四谷三丁目すし処のがみ・毎日のおしながき

新子・新イカ大きくなってきました。生すじこ粒がまだ小さいですが入ってきました。イクラは生しか扱いません。秋と冬だけです。

おかみノート2 五つの“り”~トライ

2004-11-23 00:00:10 | おかみノート2

おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。


五つの“り”

付き合い始めて間もない頃、主人がデートの途中でクイズを出してきた。
「寿司屋にあるものの中で、おしりに “り” がつくタダのものが五つあります。さて、それはなんでしょう?」
「え-と、おしぼり、ガリ、・・あがり、かな」
そこまではすぐに答えられた。
「正解。あとふたつは難しいから出てこないと思う」
主人は得意気に言った。
あとは何だろう・・しばらく考えていたらパッと言葉が浮かんだ。
「煮切り」
と答えた。
正解だった。主人はものすごくビックリしていた。
食への興味から“煮切り”という言葉がなんとなく頭にあったのだろう。
今思えば小さい頃から食に関する興味がものすごくあった。
私は『美味しんぼ』も『将太の寿司』も遡れば三十年前、同居していた叔父が持っていた『包丁人味平』だって、こっそり叔父の部屋から持ち出しては読んでいた。
それに小学校、中学校と、給食の予定表を一ヶ月分配られると嬉しくて穴が開くくらい繰り返し見ていたので自然と頭に入ってしまって、となりの席の男子が三時間目か四時間目に「亀田、今日のメニュー何?」
と訊いてくるから「ソフト麺、カレースープ、牛乳、マーガリン、黒糖パン、メルルーサのフライだよ」などと答えたりしていた。
しかしこの記憶力が他の分野に応用されることはなかった。
煮切り醤油がどんな風に作られているのかは知らなかったけれど、四つまではなんとか出た。
あとひとつ。り、り、り。・・う~んわからない。降参した。
「答えはね、テッカリ」
「テッカリって何?」
「マッチのこと。今の時代だとライターもそういうのかな」
マッチがテッカリ。そのとき初めて知った。

かめの手
お客様にお通しが出された。
何やらごつごつしたものが小鉢にいくつか入っていた。主人がお客様に言った。
「亀の手です。煮てありますので、中身を吸うように召し上がってください」
亀の手…。確かによく見ると胴体から切り離された手足の部分は分厚い薄茶色の皮膚で覆われていて中の身が白く詰まって見え、爪は幾重にも分れ鋭く尖っていた。
そうか。アオヤギは浜でむかれて小柱と身に分けられて出荷されると聞く。シャコは釜茹した後、身と爪に分けられて出荷される。
ならば亀も胴体はぶつ切り、手は余ったから手だけで出荷、そんなこともあり得るのかなと悲しいけれど思った。
でも旧姓が亀田だっただけに亀の手がバツンバツンと切られてわんさかあるのを見るのは辛い。
手を無理矢理ぎゅ~っと出してから切られるのだろうか。スッポンの首を斬るみたいに、生きている状態で手足を切って血抜きをするのだろうか。
それにしても主人も主人だ。私が“カメちゃん”と呼ばれていたのを知っているのに山盛りのぶった切った手や足を平然とした顔で煮るか?
あまりにむごいじゃないか・・
涙が溢れてきそうになったので慌てて裏に引っ込んだ。ティッシュで目を押さえたものの充血は押さえきれない。店に出たらお客様に言われた。
「あれ、泣いてる。何で?」
「だって、亀が・・・亀が・・足切られちゃて・・」
「亀の手のこと?」
お客さんの問いかけにうなずいた。すると主人が言った。
「これ本当の亀じゃないよ、貝だよ貝!フジツボみたいなやつ」
マジで・・亀じゃないんだ。腰が抜けそうになった。
亀じゃないからいいってもんでもないが、正直ほっとした。
家に帰ってからインターネットで『亀の手』を調べたら岩の隙間に生息するフジツボに近い仲間で、その形から“鷹の爪”とか“烏帽子貝”と呼ばれたりするものだということがわかった。
何も泣くことはない、と後で思った。

カウントダウン
「お話があるんですけど、お時間もらえますか」
お正月明け、事業所全体の朝礼が終わってエレベーターや階段を使ってそれぞれのフロアーに人が戻り始めた時を見計らって課長に声を掛けた。
「・・ほな朝礼が終わったらでええか?」
「はい」
縦長に並べられたデスクの先端が課長席、その両脇に七~八人ずつが並び、連絡事項を聞いている。来年の展示会のことや来月の発注会のことを話している声がなんとなく聞こえていた。手帳は開いてはいたけれどシャーペンを走らせる気にもならず、じっと立っていた。

「・・で、辞めてどうすんの」
ブースで向かい合った課長は私の目を見て言った。
「いずれは主人と寿司屋をやる予定ですが、まだまだなので私は夜中から早朝まで築地で帳簿付けか販売のアルバイトをなんとかして見つけて、夕方から夜は大きい寿司屋かホテルの和食の仲居さんをやって女将修行をしようと思います」
OLとしてやりたいことをたくさんやらせてもらった会社にひたすら感謝するばかりだ。
そして、いずれ主人が出す寿司屋を手伝うんだ。
・・二、三年、いや五年くらい先になるのだろうか。

ホテル海洋の寿司屋『有明』を辞めて次の勤め先を探し始めたのは、私が会社を辞めることを上司に打ち明けたすぐあとのことだった。
求人誌に載っていた某有名寿司店の面接を受けに行った主人は帰ってくるなり私に言った。
「俺、もう自分で店やるわ。決めたから」
そこの店主が望む人材は主人ではなかったそうだ。十代後半のまだ色の付いていない若い子か、あるいは二十代後半から三十代前半のお客さんをごっそりその店に引っ張れる実力のある板前かどちらかだということだった。
「こちらのお店は客単価どれくらいなんですか」
主人が訊いたら「酒抜きで二万~三万」と返ってきたそうだ。
合否の連絡は後日ということで帰ってきた主人だったがもう腹は決めていたらしい。そんな高い値段を取る位なら、自分で納得のいくものを仕入れて自分がしたいと思う仕込みをやって、なんとか店を続けていけるくらいの値段設定にしてそれでやっていければ一番いい、だから俺はやると一気に喋った。
「えっ、今すぐなんて出来ないんじゃないの」
「大丈夫だよ、なんとかなるって。そうだ親父に電話するわ」
「え!もうするの?」
「親父は息子の店の立ち上げをを手伝うのが夢だったんだ。病院にも先に話をしておいて一時的にでも退院の手続きをとってからじゃないと応援に来れないからこういうことは早いほうがいいんだって」
受話器を取ろうとしたら電話が鳴った。
「はい、もしもし・・・あ、はい私ですが・・そうですか。はい、はい、あー・・もう自分で店やりますんで結構です。はい失礼します」
「誰?」
「今日面接してきたところ。自分の店では要らないけど知り合いの店で人を探してるからどうだって言うから、“自分でやる”って言ってやったよ。なんか面食らってたよ、ははは。そうだ、親父に電話」
亥年の主人の暴走を止められるわけもなく、ただ呆然と電話で報告しているところを見ていた。

ハードル
三度目の都庁は行き慣れたものだった。
午後有休を取ってすぐ新宿へ向かう。バスターミナルの地下にある“新宿の目”で主人と待ち合わせをし、動く歩道を歩きながら今日のスケジュールを打ち合わせた。
「書類の審査のOKをもらって、信用保証協会に行って、時間が間に合えば不動産屋さんに行って物件を見る、と」
なんとか保証人無しで借りられる公的融資機関はないかと探して見つけたのが東京都の創業支援融資制度だった。物件も絞り込んであり、あとは資金が調達できるかどうかだけなのだが・・
信頼できる内装業者さんのスケジュールを考えると、今日どうしても信用保証協会に行かねばならないタイミングだった。でもその前にここでお墨付きをもらわなければ。書類を出しているこの課でOKが出たら保証協会へ、というようなことがパンフレットだかチラシだかに書いてあったような記憶があったからだ。
エレベーターでいつものフロアーへ行き、経済企画課の窓口で順番を待つ。
布張りのベンチシートに腰掛けてクリアファイルに入れた事業計画書をもう一度ざっと読み直してみる。完璧だ・・。出来ることは全てやった。
この二週間、仕事の引き継ぎや送別会のスケジュールの合間を縫ってウンウン唸りながら解らない書類の欄をひとつずつ埋めてきた。

「はい、次どうぞ」
窓口担当の六十代らしき男性は前回に引き続き同じ人だった。
「うーん・・この補足事項の動機の欄が弱いかなー・・」
「具体的にどう弱いんでしょうか」
「・・・まぁなんと言ったらいいのかなぁ。あとね、この設備ね。見積もりと実際にかかった金額の差があると問題だけど大丈夫?」
「大丈夫だと思いますけど」
「あ、そう。・・売上高・・・・。うーん、この通りに売り上げいくのかなぁ」
「あの、前回も同じことを言われたので、わからないなりにランチと、夜と、それぞれの売り上げを積み上げて出した数字なんですけど」
「だからこれだけコンスタントにいくのかわかんないでしょ?」
「・・はぁ、まぁそう言われればそうですけど」
「ほら、わかんないじゃない。じゃダメだ」
私はついにキレた。
「これはあくまでも予想ですよ。しかも低めに売上設定してるじゃないですか。坪数から客席数割り出して回転率も出して計算しましたよ。それにですね、創業なんだからしょうがないじゃないですか。既に営業していて内装費が足りないとかで借りるんなら売上実績ってもんが出せるんでしょうけど初めてなんだから想像でやるしかないじゃないですか。それにここはそういうわかんない人のために相談窓口やってるんじゃないんですか?」
「・・・だから、この書類のままじゃ信用保証協会からOKが下りるかどうかわかりませんよって私は言ってるんです」
しばらく睨み合っていた。すると主人が言った。
「どうもありがとうございました。失礼します」
開いていた書類をカバンに入れ始めた。
担当の人は憮然として自分の席に行ってしまった。
私は小声で訊ねた。
「え?ここでOKもらわなくていいの」
「ここはあくまでも相談だけだから。もう埒が明かないから信用保証協会に直接持って行こう。不備があったらそこで訊いた方が早いよ。今から行こう」

数分間が長く感じられた。
都庁から興奮を引きずったまま有楽町の保証協会で、自分たちの店に対する想いを熱く語った。あとは結果を待つだけだ。担当の人は「十分くらいください」と言って奥に引っ込んでしまった。私は独り言のように言った。
「まぁ、今回ダメでも再挑戦しようよ。どこがネックだったか訊いてさ」
書類を提出しては否定される、ということを繰り返したためにどうも後ろ向きな思考グセがついてしまい、なかなか抜けなかった。まだ五分くらいしか経っていないのに担当の人が小走りで戻ってきた。
「あのー・・ですね。保証協会としましては、野上さんのご希望額全額OKということで金融機関に書類をお出しします」
「うぇぇぇえぇ?OK・・なんですか!!」
とてもじゃないけれど信じられなかった。
「はい。あ、ただ、ですね、これ売り上げシミュレーションとか、仕入れ原価とかの細か過ぎる数字は必要ないですね。もっと大まかなものでいいんですよ。だから借り入れご希望額も・・ふっ、真面目なんですねぇ、何千円単位まで書かれてますけど、普通の人は何百万単位、せいぜい何十万単位ですよ。でも借りられると思うと必要もないのに多めに借り過ぎてしまうものなんです。せっかく野上さんは細かく必要なだけの数字を出しているわけだから・・まぁ何万円単位のところまでに直しておきましょう」
都庁の人のアドバイスが結果的に好印象に繋がったようだった。このことは感謝しておこう。
「あ、でもですね、あくまでもうちが出来るのは “野上啓三さんはこの額なら借りてもきちんと返せる人ですよ”と後ろ盾をするだけで、直接融資をするのは銀行とか信用金庫なんかの金融関係ですから」
OKが出た書類を持って今度はどこからお金を借りたらいいのか、それがわからなかった。

アタック
金融機関Aの中に入るのは初めてだった。
一度も口座を作ったことのない人間にお金を貸してくれるとは思えない。
入口まで来たものの、門前払いされる自分たちを想像して一歩を踏み出せなかった。
「どうする?頼んでも断られるよねきっと」
「だよな。やっぱりBの方にするか」
金融機関Bは今までずっと使っていた口座があるところで、貸してくれるかどうかは判らないけれど門前払いの可能性は薄く、行きやすいといえば行きやすかった。
「でもさ、Aが第一希望なんだからダメもとで行かないと」
「だよな」
Aは中小企業に優しいのだと聞いていた。行かずして諦めるのはいやだ。
道路際、二人してぐずぐずしているとセンサーが反応し、自動ドアが開いてしまった。
覚悟を決めた私たちは二階の融資相談窓口に乗り込んで行った。

黒い革張りのソファーは沈み込むタイプで、気を許すと偉そうな座り方になってしまうのでかなり浅めに腰掛けて背筋を伸ばしていた。
「こちらでの実績がその・・全然ないんですよね?」
「はい」
「一度も通帳を作ったことがない、と」
「はい」
担当の人の表情はお金を貸す貸さないの判断で悩んでいるというよりは、100%貸せないけれどそのことを私たちにどう説明しようか思案している、そんな感じに見えた。
「やろうとなさっていることは分りました。で、お返事はですね。おそらく無理だと思っていてください。その・・いきなりいらっしゃって“貸して下さい”“はい、どうぞ”と、そういうわけにはいきませんのでね。それは解って頂けますよね?」
「はい。でもあの、可能性はゼロではない、ということですか?」
主人が言った。
「えー、まぁ、そうですね。今度の金曜日に融資対象の懸案事項を話し合う会議があるので、そこで野上さんのお話を出そうと思います。この書類一式は私の方でお預かりしておきますので。・・でも、多分、いやほとんど可能性がないと、そのくらいに思って、ほんと、あまり期待しないでくださいね」
担当の人が言い終えてガラスのテーブルに広げたいくつもの書類をまとめようと手を伸ばした時、主人が言った。
「これだけは言わせて下さい!やる前からこんなこと言っていいのか判りませんがもし融資をして頂いて万が一店が潰れたとしても夫婦別々に働いて必ず期日通りにきっちり返していきます。マグロ漁船に一年間乗ってくる覚悟でいます。・・それと今回のお返事がダメだったとして別のところから融資をして頂いたとしても、末永くAさんとお付き合いをさせて頂きたいので今後とも宜しくお願いしますッ!!」
深々と頭を下げた。こんな勢いで話す主人は見たことがなく、本気で店をやりたいんだと思い泣きそうになった。
「・・わかりました。では、会議の結果は二週間くらい後になりますので」
「え!二週間ですか!」
今度は私が叫んだ。不動産、内装関係、ともに二週間後に返事をしなければならず、ノーの場合は間に合わない。わがままを承知で訊ねた。
「もうちょっと早くなりませんか」
「無理ですね。審査がありますので急いでも・・十日後かな」
沈黙してしまった。すると担当の人が言った。
「あの、もし会議でOKが出たとしても全額じゃないかもしれません。余計なことかもしれませんが、この自己資金の欄に書いてあるBさんにはもう行かれたんですか?」
「いえ!行ってません。こちらでどうしてもお願いしたいので」
「ああ、そうですか。・・んー・・なんと言ったらいいか・・・Bさんに行った方がいいと思うんですよ。私はお二人とこうしてお話をさせてもらったので会議で出来る限り推してみようと思ってますけど、複数の人間で決めますのでね・・今この書類をコピーして原紙をお返ししますから、ぜひこのままBさんに行かれた方が絶対いいです」
・・・やっぱりミラクルなことは起こらない。
大型クリップで留まった書類の束を持って、少し悲しい気持ちになりながらでも気持ちを切り替えてBに向かった。

トライ
三月の福島はまだ寒いと主人から電話があった。
金融機関Bに行った翌日「しばらく実家に帰る」と言って主人は新幹線に乗って帰省してしまった。
入院している義父のお見舞いと出店準備の進行状況を説明しに行ったのだ。こういうタイミングを見つけないと職業柄なかなかゆっくり実家に帰ることができない。
Bからの返事は【預金額と同額までは即融資可】だった。ただし他の金融機関からの借り入れが無い状態で、というものだった。
預金額と同額では足りない。主人の決断はAから全額借りられなければ出店しない、だった。
私はなんとかして店を出したかった。主人の父は息子の独立話を喜び、一時退院に向けて日々の苦しい食事療法に励んでいるとのことだった。
「いつまでも雇われてねぇでテメェでやっちまえ」と、義父はいつも言い続けていた。
やる気になった気持ちの波を逃すと今度はいつ店を立ち上げる話になるのか。お互いが別々に勤め始めたら、数年先になるのはわかっていた。
だったら無理をしてでも店を出して、ダメだったらその時また考えて・・と思っていた。
主人の実家の辺りでも“啓三が店を出すそうだ”と話題になっていたし、私も職場で聞かれれば“辞めるのは主人の店を手伝うため”と答えていた。
今までは言葉に出して自分を追い込んでいくことをなんとも思っていなかった。
しかしだんだん話が拡がっていき、自分が考えてもみないところから期待の声がかかるようになってくると“やっぱりダメでした”とは言い出しにくくなってくる。
途中まで力添えをしてきてくれた沢山の人に迷惑がかかると思うと、どんどん落ち込んで、悪い方に悪い方に考えがいってしまう。 
Aからの返事に全てをかけたやり方が果たしてあっているのか、それすら不安になってきていた。

金曜日の朝、総務課の人に声を掛けられた。
今度の月曜日、朝礼でする退社の挨拶を考えておいてくれと言われた。
四月一日付の転勤者と一緒にやるから全員が揃う三月最後の月曜に、ということだった。私はまだ辞める理由が“寿司店をやるから辞める”なのか“一身上の都合で辞める”なのか決まっていなかった。

その日の夜は本社から出張に来ていた人を交えて数人で食事をした。
ホテルに泊まる本社の人と帰り道が同じ方向だったので、市ヶ谷で降りて麹町に向かって歩きながら出店準備の状況を話した。
今日の夜がAの融資OKか否かの返事のタイムリミットだということ、この時間で福島から自宅に戻ってきているであろう主人から何の連絡もないということはやっぱりダメで、四月から新しく様々なバイトを探す生活になるかもしれないということ。酔っていたのも手伝って、ものすごく饒舌になっていた。
「・・・ちょっと、野上さん、野上さん!なんか鳴ってますよ」 
一緒に歩いていた後輩の男性が言った。
興奮してカバンの中のPHSが鳴っていたことに気が付いていなかった。
急いで見ると “Pメールガトドキマシタ” とある。主人からだ。そして
 “A ハ ユウシOK!!” と画面に出た。
「・・ギャーッ!やったぁぁぁぁぁっ」
その男性との挨拶もそこそこに、大妻通りから一本うらの急な坂道を一気に駆け下りて行った。
帰ると玄関に主人が立っていた。
「全額?ほんと?ほんとにOK?」
主人はうんうんと頷いた。
「会議が長引いて返事が今になっちゃったんだって」
「やったね!やったね!!私たち、・・・ほんとにやったね」
飛び跳ねながら、Pメールのメッセージはずっと消去しないでおこうと思った。

火曜日の午前中、半日有休をもらってBの相談窓口に行った。
二週間ほど前、名刺を貰った担当の人は私たちを見るなり爽やかな笑顔で迎えてくれた。非常に気まずかった。電話でお断りの返事をしようかとも考えた。でも、自分たちがもし逆の立場だったら・・。借りるお願いの時だけ直接来てしかも返事を保留にしておいて、他の金融機関が貸してくれると決まったから電話でお手軽にキャンセル・・というのはあまり気分のいいものではない。
もしイヤミのひとつでも言われたとしてもそれは自分たちのした結果なのだからちゃんと受けようと思った。
「先日の件ですよね。すぐにでもお話を詰めましょうか、さっ、こちらにどうぞ」
私たちより四~五歳若そうな紺のスーツに白いワイシャツが似合う担当の人はしっかりと向き合い、万全の準備ですといった感じになった。主人が言った。
「あの、実はAさんで融資が決まりまして、今日はお断りのご挨拶に来ました。申し訳ありません!」
二人で深々と頭を下げた。すると担当の人は少し驚いたようで、でもすぐに
「あー・・そうですかー・・・・あ、でもそれはよかったなぁ。いや実はですね、あのあともう一度書類をじっくり見させて頂きましたらね、預金額まではすぐ出るんですけど、そのあとお店だといろいろ修繕だとか、リフォームだとかで途中でまたお借り入れ・・ってことになる場合があるんですね。そうなると私どもですとなかなか対応出来ないんで、もし、野上さんがAさんでお借りになることが可能だったら、その方がいいんじゃないのかなぁー・・と、思っとったところなんですよ。いや、正直ホッと致しました」
と言ってくれた。そして
「そんな、Aさんに決まったんならお電話でもよかったのに、そんなわざわざ来て頂いて・・」
と私たちの目をじっと見ながら話してくれた。腹を割って話して本当によかったと思った。今回はご縁がなかったけれどまたいつか助けてもらうかもしれない。
すっきりした気持ちでBをあとにした。

一月から動き始めて約三ヶ月。
不動産屋さん、金融関係の方・・一体どのくらいたくさんの方々と出逢ってこの話を聞いてもらってきたのだろう。
でもまだスタートラインに立てたばかり。これからもっと知らない人と知り合い、新しい世界が拡がるのだ。もう後戻りは出来ない。
前へ進むのだ――――――!!!!!!

 


おかみノート1 醤油差しと入り口~あおやぎの仕込み

2004-11-23 00:00:00 | おかみノート1

おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。
                  

醤油差しと入り口
2000年5月11日 開店初日。
緊張しながら醤油差しを並べていると手伝いにきてくれていた主人の父が言った。
「醤油差しはな、こう、注ぎ口を入り口とは反対に向けるんだ。いろんなものが入り口から出ていかないように」
主人の父はあまり喋らない。
四十一年、寿司屋の一線で走りつづけているひとからのアドバイスだった。

二カンのチャンチキ
寿司の教科書を見ていたら江戸時代末期のにぎりずしが載っていた。
赤貝、きす、アジ、車海老などネタは今と同じである。
ページの隅に (原寸大) と書いてある。
ひとつのにぎりが現代のにぎり三~四個分はある。
私がじっと眺めていると主人が言った。
「昔は屋台で注文するとき、“二カンのチャンチキ”といって“にぎり二カンとのり巻き一本”がほぼ一人前の分量とされていたって聞いたことがあるよ」
「のり巻きってかんぴょう巻きのことでしょ。何でチャンチキっていったの?」
「当時は細巻きを三等分していて、まず一切れを横長に置いて、そこに二切れをクロスさせて建て掛け、太鼓のバチに見立てた。で、チャンチキ」
「あ、なーるほど!」
指を宙で泳がせながらチャンチキチキチキ・・とやってみる。 
江戸の香りが漂った気がした。

かんぴょうのあぶり
かんぴょうはかんぴょう巻で食べるものだと思っていた。
ほかの食べ方など考えたこともなかった。
店を始めたら「かんぴょうをつまみで」と頼まれることに気付いた。
「はい、かんぴょう」
主人は煮含めたかんぴょうに包丁を入れ、二~三切れをお客様のつけ台へ。
そしてそれとは別の肉厚そうなかんぴょうを選ぶと、焼き網の上で慎重に伸ばし弱火でじっくり焼き始める。
火が通ってくると、所々ぷっくり膨らみ、端が焦げてきて、店の中は醤油と砂糖の香ばしいにおいでいっぱいになる。
焼き上がりを待つ間、まな板の上で叩いていた白胡麻をまぶしてお客様にお出しする。
店が終わったあとどうしても食べてみたかったのでそれをやってもらった。
干物みたいで面白い食感だった。けっこうおいしい。
「なんでそんな食べ方を知ってるの?」と訊いたら八丁堀で寿司屋をやっているお兄さんに教わったという。
お兄さんはこういうことをさり気なく教えてくれる人だ。
カウンターでのやりとりの“わくわく感”みたいなものをいっぱい教えてくれる。


結婚して寿司屋ファミリーの一員になったとき、一番驚いたのは手で寿司を食べることが当たり前、ということだった。
主人の実家に初めて帰省した日、店が終わってからカウンターでお寿司を御馳走になった。
「なんでも好きなもの、おとうさんに握ってもらいなさいよ」
お義母さんはお茶とおしぼりと小皿を私の前に置きながら言ってくれた。
お箸をいただけない、ということは手で食べるということか。
緊張した。私は手で食べたことがない・・
隣りの席のお義兄さんやお義姉さん、そして甥っ子をチラリと見る。
みんな自然に手を使って食べていた。
勇気を出して手で食べてみた。
すると、ごはん粒が大量に親指と中指に付いてしまった。
またチラリと横を見ると、みんな指に付いたごはん粒をとても自然に口に持っていっていた。
かっこいい・・歯でこそげ落とす仕草が板に付いている・・
私にそんな離れ業ができるわけもなく、コソコソと指をおしぼりで拭い続けた。
あの日、私が使ったおしぼりの中にはにぎり一個分くらいのごはん粒が溜まっていたはずだ。

大根の役割
タコと一緒に煮ている大根はおいしそうだった。
火にかけた大きな雪平鍋の中でタコ一匹と輪切りにした大根が煮えてゆくのを見つめていた。
タイマーの合図で引き上げられたタコは主人の手で首からSカンに引っ掛けられ、もうもうと湯気を立てている。私は逸る気持ちを抑えきれずに訊いた。
「あのさ、これ食べていいんだよね?」
吊るしたタコの足を一本ずつ切り取っている主人が私の方を見ないで返事をした。
「大根?別にいいけど。でも旨くないよ」
「えっ、ウソ!」
「タコを軟らかくおいしく煮るために入れてるんだから。それに醤油が濃いし、番茶も入ってるし」
いいや、それでも私は食べる。だってタコ飯って料理もあるし、絶対にタコの旨みが滲みこんでいるはずだから。
鍋を覗き込み、醤油色の大根を菜箸でつまみ出した。
ひとくち食べた途端、口の中にアクと渋みが拡がった。
おいしいとは言えない。ちょっとショックだった。
「でも、そのぶん凄く旨くなったよ、ほら」
硬くてお客様にお出しできない、タコの吸水管の部分を食べさせてもらった。
滋味深い味である。
あらためてプロの仕事とは
こういうことなのだなと思った。

松美と里
主人の実家のお正月は忙しい。
ひっきりなしに出前の注文が入るから家族一丸となって動かないとこなせないからだ。
皆それぞれ持ち場がある。
車海老を茹でている義母、かっぱ巻きを黙々と作っている夫、寿司桶を準備する義姉、ネタの切りつけをしている義父と義兄・・。
ヨメ二年目の私は厨房をウロウロするだけで手持ち無沙汰だった。
ふと見ると、ずっと勤めている板前さんが玉子焼きを焼く作業を一人でこなしていた。
聞けばこれからあと十本以上は焼くという。
手伝いたいという私の申し出に板前さんは
「じゃあ卵九個をボールに割って、このお猪口で玉出汁を入れて」と言った。
調味料のコーナーを見ると四角い焼酎の瓶やら醤油やらが並んでいてどれが玉出汁なのか分からなかった。
「その、透明なトロッとした蜜みたいなヤツ!四角い瓶の、そう、そう!」
玉子を焼きながら板前さんは首だけこちらに向けて指示してくれた。
「お猪口は“松美と里”って書いてあるヤツね。マツミトリ。」
湯呑みより小さめの、使い込んだ感じのお猪口が棚の隅にあった。
「“松美と里”に、ぎりぎり一杯の玉出汁と卵九個がうちの味だから」
と義母が言った。

計量カップでは量れない、永年の歴史ある玉子焼きなんだなぁと思いながら卵液を作り続けた。
ボール六つ分くらいは終わっただろうか。

「あれ、酒の匂いがする・・?」
フライパンに溶き卵をジュッと流し込んだ瞬間、板前さんが言った。
よく見ると、私が玉出汁だと思ってガンガン注いでいた瓶は本当の焼酎で、もうひとつの「玉出汁用」と書かれた瓶は満タンのまま残っていた。
その日の夕飯は全員二人前ずつがノルマの玉子丼だった。
しょげた私を笑って許してくれる空気の中で俯き、丼を掻き込んだ。

かっぱと○○きゅう
当店では、かっぱ巻きを一本頼むと三切れが“ブロック”(普通のかっぱ)で、あと三切れが“刻み”で出てくる。
それは何故かと、ある日主人に質問してみた。
すると今まで接してきたお客様との会話から、きゅうりを縦に1/4にしたままのブロックがお好きな方と、かつらむきにしたものを千切りにする刻みがお好きな方とに分かれるから二種類お出しして、歯ごたえの違いを楽しんで頂いたり、どちらがお好きかを伺ったりして巻き分けるようにしているとのことだった。
それからも主人の手元を観察していると
「穴きゅう=刻み」「ヒモきゅう=刻み」「イカきゅう=刻み」「鉄きゅう=ブロック」「梅きゅう=ブロック」と使い分けていた。
何でかと訊いたら師弟関係では教わる際に事細かに説明は無いし、自然にそうなったと言った。
きっと良い組み合わせが残ったのだろう。

あと、変則的なものがひとつあった。
「沢(たく)きゅう=粗い蛇腹みじん切り」だ。
これは沢庵もきゅうりも、上から斜め切りで引っくり返してまた斜め切り、但しまな板の二~三ミリくらい上で包丁を止めて繋がったまま切り進んでいき、最後に縦にザクザクと粗みじんにして巻物の具にする。
これはなんといっても、バリボリといった歯ごたえが堪らない。
ちなみにお土産のかっぱ巻きはブロックだが、水分が出るからきゅうりの内側のタネを取り除いてから巻くという。
“かっぱ”と、ひとくちに言っても、いろいろあるということが解った。

シャリ
店のオープン日を決めたあと主人がまず始めに取りかかったのはシャリのことだった。
実家の寿司屋は福島に移ってしまっていたので東京に馴染みのお米屋さんもなく一人で思案しているようだった。
「とにかく親父に訊いてみる」
受話器を取った主人はお父さんにシャリの配合を尋ねた。
「どうだった?」
話を終えた主人に声を掛けてみると
「“コメ?どうだったっけかなぁ~…”とか言ってさ。ダメ、話にならない」
オープンまで日もないので考える間もなく主人は知り得るお米屋さんを一軒ずつ訪ね、試作サンプルを取り寄せ、試し炊きを繰り返した。
「水分が何パーセントかが知りたいんだよな。来週実家に帰るから直接米屋さんに訊くわ。親父のところのヤツ、水分計で測ってもらう」
実家に帰った主人は早速お米屋さんを訪ねて訊いた。すると
「あのな啓三、それは秘密だ。のんちゃんと俺との間で始めに米の水分量とか配合とかどうすっかってのを決めてんの。だからよ、たとえ息子であってもおめぇに教えるわげにはいがねぇの」
お米屋さんからそう言われて主人は腹を括ったようだった。
それから東京に戻ってすぐに自らの腕を頼りに試行錯誤し、オープンの日には“これが自分のシャリ”というものを作り出した。
四年半経った今でも主人はたまに言う。
「親父は俺にわざと教えなかったのかな。自分でやれってことで」
お父さんは手伝いに来ていた一ヶ月のあいだ「啓三の指示に従う」と言って黙々と手を動かしていたことを思い出す。

満月のイカ
空を見たら満月だった。
「明日はイカが無いな、こりゃ」
と主人が言った。
満月とイカのあいだにどんな関係があるのか解らない。
家までの帰り道、首を捻りながら歩いていると主人が解説してくれた。
「イカは光に集まってくる習性があるんだ。満月だと漁火の効果が薄まってあまり獲れないから翌朝築地に並ぶイカの数が少ないんだよね」
【満月=イカ少ない】と頭にインプットした。
ターミネーターじゃないんだから、と心の中で一人突っ込みをした。

「す」
主人の実家で初めてお手伝いをしたとき、帰るお客様の後ろ姿に
「どうもありがとうございました~」
と言った瞬間、義母、板前さん、義兄が、すごい勢いで 
「す!すっ!すーっっ!」
と言いながら厨房やカウンターからわざわざ飛んで来た。
「はぁ?…す?」
と私。
「そう、“ す ”!」と皆さん。
子供を叱る時の“めっ”という顔になっていた。
お義母さんが言った。
「お客様に“ありがとうございました”って、“し・た”って言っちゃったら、それでお客様との関係が終わっちゃうでしょ。今後とも宜しくお願いしますって、そういう気持ちを込めて心から “ありがとうございます” ってお見送りするの。うちの店では、お帰りのときも“ありがとうございます”」
横で板前さんとお義兄さんが、うんうん、と頷いていた。
おかみ見習いスタートの日、
いきなりのダメ出しでちょっと挫けた夜。

ハラキリ
あなごのにぎりに「表」と「裏」があるなんて知らなかった。
ただ主人が四~五個いっしょにあなごを握るとき黒っぽい皮目が上にきているものと、うす茶色の煮た身が上のものとあって「なんで黒か茶色のお揃いにしないのかな?」と思っていた。普段カウンターでのやりとりは主人がいるから安心だがお座敷のほうは私がお出ししながら説明するので勉強が必要になってくる。
ある日お座敷で、あなごのにぎりを六個というご注文を請けた。
茶二個と黒四個だった。黒っぽいほうは一見あなごに見えない場合もある。案の定、
「これ全部あなごのにぎりですか?」
とお客様に訊かれてしまった。
「ぅ、…はい…みんなあなごです」
としか答えられなかった。
疑問に思ったことはすぐ質問だとその日の夜主人に訊いた。
「あなごは握るとき真ん中から上の頭に近いほうは皮目が上、しっぽに近いほうは身が上なんだ。これは決まりごとなの」
と言った。それでも「なんでか?」と食い下がる私に主人は自論を披露した。
「昔は“腹”をさらけ出すのを嫌ったんじゃないのかな。あなごの真ん中のところを腹に見立てて、頭に近いほうは皮目を上にすることで腹を隠し、下は身のほうを出すことで上とは違う部分ですよと強調したかったとか」
さらに主人はこう付け加えた。
「あなごは背開きでさばくの。生きてるものは背開きなんだ。腹開きだと“切腹”になっちゃうでしょ」
魚が背開きだというのはなんとなく知っていたが、ネタの向きまでにハラキリの因習が関係していそうなのが興味深かった。
お揃いとか、そういう次元の話じゃないんだってことがわかった。

助六寿司
「おいなりさんとかんぴょう巻きが入っていると、どうして『助六寿司』っていうんですかねぇ」
お客様からのご質問に主人も私も答えられず、一気にその場がシラけてしまったことがある。
こういうときは軽く落ち込む。
休日のある日“江戸東京博物館”に行った。
展示物の最後に歌舞伎の十八番「助六縁江戸桜」の実物大模型があった。
見回してみたが『助六寿司』についての解説はなかった。
思い切ってガイドさんに『助六寿司』の由来を訊いた。すると
「いろんな説があるかもしれませんが、助六の恋人の花魁が“揚巻”って名前だから、あげ=油揚げ=おいなりさん。で、まき=かんぴょう巻きで、その弁当の名前が揚巻のまんまじゃ粋じゃねぇってことでシャレで“助六”って名付けたんじゃないんでしょうかねぇ」
「おぉぉ!そういうことだったのかぁ~!!」
主人とふたりで小躍りしながら喜んでいると、その初老のガイドさんが言った。
「こんなに喜んでくれるなんてガイド冥利に尽きるねぇ。ところであんたたち何やってる人?寿司屋さん?あ、でも寿司屋さんなら助六寿司は知ってるか。う~ん、なんだろうなぁ…」
それでも「寿司屋なんです」という勇気はなかった。

菱井桁
出刃包丁をえんぴつのように握り、笹で鶴や亀を作る主人の技はすごいと思った。
「ちょっと、こんなにできるなら笑点に出られるんじゃない?」
と私が言うと主人は
「板前なら修行時代に習うことなの」
と、まな板に向かいながら言った。
「でもね、鶴とか亀はかんたんなの。複雑なかたちのほうが良いか悪いかあまり見分けがつかないから。いちばん難しいのはシンプルな直線もの。俺はいまだに“菱井桁”を成功したことがない」
「ひしいげた?何それ、菱型の変形みたいなやつ?」
「うん、まぁ、そうね。俺が小僧のころから新聞紙や広告のチラシを使ってどれだけ練習しても、これだけはまだできないんだ」
主人はそれだけ言うと、切り終えた鶴や亀を乾かないように水を張ったタッパーに入れた。
おそるべし“菱井桁”。
ものすごい負けず嫌いの主人がいまだに成功したことがないものがあるなんて…。
いつか完成したそれを見てみたいと思った。

あさりメンチ
子供の頃、あさりメンチをよく食べた。
昭和四十年代の習志野の海は貝がたくさん掘れた。
潮干狩りの入場料を払うと配られる濃いブルーの網に父は半日かけてあさりを獲り、重さでちぎれそうになった網をカゴにのせ自転車で帰ってくる。
待ち構えていた母はすでに“貝むき体制”を整えており、ちゃぶ台で父と母、夜中までひたすらあさりをむき身にしていたのを覚えている。
どんぶり二杯分くらいのあさりのむき身をまな板の上で細かく叩く。
そこにメリケン粉・塩・胡椒・ほんの少しのカレー粉を混ぜメンチかつのように衣をつけて揚げる。
熱いうちに食べるのは夕飯のときで、父はビールのつまみで兄と私はご飯のおかずにした。
いっぱい余っているため、次の日の朝ごはんもあさりメンチになる。
冷えたメンチを焼き網に載せ焼いてみたところで芯は温まらず、フチのみが焦げたところにソースをかけてかぶりつき、熱いご飯と味噌汁を口に入れ冷たいメンチとの温度差を埋めようとしたりした。
お客様にこの話をしたところ、
「あさりメンチ、ぜひ食べてみたいもんだねぇ」
と興味を示してくださった。
いつか、やってみようかなと思う。

トリ貝と沈丁花
もうすぐトリ貝の季節がやってくる。
殻に入ったままのものを仕入れ、ご注文をいただいたときにその場でさばき剥きたてのおいしさを味わっていただく。
毎年たのしみにしているお客様は多い。
トリ貝の黒は“お歯黒”と呼ばれ、この色が落ちた貝は値打ちが下がる。
ザラザラしたまな板では摩擦で落ちてしまうため、ラップを敷いた上かガラスの板の上でさばく。
二月、まだはしりのトリ貝は殻も身も華奢で殻の内側は薄墨を流した桜貝のような色をしている。
だんだんと成長し身がはちきれんばかりになってくると春だなぁと思う。
梅雨入り前くらいまでネタケースに上るだろうか。
トリのくちばしに形が似ているからトリ貝だとか、鶏肉に味が似ているからトリ貝だとかいろいろ言われているが私の関心は別のところにある。
昨年通り道で咲き始めた沈丁花を見たとき、はなびらとトリ貝の殻の内側が登場の時期を同じくして色も似ているということに気付き、この一年そのことを思い出してはにんまりしていた。
店までの通り道
沈丁花の蕾を見ながら
トリ貝の登場を待っている。

中落ち
帰省した日の夜、義父が私に
「おう、やるか」
と言った。

グラスを持って飲む仕草を何度もしている。
「じゃ、やりますか」 
私もキライなほうではないので即座に反応する。
何回か帰省して気付いたのは義父と私のコミュニケーションツールは“酒”だということだった。
私は店の冷蔵庫から中ジョッキを二つ取り、ビールサーバーからめいっぱい注いでカウンターに持ってくる。義父は厨房からいそいそと小鉢にてんこ盛りにした何かを持ってきた。
「これ、俺は一番好きなんだ。で、白いネギをどばっとな。たまんないんだわ、これが」
見ると、白身の刺身を細かくしてぐちゃんと混ぜたような感じのものだった。
「なんですか、これ」
「鯛とヒラメの中落ちだ。骨についてる身はほんとおいしいの。スプーンでこう、ガーっとこそぎ落とすんだ。いちいち醤油つけるのめんどくせえからぶっかけちまうべな」
ワサビと白ネギをのせた中落ちの上に醤油をかけて鉢からこぼれないようにしながらかき混ぜて食べた。
けっこう脂が乗っていておいしかった。
なんせ白いネギが効いていた。

まな板を落とした日
主人が一日の締めくくりに必ずやる仕事である、グラグラに沸騰したやかんのお湯をまな板に流しかけている時のことだった。
ドン、という音が聞こえたのと同時に「うわっ」という今までに聞いたことのない上擦った声が耳に入ってきた。レジから厨房に回ってみると床近くの塩ビ製の給水管が見事にスパッと切れていて、すごい勢いで店の中に水が流れ出していた。
「ななな、なんで?」
と訊く私に主人は言った。
「まな板を動かす時手が滑って水道管の上に落としたら切れた!」
主人は水量を減らそうと給水管に指を突っ込み塞ぎに入ったが、水圧が凄過ぎて顔面に大量の水しぶきを浴びることとなった。
「とにかく、元栓、元栓閉めて!もう指が限界!!」
主人は叫んだ。
しかし私は水道の元栓が何処なのか知らなかった。何か詰め物をと思い、とっさに頂き物のワインを抜きコルクを詰めようとしたが管の幅よりコルクの方が大きくてはまらなかった。
「あーもう、なんでもいいから店の元栓関係全部ひねって!」
ガス、よくわからない栓、かたっぱしからひねったが一向に止まらない。ワインなんか開けてるんじゃなかった…そうだ修理屋さんを探さねばとハローページをバンバンめくりながら情けなくなってきて涙が出た。
騒いでいる私達に気付いたオーナーさんがパジャマですっ飛んで来てくれて元栓を教えてくれた。
床上浸水四センチ。タオルとバケツを使って吸い取った。気がついたら夜明けだった。
すきっ腹にワインを飲みながら主人は言った。
「まな板ってさー、包丁を受け止めるだけかと思ってたけど、包丁にもなるのな。すんげービックリした、わははは~」
なんと、ヘコんでいない。
更にこの期に及んで巧いことを言おうとしている。
そんな主人に驚いた。

広島の古葉
イワシには三種類の大きさがあり、それぞれに呼び名があるなんて知らなかった。
四年前、お品書きを毎日書き始めた頃に気付いた。
「今日はイワシ。銚子のおおばイワシね」
主人は仕入れて来たメモを見ながら私に言った。
「おおば?おおばってどういう字?」
「大きいの“大”に“羽”と書いておおばって読むんだ」
【大羽鰯=おおばイワシ】と、一応頭にインプットした。
「あとね、小さいイワシは“小”に“羽”でこば、中くらいのイワシは、“中”に“羽”でちゅうばって読むから」
ちょ…ちょっ、ちょっと待って。私の脳みそは一気に憶えられない。自分が既に認識している言葉に変換しないと無理なので
【小羽鰯⇒広島の古葉竹識⇒こば】
【中羽鰯⇒番場の忠太郎⇒ちゅうば】
【大羽鰯⇒大場久美子⇒おおば】
と、脳に上書き保存した。その憶え方を主人に言うと
「広島の古葉ね。ガハハハ…」
と笑った。そして

「そんな憶え方しなくてもわかるでしょう」
とも言われた。

そりゃあ三十何年、生まれたときから寿司屋の環境に身を置いている人には当たり前のことかも知れないが私にとっては初めて聞く耳慣れない言葉なのだ。

あおやぎの仕込み
水と塩が入った鍋にあおやぎのむき身を入れて火にかけ、そのなかに素手を突っ込みかき混ぜていく。
水からお湯へどんどん温度が上昇してくる中、かき混ぜる動作を主人はひたすら続けている。
鍋のフチに泡が立つ手前くらいの、普通じゃ手を入れ続けていられないところまでに達してから
「くぁっ・・」
という叫びと吐息の中間くらいの声とともに鍋をコンロからはずし、流水で貝のぬめりや汚れを洗い流していく。右手は手首まで真っ赤になっている。
「なんでそんな石川五右衛門みたいなことするの」
私が訊くと主人は
「あおやぎを仕込むお湯の温度は、ぬるすぎてもダメだし熱すぎてもダメで、それを見極める温度というのが、自分の手が我慢出来るか出来ないかのギリギリのところなんだ」
と流水に手を浸したまま言った。
「熱湯にさっとつけて流水にとるっていうやり方もあるけど、俺はこのやり方でずっときてるから」
自分の手を煮るギリギリのところまでもっていくこと自体ビックリしたし、それを揺るぎなく続けていく職人の技はほんとにすごいなと思った。



おかみノート1 利き海苔~煮詰め

2004-11-22 00:10:00 | おかみノート1

おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。

利き海苔
住居の引越しと店のオープン準備が重なり決めなければいけない海苔の選定が延び延びになっていた。
「すいませんね、ご自宅にお邪魔しちゃって」
海苔屋さんはサンプルを沢山抱えてやって来た。
ダンボールが積まれた玄関の近くに主人と私と営業マンの方と三人でトランプをやるかのごとく床に座り、
一枚ずつセロハンに入れられた大量の海苔を囲んだ。
「産地別にいろいろ三段階くらい持ってきました。先入観持っちゃうといけないから産地を書かずにシールでこう、小さく1-a、1-b・・って番号ふってありますんでこれだ、ってものを言ってください」
ガサガサとセロハンを剥がし二人で黙々と何枚もの海苔を食べくらべた。
香り、歯ごたえ、塩の感じ、目の細かさなど実にさまざまだった。かなり悩んだあげく二人ともそれぞれがどれにするかを決めたので“せーの”で同時に指をさした。
「えーと、旦那さんの選んだのは佐賀ですね。奥さんのは、船橋」
主人は自分が選んだものをもう一度食べながら言った。
「俺は草が柔らかいのがいいんだよね。巻物にした時に口の中でシャリと混ざって溶けていって、飲みこむタイミングが一緒のものが。船橋の海苔もすごくいいんだけど、やっぱり佐賀かな・・」
「わかりました。じゃ、佐賀で話を進めさせてもらいますね」
主人と営業の方の細かい打ち合わせの声はあまり聞こえてなかった。
私は少し興奮していた。たくさんの海苔の中から幼年期に食べていたものを選び取った自分の舌に感動していた。
食卓によく出たあの海苔。

片っぽうの面だけ醤油をつけて、白いご飯に巻いて食べたあの味。

成功祈願
八丁堀に寿司屋をオープンさせる兄の成功祈願にと主人とお墓参りに行った。
祖母が明大前のお寺に、そして中学時代の友人が早稲田に眠っている。
“ついで参り”はよくないらしいがそこはひとつ勘弁してもらう。
近所の花屋で二対の仏花を用意し、コンビニで100円ライターと線香を買った。
友人の墓石に水を掛けながら主人が言った。

「清クンの店が無事開店するように見守ってくれよ」
いざ線香に火を点ける段階になってライターを点けようとしたら丸いギザギザのところがいきなり吹っ飛んだ。
「この近くにコンビニ無いよな。線香点けられないよ、まいったな」
結局点けられないまま線香を供え友人のところを後にした。
明大前で新たにライターを購入し祖母の墓石の前でまた線香を点けようとしたら、今度もライターが点かなかった。
「あれ?これも壊れてるよ。何なんだよ、いったい」
どうやっても点かなかったのでまた線香だけ置き、主人のおばあちゃんにお店の成功をお願いした。
「成功祈願なのにこれじゃあダメじゃん。どうすんだよ」
主人はきっちり墓参りをしないと気が済まない性分で、ましてや兄の店のことなのでなおさら気持ちに収まりがつかないようだった。かなりへこんでしまっている。なんとかしなければ。
「あ、あのさ、開店祝いの贈り物に“火”をイメージするものってダメだからお線香に火を点けられないことで成功するよって言ってくれてるんじゃない?」
苦し紛れに出た言葉だったが本当にそうかなと思った。
大丈夫、見守ってくれている。

コハダの白子
冬場にしか食べられないものが赤貝の肝ならばコハダの白子は春先限定のお楽しみと言える。
大きいコハダにしかない白子。
しかも白子なのでオスしか持ってない。
一日の仕入れは六~八尾。そのうちオス約半分。
小指の先ほどの、いやもっと小さい真っ白な白子。
その日、幸運に当たったお客様は珍味と称してその豆皿に入った平たい真珠を召し上がっていただくことになる。真珠は少し言い過ぎか。
ポン酢・浅葱・紅葉おろしが、おままごとのように豆皿に入れられ、その中でペラペラと白子が泳いでいる。
「意外とあっさりしてるね」
こうおっしゃるお客様は多い。
主人が十八才の頃、実家でコハダの仕込みをしていた時に二つ上の兄から白子が食べられることを教わったという。
兄はその頃もう日本橋の老舗の寿司屋で板前として活躍していた。
「あの頃、オレはまだ掃除と出前が中心の生活でコハダやアジを仕込ませてもらうだけで嬉しかったから白子のことなんて考える余裕もなかったよ」
使い込んだ出刃の先でコハダの腹をさばきながら主人は言った。

ポスティング
開店して半年経ちお客様がゼロに近い状況だった。
なんとかせねばとチラシを作って家々にポスティングをしていった。
「あのぅ、チラシ入れたいんですが…」
マンションの入口で勇気を出してお願いすると管理人さんは小窓から黙って『チラシ投函禁止』の看板を指し示すのだった。
配りたいと思っていた所にはほとんど配り終わっていたのであとは受付があるところのみだった。
 <受付を突破できないくらいなら店は潰れる>
そのくらい思い詰めていた。どうしても一軒配って帰りたかった。
「あんた、さっきも来ただろ。しつこいね」
管理人さんは言った。私もやっていて言うのもナンだが、そうだなと思った。
OLの頃は知らない人に自分を売り込まなくてもよかった。でも今は違う。何の信用も無い今の自分をぶつけるしかないのだ。
ふと見ると重厚な造りのマンションが目に入った。ここは確か、あまりにガードがキツ過ぎて諦めていたところ…ええい、ままよとインターホンを押した。
「四谷で寿司屋をやっているものなのですが、チラシを入れさせていただきたいのですが…」
「チラシはお断りしてます、お引取りください」
「あの、どうしてもこちらに入れさせていただきたいのですが…お願いします」
五秒くらいの間があって
「自動ドアを出て右に回ってください」
と返事があった。言われた通りにすると、小柄な六十代らしき男性がポストの位置を指で示していた。
「本当はダメだからね。オレも怒られちゃう。でもあなた一所懸命だからさ」
思いがけない激励の言葉。うれしくて、チラシを入れながら泣いた。
「どうもありがとうございましたっ!!!」
<これで店は潰れない>
なんの根拠もないが、そう思った。


ルミ子
ポスティングは続いていた。
店の準備の時間が迫っていたがあともう少しと、自転車に乗ったまま腕を伸ばしてチラシを入れようとした瞬間バランスを崩し、地面に自転車ごと叩きつけられた。
アスファルトがすぐ近くにあった。散らばったチラシも見えた。なにより体の上に自転車が載っていて重い。ひっくり返ったダンゴ虫のように手足をゆるく動かしていると
「だ、大丈夫っすかぁっ!」
という声とともに三~四人の若い男性がすごい勢いで駆け寄ってきて自転車を起こし、そして私の両腕と胴体を持って一気に抱えあげて起こしてくれた。みんなでチラシまで拾ってくれている。
「あの、もう大丈夫ですので、ありがとうございました」
私がお礼を言うと「ウッス」「ウッス」と照れた様子でチラシを自転車のカゴに入れ、目の前にある予備校の中に入って行った。
数人の男の子に抱えあげられて思い出した。私はあれに憧れていた。紅白歌合戦の小柳ルミ子だ。いつもルミ子はバックダンサーに華麗にリフティングをされていた。男性にチヤホヤされたことのない私はいつかやってもらいたいもんだと秘かに思っていた。夢はこんな風に叶うのかなと思った。
「いたたた…」
倒れる時に頭をかばったらしく首が痛かった。膝も少し血が滲んでいる。足を引きずり、ゆっくり自転車を押しながら考える。
今どきの若い青年が困ってる人を助けるのは感心だなと思った。
あと、私が触れないほどバッチイ感じじゃなかったのかと思うと嬉しい。
いや、悲惨過ぎて放っておけない状況だったとも考えられる。
それとも受験生ゆえに自転車から【落ちる】という行為を否定したかった?
…まぁ、なんでもいい。
今後は若い男の子に担ぎ上げられたことしか思い出さないのだから。

祐兄ちゃんの青梅
のんちゃん寿司の厨房で休憩をしていると祐兄ちゃんは青梅に爪楊枝を刺したものを私に差し出した。
「梅酒の梅だと思ってんだろ。あれと全然ちがうから食ってみろ」
促されるまま口に入れると、薄い梅の皮を破って冷えたやわらかい果肉が甘さとすっぱさを含みながら口の中で一気に拡がり、鼻で息を吸うと梅のさわやかな香りで息が出来なくなるくらいだった。
目を白黒させながら
「お、おいひぃでふ」
とやっと一言だけ喋れた。

主人は三男なので兄が二人いる。長兄で割烹の板前の祐一兄さんのことは、祐兄ちゃんと呼ばせてもらっていた。
「これ、どうやって煮るんですか」
ティッシュに種を出しながら私が訊くと
「梅をな一コずつ、細い針で二~三ミリ間隔で穴開けていくんだ。同じところに二回針刺すと梅が割れる原因になるから集中してな。塩水に一晩漬けて、そのあと糸水っていう細く水を流しっぱなしにする作業で一晩。火を入れてながら梅が上下しないように気をつけてまた糸水で一晩。極弱火で炊きながら今度は梅の青い色を鮮やかにするための銅を入れて煮てまた糸水。銅は硫酸銅を耳かき一杯くらいか、銅鍋か、清潔な十円玉か、でな。蜜を作って梅を漬けて更に濃い蜜で慎重に甘さを足していく。これ、ウマイだろ?手間がかかってる割にはペロッとひとくちで食えちゃうから、なかなか価値が分かってもらえねぇんだ」
銅鍋に浸された青梅たちを見下ろしながらいつもの口調で言った。
長身で恰幅のいいその板前姿で作り出す祐兄ちゃんの料理はどれもおいしかった。
店の開店を手伝ってくれた数日あと祐兄ちゃんは心臓の病気で突然この世を去ってしまった。
あまりの出来事に主人は「実感が湧かない」と二年くらい言い続けた。
毎年梅雨も終わりに近づく頃主人は極上の青梅に針を入れ始める。
作業台には古いノート。
『梅の甘露煮』のページが開いている。


大葉でっぽう
“パンッ”
と何かが鳴ったので主人を見た。
まな板の上には大葉が一枚あり、中心にくるりと輪状の切れ目が入っていた。
お客様の手巻き寿司にその大葉は入れられていった。
店が終わってから主人に訊いた。
「さっきすごい音だったね」
「ああ、大葉?香りを出すためにやるんだよ」
「さっき見逃しちゃったんで、ぜひ見てみたいんだけど」
私が頼むと主人は冷蔵庫から大葉を取り出し、左手の人差指と親指で作った輪に他の指も添えて茶つぼのようにし、大葉をひらりと一枚、茶つぼの蓋に見せかけて載せると右手のひらを上から思いっきりそこに叩きつけた。
さっきと同じ音がした。
そして真ん中がくるりと五百円玉くらいの大きさに切れていた。
「空気圧で大葉の細胞膜が壊れるでしょ。一気に香りが出るんだ」
「お刺身を食べる時、穂紫蘇を手のひらに載せてポンと手をつぼみみたいにするのと一緒?」
「そうそう、同じ、同じ」
「でもさ、細巻きに大葉を入れる時にはやらないね」
「う~ん…手巻きはすぐお客様に手渡しするから香りの効果があるうちに食べてもらえる感じがするけど、細巻きは切ったりなんだりしていると時間が経っちゃうからパンとやる意味があまりない気がするんだよね。むしろ包丁で六つに切ったり食べる時に噛んだりで香りが出るでしょ。まあ、一種のパフォーマンスみたいなもんだよ。特に深い意味はないから」
パフォーマンスをあまり好まない主人がやるパフォーマンス。
紙でっぽうの音に似ているので“大葉でっぽう”と勝手に名付けた。

煮詰め
開店数日前のある日、主人は第一回目の仕入れのため築地に行った。
鮨雅に勤めていた時代からお世話になっている仲買いさんに予め頼んでおいた穴子の頭と骨を受け取りに行くためだ。
「ほーい、帰ったぞー」
築地から帰った主人は、まだ散らかっている店内の隙間を縫って厨房に入りビニール袋にパンパンに入れられた骨や頭をシンクの中にバサバサっとひっくり返した。
大量の頭はゴロゴロと転がり、かわいい目をしてこっちを見ていた。
五十~六十匹分の骨はゆるく曲線を描いて絡みあっていた。それまで小上がりで休憩していた主人の父は私に骨抜きを渡すと
「疲れるから座ってやれや」
と言ってカウンターに座った。
「いいか、啓三が頭を割ってよこすからな、そしたらまずエラを取る。で、所々赤い血のところがあんべぇ?そこんところをつまんでは取る。つまんで取る、の繰り返しだ。な?」
主人は穴子の頭をひとつ取ると向こう側を向かせ慎重に目と目の間の真上から出刃を入れ、ゴリリと割った。
頭が左右対称、アジの開きのようになった。
インディージョーンズのラストの方で出てくる、猿の頭を割って脳味噌を食べるシーンを思い出した。
むごい、むご過ぎる・・私には出来ない。
あごが胸に付くくらいうな垂れている私を見て義父が言った。
「しょうがねぇなぁ。じゃ、こっちやっか。骨に付いている赤いかたまりみたいなのがあんべぇ?これをギューっと挟んで取る。な?」
どっちもキツい。でも頭を真っ二つの方よりマシかと思った。
骨に赤くへばりついている血合いを最初は恐る恐る引っ張っていたがきれいに取れると快感になってきて、むしろ完璧さを求めることに愉しみを見出すようになってきた。
「血合いが少しでも残っていると煮詰めを取る時に味がおかしくなるんだ。身は付いていてもいいよ、赤いとこだけ取って」
主人は私と義父がやったものを丁寧にチェックした後、焼き台に並べた。弱火でじっくりと炙られた穴子の骨は内側に貯えた脂をじわりと表に出してきて、やがて骨全体を自分の脂で揚げていき、なおかつ余分な脂を下に落とし始めた。
「ものすごくいい匂いなんだけど」
火の中を見つめながら私が言うと
「まだまだ、これからが本番だから」
と険しい顔をして主人が言った。
焼き台で三セットに分けて焼かれた骨と頭はこんがりキツネ色だった。
店で一番大きい鍋に水を張り、そこに焼いた骨と頭を一気に入れた。
「え、水から入れるんだ」
「そう。で、最初は強火。ある程度したら弱くするけど」
温度の上昇とともに鍋の中の汁には穴子の旨みが溶け出てきているようだった。
「さ、濾すよー」
何もかも取り除かれ、黄金色のスープだけになったところに砂糖・酒・醤油を入れ、沸かないように火を調整しながらグルグルとお玉でかき回し始めた。弱火調節の限界点まで細火にしているので鍋の表面は湯気が立っては消え、まるで露天風呂の表面のようだった。 
お玉はグルグルと右回り、かと思えば左回り、そのあとは縦にジグザグと波立てたり。
「こうやってすこ~しずつ水分が蒸発していくでしょ。鍋にいっぱいの汁が、・・そうねぇ、底から四~五センチくらいに煮詰まったら出来上がりかな」
「そんなに減るまで!しかも沸騰させちゃいけないんでしょ?」
「鍋に半分くらいに煮詰まってくると焦げる可能性があるからね。焦げたら終わりだから。細心の注意を払うよ。寿司屋の仕込みの中で一番神経を使うのはこれだから」
三日をかけて煮詰められた穴子のタレ=煮詰めは、専用のステンレス製の容器に入れられ、ついに完成した。
「店を立ち上げる時って、普通は穴子の煮詰めを誰かからもらうものなんだ。修行先の師匠とか、知っている先輩とかね。積み重ねた旨みが最初からはないからね、どんなに頑張っても。でもオレは誰からももらわない。最初の旨みは薄いかもしれないけどそれよりどうやって作ったのかを全部見ていないで出すほうが嫌だ。自分の店のものは100%自信を持って出したいんだ」
開店から三~四ヶ月経った頃、あるグルメサイトにすし処のがみの評価が載った。
 <穴子の煮詰めが団子のツユみたい> と書かれていた。
それから何度か煮詰めを作り足していったある日、開店当初からお見えになっていたお客様が仰った。
「なんだかさぁ、この頃穴子のタレ、おいしくなったねぇ」
開店の時以来、私は煮詰め作りの手伝いをしていない。
こつこつと自分だけでやっているのだろう。



おかみノート2 サヨリの福玉~ガラスのまな板

2004-11-22 00:00:00 | おかみノート2

おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。


サヨリの福玉
ある日の午前中、仕込みをやりながら主人が話しかけてきた。
「水産会社の社長が言うんだよ。“サヨリの頭捨てちまうのか!エラの中に虫みてぇのがいるだろ。あれ焼いて食うとうめぇんだぞ”って」
「なにそれ、前に勤めてた店の話?」
掃除の手を止めて私は訊いた。
「そうそう。サヨリのエラを覗くと、五尾中三尾くらいにその虫が入ってるんだよ。泳いでいるとエラにいろんなものが付くでしょ、でも魚は手が無いから何も出来ない。で、虫が寄生しながらあれこれ動いてあげて、その代わりに虫はエラの中で外敵から守られているんだ。でもさ、うまいって言うけどその社長が実際に食べてるところはみたことないよ」
「水産会社の社長さんが言ってたってことは、本当においしいんじゃないの」
「かなー…」
「だよ、絶対そうだよ!やってみようよ」
「あ、そう。オレは食わないけど」
「私は食べる」
すると主人はサヨリの頭を落とし、エラを覗きながら数匹の虫を取り出した。
半透明の白っぽいふっくらとしたモスラの卵みたいなヤツが出てきた。
「うわっ、エラのスペースより虫の方が大きくない?よくこの中に収まってたね」
「人間で言ったらほっぺたパンパンに膨らました状態だよな」
笑いながら金串に刺して主人は言った。
「塩まぶして焼く?」
「そ、そうだね。塩味があったほうが食べやすいかな~、なんて」
好奇心でここまで事を運んでもらっていたが、いざ食べる瞬間が近づいてくると決心が揺らいだ。お腹の中に入れたらこのモスラの卵がまた卵を隠していて、どんどん増殖していったらどうしよう…死ぬかもしれない…でも食べてみたい。
考えていたら顔に血が昇ってきて心臓も乱れ打ちをしていた。
「はい、どうぞ。よく焼けたよ」
香ばしい感じに焼けたモスラを前に一瞬たじろいだ。
でもここまでしてもらって要らないとは言えない。思い切って前歯でちぎってみると、薄い殻とパサパサした中身で、噛んでいると少しシャコのような味がした。
「う~ん、おいしいような、あんまり味がないような」
食べて食べられないことはない、そんな感じだった。
「これ、名前なんていうの」
「さぁ、なんだろうなぁ。あ、でもこれに近い形は絵でみたことがあるよ。たしかこの本…」
江戸時代に描かれた、鯛の骨の部位を図説している絵にモスラはあった。
【鯛の鯛】や【鳴門骨】と並んでそれは【鯛之福玉】と書いてあった。
「鯛のふくだまぁ~?」
二人で同時に叫んだ。インターネットで調べたらシマアジなんかにもいるらしく画像を見るとやっぱりあいつだった。
「あ、今日、真鯛も仕入れているから見てみるか」
「おっと、それを早く言ってくださいよ」
興味津々で鯛のエラを覗き込むと、三倍くらい大きいのが入っていた。
「ギャー!でかっ寒っ」
「生きてるよ、オレの指をギュ~って足で掴んでるもん、ほら離れないよ」
人差し指をブンブン振り回している。
「ひぇ~・・」
「塩ふって焼く?」
「もう、けっこうです」
即答した。

どぼどぼ
主人が炊く魚のアラはとてもおいしい。
甘過ぎず
醤油が濃過ぎず
上品に仕上がっている。
『鮨雅』での修行時代
何度かお通しで食べさせてもらった。
アラはブツ切り
熱湯にくぐらせ
ひたひたに水を入れ、大鍋で煮込んでいく。
味付けは
砂糖ガバガバ
酒ジャブジャブ
醤油どぼどぼ
このとき鍋を覗き込み、汁がウーロン茶色になったら
醤油をストップする。
三十分も煮れば出来上がり。
煮魚、肉じゃが、里芋の煮っ転がし・・
醤油を入れて煮る料理はどれでも
ウーロン茶色から煮詰めていくと上手くいく。
一升瓶の醤油の口を
親指で弁のように調節しながら
大鍋にゆっくり円を描く主人の姿を見ていたら
急にそのことを思い出した。

お隣り
隣りはおすし屋さんだった。
物件を紹介された時に不動産屋さんから
「すし屋と言っても上方鮓だし、お持ち帰りがメインだから大丈夫よ」
と言われていた。
開店初日、沢山のお祝いの花が届けられ対応に走り回っていると酒屋さんから何かが届いた。
贈り主は隣りの関西鮓さんだった。
「お隣りからお祝い頂いたんだけど、どうしよう」
私がおたおたしていると手伝いに来てくれていた主人の父が言った。
「どうしようって、有難く頂戴すればいいじゃねぇか。寿司屋からだなんて、この上ない宣伝だぞ、どーんと飾らせてもらえ。…そうだな、お返しにうちの寿司でも持っていったらどうだ」
義父と主人はすぐさま細巻きを巻き始めた。
「ちょ、ちょっと、にぎりなら江戸前でかぶらないからまだいいけど、巻き物って思いっきりかぶってない?なんか挑発的な気がする…」
「上方鮓ってのは巻き物なのか?」
「いや、茶巾ずしとか押しずし、あと太巻きとかかな…まぁ、かぶらないっちゃかぶらないけど寿司は寿司だし、なんだかちょっとね」
「別にいいじゃねぇか。人数がいっぱいいるんだろうし、こういう時はな、ちょっとずつ皆で摘めるのがいいんだよ。それにな、堂々と最初に“うちは、こういう寿司を出すんです”というのを出したほうがいい。つべこべ言わずにさっさと挨拶してこい!ほれ行けっ」
ぎっしりと詰め込まれた色とりどりの巻き寿司に薄い紙の蓋をかぶせただけの折箱を持ち、足取り重く隣りの裏口に回った。
「あのー、隣りの寿司屋ですが・・先ほどお祝いを頂戴しましてありがとうございます。これ、あの、うちのお寿司なんですけど、よかったら皆さんで召し上がってください・・」
おずおずと私が差し出すと、大女将らしき人が受け取ってくれた。
すると私の手が蓋に触れてずれ落ち、中身があらわになった。
「あら、巻き物。えっ、もしかして上方鮓かしら。寿司屋さんとは聞いてたけど」
「いえいえいえ!江戸前ですっっ!!江戸前ですっ!」
「あぁ、そうなの。じゃ、どうぞよろしく」
「はいっ、あの、よ、よろしくお願い致します!」
最敬礼してすぐ逃げ帰って来た。
「どうだった、大丈夫だったろ」
義父は余裕の笑みを浮かべていた。私はちょっと血の気が引いていた。
上方鮓とは言え、やはり同業の方に寿司を持っていくっていうのはどうだったんだろう。今のことで気分を害されてしまったのではないだろうか。
しかしそれは杞憂だった。
お店の方が何度も食べにきてくださったりして、とてもいい関係になった。
考えてみれば、歴史的にも規模的にも象とアリくらいの違いがあるのだから深く考えず素っ裸になってうちの手の内を見せればよかった話なのである。
義父ははなっからお見通しだった。

ステン
「お父さんから引き継いだ道具ってこれだけなの」
私が訊くと主人はしばらく考えて
「そうだなぁ、包丁は兄貴や先輩からもらったものばかりだし、これだけだな」
と言った。
「店の準備の時さ、実家にある寿司桶とか土瓶蒸しの器とかもらいに行ったじゃん。そしたら親父がさ、このバット出してきて“持ってくか”って言うからけっこう軽く“あぁ”って言ったんだ。で、開店を手伝いに来てくれてた時にマグロのサクを入れながら“このバットはな、オレが店を始める時に買ったものなんだ。ものすごく高かったんだぞ。道具屋が安いのと高いのを持ってきて、両方ステンレスだけど安いのは錆びたりするから少し無理をしてでも高いのにしたら三代使えますよって言うから思い切ってそっちを買ったんだ。こうして見るとやっぱり一生もんだよなぁ”ってしみじみ言うんだよ」
最近売っているバットはネタを入れやすく薄型で重ねる収納が出来るものが多いけれど、父のそれは深型のたっぷり入るものだった。
小さい頃、大事なものを仕舞っておいたお菓子の缶を思い出した。
大きさから言うとそんな感じだが、四十数年経ったこの分厚いステンレス製のバットにはゆったりとした独特の佇まいがある。
マグロや白身がきちんと収められ冷蔵庫の一番下にいつもある。

心のベースノート
「なんだかここ落ち着くのよねー」
「ここに居るとほっとするんだよ」
寿司屋を始めて一年半。
私たち夫婦はこのひとことをききたいがためにやっているフシがある。
“おいしかった”といわれるのも嬉しいけれど
やっぱり“ゆっくりできた”といわれたい。
そんな、ゆるゆるとした空気感を大切にしたいと日々考えている。
空気感は全身で感じる香りだと思う。匂いはない。香らない香り。
飽きのこない香り。α波が滲み出てくる香り。
私はこれを心のベースノートと名付けた。
アロマオイルには三つのタイプがあるという。
揮発性の高い順にトップノート・ミドルノート・ベースノートといい、混ぜてあたためるとまずトップが香り、そしてミドル、しばらくするとベースがきて、実に奥深い香りになるらしい。
それを寿司屋にたとえるならば。
トップノートは穴子の炙った香りか、イカゲソを焼いた煙の匂いか。
ミドルノートは握りをほおばったときの、シャリの甘い香りか、お茶を口に含んだときの鼻から抜ける香りか。
そしてベースノートは。無味無臭だが、しっかりとした透明な空気たち。
空気感。
これが少しでも完璧でないと、せっかくの穴子も握りも台無しになってしまう。
空気感を愉しむために香らない香りに心を配る。
ほこりも多いと香りは愉しめない。
日々、店の掃除をしながら、また、花を活けながら、そんなことを考えている。
心のベースノート、保ちつづけたい。

寿司の自動販売機
昭和五十年代、のんちゃん寿司は東京の上落合にあった。
店から歩いて二十分くらいのところに淀橋の青果市場があり、そこの正門脇にはずらっと並ぶ自販機コーナーがあったそうだ。
その中に寿司の自動販売機が置いてあったという。
お父さんと職人さんが明け方三時まで営業した後、自動販売機に入れるための折り詰め作りをしていた。
「小学校低学年くらいだったかなぁ、割り箸入れたり包装紙にテープ貼ったり、小さいおてふき入れたりして。中身はかんぴょう巻きとかおしんこ巻き。自販機の脇にインベーダーゲームがあって、手伝うとやらせてもらえるから兄貴と一緒に運んでた。それで遊んで終わってから前の日の売れ残りを回収して帰ってくるの」
「二十四時間入れたまんま?」
私が訊くと主人は言った。
「あ、いや、一日二回だったかなー、あんまり憶えてないや。でも絶対やってたのは間違いないよ。ちょうどその頃欽ちゃんの24時間テレビが始まって、募金と一緒に持っていけって夜中に親父がその折り詰めを多めに作ってくれたもん」
「えっ、欽ちゃんに会えたの?」
「いや、いなくてスタッフの人に渡した」
ミーハーな私は主人のこういう話が大好きだ。テレビで見ていた憧れの東京がここにある。
特にすごいと思ったのは、ザ・ドリフターズの志村けん氏がのんちゃん寿司に来たことがある、ということだ。その時夜中だったのと、子供を呼んでどうこうする雰囲気ではなかったということで啓三少年は起こしてもらえず、翌朝泣きながら親に抗議をしたのだそうだ。『8時だヨ全員集合!』が全盛の頃のことである。
その後、寿司の自動販売機は半年くらいでなくなったという。

吟醸酒の会
吟醸酒の会当日は店を立ち上げて十日ほど経った頃だった。
「じゃ、行ってきます」
ランチの営業を終えてすぐ空きっ腹のままエプロンをはずし、地下鉄に乗った。
OLを辞める頃飲み屋のマスターから“日本吟醸酒協会主催・試飲の会”の入場券をもらった。
「俺、行かないから。よかったら行って」
友人二人との話題が寿司屋開店の際の日本酒選びの不安などだったからかわからないけれど、マスターは「行けば勉強になるよ」と言って送り出してくれた。
主人は寿司が専門で飲み物のプロではなく、私は何事にも素人のまま飲食業界に入るわけだから是非行って何かしら得たいと思っていた。
会場は赤坂プリンスホテルだった。入り口は裏側の方だったので迷ってしまいベルボーイの人に訊き、なんとか受付にたどり着いた。
主人の名前が書かれた名刺を出すともう一枚と言われ、首からぶら提げるピンク色のパスケースに名刺をホチキスで留められた。
いざ出陣とパーティ会場のような雰囲気に圧倒されながらも進んでいくと、係りの人にお猪口を渡された。
会場はお酒の竜宮城というか、もうパラダイスだった。三十以上の全国の酒蔵が自慢のお酒を飲んでもらおうとお祭り騒ぎのようになっている。
<岩手・浜千鳥><青森・田酒><奈良・やたがらす><長野・麗人><広島・賀茂泉>…
色とりどりの幟があがり、酒造会社の人はハッピを着てお酒を注ぎまくっている。
どうしてよいのかわからず他の人の様子を窺っていると、ほとんどの人が
お酒を注いでもらう→口に含む→酒蔵の人の話を聴く→杉みたいな植物が入っているバケツに吐き出す→ミネラルウォーターを飲む
という動きを繰り返していた。
見ると、柱まわりには沢山のミネラルウォーターと紙コップが置かれていた。
まずは最初の銘柄に挑んだ。確か田酒の一般販売していない限定醸造か何かだったと思う。「お願いします」と、お猪口を接客係の人に差し出すと首から提げた私の名刺をチラリと見ながらほんとに少しばかり注いでくれた。
お猪口に五ミリくらいだった。
ぐっと口に含んだらおいしかったけれど、ここで飲んじゃいけないことを思い出した。
日本酒のマスターからも「喉を通したららわからなくなるよ」と釘を刺されていた。
酒蔵の人の薀蓄をさも判っている風な顔をして聴き、クチュクチュとやりながらバケツにペッとやった。一応手で隠したりなんかして。
その後いくつかの銘柄を同じように繰り返した。
でも酒蔵の人も私と取引が成立するわけでもないし、私も的確な受け答えが出来るわけでもないし、なんだかよそよそしかった。
それにしても喉の手前で止めるのは難しい。飲み込めないというのはこんなにストレスが溜まるものなのか。
よく見ると、イエローとブルーのパスの人に対して酒蔵の人は、ものすごい熱心にアピールしていた。そりゃそうだ、イエローは大手百貨店の酒造コーナーのバイヤーだし、ブルーは酒の問屋なのだから。
なんだか知ったかぶりしてそこに参加している自分が背伸びしすぎて格好悪く、情けなく思えてきた。わかんないんだから。何やってんだ自分?アホか自分。あーあ、もういいや、飲んじゃおう。
「あ、これとこれ、飲ませて下さい、あ、こっちも全部お願いします」
もう、手当たり次第にガンガン飲んだ。
ミネラルウォーターが入った白い紙コップも握りつぶして捨てた。
「た、たらいまかえりましたぁぁぁ~」
店に帰って来たのは営業が始まってからだった。
「な、何を持ってんの?」
主人が言った。
私は両手に大きなケーキの箱を持って入り口でブレイクダンスを踊っていたそうだ。
『パティスリーSATSUKI』、ニューオータニのケーキ屋さんだ。
全然憶えていない。

ガラスのまな板
開店当初からずっと欲しいと思っていた道具にガラスのまな板というのがあった。
とり貝を貝からむき出し木や他の素材のまな板の上であれこれ動かすと、まな板のわずかにザラザラしているところととり貝のお歯黒という黒い部分が擦れて色が落ちてしまって商品価値が下がってしまうから、ガラス素材のものが欲しいんだと主人は言っていた。 
とは言ってもガラスのまな板は無いので、普通のまな板の上にラップを敷いてなんとか凌いでいた。
このラップ方式にはやや難があった。
とり貝をさばいた後の
ワタとラップがセットになって洗い場担当の私に来るのだが、本当は燃えるゴミと燃えないゴミに分別しなくてはいけないところをついつい生ゴミの落ちるところへ一緒くたに入れてしまうのだ。
とり貝はご注文を受けてからむくので、一日に五~六回は分別ルールを無視することになる。
生ゴミの中にビニールを混ぜて捨てることよりもっと後ろめたいことは人生において相当している。けれど、これがなんかやなのだ。
でも、もうそんな日々も終わりだ。
おかみノートで「トリ貝と沈丁花」を書き終えた時、これからは主人がとり貝をさばく場面が注目されるだろうと予想し、ガラスのまな板をついに特注することを決めた。
実は、注文する店は一年くらい前からチェックしていた。
奥を覗くと薄暗い作業場が見える近所のガラス屋さんで、よく前を自転車で通っては様子を窺ってきた。
しかし値段が分らない。一枚いくらするのか。
私の予想では850円だった。
というのも、店の脇に立てかけてあるジャマそうなガラスの切れっ端がちょうどまな板の何枚分かあり、捨てるにはナンだから置いてます、みたいな屑ガラスオーラを放っていたからだ。
捨てるよりは売れたほうがいい。ガラス屋さんの立場に立って手数料を考えると850円・・そんなものかなと思っていた。
「あの~、すいません。近くで寿司屋をやっているものですが・・」
奥から作業着姿のご主人が登場した。
「あの、とり貝をさばく時にガラスのまな板が必要でして、二枚くらい作って貰えませんでしょうか」
「えっ、何、とり貝さばくのに使うの?」
「はい、えーっと、黒い部分が落ちないようにですね、その~」
「なんだかわかんないけど、いいよ。フチを手ぇ切んないようにまぁるく仕上げりゃいいでしょ。どのくらいの大きさ?何センチか言って」
「えっと・・・じゃぁ、30センチ20センチで二枚お願いします」
「あそ。で、包丁当てんでしょ、つるつる過ぎると包丁の傷がついてかえってひっかかりが出来ちゃうから、表面つるつる、裏が加工の細かーいザラザラ、それだとどっちかの面でいけるでしょ。すごくいいガラスだから、まぁこれなら傷もつき難いと思うけどね」
「じゃあ、それでお願いします」
店の名刺を渡し、翌日取りに行く約束をした。
「もうバッチリ!!!絶対すごいまな板が来るからねっ」
興奮して店に戻り主人に報告した。
「でもさ、値段聞いてきた?」
痛いところを突かれた。私もそれがひっかかっていた。
「なんかさ、特注ってさ、聞けないんだよ。それ聞いちゃヤボな感じするじゃん、勢いみたいなものもあるしさ」
「そりゃそうだけど」
「だーいじょうぶだよ。そんなにしないよ。明日とってくるから」
主人に言われてなんとなく850円説は揺らぎ始め、最悪のケースを想定して一枚5000円×二枚分の1万円とあと万々が一のためにもう少し用意してガラス屋さんに行った。
「昨日お願いしていた者ですが・・」
「あぁ、出来てますよ」
新聞紙に包まれた30センチ×20センチの特注ガラスのまな板はずっしりととても心地いい重みだった。淡いグリーンの混ざったガラスを眺めながらジーンとなった。これがオリジナルのまな板か・・角なんか丁寧にまぁるく削ってあって素晴らしいっ。感動している場合じゃない、お会計だ。
「えっと、おいくらになりますか」
ついにきた。この時がきた。領収書を持ってご主人がやって来た。
「二枚で6000円になります」
ガーン!3000円。なんだ850円って!もうバカか~
私の心の動きを察知したご主人が言った。
「このガラスね、すごくいいものなんですよ。でね、割っちゃうとアレだから、もう一枚同じの作っときましたから、二枚で6000円なんだけど一枚余分に作っときましたからどうぞ」
さらに特別なガラスの種類なんだということをとても丁寧に説明してくれた。
ご主人としては、本当は一枚3000円じゃ済まないところを大きくおまけしてあげてて、なおかつ一枚余分に作ってあるんだからそんなにショックを受けないでおくれよ・・という気遣いがあるのだと思った。
勝手にゴミに出す前のガラスだと思っていたそれらは大事に扱っている立派な商品だったのだ。ごめんなさい、ガラス屋さん。
特注品というのは、金額の大小で一喜一憂するような人間が足を踏み入れちゃいけない領域なのだなぁと、改めてわかった。
ふと見ると、ガラス屋さんの時計は五時半を回っていた。
<早く主人に見せなくちゃ>
カゴから斜めに出ているまな板が落ちないように気を付けながら自転車のペダルをこいだ。

 


おかみノート3 オカアチャン<前編>~私の手 

2004-11-21 00:10:00 | おかみノート3

おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。


オカアチャン<前編>
義父のお供で何軒もの寿司屋に行けたのはいい経験になった。
義父は思い立ったらすぐ実行に移す人で、息子たちがお世話になっている寿司屋に挨拶に行くと決めた翌日に上京。結婚二年目にして荷物持ち担当を仰せつかった私は一日会社を休んだ。
一軒目は一番町鮨雅。
ここは月に一~二回行っているから
慣れたものだ。お義父さんを鮨雅の親父さんに引き合せてしばらくの間カウンターでお茶を飲んだあと、タクシーで日本橋の蠣殻町に向かった。
「仕事の方は大丈夫だったのか」
流れる景色を見ながら義父は言った。
「いや~、むしろウレシイっていうかー、ほんとくっついてきちゃって私のほうがいいんですかって感じで。すいません」
いずれ啓三さんと東京で店をやりたいと言っているのを義父は知っていた。
だから今回のご指名はとてもありがたかった。でも二人だけで出掛けるのは初めてのことだし、何だか気恥ずかしい。後部シートに並んで座るとちょうど真ん中に足が置きにくい盛り上がった部分がくる。義父との関係はまさにこんな感じだ。壁じゃないし、かといってフラットでもない、乗り越えられなくもない低い隔たり、というのがピッタリ当てはまる。清二さんの奥さん同様、私もありがたいことにお義父さんに可愛がられているという実感がある。
とは言っても何を話していいのかわからない。どうにも間が持たないので福島からのお土産をガサガサと膝の上で動かしたりしていた。握りしめた紙袋の取っ手は汗でクタッとなっていた。

清二さんが修行した老舗の寿司屋。それだけでワクワクした。
お義父さんが扉を開けた。
「いらっしゃいませぇっ!」
ものすごい勢いで声があがり、若い見習いの方の案内で二階奥のテーブル席に通された。歩きながら一階のカウンターを横目で見たら、なんだかとても乾いた感じの清潔そうな印象だった。
「息子が大変お世話になっています」と、義父はそこのご主人と丁寧な挨拶を交わした。『すしの雑誌』という業界誌に載っているご主人を見たことがある。協会の大きな役職に就かれている方で、ミーハーな私は
(本物だ…)と興奮した。
久しぶりの再会なので、ご主人と義父は積もる話に花が咲いていた。
手持ち無沙汰な私は大皿に盛られたお刺身を黙々と頂いた。
と言っても緊張していたので何を食べたか覚えていない。
「ウニを食べて御覧なさい」とご主人に言われて、おいしかったということくらいしか思い出せない。ただ、義父にお願いしてご主人にひとつだけ質問をさせてもらったのは覚えている。
「うちの嫁がどうしても旦那に訊きたい事があるって言うんで…寿司屋のことならほとんど私が相談に乗ってやることもできるんですが、今の時分東京でやりたいって言うんでね。しばらく東京から私も離れてますんで最近はどんなもんでしょうか」
義父は私に目で合図してきた。箸を置き、勇気を出して訊ねた。
「いずれ、五年から十年以内には東京で寿司屋をやろうと思っています。この時代、店を立ち上げてもそのあと続けていけるのでしょうか?」
ご主人は少し微笑んで、間をおいてから
「店の主が“飲む・打つ・買う”を一切やらないで、真面目にやっていくのなら絶対に店は潰れません」
と仰った。
「絶対…ですか?」
「絶対です」
この言葉に衝撃を受け、店を出す時にはこの言葉にとことんすがろうと思った。
お借りしたトイレの掃除の行き届き方にも驚いた。
ホコリとかいうレベルじゃない。塵ひとつない清々しい空間。
手洗いの蛇口が金色に光っている。それはもともと金ではなくてあまりに磨きすぎて銀のメッキがきれいにはがれて金色になってしまったのだ。そのくらい掃除をしている。
清二さんの修行の原点はこの地にあるのだ。

蠣殻町をあとにして今度は堀留町に向かって歩き出すと義父が言った。
「清二には八時くらいになるって言ってあるから。まぁそこでぱっと挨拶して、一時間も居ないで帰ろう・・気ィ遣って疲れたっぺ?家帰ってゆっくりすべぇ」
堀留町は清二さんの兄弟子の人がやっている店で、清二さんはそこで働いていた。お義父さんは初めて訪れるところなので一度お邪魔したことがある私が案内することになった。
歩いてすぐのはずなのだが…方向音痴の私はやっぱり迷ってしまい、なんとかお義父さんをそこにお連れできた時には緊張の糸もプッチリと切れ、清二さんに勧められるままにビールと日本酒を飲んで、若干へべれけになっていた。ただ、何故だかここでもウニがおいしかった。
いずれにしても寿司屋は一日に一軒、それも数日の間をおいて行ったほうがおいしく感じるということがわかった。

三つ折にした布団を横に並べてソファの背もたれというか、枕代わりにして義父と並んで寝っ転がりながら喋っていた。
「啓三、遅いな。いつもこんなもんか?」
「もうすぐ帰ってくるでしょー」
『クイズSHOWバイSHOWバイ』の特番も終わり、スポーツニュースか何かを見ている時だった。横にいる義父は眠たそうだった。
いくら暑いとはいえ、このまま寝たら風邪をひいてしまう。
タオルケットをかけなくちゃ…と立ち上がった瞬間ドアをドンドンと叩く音がしたので、のぞき穴を見に行った。鮨雅の後輩だった。
「どうしたの?」
「先輩が…先輩が…とにかくすぐに来て下さいっ」
「えっ…どういうこと」
「とにかく大変なんです、早く、店の前に行って下さいっ」
ただならぬ状況だというのは伝わってきた。とりあえずお財布と鍵だけ掴み、居間でウトウトしているお義父さんのところに行って声をかける。
「ちょっと何かあったみたい。すぐ戻ってくるから」
「おぅ、寝てるかもしれないから鍵かけといてくれぃ」
テレビのほうを向いたまま義父は言った。
ツッカケが何度も脱げそうになりながら後輩のあとを追った。
歩いて五分もかからないところなのに全然たどり着けない。私は走りながら質問をぶつけた。
「大変ってどういうことっ?」
「指が…指が…」
後輩は言葉が出ない。
「指がどうなのよッ」
「指が…」
「切ったの!?」
後輩は全速力で走りながら首を振る。
「指はあるのねッ!?」
ガクガクと首を前に倒した。よかった、指はある。
でも何が起こったのだろう。
前を見ると、十台近いパトカーと数台の救急車が一番町の交差点に溢れかえっていた。
サイレンの赤い光でやじうまの人垣が照らされたり影になったりしていた。
 
オカアチャン<後編>
一番町の交差点はパトカーと人で溢れかえっていた。
目を凝らしても主人がどこにいるのかわからない。苛立ち始めた時、横から声をかけられた。
「あ、カメちゃん、こっちこっち!」
鮨雅でいつもお会いするご夫婦だ。ご夫婦の足元にはアスファルトに座っている主人がいた。
「のんちゃんね、酔っ払いの若い人にからまれちゃったみたいで…私たちもたまたまコンビニに来たら、のんちゃんがすごい顔だったからビックリして、とりあえず冷やすことくらいしか出来なくて・・」
ロックアイスを袋ごと片目に乗せている主人が言った。
「らいじょぶ、らいじょぶ、ちょっと冷やせばよくなるから。オレさ、店休むわけいかないから、顔らけは守ろうとして手れ覆ったのよ。れも、何人かに思いっきり蹴られてたから、グーッと手に力入れてて、今気付いたら、指が曲がっちゃっててさ、力、入んないんらよ。オレ、今顔ろうなってる?鏡見たいな、血は出てないんらけろさ、顔見たいよ」
そっと氷の袋を外してみると、腫れ上がった顔が出てきた。
歯も見ただけではわからないが、喋り方からしてもダメージを受けているのはわかった。そして手を見ると、小指がぷらーんとありえない方向を指していた。かなり長い時間頑なに同じ体制を維持したせいか、手も、首も、肩も、プルプルと小刻みに揺れていた。
「…誰がやったんですか」
ご夫婦に訊いた。
「あそこのパトカーのところに立っている男の人たちがいるでしょ。駐車場の脇で事情聴取されている・・」
「…ノヤロォォォォォォ――――――――――――ッ!!!!!!」
人垣と警察官を押しのけて二人の男に飛び掛ろうとした。
その瞬間、誰かに後ろから羽交い絞めにされた。
すぐ目の前に加害者がいる。でも手が出せない。
耳元で男の押し殺す声が聞こえた。
「警察です。気持ちはわかるけどあなたがここで何かをしても事態は変わらない。いや、悪くなるだけです。堪えなさい、収めなさい」
「離せ、はなして下さいっ」
「ここは落ち着いて、あとは出るべきところで解決すればいいんだから・・」
「るせぇっ、ふざけんな―――――ッ!お前ら聞け―――――ッ!!板前はなー、手が命なんだよ!手が使えなくなったらどうしてくれるんだよッ、えッ?何とか言えコノヤロウ、寿司が握れなくなるんだよ!手が大事なんだよ!メチャクチャにしやがって!!!わかってんのかコラ!わからないなら指へし折って同じ目に遭わせてやるからこっち来いオラ!」
そいつらを目の前にして声が出なくなるまで叫び続けた。
「・・・はいはい、もうわかったから。ね、何か身元がわかるものある?」
「…私の、ですか?」
「そう」
腕を解かれたので、興奮を鎮めるように息を無理にゆっくりしながら免許証を取り出した。
「はい、ノガミユキコさんね、・・・はい、はい、と」
本当に頭にくると、こめかみがピクピクして脈が速くなり足が冷たくなる。
体中の血が頭に昇り頭が重くなっている。ボーッとしているが体が怒りで勝手に震えている。どうしようもできない。そのスーツを着た刑事らしき人が免許証の番号を手帳に書き込んでいるところを呼吸をしながらただ見ていた。
後ろから誰かが声を掛けてきた。
「あ、いたいた、○○さーん、救急車乗るから、一緒に!早く」
するとその人は手帳を胸ポケットにしまい、救急車に向かって駆け出した。
そして手招きをしながら私に向かって
「ほら、オカアチャンもこっちこっち」
と言った。
(・・・オカアチャン?奥さんのことをオカアチャンと呼んだりする刑事さんなんだな。まったく、しょうがないな)
心の中で思いながら救急車の後ろの部分から乗り込むと、既に主人が座っていたので声をかけた。
「とにかく指があってよかったよ。ナイフとか持ってる人だったら危なかったよ。これはもう、不幸中の幸いだと思おう」
“慶應病院、慶應病院”という声が救急隊の人、運転手さん、刑事さん二人の間で飛び交うと、じきにサイレンを鳴らして出発した。

救急外来の入り口から入るのは初めてだった。
待ち構えていた病院の方々に主人が連れていかれるのを見るとあとは待合室で待つしかなかった。そうだ、自宅にいる義父に電話をしなければ。公衆電話があるところに行き数回のコールを聞きながら繋がるのを待った。だめだ、出ない。きっと寝ているのだろう。
前回上京した時も救急車騒ぎがあった。その時は心臓発作だった。
清二さんの家に泊まりに来ていた義父が苦しそうにしているのを甥っ子が発見し、ママであるお義姉さんに伝えてすぐ救急車を呼んで助かった。
もしこれで電話が繋がって、息子が救急車で運ばれたことを知ったら・・義父がショックを受けてまた発作が起きるかもと思うとそれも心配だった。
どうしたらいいのだろう。ひとりで悩んでいると先ほどの刑事さんたちが私の目の前に来た。長椅子から思わず立ち上がった。
「この度は大変なことになってしまいましたね。こんな時にアレなんですが、お母さんね、息子さんの怪我の経緯についてちょっと話を聞きたいんでね、いくつか質問させてもらっていいかな?」
「息子!?」
「息子さんじゃないの?」
「ちがいますよ!」
私が憮然としていると若い方の刑事さんがその人にすぐ耳打ちをした。
「・・あ?あーぁ、お姉さんだ、お姉さん!弟さんの怪我のことでね・・」
「あの、弟でもないんですけど」
二人の刑事さんが向き合って首をひねっていた。
「ちょっと待ってよ、・・お母さんでも、ない。・・・お姉さんでも、ない。え?身内の方でしょ?だって名前は同じ “ノガミ” だもんねえ。じゃあ、あなたここまで一緒にくっついて来て、一体何なんですか?」
「何なんですかって・・あの、一応これでも “妻” なんですけど」
「う゛ぇえええ―――?奥さん!?奥さんなのっ?」
同時に二人が叫んだ。
いくら家からツッカケで飛び出して来たとはいえ、髪の毛ぼーぼー、首が伸びたTシャツ、ダボダボの短パンだからとはいえ、それはないんじゃないかと。さっきの免許証確認は何だったのか?いくら学年が三つ上でも“妻です”と言って“う゛ぇえええ――?”とまで言われる筋合いはないのだ。
救急車に乗る時、“オカアチャン、こっちこっち”って呼んだのは母親としてだったのか・・
簡単に事情聴取をした後、二人の刑事さんは私から一番遠い長椅子に腰を掛けて主人が出てくるのを待っていた。
緊迫した空気を破って鮨雅の親父さんが片手にヘルメットを持ってやって来た。
「のんちゃん大丈夫か?」
「あ、親父さん!いま治療中です」
「いやー、帰るときバックミラーになんか映ってたんだよ。のんちゃんはちょっと見えなかったけど他のやつらがさ、誰かに話しかけられてたのが見えて、あ、何だかやな雰囲気だな・・って思ったんだけど、そのままアクセル入れちゃって・・あの時引き返してればよかったな」
「そんなのわからないんだからしょうがないですよ」
「ん?カメちゃんなんか顔色悪いけど大丈夫か」
「大丈夫じゃないですよ。・・・いろんな意味で」

昼休みのオフィスは人影もまばらだった。いつも早く席に戻っている人たちと電話当番の人だけがパソコンに向かっていた。自分の席の下にカバンを置いてアロエヨーグルトが入ったコンビニの袋だけ持って仕切られているブースをいくつか覗いた。
「あ、カメちゃんおはよう」
いつもお昼を食べているメンバーがいた。デザートも食べ終わろうとしている。
「来るかと思ってお茶入れといたから飲みなよ」
四人掛けのちょうど空いている席に座るとどっと疲れが出た。紙コップのぬるいお茶をひとくち飲んだ。
「昨日はお義父さんと晩酌したの?」
「お寿司屋さんに行ったんでしょ、どうだった?」
この十二時間に起きた出来事の何から話そう・・時計を見ると休憩時間はあと十分を切っていた。歯磨き時間を考えるともう立ち上がらなければならない。
「う~ん・・いろいろあリ過ぎてさ、ちょっと語りつくせないから明日ね」
皆の反応はだいたい予想がつく。 
主人の怪我のことは本当に心から心配しつつ・・私が“オカアチャン”に間違えられたことをどうにも堪え切れなくて笑うだろう。
ぜひ笑ってほしい。その方が少しでも気持ちが紛れるから。

出前桶のラップ
子供の頃、一番の贅沢といえば寿司屋の出前だった。
チャイムが鳴ると玄関まですっ飛んで取りに行っていた。
母が代金を支払っている間、上がり端にうず高く積まれた出前桶の隙間から漂ってくる酢飯と海苔の混ざった匂いが好きだった。
「ねぇねぇ、早く食べようよう」
「我慢しなさい。お客さんがお帰りになったらね」
来客用の湯呑みと父の湯呑みに交互にお茶を注ぎながら母は言った。
一番上は中身が見える。
竹か梅か覚えていないが、松ではなかったと思う。
早く食べたい・・どの順番で食べよう。最後に何を食べよう・・
にぎり六~七カンと細巻きが入った桶を見つめながら何度もシミュレーションをした。
それにしても、なんでこのラップはこんなにシワがなく張れるのだろう。
寿司はとてもおいしそうに輝いていた。

「そろそろあがるよ」
お義母さんが割り箸を数えながら言った。
つけ場を覗くと直径80cmくらいの大きな出前桶に盛り込まれたお寿司が見えた。四台ある。板場では義父がガリの水気を切って桶の隅に押し込めているところだった。
主人は集金袋と車のキーをわしづかみにして地域の地図を見ながら私に言った。
「ほら、一緒に行こう、上の二台、早くラップして」
業務用の長いロールに巻かれたラップを手渡され、戸惑いながらもその寿司が盛り込まれた大きな桶にかぶせてみた。
するとラップはモヤモヤーンとかぶさるだけで、あのピーンとした感じになってくれない。
あっちをひっぱりこっちをひっぱり悪戦苦闘していると義母が一旦ラップを外して、きつく絞った手拭いでサーッと桶のフチを拭いた。
「こうするとピタッとするのよ」
わずかな水分でフチに吸い付いたラップは憧れのピーンと張った状態になった。
「これこれ、これなんです!あー、スゴイ!!」
「ラップはね、一本でもシワがあったらダメなの、いくらいいお寿司でもおいしく見えないの。少しの違いなんだけど見栄えがうんと変わるから」
なるほどと頷いていると主人が言った。
「ラップを長めに切って、下の桶の胴体に貼り付けるようにして。そうすると重ねたところがズレにくくなるから」
おぉ、なるほど。寿司屋に嫁に来たって感じだなぁ。
後部座席に積んだ寿司桶を見守りながら、もれてくる酢飯の匂いをクンと嗅いだ。


花屋さんの入り口にある植木鉢にはもうすぐ咲きそうなピンクの小さい花がたくさん控えていた。
シロツメクサに似た野草の雰囲気が気に入ってお店の人に無理を言って譲ってもらった。
「本当は売るものじゃないんですけどね。六個の苗をあわせて、ここまで見栄えがよくなったのはこれだけなんですよ」
歩いて500mくらいの距離を台車で運んでもらった。
当店にふさわしい一階のディスプレイ。わかりにくい店内のイメージを伝える効果が少しでも出てくれればいいと思った。
「へぇー、いいじゃん」
主人も気に入ってくれた。
翌日、咲きそうな花はすべて無くなっていた。
顔を突っ込みそうになりながら鉢を見つめると細い枝状のところがあっちもこっちも裂いたようになっていた。
花折る人へ

私はかなしい

通りを歩く人がこの花を愛でることをたのしみにしていたのに。

よく見ると、つぼみはひとつふたつ、青く小さく見え隠れしていた。

三階に移そう。

辛抱強く一階に置き続けられなかった負けた感じとガラス越しにお客様に見ていただければそれでもいいという、少しほっとした気持ちが混ざったまんまでしばらくしゃがみこんでいた。

私の手
「なま、リャンね!」
直前に起きた私の非常状態など知らない主人は板場から容赦なくオーダの声をあげた。
「はぁいっ!かしこまりましたっ」
生ビールサーバーのコックを持った右手、グラスを持った左手、どちらもビジュアル的にマズイことになっている。
アカギレが悪化していた。網目になった無数の切れ目のクロスした数箇所からは血が出ていた。
手の甲はよく見ると東急ハンズのボードゲーム売り場にこんなゲームがあったかも…と思わせるような赤い点と線の複雑な模様になっていた。
このままお客様の前に出て行ったら絶対によくない。
「最初の何年かは手が荒れるから覚悟しなさいよ」と、義父、義母、祐兄ちゃん、清二さんからはしょっちゅう言われていた。
「お湯を使うと手の脂が落ちちゃうけど、まぁ水は冷たいから大変だしね。仕事中はハンドクリームなんか塗るわけいかないから、寝る前にね、たっぷり塗って。それで手袋。そしたら大丈夫だから」
お義母さんのアドバイスが頭をよぎる。横着な私はそれを怠っていた。
言うことを聞かなかった罰か・・と落ち込んでいる場合じゃない。とりあえずこのビールを運ばねば。
濡れたタオルに甲をバンバンと打ち付けて血を拭き取り、勢いで持っていく。
そしてすぐ裏へと引っ込む。
ドラッグストアのビニール袋から水絆創膏を取り出した。
以前、指のフチが割れて困っていた時にいつも行く八百屋さんに相談したら水絆創膏が一発で傷がふさがるからいいと言われて用意してあったものだ。
説明書を見たら、薬の効果がある瞬間接着剤みたいなものだと思えた。
たしか大仁田は有刺鉄線マッチの時にはほとんどアロンアルファで治したと言っていた。よし、これだっ。これしかないっ。
急いでティッシュで血を拭い、血が出そうなところを狙ってつけた。
「はぅっ!っつ ――――――!!!」
傷口がむき出しになっているところにこれはキツイ。こんな痛みは初めてだ。あまりに痛すぎて涙も出ない、というか目から水蒸気が噴き出してくる。しかも、この衝撃を七~八回いや、両手だからその倍は繰り返さなくてはならない。耐えられるのか?
「あっ!」
すぐ固まらないジェル状の水絆創膏の下から、あっというまに血が滲んできてきれいなビー玉模様みたいになってきた。
「冷酒ピンね―――!」
また主人の声が飛ぶ。あぁ、早く出なければ。もう混ざってもいい!
血と水絆創膏が混ざった状態をティッシュで拭ってすぐに、またうおぉぉぉぉぉ――っと気合をいれて左右の手とも、もう一回ずつ塗り直してから日本酒をお客様へ持って行った。
その日の営業が終わりカウンターでぐったりしながら何年か前に義父から言われたことを思い出していた。
「お義父さんがね、“オレらの時代はこの道に入ってまず最初の冬の水仕事でシビレっちまって逃げ出すやつが大半だからな”って言ってたよ」
すると主人が言った。
「実家でよく言われたよ。“寒風吹きすさぶ中でな、濡れた手のまんま出前行って、帰ってきたら洗い物がいっぱいでよ。モタモタしてると下駄で殴られたり蹴られたりよ。オレが修行した時代に比べると、お前らは 幸せだ”って。清クンも修行時代、最初の二~三年は手なんかガビガビで、ほんっとひどかったもんなぁ。慣れてくると荒れなくなるもんなんだよ。あとね、板前は魚を触るから魚の脂が手についたりして保護膜の役割もしたりするんだよね。洗い物だけやっているほうがよっぽど荒れるよ」
乾いた手の甲には剥がれかかったシール状の水絆創膏がウロコのようにへばり付いていた。
私も何年かしたらビクともしない手になれるのだろうか。
修行してきた人たちの足元にも及ばないけれど
荒れた手が少し誇らしかった。