日々の想いを

例え辛い日があろうとも 目の前のことをひたすらに坦々と。

最期の夜

2010-09-30 00:30:08 | Weblog
今夜は長男の最期の夜だった。

あの子のあの夜の言動全てが昨日のように思い出される。

もう 会いたかった人に会えて、幸せに過ごせているだろうか。

そんなことばかりを願っている。

秋晴れの中

2010-09-27 02:01:57 | Weblog


日付けは変わってしまったが26日は長男の一周忌法要だった。

親戚の少ない我家だから簡単と思いがちだが、それなりに忙しい日々だった。

父はこの私の忙しさを察して、そっと旅立ちをして逝ったのかと感謝するほどだった。

長男が大切に思っていた大学の先輩や同期生が快く遠路から駆けつけてくれた。

その友達に長男が思うようなことを満足にはしてやれなかったかも知れないが、ホッとしている。

「また 呼んで下さい」とまで口々に言ってくれた。

長男は良い友達に囲まれ、幸せな人生であったのかもしれないと思う一瞬でもあった。

老人ホームの解約

2010-09-24 23:48:59 | Weblog
高齢者の住まいとなる有料老人ホームで、途中解約時の返金でトラブルが増えているとのこと。

例えば70歳男性が「3千万を支払って入居をしたが7ヵ月後
他の利用者と上手く行かず解約を申し出ると2千万円の返金しかなかった」

このように解約に関する相談は05年度の196件から09年度340件へと
急増している。

相談として「契約後に入居することなく死亡したのに
入居一時金が返済されない。」
「外食をしたのに食事代を請求された」などもあるという。

「小沢さん、もう鎧冑脱いだら…」

2010-09-21 23:10:39 | Weblog
私が好感を持っていた議員のお一人だった武村正義元官房長官の談話が目を引いた。

『小沢さんが選挙で特別な知恵を持っているとは思いません。自民党旧経世会に代表される古典的なやり方をしているまで。
30人で民主党に入った小沢グループは6年間で150人になった。
党のおカネを独占し選挙とカネと情で数を増やしただけです。
「小沢政治」って古い自民党らしい政治です。
そういう政治と戦うのが政治改革でしょう。』  武村正義元官房長官産経新聞) - goo ニュース

細川護煕(もりひろ)内閣のとき官房長官をされていたが 
どれほど小沢さんのことで腹に据えかねたことがあったか知れないと
私は想像する。

小沢さんが今回、代表をかけて闘う気になられたのも
幹事長をしていて自由になっていたお金が使えなくなったからだとも言われている。
自分のグループを大きくするのにも、お金を使ったからだとある週刊誌で読んだが
この官房長官をしていた武村さんもそう言われるのだから間違いが無いだろう。

困っても、負けたらなおさら笑顔の政治家。
私には負け惜しみの 不気味なお芝居にしか映らない。

ひがみ根性に

2010-09-19 00:40:29 | Weblog


昨夕 ボランティア仲間のお連れ合いが亡くなったのでお通夜に行ってきた。

まだ 私より若いのに長年連れ添った夫に亡くなられて、どんなにさびしくなる事か。
かわいそうにとそんな思いで参列した。

でも 葬儀委員長のお話を聞くにつれ このご夫婦は良い思い出になるような
日々を常に送ってきたようで羨ましさが、こみ上げて来た。

何より羨ましかったのは、定年後キャンピングカーを買って
4年掛けて九州から、桜前線を追いかけた日本1週をしたとのこと。
夫が若い頃から持っていた夢に近かった。

私達は 姑の同居やその他の問題で、弘前の桜さえ見に行けず
自由の無い生活を送ってきて 未だに状況は変わらない。

最近「私は何て、ひがみ根性になったことか」と自分自身に呆れている。


役目を果たせて

2010-09-14 23:53:22 | Weblog



きょうの晴天の中 父の四十九日法要と、納骨を済ませることが出来た。

どこへ行っても順応性の有った母親だから あの世でもすぐ友達を見つけ楽しく過ごしていただろうが

父は母の元へいけるのを心待ちにしていたかも知れない。

父の喜びが伝わるような青空の秋晴れの中

叔父叔母をはじめとした肉親のお経の中、父の遺骨は母の元へと置かれた。

母と別れて24年。

父の寂しさを埋めようと長女の私をはじめとして、私達は頑張ってきたが今ホッとしている。

また あの世でも仲良く過ごして欲しい。

スーパー相次ぐ撤退で

2010-09-13 19:42:31 | Weblog
最近「買い物難民」ということばが聞かれ その様子が報道される。

この辺も 子どもと人口の多い時から見たら スーパーに吸収され

個人の店はずい分と減った。

そのスーパーの事で 新聞に偶然か二人の投稿が載っていた。

どちらもスーパーの撤退を恐れた内容だった。

1つは 14年前に開店したスーパーが採算が合わない。

もう1つは駐車場が無い為、違法駐車が多いのが原因となっているらしい。

原因は違うけれど、どちらも今後の買い物などの不便を訴えていた。

食べる物も思うどおりに買いにいく所が無い

そんな町が、益々増えていくのだろう。

若者の死は

2010-09-10 20:21:24 | Weblog
長男が亡くなって1年も間近になった。

そんなとき 夫のまだ現役で元同僚の長男がまだ26歳の若さで亡くなった。

元同僚は1年前 我家に来てくれ、遺体にお参りをしてくださった方だった。

それで私もきょうの告別式に参加してきた。

私は、両親のお顔を見ても涙が出そうで何も言えず、ただ頭を下げるだけだった。

我家の長男に似た 友達好きのやさしい子だったらしい。

若者の死はいつも哀しみで胸が詰まる。。。

末期がん介護認定

2010-09-08 11:13:18 | Weblog
新聞にケアマネージャーとして、末期がん患者48歳の独身男性に
関わった経緯が「私の視点」として載せられてあった。

40歳以上の末期がん患者が自宅療養をする時は介護保険が使えるそうだが
ケアマネージャーとしては相当の苦労が有るとのことだった。

その事が問題で書かれて有ったのだが その男性の壮絶な死のほうが
素人の私には強烈に心に響いた。

その男性は3月に悪性がんの骨肉腫と診断され6月には「余命3日ほど」と
告げられ、その時本人と両親の希望でストレッチャーで自宅に帰ってきた。

5月に病院に勧められ 介護保険の適用を申請していた為
ケアマネージャーはケアプランをはじめ、ベッド、在宅診療の医師と看護師・・・など
の手配に奔走したらしい。

その男性は自宅で医師から告げられたとおり、3日で亡くなったという。

老いた両親を置いていく男性も、置かれていく両親もどんなに辛かったことだろう。
でも、自宅で逝けたことが、このご家族にとってせめてもの救いだったと思えた。




懐かしい再会

2010-09-06 05:56:16 | Weblog


昨日の昼食会があることで姑を特養にショートをお願いした。
土・日曜の為 送迎は我が家でしなければならなかった。

この特養は父が尿カテーテルになる7年前まで私が週1回のボランティアに行っていたところだった。

そのころの入所者が今はどうなったか気になるときが有ったので
探してみたら きっとお元気でおられるだろうと思っていた女性が居た!
嬉しくて 手を握り締め声を掛けた。

認知症だったから私のことは、とうに忘れているだろう。
でも 嬉しそうに微笑んでくれた。
自分の部屋も分からない同室の人をいつも手を繋いで連れて歩いていた。
私におしぼりの畳みかたを教えてもくれた。

まだ こんなに残存能力が有るのにどうして 何の仕事もさせてもらえないのだろうと
グループホームの必要性を感じさせてくれたのもこの女性だった。

また 姑が泊めてもらえたとき 会いたいと思っている。
あそこで 長い年月暮らさなければならない「老いの人生」がまたそこにも有った。