昨年の10月から3月31日公演予定だった「男性フォレスタセレクションコンサート」のチケットを購入し、それが新型コロナウイルスの事から7月6日まで延期になっていた。
3月ころは「7月なら収束しているだろう」と思ったことが、まるでそうではなかった。
でも、世界中が自粛を強いられ、その努力で少しは落ち着いてきていた。
札幌の会場でも落語の公演が開催されたとの新聞記事を読み「これなら出来るかも」と期待したその翌日、公演中止のハガキが来た。
感染予防対策として政府や北海道から「収容人員の人数が定員の50%と言うことから会場内の座席番号の無効により混乱が起きるため考慮した結果開催を中止にした」という趣旨が書かれてあった。
若い方々のライブと違い、昔の歌などを迫力満点の中で昔懐かしく感動的に聴けるコンサートだった。
「静かに、誰とも会話を自粛して」と言われれば守れる年代の楽しみだった。
飛沫などあの高い舞台から届くことも無いように思われる。
何もかも一緒くたにして中止にし、歌うために努力している歌手の方々の仕事や、聴くための楽しみも奪われて良いものなのかと考えてしまう。
「ウイズコロナ」と言われるようになった割りには、もっと出来るはずの市民の生活のための指針など考えてくれていないように思える。
生きていくには我慢の限界もあり、生活が掛かっている人には死活問題だろう。
北海道のどうみん割りでの申し込みは瞬く間に完売となったという。
受け入れる旅館やホテルにとっても、そこに行こうとする道民にもどんなにかこのような時が来るのを待ち望んでいたかが分かる一つの表れだろう。
このような事例が何事もなく成功し「何でも中止」の今の状況から少しづつで良い方向へ向かい、新型コロナウイルス感染の地獄から早く抜け出して欲しい。