ASUKのババは日々元気に暮らしたい。

ハンドメイド 作りたいものだけ作る毎日
日々の出来事に愚痴も出てきます。

嫁姑物語 昨日の続きです。

2016-11-08 18:57:48 | 日記

今日は車の点検 車検まであと半月 オイルエレメント交換

わざわざ連絡くれたのでいかないわけにはいかない。

私の愛車 14年目 でも70000キロ走っていないので

全然買い替える気はありません(買えないの)

それなのに 査定させてください と言われ(新人営業マンの必須科目らしい)

別に減るもんでもなしどうぞどうぞと言ったものの 想像していた通り(あたりまえ)

なんと 30000円! と書くと少しは多いように見えるけど

3万円です。だってディラーさんも褒めるぐらいきれいなのに価値はなし

わかっていましたけど実際に聞いてみるとショックです。

いつまで運転できるかわからないけど生活には必要

でも 息子が一台 主人が一台 計3台の維持費を払っているんですから

税金 車検が来るたび頭が痛い我が家の家計事情

まして重量税が高くなるとわかっても乗りつぶしたい愛車

今新車(買えませんが)を買ったところで ある日突然認知症になったりすると

もったいない。何も聞いていないのにローンを勧められたけど

軽四でも200万円ぐらいするのに現金払い?年金生活者がどうやってローンを組むの?

等々聞いたけど 今の愛車で満足ですから と さっさと帰ってきました。

 

昨日の愚痴 見ていただいたかしら。。(我が家の恥かもしれないけど)

今はこうやって姑たちの思いを書いているけど

恨みつらみは 姑が他界した時点で消えるんですね 今まで泣いたことなど、、

今までの事 本当に一冊の本ができるぐらいの出来事があるのです。

分厚ーい本です 誰にも言えなかったことを 主人と二人で耐えたこと

何だか書きたくなったのです。

只 私に落ち度がなかったとは言いません 私も若かったので

気が付かない点 長男の嫁としての自覚がなかったかもしれませんが

私なりに頑張ったつもりです。

舅は今96才 元気でデイサービスに通っています。

実母と同じくらいです。

今は一番気の合う義妹のとこで暮していますから 今の私は楽させてもらっています。

同居していたときは ほんとノイローゼになるくらいでした。

舅は「ありがとう・ ごちそうさま・いただきます・ こうしてください」

すべて言ったことはありません。食事に呼ぶと黙って座り もくもく食べ

終わるとすーと自分の部屋へ戻り テレビを見ています。

なにか気に入らなければ 大きな声で怒鳴りますから

まともに会話ができません。

笑顔を私たち夫婦に見せることはなく 孫たちが自分の部屋に来るのも嫌がっていましたし

実際にカギをかけていました。

私たちに相談することもなく 家を出たときも 私は何も言いませんし

それどころか 子供たちにお土産やおかずなどもっていかせました。

子供は小学校低学年でしたから 何も思わず「おばあちゃん家に行ってくる」

と遊びに行ってましたから さぞ うっとおしかったでしょうね。

舅たちは出ていったので 私たち家族はそのまま本宅に住んでいました。

でもその本宅は下の義妹に譲るつもりと聞いたときは あんぐり あきれかえりました。

でも義妹は嫁いでいるわけだから 当然長男である主人が

後を継がないといけない(財産なんてありませんから どうでも良かったのですが)

のなら 少しでも家族として暮らした方が良いと思ったのが間違いだったみたいです。

ある日突然 住んでいる私たちに居住権がある  みたいなことを聞いたらしく

帰ると言ってきました。それも舅が黙って家具を持ち帰りだしたのです。

自分の家なのだから好きにすればと思っていたけど 一人で家具を運ぶのは大変なので

主人や娘婿たちに頼んだら と言っても聞く耳もたずで 姑と二人で運んでました、

急いで帰らないと家を乗っ取られると思ったのでしょうかね。。

その 一週間後 姑が他界します。

信じられない舅の不思議な言動はまだまだ続きます。

後日 書きます。。