ASUKのババは日々元気に暮らしたい。

ハンドメイド 作りたいものだけ作る毎日
日々の出来事に愚痴も出てきます。

お友達の誕生日とテレパスアート

2016-11-11 18:48:24 | 日記

今日はお友達の誕生日

お祝いメッセージだけで何もプレゼントを用意していない

彼女は元会社の後輩 年下です。

彼女が入社したときはそれはインパクトがある人でした。

ちょっぴり?小太りで結構派手 大きなお目目なのにアイシャドーばっちり

それが彼女のスタイル いまだに変わっていません。

先日もマニキュアバッチリで「さすがあ、、○○ねえ」と感心

おばさん(特に私)が無難な黒を着るけど彼女はおばさんでも黒は着ません

いつもラメ付き服やネックレスもジャラジャラと、、ピンクや白で派手に、、

好きなブランドで身を固め お買い物大好き それが彼女

たまに黒を着ると「どうしたの?」質問攻め

そんな彼女と地味地味な存在感なしの私が韓ドラで意気投合

丁度「冬ソナ」がNHKで放送していて その話からヨン様にのめりこんだわけです。

彼女がいなかったらそんなに韓ドラに嵌ることはなかったと思います。

彼女の音頭でファンミーティングへGO、、韓国へGO、、パリへGO、、

大阪へ行ったとき さすがの大阪のおばちゃんも彼女には負けてました

みんなの注目の的です。。

もう一人の後輩も仲良くしていますが 彼女大阪出身 ヒョウ柄大好き

でも彼女はヒョウ柄は着ません ピンク系 華やかな花柄系大好き

そんな彼女が私や同僚につけた呼び名○○ri-nu   ○○ジェンヌ ○○は苗字 

彼女自身も○○アンヌと呼んでね と言われ いまだにその名前で呼んでいます。

彼女のパワーはすごいです。年に一度や二度 家族と旅行しています。

買い物目的も半分以上ですから「お金がないわー使い過ぎかしら、、」

なんて笑っています。良きお友達です。

そんな彼女に何か作ろうと引っ張り出したラミネート

デコレクションズさんのです。

でも 私の充電器入れになっちゃた。

内布はなし 

 

さて もう少し姑たちのお話し

下の義妹が少し離れたところに引越ししました。

私たちは舅たちが義妹のところへ行こうと泊まろうと何の問題もありません。

それなのに必ず義妹のところへ行くときは 嘘をついていくのです。

その時逃れ?適当な嘘を言っているのですぐばれます。

西方向のデパートへ行くからと言って出かけたのに 

東方向の義妹の近くのスーパーの名札が付いた買い物品だったり

あちらの方向へ行ったのにこちらから帰ってくるのを目撃したり

それは不思議でした。

そういう時に限って遭遇するのです。

母の日に白のセーターをプレゼントしたのですが 数日後義妹が着ているではありませんか

姑は太っていて 義妹は痩せているのに 澄まして着てくるんです。

少し透かし編みのざっくりした感じなのに 

「私も同じのを買ったわ」「えっ!」となりましたよ

どう見ても姑にあげたものでしょうとそれこそ目がテン

こんな時 姑に問いただすべきか 義妹に聞くべきか 腹がたって葛藤しましたね。

私たちは喧嘩になるだけだからとよけいなことは言いませんでした。

それが悪かったのか 良かったのか確執は永遠続くかと思いましたね。

突然家を出ていって借家を借りたのも 適当な嘘でした。

従兄の家が空いていたので「留守を頼まれた」と言っていましたが

そんなことは言っていないと、、従兄にすれば他人に貸せば家賃が入るから

わざわざ留守番なんか頼むはずもない。。

 

娘が20歳過ぎたごろ 姑はなくなって舅だけですが

同じような毎日が続き 里に帰れば愚痴も出ました。

そんな時 今は尼になった姉が こんな友達がいるからと紹介してくれました。

テレパスアート 魂の似顔絵 名前と生年月日でその人のイメージを

描いてくれるのです。それに姉が申し込んでくれたのです。

そしてこのような絵を描いて送ってくれました。

人相などや家庭事情など全く情報は伝えていません

それなのにこのような絵を描いてくださっているのです。

当然 マスクの男は舅かと思われます。真ん中は私です 不思議なことに鼻の脇に

ほくろがあるのです。涙を出しているのは私 

下の女の子は娘ではないかと思います。

当時の様子を感じとっていただいたのです。

将来の意味も含まれていたみたいですが

当時は生活に追われていて詳しくは説明を聞いていないのです。

私が別ブログからgooburoguに移ったとき 何気に思い出して

 あの絵どうしたかしらと出してきたのです。

丁度20年後です。

この絵の事をもっと詳しく知りたいと出来ればもう一度説明してもらいたいと

ネットで検索しました。

偶然にもgooburoguで活躍されていました。

でも 訪問する勇気が今一つなくて、、

 

主人はいまだに舅の事は敬遠するようなことを言います。

でも いまさら何も覚えていない 自分が悪かったとも思わない

年老いた父をせめてもどうしようもない、

主人こそ昔の事は忘れなさい と言っているのですが。。

 

今は舅は姑の分まで長生きしています。

同居していたころは 海軍の思い出にひたすら走り

戦友会 慰霊祭 と旅行好きな毎日だったのに

今はそれも忘れたかのように のんびりと心穏やかに暮らしています。

いつまでも元気でと思うばかりです。