ASUKのババは日々元気に暮らしたい。

ハンドメイド 作りたいものだけ作る毎日
日々の出来事に愚痴も出てきます。

良かった!嬉しいね、、

2019-11-25 13:37:15 | ハンドメイド

朝から 昼頃から やはりお日様が良い

 

渋野日向子さんおめでとう!

「涙の逆転V「先週の予選落ちが無駄じゃなかった!」

主人がゴルフ好きでも私はあまり興味なく熱く語る主人に

いつも生返事で答えていましたが

昨日の渋野さんは応援していました。

やはり彼女は凄い!

 

大阪の女児も 無事帰ってきました。

勇気出して逃げてきて良かった!良かった!

 

 

 

 

先日失敗したポーチ 自己流にやり直しました。

ダイソーの100円生地です。

 本を参考にするもいつも脱線して型どおりにしない私は

いつも違う形になる(*´∀`)

お薬手帳サイズにしました

診察券も保険証も入ります。

ポケットを取り付けたのですが出しやすいように少し差をつけて、、

 

昔 母は家でミシン仕事をしていて内職や子供の服など

いつも縫っている後ろ姿を眺めていました。

幼稚園の頃など生地があれば作ってくれました

それが母のオリジナルでみんなと違った洋服がちょっとうれしかったんです。

それが影響してかどうか

私もいまだにちょっと個性的なデザインが好きなのですが

さすがにこの年では似合わないので

買いませんが雑誌を見るたび自分を想像しています。

 

 

 

 

 


祖父と祖母 その2

2019-11-23 13:28:48 | 日記

朝からブログ更新できなくて

気を取り直して!

昨日は一日曇り 寒くてこたつ出そうかと思っていたら

今日は20度超えるらしい                        

この温度差 体ついていけるかな??

 先日作った「主婦のミシン」さんの2ポケットの小物入れ

サイズ違いで作ろうとしたけど最後になっていびつな形になり

全部ほどきました おかげで肩が痛ーい!

 

またまた我が家の話です。

先日ババ様の死に父が号泣した話を書きましたが

それには、、

ババ様が一年の半分近く留守をするには多少原因があるみたいでした。

家事が苦手な事もわがままな事もあっただろうけど

父に対して負い目があったのではと、、

当然父の足が悪いのはババ様の責任

妊娠中に階段から落ちたのが悪かったのだと聞いたけど

もう一つの説があるみたい。

産まれた時から一生不自由な生活を強いられるわけだから

子供の時はどんな思いをしてきたのだろうかと

当然いじめや屈辱も受けたのだろうと

話の中ではうかがえるが

父もはっきり語らず


長男で、まして足が悪いため好きな道を歩めなかった父の反感 

それに対してババ様の罪悪感 

母子関係が多少ギクシャクしていたのかもしれません。

 父の足は義足をはめないと歩けません 

今みたいな高度の技術がなかった時ですから

ロングブーツのあげ底を10センチぐらい高くしたような

リアルな足の形した義足が

お風呂の入ったあと扉の前に立てかけていたのを見るたびに

子供心にドキッとしたものです。

 

ババ様もたくさんの子供を産んだものの頼りにしないといけない

長男の不幸を目のあたりにするのは心が痛んだのでしょう。

でも弟たちは皆不自由なく大学へ、、

それぞれが幸せな家庭を持ち

ババ様にとってはそれは自慢だったうえに

都会に住む息子たちの生活は

この田舎にはない楽しみがいっぱいあったのでしょう。

そのせいかどうかわかりませんが

私たち兄や姉たちもあまり可愛がってもらった記憶はありません

一緒に暮らした時間が短いような、いまだに楽しかったババ様の思い出はありません

でも帰ってくるとお土産を楽しみにしていましたが

自分のほしいものは戸棚奥に隠して私たちにはくれなかったので

よくこっそり戸棚を除いて何があるか確認して

1個拝借した記憶が(*´∀`)

でも3人がそれぞれしていたらばれてしまいますから

叱られましたけどね、、


 ババ様は帰るとチョコチョコ家事の手伝いの真似事をしていましたが

風呂をたくのはジジ様 

当時は薪で沸かしていたけど火つけの木がいると言うことで

近くの山 (歩けば結構な距離)にババ様は私を連れ

枯れ木を集め私に背負わせて(自分も多少負い)帰っていました。

(まさに二宮金次郎?本は持ってませんけど)

荷物持ちと病弱なババ様の付き添いで私は度々お供に連れていかれましたが

これも父は止めるように言うけど

言う事聞かず細い体でてくてく歩いていくのです。

ジジ様はそんなことはしませんでした。

一日 自分の役割(したい事)をすると

ラジオを聞きながら将棋を指していました。

ババ様がいないときはそのそばで私もラジオを聞いたものです。

でも漫才や落語や歌謡曲

年よりくさいものばかりでしたが(*´∀`)

 

ババ様は近くの公民館に来る時代劇映画などを楽しみにしていたので

夜道が危ないと言うことで私を連れ見に行っていました。

私もそれは楽しみにしていましたし

ご近所さんたちと楽しいひと時でした。

 

おかげでジジ様やババ様に育てられたわけでもないのに

漫才や落語や時代劇に詳しい小学生でした。

 

 


祖父と祖母

2019-11-20 14:08:29 | 日記

  肌寒い一日です。

 

我が家 朝から多重放送で鳴り響いていました。

 

右の耳には意志の疎通がうまくいっていなかって主人の怒り声と

左は主人の部屋でラジオが大音響で鳴り響いてにぎやかな朝です。

 

大した事ではないんですけどね なんでもオーバーに騒ぐのが主人

もう慣れっこみたいなもんで 「へーえ?」とうまくはぐらかして台所へ、、、

 

 

「スカーレット」父 よくちゃぶ台をひっくり返すシーン

私も父がたまにひっくり返した話を姉や母からよく聞きました。

(実際には私はあまり覚えがない)

どこの家でも 男の威厳が通らないとこのような結果に

 

私の祖父 ジジ様も結構頑固者

警察官を辞めて役所(役場?)にお勤め

 祖母との間に8人(一人は早くに亡くなった)もの子供がいても良く喧嘩してました。

ババ様は何もしないので(子育てはしたんでしょうけど)

ジジ様が自分の部屋は はたきをかけて掃き掃除してました。

後はいつも母任せ 苦労は何倍も母にのしかかってきました。

あっぱれな事は 父の弟たち皆イケメンぞろい

( 一人だけ祖父似  後は祖母似 )

皆やせ形で身長もあり 足の悪い父でも結構身長があり写真も様になっていました。

ババさまも小さい方ではないので 良いとこだけのDNAを受け継いだのか

大手会社に勤務したり警察官だったり教師だったり会社経営だったり

自慢の息子たちみたいでした。

ジジ様が役所を退職して(理由は、、、?)

自分で資料を取り寄せ研究して

レンガ作りの窯を作り(自分で作ったという話)

パンを焼きだしました。

パン屋営業です。

田舎ですからしゃれたパン屋なんてありませんから

今風のパンでなくても結構人気があったみたいで

法事とか葬式にはパンを大量にお供えして後で

参列者はもらって帰る風習だったのでよけいに重宝がられたのです。

 

父はもちろん母までが私を負ぶって自転車で配達に行ったり

その帰りに

パンを食べたのが美味しかったと良く言ってました。

それだけジジ様には才覚があったのでしょうけど

ジジ様のワンマンぶりに母の苦労があります。

でも材料調達が困難になってきて廃業せざるを得ませんでした。

あとあとまで窯が残っていたので私は覚えています。

 

ババ様は息子たちが一人前になると

一年の半分は息子たちの家を順番に回って

ほとんど家にはいませんでした。

(心臓が弱いと言いながらも元気でしたね。)

父の姉は田舎に嫁いでいるのでババ様は興味がなかったみたいで

いつも息子たちの家

大阪、名古屋 に行っておりました。

特に末息子(例のバカ息子)を可愛がっていたのです

ババ様がいないのにも慣れた頃

帰ってきます。

約半年近くです。

それぞれにお小遣いもらっておなかタップリに帰ってきます。

そしてジジ様とのバトルに疲れた頃またまた息子たちのところへ、、

 

 

ジジ様はラジオが大好き

漫才や音楽をよく聞いていました。

近所のおじさんと将棋を指しながら

一日が過ぎていました。

 

ババ様がいなくても退屈しなかったみたいで、、(*´∀`)

 

でもババ様の懐には

父の名前と住所が書いてあるメモが入っていて

 

「もし 私が行き倒れになっていたら ここに連絡してください

お世話になります。」と書かれていたそうです。

 

いつどうなるか自分ではわからないけど

最後は父を頼りにしていたんですね

 

例の出張からお帰りなってひと月後くらいに

我が家の布団の上で亡くなりました。

 

 

その後ババ様の遺品の整理していて

メモを見つけた父は号泣したそうです。

 

やはり母ですから、、

 

 

 

 

 

 

 


ちょっと辛口だけど(-_-;)

2019-11-16 09:19:57 | ハンドメイド

  寒かったですね。

一気に冬支度に入るわが夫婦です。

 

今 朝ドラ「スカーレット」見てますが 全然嵌りません!

(見なければいいんですが(-_-;))

今まで朝ドラ見る機会がなく 今回で何作目かな?と言うぐらいですが

今回のヒロイン  ザッおばさん? 

ドラマの背景は 1959年に貴美子21歳 と言うことは わたしよりはるか上だけど

15歳で大阪に行った時でもどう見ても初々しさがない!

(前回のなっちゃんが可愛すぎた?)

おさげ髪もあまり可愛くなかったし(ファンの方ごめんなさい!)

今までの朝ドラのヒロインより一番上?

朝ドラのヒロインって初々しさが残っている人がだんだんと成長して

大人の女優へと活躍していくイメージでしたが

彼女 早くに登場しすぎたかな 21歳の時でも良かったんじゃない?

 

父親のジョー? 飲んだくれの父親 どうも好かん!

女がは学問が入らん?子供の意見無視 働いている大阪まで行ってお金前借り?

借金してまで酒飲むな! 最低! と突っ込みながらみていますが(-_-;)

 

時代は少々違うけど 田舎の風景 どこも同じようなもので

 私の子供時代と重ねて見た。

 

 

我が家は

私が幼稚園に入るころには父の弟たちはすでに一人立ちして誰もいませんでした。

祖父母と両親 私たち兄弟三人と7人暮らし

祖父と祖母は政略結婚 

祖父は村長の息子 祖母も地主の娘

祖父は警察官になり転勤生活

 その当時には珍しく大柄で どこにいても目立つような体格でした。

祖母はお嬢様 細くてひ弱な感じで何にもしない人なのに

8人も産みました。

父には上に姉がいて 早々にお嫁に行き

一番下にも女の子がいたそうですが産まれてすぐになくなったそうです。

現在の地で警察官を辞め土地を買い永住することにしたのです。

父は生まれつき足が悪かったのです。

(祖母のおなかにいたとき階段から落ちたらしい)

健常者となんら変わりのない生活でしたが

やはり長男であることで自分の進みたいと思う事もままならず

ひたすら弟たちの面倒を見てきたことになります。

これはどこにもあるある長男 長女の宿命?

 

そして祖父はね、、、、

 

この続きは次回に、、、なんて

波乱万丈な我が家でした。

 

 

本当はこれ!

「主婦のミシン」さんの本の中から

2つポケットが気になって

どんな作り方かな?と思って

 

はぎれをパッチしていたのがどんぴしゃり合って

作り方簡単でした。

 

 

 

 

 

 

 


ウナギ焼きました。

2019-11-10 13:05:56 | 日記

今日はわが町のマラソン大会 沢山の人が賑わっています。

チョコチョコ出て応援してます。

 

そして午後からは天皇陛下の即位パレード

これも見なくてはと早めに買い物も済ませ

これからTVの前に、、、

 

その前に昨日娘が捕れたてのウナギを持ってきてくれたので

焼きました。

 

主人 お店の○○産のウナギは食べないので(国産だと書いてあっても)

高い割には美味しくないと言ってます。

 

 

時期的に脂ののりが少ないようですが 上手に焼けたでしょうか(*´∀`)

久し振りです

夕飯に頂きます。