No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

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2016-12-22 | 街:秋田





たまげた。「ちんちんかもかも」って・・・。念のため調べてみたら「男女の仲良いさま」を表す意味だという。正直もっとエッチな意味だと思っていた(笑)。看板作成の意図は不明だけど、表と裏にそれぞれメッセージが書いてある。何か思うところがある筈だし、人生の達人の句だと思う。結構!結構!、というのが特に良い。



X-PRO2 / XF14mm F2.8R


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流星ひとつ(レビュー)

2016-12-22 | その他

沢木耕太郎というノンフィクション作家がいる。1980年代から活躍している作家で、最近では、写真家ロバート・キャパの代表作を巡る真実をドキュメントした「キャパの十字架」を出版し人気を呼んでいる。だが何といっても沢木の代表作は1986年から1992年にかけて出版された「深夜特急」であり、旅人のバイブルとして一世を風靡した。香港を皮切りにロンドンまでバスで目指す旅、という自身の経験を素にしたドキュメンタリーである。タレント有吉弘行は、かつて「進め電波少年」の企画で香港からイギリスまでヒッチハイクで目指す旅に出たが、その企画は明らかに「深夜特急」にインスパイアされたものである。そっちでなく「深夜特急」を10代か20代の初めに読めば、恐らく僕の人生は現在とは相当変わったものになったと思う。でも当時の僕は、世界中の作家の長編小説に夢中で、ドキュメンタリーを読むという選択を持たなかった。それから四半世紀の時間が流れ、僕は2013年に突然「深夜特急」を読み始めた。何故その時点で読み始めたのかは、正直よく分からない。立派なオヂサンとなった僕は、遅ればせながら深夜特急に感化され、翌2014年に短いながら香港・マカオへ旅することとなる。

偶然というものは不思議だ。ない時には全くないし、ある時にはこれでもかとばかりに発生する。2013年に深夜特急を読んでいた時のことだ。この本の最後の方で異彩を放つ記述がある。日本に帰ろうと格安旅行券(他人名義のチケット)を手にパリのド・ゴール空港でキャンセル待ちをしていた沢木は、どういう訳か印象の強い少女を含む数名の日本人グループを見かける。言葉が分からないグループの通訳をしてあげたが、キャンセル待ちで搭乗したのは沢木一人で、グループは結局その飛行機には乗ることができなかった。沢木は飛行機に乗ってから、その少女が当時人気絶頂の歌手「藤圭子」であると気づいた、そういう話だ。言うまでもなく、藤圭子は「宇多田ヒカル」の母親である。沢木と藤圭子の邂逅は1970年代の話である。その邂逅から約40年後、本の出版から25年後に、僕はその出来事を読んだことになる。そして、その記述を僕が読んでからわずか一週間後、藤圭子がマンションから飛び降りて亡くなったというニュースがテレビで流れた。一体何が起きているのか、僕は本当に驚いた。

そして更に、藤圭子の四十九日経過後、沢木耕太郎が「流星ひとつ」というドキュメンタリーを緊急出版した。この本は1979年に藤圭子が芸能界を引退するときに密着取材したインタビューを纏めたものだが、原稿は完成していたものの諸般の事情で出版を中止したという曰くつきの本だ。あまりの展開の早さに戸惑った僕は、約2年の月日を置いてたうえで、今年になってから「流星ひとつ」を読んだ。流星ひとつは、ホテルのバーで8杯の火酒(ウォッカ)を飲み干す間に行われたロングインタビューという形式の文章だ。最初から最後まで、文章は二人の会話のみで成立している。他の文章は一切ない。冒頭には「実は以前にも会ったことがある」と、あのパリの空港でのエピソードに触れ、二人の距離感は急速に縮まる。沢木は言葉を紡ぎ、藤圭子の引退の理由だけでなく、その生い立ちのこと、前川清との結婚・離婚、芸能界での活動など、そのプライベート、思想、様々なものを引き出していく。

二人の言葉が交錯し、火酒の杯数が増えるにつれ、距離感は急速に縮まっていく(あくまで会話からの推測)。藤圭子は沢木に心を許し、沢木は仕事を進めながら藤圭子の引力に引き寄せられていく。会話も、聞いている方がこそばゆくなるようなトーンに染まっていくが、それが逆にリアル感を醸し出している。数時間に半生を濃縮したような濃密な会話である。誰が読んでも、もうこれは間違い無く「恋」だと分かる。だが完成した原稿はコピー1部を沢木の手元に残し、原本は藤圭子に渡される。藤圭子は「出版して構わない」と言ったそうだが、出版は回避された。それは取材対象者との距離感を見誤った沢木の職業倫理に基づくものとも言われている。


ここから先は、週刊誌レベルのソースの話で、「流星ひとつ」に描かれていることではない。藤圭子は引退後、ニューヨークに渡り語学の勉強に学校に通ったそうである。まあ事実だと思うんだげど、ニューヨークでは「流星ひとつ」の原稿を大事に所有し、あとから「沢木耕太郎が来る」といってアパートを借りて待っていたそうである。沢木はニューヨークでジャーナリズムを専門学校で学ぶ予定だったという。惜しまれつつ引退した時代の歌姫と、新進気鋭の作家の恋。でも結局沢木は藤圭子の待つニューヨークには来なかった。あるいは一緒に暮らすことはなかった。その後、藤圭子はニューヨークで、宇多田照實氏と知り合い、結婚。宇多田ヒカルが誕生する。沢木耕太郎が公式に認めているのは、取材を通じて藤圭子に惹かれたことと、藤圭子の方も何らかの好意を持ってくれたこと、それだけであり、男女関係等には一切触れていない。それで十分かと思う。そして仮に、沢木がニューヨークの藤圭子の元に行ったところで、幸せな結果にはならなかったことは明白だ。それを分かっても迷わせる魅力が彼女にあったことは、「流星ひとつ」を読めば分かるだろう。その時のお互いの感情を考えると、感慨深い。人生の織り成す綾の美しさだ。僕だったら(なにその前提?)、踏み留められただろうか。宇多田ヒカルも結婚と離婚を経験し、母親・藤圭子がニューヨークに渡ったときよりも年上となり、藤圭子が宇多田ヒカルを出産した時とほぼ同じ年齢となった。「流星ひとつ」を2年遅れで読んだとき、NHKの連続ドラマでは、宇多田ヒカルが主題歌を歌っていた。「流星ひとつ」、これは単に藤圭子のドキュメンタリーではなく、誰もが経験した人生の選択と、もう一つの人生の可能性について考えさせる物語なのである。



X-PRO2 / XF35mm F2


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