この家で17年間一緒に暮らして来たおじいさんの事を書いておこうと思います。
おじいさんは、今、介護付老人ホームに入所しています。
それまでの事を、なるべくありのままに、書いてみたいと思います。
義母が亡くなってからの一年半。おじいさんのお世話をしていて
みなさんから「大変でしょう。お体壊さないでくださいね」と
お心づかいをいただき、とても心強かったです。
淡々と暮らして来たつもりでも、時には「もうダメ」と何度も
投げやりな気持ちを持ちましたが、暖かいお言葉で救われたこと
とても嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいでした。
大変。。。何が大変かと言えば、「責任」と「管理」です。
転ばないか。ごはんは食べるか。風邪はひかないか。行方不明にならないか。
不衛生にして気分は悪くないか。朝は起きたか。夜は静かに寝ているか。
日常的なお世話。食事、お薬のこと、通院。
お風呂、お布団から出る時、寝る時、トイレの始末。
ワンコのトイレが平気で、何故、老人の粗相がダメなのか。
一時期は何故、こんなことが出来ないのだろうと悩んだ。
しかし、年をとって、認知症になり体も思うように動かない
おじいさんと、一番長く一緒にそばで接していたわたしは
今、ここで出来ないことが、後々悔やまれるだろうと思い
出来るだけのことをしようと思いました。精一杯でした。
このブログに載せられなかったおじいさんの食事がたくさんあります。
なぜならば、ほとんど食べなくなってしまったからです。
わたしの実父は健在ですが、もし、実父だったらどうだろうと
いつも重ねていました。逆にもっとやり切れない感情が
募り、辛かったかもしれません。それは今ここでハッキリとは
言えないことですが。
「病院に入院している」と、堂々と言えても
「老人ホーム」という言葉をどうして、すんなり言えないのだろう
わたしが体を壊せば、その理由でホームに入所したと
言えるのだろうか。わたしは、今もピンピンしています。
体を壊したのは、夫の方でした。
体験入所の日。リハビリセンターに行くからと着替えを手伝い
簡単なスエットの上下に着替えたおじいさんが
「こんな格好でいいの?」と私に聞きました。
まだ、格好を気にする気持ちが残っているのかと、可哀想な思いだった。
入所してから、とても元気になり、家ではほとんど寝たきり状態でしたが
歩くようにもなり、食事もキチンと食べ、お風呂も入れてもらい
髭も綺麗に剃って、見違えるようになりました。
先日など、ジャージではなく、きちんとズボンを履き、革靴を履き
ロビーで新聞を読んでいる姿は別人のようでした。
自分でちゃんと、服を選んだのだと、看護師さんから聞き
もっと驚きました。
しかし、まだ、夕方になると、帰宅願望があり「帰らなくては」と
その意志が強く、それを思うと、これで良かったのかどうか結論は出ませんが
何よりも、元気になったということは、嬉しいことです。
おじいさんの入所の事を、書こうかどうしようか迷いました。
どんなに大変であったかということを言えば、全ていい訳になり
それを書くことに、いったい何の意味があるのかとも思ったからです。
しかし、最後までわたしの味方になり、わたしのことを第一に
考えてくれた夫のことを考えた時、ここに一つの記録を残しておきたい
という思いがあったのです。
絆はそのままで、お互いに幸せになるための方法
それがこんな形なのかもしれません。いつでも会えるし、外出も自由
安心して暮らせる場所なのだということが、おじいさんには
理解できるのかどうか それが幸せなのかどうか 誰もわからない
ことです。そして前向きに考えてゆきたいと思っています。
おじいさんは、今、介護付老人ホームに入所しています。
それまでの事を、なるべくありのままに、書いてみたいと思います。
義母が亡くなってからの一年半。おじいさんのお世話をしていて
みなさんから「大変でしょう。お体壊さないでくださいね」と
お心づかいをいただき、とても心強かったです。
淡々と暮らして来たつもりでも、時には「もうダメ」と何度も
投げやりな気持ちを持ちましたが、暖かいお言葉で救われたこと
とても嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいでした。
大変。。。何が大変かと言えば、「責任」と「管理」です。
転ばないか。ごはんは食べるか。風邪はひかないか。行方不明にならないか。
不衛生にして気分は悪くないか。朝は起きたか。夜は静かに寝ているか。
日常的なお世話。食事、お薬のこと、通院。
お風呂、お布団から出る時、寝る時、トイレの始末。
ワンコのトイレが平気で、何故、老人の粗相がダメなのか。
一時期は何故、こんなことが出来ないのだろうと悩んだ。
しかし、年をとって、認知症になり体も思うように動かない
おじいさんと、一番長く一緒にそばで接していたわたしは
今、ここで出来ないことが、後々悔やまれるだろうと思い
出来るだけのことをしようと思いました。精一杯でした。
このブログに載せられなかったおじいさんの食事がたくさんあります。
なぜならば、ほとんど食べなくなってしまったからです。
わたしの実父は健在ですが、もし、実父だったらどうだろうと
いつも重ねていました。逆にもっとやり切れない感情が
募り、辛かったかもしれません。それは今ここでハッキリとは
言えないことですが。
「病院に入院している」と、堂々と言えても
「老人ホーム」という言葉をどうして、すんなり言えないのだろう
わたしが体を壊せば、その理由でホームに入所したと
言えるのだろうか。わたしは、今もピンピンしています。
体を壊したのは、夫の方でした。
体験入所の日。リハビリセンターに行くからと着替えを手伝い
簡単なスエットの上下に着替えたおじいさんが
「こんな格好でいいの?」と私に聞きました。
まだ、格好を気にする気持ちが残っているのかと、可哀想な思いだった。
入所してから、とても元気になり、家ではほとんど寝たきり状態でしたが
歩くようにもなり、食事もキチンと食べ、お風呂も入れてもらい
髭も綺麗に剃って、見違えるようになりました。
先日など、ジャージではなく、きちんとズボンを履き、革靴を履き
ロビーで新聞を読んでいる姿は別人のようでした。
自分でちゃんと、服を選んだのだと、看護師さんから聞き
もっと驚きました。
しかし、まだ、夕方になると、帰宅願望があり「帰らなくては」と
その意志が強く、それを思うと、これで良かったのかどうか結論は出ませんが
何よりも、元気になったということは、嬉しいことです。
おじいさんの入所の事を、書こうかどうしようか迷いました。
どんなに大変であったかということを言えば、全ていい訳になり
それを書くことに、いったい何の意味があるのかとも思ったからです。
しかし、最後までわたしの味方になり、わたしのことを第一に
考えてくれた夫のことを考えた時、ここに一つの記録を残しておきたい
という思いがあったのです。
絆はそのままで、お互いに幸せになるための方法
それがこんな形なのかもしれません。いつでも会えるし、外出も自由
安心して暮らせる場所なのだということが、おじいさんには
理解できるのかどうか それが幸せなのかどうか 誰もわからない
ことです。そして前向きに考えてゆきたいと思っています。