ASUKのババは日々元気に暮らしたい。

ハンドメイド 作りたいものだけ作る毎日
日々の出来事に愚痴も出てきます。

可愛い作品 と なんかおかしいような

2016-11-12 18:50:50 | ハンドメイド

お友達になに作ろうか悩んで 手芸本見たりネットでみなさんの作品見たり

考えています。

以前お友達家族にプレゼントしたのは

サニタリーポーチ お嬢さん2人いるからピッタリ

そして猫好き わんこ好きな大阪出身の彼女には猫柄

コットンタイム誌に載っていたのを参考に作ったけど花柄が可愛い

今でも使ってくれているみたい、、

懐かしくてまた画像アップしました。

 

 

今日 突如あれえー?と考えた日

今主人の糖尿病改善のため カロリー制限 好きなものはシャットアウト

野菜をメインにしていても やはり魚 肉交互にするけど

その量が足らないと不満を言い出した。(白米 命だったから)

炭水化物は大負けしてご飯100g は一枚(朝)これでも多いと思うけど

重症だとは言われていないからまあーいいか!となってます。

まずサラダ キャベツ高騰にも関わらず買っています。

千切りにして 人参スライスまぜて 容器でチーン(生を嫌う)

それにカロリー少な目なポン酢やゴマを振り 最初に食べさす。(毎食)

朝はその前に野菜ジュース(市販の野菜100%)150ccぐらい

今日の夕飯は もやしと人参と昆布の和え物 焼きサバ半切れ 小松菜と厚揚げ煮の残り少々

わかめスープ 野菜のかき揚げ(ごぼう 人参 ちくわ エリンギ ピーマン 玉ネギ)

とんかつ(生姜焼き用が2枚残っていたので カツ風にして) リンゴ、、

量は少な目だとしても これだけ食べた後でも 何かほしがるんでござんす。

本当に気を使っているんですが 舅に劣らず気難しいというか

ご機嫌斜めになるんです。(特に空腹になると)

勝手にしろ!出かかってます。

主人が以前よりまだ痩せた痩せたと言いまくっているんですが確かに痩せている。

病は気からと言いますが 主人は昔からその傾向が大いにあり 大げさなタイプ

気分的に栄養失調になっていると思い込んでいます。

ふと気が付いたことは 主人と同じように私も以前に比べてまた体重が減っているのです。

私はチビで主人と20センチぐらいの身長の差があります。体格も主人はがっしりタイプ

それなのに おかずの量が一緒 これで良いのかなあ。。

何を作っても主人と二分割していた私 お皿の数も一緒

私もご飯は少な目 身長からして主人のカロリーを増やしてあげるべき?

それとも私が食べ過ぎ? だったら私太るはずよね。(標準より3キロ少ない)

何気に食べていた食事 よく考えていたらおかしいですよね。

最近はカロリーを計算していなくて およその量だけど少な目

食べてはいけないもの 少しは食べても良い 糖分はだめ と頭には入れています

お肉についている脂は取り除きなるべき赤身 オリーブオイルで炒め物 間食はなし

おかずの量にもよるけど 糖尿病改善本の料理を見ても我が家の方が多い

食べ過ぎ?糖尿病が進行している?本当の栄養不足? 等々?マークだらけです。

次の診察日が待ち遠しいのは私です。

 

 

 

 


にほんブログ村


お友達の誕生日とテレパスアート

2016-11-11 18:48:24 | 日記

今日はお友達の誕生日

お祝いメッセージだけで何もプレゼントを用意していない

彼女は元会社の後輩 年下です。

彼女が入社したときはそれはインパクトがある人でした。

ちょっぴり?小太りで結構派手 大きなお目目なのにアイシャドーばっちり

それが彼女のスタイル いまだに変わっていません。

先日もマニキュアバッチリで「さすがあ、、○○ねえ」と感心

おばさん(特に私)が無難な黒を着るけど彼女はおばさんでも黒は着ません

いつもラメ付き服やネックレスもジャラジャラと、、ピンクや白で派手に、、

好きなブランドで身を固め お買い物大好き それが彼女

たまに黒を着ると「どうしたの?」質問攻め

そんな彼女と地味地味な存在感なしの私が韓ドラで意気投合

丁度「冬ソナ」がNHKで放送していて その話からヨン様にのめりこんだわけです。

彼女がいなかったらそんなに韓ドラに嵌ることはなかったと思います。

彼女の音頭でファンミーティングへGO、、韓国へGO、、パリへGO、、

大阪へ行ったとき さすがの大阪のおばちゃんも彼女には負けてました

みんなの注目の的です。。

もう一人の後輩も仲良くしていますが 彼女大阪出身 ヒョウ柄大好き

でも彼女はヒョウ柄は着ません ピンク系 華やかな花柄系大好き

そんな彼女が私や同僚につけた呼び名○○ri-nu   ○○ジェンヌ ○○は苗字 

彼女自身も○○アンヌと呼んでね と言われ いまだにその名前で呼んでいます。

彼女のパワーはすごいです。年に一度や二度 家族と旅行しています。

買い物目的も半分以上ですから「お金がないわー使い過ぎかしら、、」

なんて笑っています。良きお友達です。

そんな彼女に何か作ろうと引っ張り出したラミネート

デコレクションズさんのです。

でも 私の充電器入れになっちゃた。

内布はなし 

 

さて もう少し姑たちのお話し

下の義妹が少し離れたところに引越ししました。

私たちは舅たちが義妹のところへ行こうと泊まろうと何の問題もありません。

それなのに必ず義妹のところへ行くときは 嘘をついていくのです。

その時逃れ?適当な嘘を言っているのですぐばれます。

西方向のデパートへ行くからと言って出かけたのに 

東方向の義妹の近くのスーパーの名札が付いた買い物品だったり

あちらの方向へ行ったのにこちらから帰ってくるのを目撃したり

それは不思議でした。

そういう時に限って遭遇するのです。

母の日に白のセーターをプレゼントしたのですが 数日後義妹が着ているではありませんか

姑は太っていて 義妹は痩せているのに 澄まして着てくるんです。

少し透かし編みのざっくりした感じなのに 

「私も同じのを買ったわ」「えっ!」となりましたよ

どう見ても姑にあげたものでしょうとそれこそ目がテン

こんな時 姑に問いただすべきか 義妹に聞くべきか 腹がたって葛藤しましたね。

私たちは喧嘩になるだけだからとよけいなことは言いませんでした。

それが悪かったのか 良かったのか確執は永遠続くかと思いましたね。

突然家を出ていって借家を借りたのも 適当な嘘でした。

従兄の家が空いていたので「留守を頼まれた」と言っていましたが

そんなことは言っていないと、、従兄にすれば他人に貸せば家賃が入るから

わざわざ留守番なんか頼むはずもない。。

 

娘が20歳過ぎたごろ 姑はなくなって舅だけですが

同じような毎日が続き 里に帰れば愚痴も出ました。

そんな時 今は尼になった姉が こんな友達がいるからと紹介してくれました。

テレパスアート 魂の似顔絵 名前と生年月日でその人のイメージを

描いてくれるのです。それに姉が申し込んでくれたのです。

そしてこのような絵を描いて送ってくれました。

人相などや家庭事情など全く情報は伝えていません

それなのにこのような絵を描いてくださっているのです。

当然 マスクの男は舅かと思われます。真ん中は私です 不思議なことに鼻の脇に

ほくろがあるのです。涙を出しているのは私 

下の女の子は娘ではないかと思います。

当時の様子を感じとっていただいたのです。

将来の意味も含まれていたみたいですが

当時は生活に追われていて詳しくは説明を聞いていないのです。

私が別ブログからgooburoguに移ったとき 何気に思い出して

 あの絵どうしたかしらと出してきたのです。

丁度20年後です。

この絵の事をもっと詳しく知りたいと出来ればもう一度説明してもらいたいと

ネットで検索しました。

偶然にもgooburoguで活躍されていました。

でも 訪問する勇気が今一つなくて、、

 

主人はいまだに舅の事は敬遠するようなことを言います。

でも いまさら何も覚えていない 自分が悪かったとも思わない

年老いた父をせめてもどうしようもない、

主人こそ昔の事は忘れなさい と言っているのですが。。

 

今は舅は姑の分まで長生きしています。

同居していたころは 海軍の思い出にひたすら走り

戦友会 慰霊祭 と旅行好きな毎日だったのに

今はそれも忘れたかのように のんびりと心穏やかに暮らしています。

いつまでも元気でと思うばかりです。

 

 

 


スマホの携帯充電器 と 蛙の子は蛙 

2016-11-10 13:59:32 | 日記

今日は朝からヒヤヒヤ

お風呂の残り湯を汲みあげてくれない 音だけで洗濯機にお湯が入らない

 残り湯を活用できなくなればもったいない 

スポンジのフイルターにごみがたまっているかと思ったけどそんなことない

掃除の後一度はOKだったけど 2度目はダメ

お次はエアコンのリモコンが急に作動しない 

リモコンの電池入れっぱなしはダメだと聞くけど

いつのタイミングで外すかが難しい とりあえず電化店へ、、

洗濯機のホースのフイルターはなし (ネットで探そう)

リモコンは電池を新しいのに変えてみることでOK

そしてお買い得になっていたスマホの携帯充電器をついでに買ってきました。

家にひきこもっている方が多いのであまり不便を感じないが 

もしもの事があるといけないので念のため

数年前の発売なので 容量は今のスマホに追いつかないみたいだけど

いつ使うかもわからない私なのでお安くてOK

でも可愛い姿です。

 

さて 姑の葬儀も終わり みんなで香典などの整理をしていた時

突然下の義妹が 「香典を出したら生活ができない」 なんていい出した。

「えっ?」葬儀が終わったばかりよ。何言ってんの?  

当時は 子供たちは皆30代後半 育ち盛りの養育で余裕がないのはどこの家庭も同じ。

香典を前にして目がくらんだのか とんでもないことを言いだした。 

すると 主人が私に「お前はあっちにいっとけ!」と言うではありませんか

私は部外者?他人? 葬儀の事も長男の嫁としてきちんとやったつもり

(中心は主人と舅と上の妹ですが)

「はあ?」 と思ったけど まだ親戚縁者がいるので喧嘩するわけにもいかず

その場を離れましたが どう見ても私を馬鹿にしています。

妹が言い出して 主人は「香典を返してやれ」となったのですが

どう考えても腹がたつことですよね。

末っ子のため 学校や車など主人よりはいつも贅沢させてもらい

家を新築する際は 相当お金を出してもらい その歯がゆさを

主人は愚痴っていたのに 結局味方をするんです。

香典と言っても多額ではありません まして母の葬儀でそんなことを

言い出す妹も妹ですが それに応じる主人も同じ穴の狢でした。

その後 そのことで主人と喧嘩をしたのは当たり前 

家を飛び出した私ですが やはり子供たちの事を思うと

母の事を思うと我慢しなければなりません。

 

話が前後していますが 

そもそも同居したのが 2人目を妊娠したときです。

それまでアパート暮らしで いずれは同居しなければいけないと

純粋な気持ちでいました。下の義妹夫婦も近くの借家に住んでいました。

上の妹の子供をおんぶし 自転車で通っているのが良く見えました。

寄るのかなと思っても寄ることはありませんでしたから

その時から私への態度があまりよくないとは思いましたが

そんなことを思っていたら良い関係にはならないと知らん顔していました。

2人目の妊娠 アパートも狭くなるし

同居の話もあまり賛成した風ではなかったのですが

渋々「いいよ」の言葉に同居しました。

出産時 上の子を見てもらおうと実家にも帰りませんでした。

すると姑の言葉 「実家の母に来てもらえば良いが」と言ったのです。

ここに母を呼んで 世話をしてもらえ または実家に帰れ と言うことなのです。

これ又 あきれてものも言えません。

無理なら同居する前に言ってほしかった。

母には何も言いませんでしたが お祝いにやってきて 2・3日世話してくれました。

姑は私たちの前で足をさすっては「痛い!痛い!」

表向きは仲良く暮らしているように他人さまには見えたでしょうか。

 

子供たちがまだ小さい頃 舅が年齢の割には遅く 自動車免許取得したとき 

喜んだ姑が色々ドライブしたいと言って 

私たちがようやく買って乗り始めた車を貸してくれと言い出しました。

(私たちの車には出資はありません

いつも道路に出るときは見にくい場所なので姑が誘導するのですが 

この日は姑が「ちょっと待っといて」と言っているのに

頑固な舅は一人でバックで道路へ飛び出したんです。

案の定 交通事故となりました。

その事故処理 すべて主人がやりました。相手の方が県外者なので 

お詫びに行ったり大変だったみたいです。

「自分で解決できないのなら乗るな!」の 響いていました。

それ以後 舅は車を運転していません もっぱらバイクです。

? 当然廃車 弁償?当然してもらえませんでした。

「すまんのう」の声もなし、、

まだまだ完結ではありません

 

 

 

 

 

 

 


カーディガンのリメイクと 舅たちの話

2016-11-09 13:58:49 | ハンドメイド

アメリカ大統領選 ハラハラドキドキしますね。

今はクリントンさんちょっと危ない結果ですが まだわかりませんよね。

トランプ氏が大統領になると全世界が不安

アメリカ市民どうなっているの?

 

今日は永年愛用していたロングカーディガン 

洗濯するたび縮むような

とても暖かくて冬には必ず引っ張り出すんですが

さすがにくたびれた様子なので お払い箱にポイ、、が

ちょっと待てよ!と リメイクしました。

早朝ゴルフの主人のために早起きして食事の支度するのに

このカーディガンとても便利 でも前が空いていると動きにくいので

前を閉じました その上からチロリアンテープでポイント

お袖も結構長いのでちょん切りました。

チュニックの出来上がり

前を閉じただけでとても暖かい 外にはもう着て出れないけど

ミシンするときの部屋着としてもOK

 

舅たちが帰ってきた話です。

勝手に出ていった舅や姑 家を乗っ取られるかと思ったのか

慌てて帰ってきました。

大した家ではありません 平屋で昔の大工さんが建てたちっぽけな家ですから

私たちが出ていけば良かったのです。 そうすればそのような確執は

自然消滅したのかもしれませんが 長男であるということが

私たち夫婦の頭の中にあったわけです。

舅たちが帰ってきて 一週間あまり過ぎたごろ 

夜中に舅が部屋にやってきて「姑が苦しいと言っているから病院に連れて行ってくれ」

と言うので姑の様子を見ると胸を押さえて苦しんでいます。

「救急車を呼んだ方が早いから、」主人が言うと 

なんと舅の言葉「体裁が悪いが!」声をあらげて言うではないですか、

思わず「何を言ってんの!」私たち夫婦は言いました。

苦しんでいる姑も聞いています。

近くにきたらサイレンを落としてくれるからと説得して救急車を呼びました。

あたしは苦しんでいる姑の手を握り さすったりで病院まで付き添いました。

軽い心臓発作でしたが 治まりましたから帰っても良いけど

念のため早朝に退院するように医者から言われ 安心して書類を書きはじめ

義妹たちにも一応連絡 その30分後に容体が急変しました。

医者の様子が普通ではなかったので 違和感を覚えましたが

突然の死に動揺していたので 追及する間もなく葬儀を済ませました。

姑は64才で亡くなりました。心臓が弱っていて 薬を飲んでいたのを

舅は知らなかったのです。

それなのに舅の身勝手な行動(箪笥など舅たちだけで運び終えた)で負担がかかったみたいです。

なぜ姑は隠していたのでしょうか。

義妹たちも知りませんでした。

舅は「死ぬとは思わなかった」とつぶやいていましたが 時はすでに遅し

もともと口数の少ない舅ですが 泣くわけでもなく黙って座っていました。

そして 私たち家族とまた同居が始まりました。

私は勤めを始めていましたから 舅のために昼の用意をしていくわけですが

気に入らなければ捨てていました(手つかずで)そして自分の好きなものを

部屋で食べています。ありがとう ごちそうさま 相変わらず聞いたことはありません

家のリフォームをするときも気に入らないので知らん顔 書類を見せても顔を背けてました。

当然 資金協力のお願いも無下に断られました。

建築屋さんが入っているときは私たちは近所の部屋を借りて

舅は下の義妹にお願いしました。

「いいよ。」の返事なのに舅は行こうとしません。

工事が始まり 床板をはがした状態なのに 床の間で舅は寝ています。

なんて人だろうと思いましたが ほっとけず

上の妹が良いならそちらに頼もうかと言うと返事はなく 仕方がないので下の妹に迎えに

きてもらうと渋々ついていきました。しばらくいたけど 居心地悪いのか

まだ出来上がっていないのに妹に黙って帰って来ていました。

義妹もこの時ばかりは愚痴めいたことを言ってました。

このようなことは日常茶飯事ですから

いまだに舅の心理は全くわかりません 只 舅が育った環境も悲惨で

親がいながら親戚中をたらいまわしにされたみたいです。

そのような育ち方をした舅は働くだけで 自分も子育てをどのようにすれば良いか

わからないのです。それが主人につらく当たった要因かもしれません。

夏バテして病院に入院したのをきっかけに義妹のところに行きたいと

言い出したので それが良いのならと了承しました。

なんでも頼りにするのは上の妹で、金銭関係も含めてよく世話をしてくれます。

義妹のところでも ごちそうさま ありがとうなども言わないみたいだし

気に入らなければ食べない 近くのスーパーでカップ麺買っているのを見ました。

「おじいさん 元気? なにしているの?」今 気軽に声をかけれます。

同居が続いていたらこうはいかないでしょうけど。

もうすぐ97才 デイサービスでお世話係に「ありがとう」も冗談も言えます。

出てくる食事も残さず食べ「お姉さんが作ってくれた料理はおいしいなあ」の一言が

言えます。その報告に義妹と私はあきれて笑っています。

只 同居している義妹やわたしの名前も出てきません。

「あんた、、」で終わります。

プレゼントを持っていくとニコニコと「ありがとう」の返事が返ってきます。

あなたの長男さんの名前は?「○○や」はっきり言えます。皮肉なことです。

過去をさかのぼるとまだまだ あります。

また 聞いてください。

 

 


嫁姑物語 昨日の続きです。

2016-11-08 18:57:48 | 日記

今日は車の点検 車検まであと半月 オイルエレメント交換

わざわざ連絡くれたのでいかないわけにはいかない。

私の愛車 14年目 でも70000キロ走っていないので

全然買い替える気はありません(買えないの)

それなのに 査定させてください と言われ(新人営業マンの必須科目らしい)

別に減るもんでもなしどうぞどうぞと言ったものの 想像していた通り(あたりまえ)

なんと 30000円! と書くと少しは多いように見えるけど

3万円です。だってディラーさんも褒めるぐらいきれいなのに価値はなし

わかっていましたけど実際に聞いてみるとショックです。

いつまで運転できるかわからないけど生活には必要

でも 息子が一台 主人が一台 計3台の維持費を払っているんですから

税金 車検が来るたび頭が痛い我が家の家計事情

まして重量税が高くなるとわかっても乗りつぶしたい愛車

今新車(買えませんが)を買ったところで ある日突然認知症になったりすると

もったいない。何も聞いていないのにローンを勧められたけど

軽四でも200万円ぐらいするのに現金払い?年金生活者がどうやってローンを組むの?

等々聞いたけど 今の愛車で満足ですから と さっさと帰ってきました。

 

昨日の愚痴 見ていただいたかしら。。(我が家の恥かもしれないけど)

今はこうやって姑たちの思いを書いているけど

恨みつらみは 姑が他界した時点で消えるんですね 今まで泣いたことなど、、

今までの事 本当に一冊の本ができるぐらいの出来事があるのです。

分厚ーい本です 誰にも言えなかったことを 主人と二人で耐えたこと

何だか書きたくなったのです。

只 私に落ち度がなかったとは言いません 私も若かったので

気が付かない点 長男の嫁としての自覚がなかったかもしれませんが

私なりに頑張ったつもりです。

舅は今96才 元気でデイサービスに通っています。

実母と同じくらいです。

今は一番気の合う義妹のとこで暮していますから 今の私は楽させてもらっています。

同居していたときは ほんとノイローゼになるくらいでした。

舅は「ありがとう・ ごちそうさま・いただきます・ こうしてください」

すべて言ったことはありません。食事に呼ぶと黙って座り もくもく食べ

終わるとすーと自分の部屋へ戻り テレビを見ています。

なにか気に入らなければ 大きな声で怒鳴りますから

まともに会話ができません。

笑顔を私たち夫婦に見せることはなく 孫たちが自分の部屋に来るのも嫌がっていましたし

実際にカギをかけていました。

私たちに相談することもなく 家を出たときも 私は何も言いませんし

それどころか 子供たちにお土産やおかずなどもっていかせました。

子供は小学校低学年でしたから 何も思わず「おばあちゃん家に行ってくる」

と遊びに行ってましたから さぞ うっとおしかったでしょうね。

舅たちは出ていったので 私たち家族はそのまま本宅に住んでいました。

でもその本宅は下の義妹に譲るつもりと聞いたときは あんぐり あきれかえりました。

でも義妹は嫁いでいるわけだから 当然長男である主人が

後を継がないといけない(財産なんてありませんから どうでも良かったのですが)

のなら 少しでも家族として暮らした方が良いと思ったのが間違いだったみたいです。

ある日突然 住んでいる私たちに居住権がある  みたいなことを聞いたらしく

帰ると言ってきました。それも舅が黙って家具を持ち帰りだしたのです。

自分の家なのだから好きにすればと思っていたけど 一人で家具を運ぶのは大変なので

主人や娘婿たちに頼んだら と言っても聞く耳もたずで 姑と二人で運んでました、

急いで帰らないと家を乗っ取られると思ったのでしょうかね。。

その 一週間後 姑が他界します。

信じられない舅の不思議な言動はまだまだ続きます。

後日 書きます。。