町を目指した。人が集まれば、自然と商売も増えていった。二ツ井の町の成り立ちを思うと、ロマンに溢れている。

先日、山に関係する不思議な話を集めた本を読んだ。その中で特に多いのが、「狐に化かされた」話だ。暗い山道を家路に急ぐと、狐に化かされて道を迷い、身ぐるみ剥がされるというパターンが定番だ。その本のなかで、知人が狐に化かされた経験を聞いたという人は、「そういうことにしないと格好が付かないからだろ?」と証言していた。なるほど。大きな町に一日掛かりで買い出しに行く。近所の人に買い物を頼まれて金も預かっているかもしれない。それが、途中で失くしてしまったり、追剥にあったり、はたまた久々の町に興奮して飲み屋や博打でスッカラカンになったもしれない。「狐に化かされた」、そうでも言わないと説明できなかった。全部ではないだろうけど、あり得る話だ。

今では、車と高速道路で100km以上離れた町までの買い出しも、簡単に行けるようになった。近隣の住民も二ツ井の町ではなく、より大きな町まで出かけて行く。もう狐に化かされる人もいなくなった。でも、もし僕が当時の世界にいたとすれば、6枚目あたりの店で散財するか、帰り道で酔っ払って頼まれものを失くしたかもしれない。そして言うだろう。狐に化かされた。と(終わり)。

X-PRO3 / XF23mm F2R WR



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6 コメント

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秀逸なり! (ダム)
2020-03-20 08:24:46
ご無沙汰していました。

この度のロクさんのブログ、「おオォ~!」でした(^^)

読みやすさ、読み応え・・・抜群です!

僕も化かされたいッス。
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おはようございます♪ (のり)
2020-03-20 09:54:11
計らずも、遠い昔の町の成り立ちと、今に続く穏やかな二ツ井の町と人を、亡き母の子供時代の笑顔を想い浮かべながら拝見した二ツ井シリーズ、しみじみと楽しませて頂きました~~ ありがとうございました。
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バスに揺られて一日がかり (夕螺)
2020-03-20 16:25:49
記事を読ませていただき思い出しました。
子供の頃、夏休みになるとおふくろに実家に行ってました。すごい山奥の村でほとんど自給自足の生活でした。村には洋服から日用雑貨まで何でも置いてある店が一軒だけでした。乾物類の匂いを思い出します。
この店ではどうしても間に合わない物を月に1回ぐらい河原石を敷き詰めた道路を1日数本しかないバスで1時間ほどかけて出かけました。鉄道の駅がある街に小さな商店街がありました。
その商店街で祖母と僕はうまそうに蕎麦を食いました。あの時の祖母の笑顔も思い出します。
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ダムさん (6x6)
2020-03-21 06:16:35
ありがとうございます。でも気恥ずかしいです。
最近、何故内陸の田舎に大きめの町があったのか、そのことを考え続けておりました。
狐は大抵、美女の振りをしているそうで、それをワザワザ言うのも不自然なので、本当にいるかもしれませんね。
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のりさん (6x6)
2020-03-21 06:19:43
昔の町の成り立ちについて思いを馳せて撮っておりましたので、頂いたコメントは嬉しかったです。
昔のことのようで、こうやって繋がっているんだと、こちらもシミジミしました。
ありがとうございます。
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夕螺さん (6x6)
2020-03-21 06:24:36
とても良いエピソードですね。
自分の写真を契機にそのような想いが喚起されたことは、光栄の限りです。
お祖母様の更に前の時代では、その道を歩いて町まで向かったのでしょうね。それを綿々と。
少なくとも現代で、コストコに行ったことは、何十年後かに思い出すことはないと思います。
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