朝からブログ更新できなくて
気を取り直して!
昨日は一日曇り 寒くてこたつ出そうかと思っていたら
今日は20度超えるらしい
この温度差 体ついていけるかな??
先日作った「主婦のミシン」さんの2ポケットの小物入れ
サイズ違いで作ろうとしたけど最後になっていびつな形になり
全部ほどきました おかげで肩が痛ーい!
またまた我が家の話です。
先日ババ様の死に父が号泣した話を書きましたが
それには、、
ババ様が一年の半分近く留守をするには多少原因があるみたいでした。
家事が苦手な事もわがままな事もあっただろうけど
父に対して負い目があったのではと、、
当然父の足が悪いのはババ様の責任
妊娠中に階段から落ちたのが悪かったのだと聞いたけど
もう一つの説があるみたい。
産まれた時から一生不自由な生活を強いられるわけだから
子供の時はどんな思いをしてきたのだろうかと
当然いじめや屈辱も受けたのだろうと
話の中ではうかがえるが
父もはっきり語らず
長男で、まして足が悪いため好きな道を歩めなかった父の反感
それに対してババ様の罪悪感
母子関係が多少ギクシャクしていたのかもしれません。
父の足は義足をはめないと歩けません
今みたいな高度の技術がなかった時ですから
ロングブーツのあげ底を10センチぐらい高くしたような
リアルな足の形した義足が
お風呂の入ったあと扉の前に立てかけていたのを見るたびに
子供心にドキッとしたものです。
ババ様もたくさんの子供を産んだものの頼りにしないといけない
長男の不幸を目のあたりにするのは心が痛んだのでしょう。
でも弟たちは皆不自由なく大学へ、、
それぞれが幸せな家庭を持ち
ババ様にとってはそれは自慢だったうえに
都会に住む息子たちの生活は
この田舎にはない楽しみがいっぱいあったのでしょう。
そのせいかどうかわかりませんが
私たち兄や姉たちもあまり可愛がってもらった記憶はありません
一緒に暮らした時間が短いような、いまだに楽しかったババ様の思い出はありません
でも帰ってくるとお土産を楽しみにしていましたが
自分のほしいものは戸棚奥に隠して私たちにはくれなかったので
よくこっそり戸棚を除いて何があるか確認して
1個拝借した記憶が(*´∀`)
でも3人がそれぞれしていたらばれてしまいますから
叱られましたけどね、、
ババ様は帰るとチョコチョコ家事の手伝いの真似事をしていましたが
風呂をたくのはジジ様
当時は薪で沸かしていたけど火つけの木がいると言うことで
近くの山 (歩けば結構な距離)にババ様は私を連れ
枯れ木を集め私に背負わせて(自分も多少負い)帰っていました。
(まさに二宮金次郎?本は持ってませんけど)
荷物持ちと病弱なババ様の付き添いで私は度々お供に連れていかれましたが
これも父は止めるように言うけど
言う事聞かず細い体でてくてく歩いていくのです。
ジジ様はそんなことはしませんでした。
一日 自分の役割(したい事)をすると
ラジオを聞きながら将棋を指していました。
ババ様がいないときはそのそばで私もラジオを聞いたものです。
でも漫才や落語や歌謡曲
年よりくさいものばかりでしたが(*´∀`)
ババ様は近くの公民館に来る時代劇映画などを楽しみにしていたので
夜道が危ないと言うことで私を連れ見に行っていました。
私もそれは楽しみにしていましたし
ご近所さんたちと楽しいひと時でした。
おかげでジジ様やババ様に育てられたわけでもないのに
漫才や落語や時代劇に詳しい小学生でした。