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四谷三丁目すし処のがみ・毎日のおしながき

無添加エゾバフンウニがまだ入ってきています。利尻礼文のウニ漁は通常6/15〜8/15ですが少し延長しているようです。

おかみノート2 五つの“り”~トライ

2004-11-23 00:00:10 | おかみノート2

おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。


五つの“り”

付き合い始めて間もない頃、主人がデートの途中でクイズを出してきた。
「寿司屋にあるものの中で、おしりに “り” がつくタダのものが五つあります。さて、それはなんでしょう?」
「え-と、おしぼり、ガリ、・・あがり、かな」
そこまではすぐに答えられた。
「正解。あとふたつは難しいから出てこないと思う」
主人は得意気に言った。
あとは何だろう・・しばらく考えていたらパッと言葉が浮かんだ。
「煮切り」
と答えた。
正解だった。主人はものすごくビックリしていた。
食への興味から“煮切り”という言葉がなんとなく頭にあったのだろう。
今思えば小さい頃から食に関する興味がものすごくあった。
私は『美味しんぼ』も『将太の寿司』も遡れば三十年前、同居していた叔父が持っていた『包丁人味平』だって、こっそり叔父の部屋から持ち出しては読んでいた。
それに小学校、中学校と、給食の予定表を一ヶ月分配られると嬉しくて穴が開くくらい繰り返し見ていたので自然と頭に入ってしまって、となりの席の男子が三時間目か四時間目に「亀田、今日のメニュー何?」
と訊いてくるから「ソフト麺、カレースープ、牛乳、マーガリン、黒糖パン、メルルーサのフライだよ」などと答えたりしていた。
しかしこの記憶力が他の分野に応用されることはなかった。
煮切り醤油がどんな風に作られているのかは知らなかったけれど、四つまではなんとか出た。
あとひとつ。り、り、り。・・う~んわからない。降参した。
「答えはね、テッカリ」
「テッカリって何?」
「マッチのこと。今の時代だとライターもそういうのかな」
マッチがテッカリ。そのとき初めて知った。

かめの手
お客様にお通しが出された。
何やらごつごつしたものが小鉢にいくつか入っていた。主人がお客様に言った。
「亀の手です。煮てありますので、中身を吸うように召し上がってください」
亀の手…。確かによく見ると胴体から切り離された手足の部分は分厚い薄茶色の皮膚で覆われていて中の身が白く詰まって見え、爪は幾重にも分れ鋭く尖っていた。
そうか。アオヤギは浜でむかれて小柱と身に分けられて出荷されると聞く。シャコは釜茹した後、身と爪に分けられて出荷される。
ならば亀も胴体はぶつ切り、手は余ったから手だけで出荷、そんなこともあり得るのかなと悲しいけれど思った。
でも旧姓が亀田だっただけに亀の手がバツンバツンと切られてわんさかあるのを見るのは辛い。
手を無理矢理ぎゅ~っと出してから切られるのだろうか。スッポンの首を斬るみたいに、生きている状態で手足を切って血抜きをするのだろうか。
それにしても主人も主人だ。私が“カメちゃん”と呼ばれていたのを知っているのに山盛りのぶった切った手や足を平然とした顔で煮るか?
あまりにむごいじゃないか・・
涙が溢れてきそうになったので慌てて裏に引っ込んだ。ティッシュで目を押さえたものの充血は押さえきれない。店に出たらお客様に言われた。
「あれ、泣いてる。何で?」
「だって、亀が・・・亀が・・足切られちゃて・・」
「亀の手のこと?」
お客さんの問いかけにうなずいた。すると主人が言った。
「これ本当の亀じゃないよ、貝だよ貝!フジツボみたいなやつ」
マジで・・亀じゃないんだ。腰が抜けそうになった。
亀じゃないからいいってもんでもないが、正直ほっとした。
家に帰ってからインターネットで『亀の手』を調べたら岩の隙間に生息するフジツボに近い仲間で、その形から“鷹の爪”とか“烏帽子貝”と呼ばれたりするものだということがわかった。
何も泣くことはない、と後で思った。

カウントダウン
「お話があるんですけど、お時間もらえますか」
お正月明け、事業所全体の朝礼が終わってエレベーターや階段を使ってそれぞれのフロアーに人が戻り始めた時を見計らって課長に声を掛けた。
「・・ほな朝礼が終わったらでええか?」
「はい」
縦長に並べられたデスクの先端が課長席、その両脇に七~八人ずつが並び、連絡事項を聞いている。来年の展示会のことや来月の発注会のことを話している声がなんとなく聞こえていた。手帳は開いてはいたけれどシャーペンを走らせる気にもならず、じっと立っていた。

「・・で、辞めてどうすんの」
ブースで向かい合った課長は私の目を見て言った。
「いずれは主人と寿司屋をやる予定ですが、まだまだなので私は夜中から早朝まで築地で帳簿付けか販売のアルバイトをなんとかして見つけて、夕方から夜は大きい寿司屋かホテルの和食の仲居さんをやって女将修行をしようと思います」
OLとしてやりたいことをたくさんやらせてもらった会社にひたすら感謝するばかりだ。
そして、いずれ主人が出す寿司屋を手伝うんだ。
・・二、三年、いや五年くらい先になるのだろうか。

ホテル海洋の寿司屋『有明』を辞めて次の勤め先を探し始めたのは、私が会社を辞めることを上司に打ち明けたすぐあとのことだった。
求人誌に載っていた某有名寿司店の面接を受けに行った主人は帰ってくるなり私に言った。
「俺、もう自分で店やるわ。決めたから」
そこの店主が望む人材は主人ではなかったそうだ。十代後半のまだ色の付いていない若い子か、あるいは二十代後半から三十代前半のお客さんをごっそりその店に引っ張れる実力のある板前かどちらかだということだった。
「こちらのお店は客単価どれくらいなんですか」
主人が訊いたら「酒抜きで二万~三万」と返ってきたそうだ。
合否の連絡は後日ということで帰ってきた主人だったがもう腹は決めていたらしい。そんな高い値段を取る位なら、自分で納得のいくものを仕入れて自分がしたいと思う仕込みをやって、なんとか店を続けていけるくらいの値段設定にしてそれでやっていければ一番いい、だから俺はやると一気に喋った。
「えっ、今すぐなんて出来ないんじゃないの」
「大丈夫だよ、なんとかなるって。そうだ親父に電話するわ」
「え!もうするの?」
「親父は息子の店の立ち上げをを手伝うのが夢だったんだ。病院にも先に話をしておいて一時的にでも退院の手続きをとってからじゃないと応援に来れないからこういうことは早いほうがいいんだって」
受話器を取ろうとしたら電話が鳴った。
「はい、もしもし・・・あ、はい私ですが・・そうですか。はい、はい、あー・・もう自分で店やりますんで結構です。はい失礼します」
「誰?」
「今日面接してきたところ。自分の店では要らないけど知り合いの店で人を探してるからどうだって言うから、“自分でやる”って言ってやったよ。なんか面食らってたよ、ははは。そうだ、親父に電話」
亥年の主人の暴走を止められるわけもなく、ただ呆然と電話で報告しているところを見ていた。

ハードル
三度目の都庁は行き慣れたものだった。
午後有休を取ってすぐ新宿へ向かう。バスターミナルの地下にある“新宿の目”で主人と待ち合わせをし、動く歩道を歩きながら今日のスケジュールを打ち合わせた。
「書類の審査のOKをもらって、信用保証協会に行って、時間が間に合えば不動産屋さんに行って物件を見る、と」
なんとか保証人無しで借りられる公的融資機関はないかと探して見つけたのが東京都の創業支援融資制度だった。物件も絞り込んであり、あとは資金が調達できるかどうかだけなのだが・・
信頼できる内装業者さんのスケジュールを考えると、今日どうしても信用保証協会に行かねばならないタイミングだった。でもその前にここでお墨付きをもらわなければ。書類を出しているこの課でOKが出たら保証協会へ、というようなことがパンフレットだかチラシだかに書いてあったような記憶があったからだ。
エレベーターでいつものフロアーへ行き、経済企画課の窓口で順番を待つ。
布張りのベンチシートに腰掛けてクリアファイルに入れた事業計画書をもう一度ざっと読み直してみる。完璧だ・・。出来ることは全てやった。
この二週間、仕事の引き継ぎや送別会のスケジュールの合間を縫ってウンウン唸りながら解らない書類の欄をひとつずつ埋めてきた。

「はい、次どうぞ」
窓口担当の六十代らしき男性は前回に引き続き同じ人だった。
「うーん・・この補足事項の動機の欄が弱いかなー・・」
「具体的にどう弱いんでしょうか」
「・・・まぁなんと言ったらいいのかなぁ。あとね、この設備ね。見積もりと実際にかかった金額の差があると問題だけど大丈夫?」
「大丈夫だと思いますけど」
「あ、そう。・・売上高・・・・。うーん、この通りに売り上げいくのかなぁ」
「あの、前回も同じことを言われたので、わからないなりにランチと、夜と、それぞれの売り上げを積み上げて出した数字なんですけど」
「だからこれだけコンスタントにいくのかわかんないでしょ?」
「・・はぁ、まぁそう言われればそうですけど」
「ほら、わかんないじゃない。じゃダメだ」
私はついにキレた。
「これはあくまでも予想ですよ。しかも低めに売上設定してるじゃないですか。坪数から客席数割り出して回転率も出して計算しましたよ。それにですね、創業なんだからしょうがないじゃないですか。既に営業していて内装費が足りないとかで借りるんなら売上実績ってもんが出せるんでしょうけど初めてなんだから想像でやるしかないじゃないですか。それにここはそういうわかんない人のために相談窓口やってるんじゃないんですか?」
「・・・だから、この書類のままじゃ信用保証協会からOKが下りるかどうかわかりませんよって私は言ってるんです」
しばらく睨み合っていた。すると主人が言った。
「どうもありがとうございました。失礼します」
開いていた書類をカバンに入れ始めた。
担当の人は憮然として自分の席に行ってしまった。
私は小声で訊ねた。
「え?ここでOKもらわなくていいの」
「ここはあくまでも相談だけだから。もう埒が明かないから信用保証協会に直接持って行こう。不備があったらそこで訊いた方が早いよ。今から行こう」

数分間が長く感じられた。
都庁から興奮を引きずったまま有楽町の保証協会で、自分たちの店に対する想いを熱く語った。あとは結果を待つだけだ。担当の人は「十分くらいください」と言って奥に引っ込んでしまった。私は独り言のように言った。
「まぁ、今回ダメでも再挑戦しようよ。どこがネックだったか訊いてさ」
書類を提出しては否定される、ということを繰り返したためにどうも後ろ向きな思考グセがついてしまい、なかなか抜けなかった。まだ五分くらいしか経っていないのに担当の人が小走りで戻ってきた。
「あのー・・ですね。保証協会としましては、野上さんのご希望額全額OKということで金融機関に書類をお出しします」
「うぇぇぇえぇ?OK・・なんですか!!」
とてもじゃないけれど信じられなかった。
「はい。あ、ただ、ですね、これ売り上げシミュレーションとか、仕入れ原価とかの細か過ぎる数字は必要ないですね。もっと大まかなものでいいんですよ。だから借り入れご希望額も・・ふっ、真面目なんですねぇ、何千円単位まで書かれてますけど、普通の人は何百万単位、せいぜい何十万単位ですよ。でも借りられると思うと必要もないのに多めに借り過ぎてしまうものなんです。せっかく野上さんは細かく必要なだけの数字を出しているわけだから・・まぁ何万円単位のところまでに直しておきましょう」
都庁の人のアドバイスが結果的に好印象に繋がったようだった。このことは感謝しておこう。
「あ、でもですね、あくまでもうちが出来るのは “野上啓三さんはこの額なら借りてもきちんと返せる人ですよ”と後ろ盾をするだけで、直接融資をするのは銀行とか信用金庫なんかの金融関係ですから」
OKが出た書類を持って今度はどこからお金を借りたらいいのか、それがわからなかった。

アタック
金融機関Aの中に入るのは初めてだった。
一度も口座を作ったことのない人間にお金を貸してくれるとは思えない。
入口まで来たものの、門前払いされる自分たちを想像して一歩を踏み出せなかった。
「どうする?頼んでも断られるよねきっと」
「だよな。やっぱりBの方にするか」
金融機関Bは今までずっと使っていた口座があるところで、貸してくれるかどうかは判らないけれど門前払いの可能性は薄く、行きやすいといえば行きやすかった。
「でもさ、Aが第一希望なんだからダメもとで行かないと」
「だよな」
Aは中小企業に優しいのだと聞いていた。行かずして諦めるのはいやだ。
道路際、二人してぐずぐずしているとセンサーが反応し、自動ドアが開いてしまった。
覚悟を決めた私たちは二階の融資相談窓口に乗り込んで行った。

黒い革張りのソファーは沈み込むタイプで、気を許すと偉そうな座り方になってしまうのでかなり浅めに腰掛けて背筋を伸ばしていた。
「こちらでの実績がその・・全然ないんですよね?」
「はい」
「一度も通帳を作ったことがない、と」
「はい」
担当の人の表情はお金を貸す貸さないの判断で悩んでいるというよりは、100%貸せないけれどそのことを私たちにどう説明しようか思案している、そんな感じに見えた。
「やろうとなさっていることは分りました。で、お返事はですね。おそらく無理だと思っていてください。その・・いきなりいらっしゃって“貸して下さい”“はい、どうぞ”と、そういうわけにはいきませんのでね。それは解って頂けますよね?」
「はい。でもあの、可能性はゼロではない、ということですか?」
主人が言った。
「えー、まぁ、そうですね。今度の金曜日に融資対象の懸案事項を話し合う会議があるので、そこで野上さんのお話を出そうと思います。この書類一式は私の方でお預かりしておきますので。・・でも、多分、いやほとんど可能性がないと、そのくらいに思って、ほんと、あまり期待しないでくださいね」
担当の人が言い終えてガラスのテーブルに広げたいくつもの書類をまとめようと手を伸ばした時、主人が言った。
「これだけは言わせて下さい!やる前からこんなこと言っていいのか判りませんがもし融資をして頂いて万が一店が潰れたとしても夫婦別々に働いて必ず期日通りにきっちり返していきます。マグロ漁船に一年間乗ってくる覚悟でいます。・・それと今回のお返事がダメだったとして別のところから融資をして頂いたとしても、末永くAさんとお付き合いをさせて頂きたいので今後とも宜しくお願いしますッ!!」
深々と頭を下げた。こんな勢いで話す主人は見たことがなく、本気で店をやりたいんだと思い泣きそうになった。
「・・わかりました。では、会議の結果は二週間くらい後になりますので」
「え!二週間ですか!」
今度は私が叫んだ。不動産、内装関係、ともに二週間後に返事をしなければならず、ノーの場合は間に合わない。わがままを承知で訊ねた。
「もうちょっと早くなりませんか」
「無理ですね。審査がありますので急いでも・・十日後かな」
沈黙してしまった。すると担当の人が言った。
「あの、もし会議でOKが出たとしても全額じゃないかもしれません。余計なことかもしれませんが、この自己資金の欄に書いてあるBさんにはもう行かれたんですか?」
「いえ!行ってません。こちらでどうしてもお願いしたいので」
「ああ、そうですか。・・んー・・なんと言ったらいいか・・・Bさんに行った方がいいと思うんですよ。私はお二人とこうしてお話をさせてもらったので会議で出来る限り推してみようと思ってますけど、複数の人間で決めますのでね・・今この書類をコピーして原紙をお返ししますから、ぜひこのままBさんに行かれた方が絶対いいです」
・・・やっぱりミラクルなことは起こらない。
大型クリップで留まった書類の束を持って、少し悲しい気持ちになりながらでも気持ちを切り替えてBに向かった。

トライ
三月の福島はまだ寒いと主人から電話があった。
金融機関Bに行った翌日「しばらく実家に帰る」と言って主人は新幹線に乗って帰省してしまった。
入院している義父のお見舞いと出店準備の進行状況を説明しに行ったのだ。こういうタイミングを見つけないと職業柄なかなかゆっくり実家に帰ることができない。
Bからの返事は【預金額と同額までは即融資可】だった。ただし他の金融機関からの借り入れが無い状態で、というものだった。
預金額と同額では足りない。主人の決断はAから全額借りられなければ出店しない、だった。
私はなんとかして店を出したかった。主人の父は息子の独立話を喜び、一時退院に向けて日々の苦しい食事療法に励んでいるとのことだった。
「いつまでも雇われてねぇでテメェでやっちまえ」と、義父はいつも言い続けていた。
やる気になった気持ちの波を逃すと今度はいつ店を立ち上げる話になるのか。お互いが別々に勤め始めたら、数年先になるのはわかっていた。
だったら無理をしてでも店を出して、ダメだったらその時また考えて・・と思っていた。
主人の実家の辺りでも“啓三が店を出すそうだ”と話題になっていたし、私も職場で聞かれれば“辞めるのは主人の店を手伝うため”と答えていた。
今までは言葉に出して自分を追い込んでいくことをなんとも思っていなかった。
しかしだんだん話が拡がっていき、自分が考えてもみないところから期待の声がかかるようになってくると“やっぱりダメでした”とは言い出しにくくなってくる。
途中まで力添えをしてきてくれた沢山の人に迷惑がかかると思うと、どんどん落ち込んで、悪い方に悪い方に考えがいってしまう。 
Aからの返事に全てをかけたやり方が果たしてあっているのか、それすら不安になってきていた。

金曜日の朝、総務課の人に声を掛けられた。
今度の月曜日、朝礼でする退社の挨拶を考えておいてくれと言われた。
四月一日付の転勤者と一緒にやるから全員が揃う三月最後の月曜に、ということだった。私はまだ辞める理由が“寿司店をやるから辞める”なのか“一身上の都合で辞める”なのか決まっていなかった。

その日の夜は本社から出張に来ていた人を交えて数人で食事をした。
ホテルに泊まる本社の人と帰り道が同じ方向だったので、市ヶ谷で降りて麹町に向かって歩きながら出店準備の状況を話した。
今日の夜がAの融資OKか否かの返事のタイムリミットだということ、この時間で福島から自宅に戻ってきているであろう主人から何の連絡もないということはやっぱりダメで、四月から新しく様々なバイトを探す生活になるかもしれないということ。酔っていたのも手伝って、ものすごく饒舌になっていた。
「・・・ちょっと、野上さん、野上さん!なんか鳴ってますよ」 
一緒に歩いていた後輩の男性が言った。
興奮してカバンの中のPHSが鳴っていたことに気が付いていなかった。
急いで見ると “Pメールガトドキマシタ” とある。主人からだ。そして
 “A ハ ユウシOK!!” と画面に出た。
「・・ギャーッ!やったぁぁぁぁぁっ」
その男性との挨拶もそこそこに、大妻通りから一本うらの急な坂道を一気に駆け下りて行った。
帰ると玄関に主人が立っていた。
「全額?ほんと?ほんとにOK?」
主人はうんうんと頷いた。
「会議が長引いて返事が今になっちゃったんだって」
「やったね!やったね!!私たち、・・・ほんとにやったね」
飛び跳ねながら、Pメールのメッセージはずっと消去しないでおこうと思った。

火曜日の午前中、半日有休をもらってBの相談窓口に行った。
二週間ほど前、名刺を貰った担当の人は私たちを見るなり爽やかな笑顔で迎えてくれた。非常に気まずかった。電話でお断りの返事をしようかとも考えた。でも、自分たちがもし逆の立場だったら・・。借りるお願いの時だけ直接来てしかも返事を保留にしておいて、他の金融機関が貸してくれると決まったから電話でお手軽にキャンセル・・というのはあまり気分のいいものではない。
もしイヤミのひとつでも言われたとしてもそれは自分たちのした結果なのだからちゃんと受けようと思った。
「先日の件ですよね。すぐにでもお話を詰めましょうか、さっ、こちらにどうぞ」
私たちより四~五歳若そうな紺のスーツに白いワイシャツが似合う担当の人はしっかりと向き合い、万全の準備ですといった感じになった。主人が言った。
「あの、実はAさんで融資が決まりまして、今日はお断りのご挨拶に来ました。申し訳ありません!」
二人で深々と頭を下げた。すると担当の人は少し驚いたようで、でもすぐに
「あー・・そうですかー・・・・あ、でもそれはよかったなぁ。いや実はですね、あのあともう一度書類をじっくり見させて頂きましたらね、預金額まではすぐ出るんですけど、そのあとお店だといろいろ修繕だとか、リフォームだとかで途中でまたお借り入れ・・ってことになる場合があるんですね。そうなると私どもですとなかなか対応出来ないんで、もし、野上さんがAさんでお借りになることが可能だったら、その方がいいんじゃないのかなぁー・・と、思っとったところなんですよ。いや、正直ホッと致しました」
と言ってくれた。そして
「そんな、Aさんに決まったんならお電話でもよかったのに、そんなわざわざ来て頂いて・・」
と私たちの目をじっと見ながら話してくれた。腹を割って話して本当によかったと思った。今回はご縁がなかったけれどまたいつか助けてもらうかもしれない。
すっきりした気持ちでBをあとにした。

一月から動き始めて約三ヶ月。
不動産屋さん、金融関係の方・・一体どのくらいたくさんの方々と出逢ってこの話を聞いてもらってきたのだろう。
でもまだスタートラインに立てたばかり。これからもっと知らない人と知り合い、新しい世界が拡がるのだ。もう後戻りは出来ない。
前へ進むのだ――――――!!!!!!

 


おかみノート2 サヨリの福玉~ガラスのまな板

2004-11-22 00:00:00 | おかみノート2

おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。


サヨリの福玉
ある日の午前中、仕込みをやりながら主人が話しかけてきた。
「水産会社の社長が言うんだよ。“サヨリの頭捨てちまうのか!エラの中に虫みてぇのがいるだろ。あれ焼いて食うとうめぇんだぞ”って」
「なにそれ、前に勤めてた店の話?」
掃除の手を止めて私は訊いた。
「そうそう。サヨリのエラを覗くと、五尾中三尾くらいにその虫が入ってるんだよ。泳いでいるとエラにいろんなものが付くでしょ、でも魚は手が無いから何も出来ない。で、虫が寄生しながらあれこれ動いてあげて、その代わりに虫はエラの中で外敵から守られているんだ。でもさ、うまいって言うけどその社長が実際に食べてるところはみたことないよ」
「水産会社の社長さんが言ってたってことは、本当においしいんじゃないの」
「かなー…」
「だよ、絶対そうだよ!やってみようよ」
「あ、そう。オレは食わないけど」
「私は食べる」
すると主人はサヨリの頭を落とし、エラを覗きながら数匹の虫を取り出した。
半透明の白っぽいふっくらとしたモスラの卵みたいなヤツが出てきた。
「うわっ、エラのスペースより虫の方が大きくない?よくこの中に収まってたね」
「人間で言ったらほっぺたパンパンに膨らました状態だよな」
笑いながら金串に刺して主人は言った。
「塩まぶして焼く?」
「そ、そうだね。塩味があったほうが食べやすいかな~、なんて」
好奇心でここまで事を運んでもらっていたが、いざ食べる瞬間が近づいてくると決心が揺らいだ。お腹の中に入れたらこのモスラの卵がまた卵を隠していて、どんどん増殖していったらどうしよう…死ぬかもしれない…でも食べてみたい。
考えていたら顔に血が昇ってきて心臓も乱れ打ちをしていた。
「はい、どうぞ。よく焼けたよ」
香ばしい感じに焼けたモスラを前に一瞬たじろいだ。
でもここまでしてもらって要らないとは言えない。思い切って前歯でちぎってみると、薄い殻とパサパサした中身で、噛んでいると少しシャコのような味がした。
「う~ん、おいしいような、あんまり味がないような」
食べて食べられないことはない、そんな感じだった。
「これ、名前なんていうの」
「さぁ、なんだろうなぁ。あ、でもこれに近い形は絵でみたことがあるよ。たしかこの本…」
江戸時代に描かれた、鯛の骨の部位を図説している絵にモスラはあった。
【鯛の鯛】や【鳴門骨】と並んでそれは【鯛之福玉】と書いてあった。
「鯛のふくだまぁ~?」
二人で同時に叫んだ。インターネットで調べたらシマアジなんかにもいるらしく画像を見るとやっぱりあいつだった。
「あ、今日、真鯛も仕入れているから見てみるか」
「おっと、それを早く言ってくださいよ」
興味津々で鯛のエラを覗き込むと、三倍くらい大きいのが入っていた。
「ギャー!でかっ寒っ」
「生きてるよ、オレの指をギュ~って足で掴んでるもん、ほら離れないよ」
人差し指をブンブン振り回している。
「ひぇ~・・」
「塩ふって焼く?」
「もう、けっこうです」
即答した。

どぼどぼ
主人が炊く魚のアラはとてもおいしい。
甘過ぎず
醤油が濃過ぎず
上品に仕上がっている。
『鮨雅』での修行時代
何度かお通しで食べさせてもらった。
アラはブツ切り
熱湯にくぐらせ
ひたひたに水を入れ、大鍋で煮込んでいく。
味付けは
砂糖ガバガバ
酒ジャブジャブ
醤油どぼどぼ
このとき鍋を覗き込み、汁がウーロン茶色になったら
醤油をストップする。
三十分も煮れば出来上がり。
煮魚、肉じゃが、里芋の煮っ転がし・・
醤油を入れて煮る料理はどれでも
ウーロン茶色から煮詰めていくと上手くいく。
一升瓶の醤油の口を
親指で弁のように調節しながら
大鍋にゆっくり円を描く主人の姿を見ていたら
急にそのことを思い出した。

お隣り
隣りはおすし屋さんだった。
物件を紹介された時に不動産屋さんから
「すし屋と言っても上方鮓だし、お持ち帰りがメインだから大丈夫よ」
と言われていた。
開店初日、沢山のお祝いの花が届けられ対応に走り回っていると酒屋さんから何かが届いた。
贈り主は隣りの関西鮓さんだった。
「お隣りからお祝い頂いたんだけど、どうしよう」
私がおたおたしていると手伝いに来てくれていた主人の父が言った。
「どうしようって、有難く頂戴すればいいじゃねぇか。寿司屋からだなんて、この上ない宣伝だぞ、どーんと飾らせてもらえ。…そうだな、お返しにうちの寿司でも持っていったらどうだ」
義父と主人はすぐさま細巻きを巻き始めた。
「ちょ、ちょっと、にぎりなら江戸前でかぶらないからまだいいけど、巻き物って思いっきりかぶってない?なんか挑発的な気がする…」
「上方鮓ってのは巻き物なのか?」
「いや、茶巾ずしとか押しずし、あと太巻きとかかな…まぁ、かぶらないっちゃかぶらないけど寿司は寿司だし、なんだかちょっとね」
「別にいいじゃねぇか。人数がいっぱいいるんだろうし、こういう時はな、ちょっとずつ皆で摘めるのがいいんだよ。それにな、堂々と最初に“うちは、こういう寿司を出すんです”というのを出したほうがいい。つべこべ言わずにさっさと挨拶してこい!ほれ行けっ」
ぎっしりと詰め込まれた色とりどりの巻き寿司に薄い紙の蓋をかぶせただけの折箱を持ち、足取り重く隣りの裏口に回った。
「あのー、隣りの寿司屋ですが・・先ほどお祝いを頂戴しましてありがとうございます。これ、あの、うちのお寿司なんですけど、よかったら皆さんで召し上がってください・・」
おずおずと私が差し出すと、大女将らしき人が受け取ってくれた。
すると私の手が蓋に触れてずれ落ち、中身があらわになった。
「あら、巻き物。えっ、もしかして上方鮓かしら。寿司屋さんとは聞いてたけど」
「いえいえいえ!江戸前ですっっ!!江戸前ですっ!」
「あぁ、そうなの。じゃ、どうぞよろしく」
「はいっ、あの、よ、よろしくお願い致します!」
最敬礼してすぐ逃げ帰って来た。
「どうだった、大丈夫だったろ」
義父は余裕の笑みを浮かべていた。私はちょっと血の気が引いていた。
上方鮓とは言え、やはり同業の方に寿司を持っていくっていうのはどうだったんだろう。今のことで気分を害されてしまったのではないだろうか。
しかしそれは杞憂だった。
お店の方が何度も食べにきてくださったりして、とてもいい関係になった。
考えてみれば、歴史的にも規模的にも象とアリくらいの違いがあるのだから深く考えず素っ裸になってうちの手の内を見せればよかった話なのである。
義父ははなっからお見通しだった。

ステン
「お父さんから引き継いだ道具ってこれだけなの」
私が訊くと主人はしばらく考えて
「そうだなぁ、包丁は兄貴や先輩からもらったものばかりだし、これだけだな」
と言った。
「店の準備の時さ、実家にある寿司桶とか土瓶蒸しの器とかもらいに行ったじゃん。そしたら親父がさ、このバット出してきて“持ってくか”って言うからけっこう軽く“あぁ”って言ったんだ。で、開店を手伝いに来てくれてた時にマグロのサクを入れながら“このバットはな、オレが店を始める時に買ったものなんだ。ものすごく高かったんだぞ。道具屋が安いのと高いのを持ってきて、両方ステンレスだけど安いのは錆びたりするから少し無理をしてでも高いのにしたら三代使えますよって言うから思い切ってそっちを買ったんだ。こうして見るとやっぱり一生もんだよなぁ”ってしみじみ言うんだよ」
最近売っているバットはネタを入れやすく薄型で重ねる収納が出来るものが多いけれど、父のそれは深型のたっぷり入るものだった。
小さい頃、大事なものを仕舞っておいたお菓子の缶を思い出した。
大きさから言うとそんな感じだが、四十数年経ったこの分厚いステンレス製のバットにはゆったりとした独特の佇まいがある。
マグロや白身がきちんと収められ冷蔵庫の一番下にいつもある。

心のベースノート
「なんだかここ落ち着くのよねー」
「ここに居るとほっとするんだよ」
寿司屋を始めて一年半。
私たち夫婦はこのひとことをききたいがためにやっているフシがある。
“おいしかった”といわれるのも嬉しいけれど
やっぱり“ゆっくりできた”といわれたい。
そんな、ゆるゆるとした空気感を大切にしたいと日々考えている。
空気感は全身で感じる香りだと思う。匂いはない。香らない香り。
飽きのこない香り。α波が滲み出てくる香り。
私はこれを心のベースノートと名付けた。
アロマオイルには三つのタイプがあるという。
揮発性の高い順にトップノート・ミドルノート・ベースノートといい、混ぜてあたためるとまずトップが香り、そしてミドル、しばらくするとベースがきて、実に奥深い香りになるらしい。
それを寿司屋にたとえるならば。
トップノートは穴子の炙った香りか、イカゲソを焼いた煙の匂いか。
ミドルノートは握りをほおばったときの、シャリの甘い香りか、お茶を口に含んだときの鼻から抜ける香りか。
そしてベースノートは。無味無臭だが、しっかりとした透明な空気たち。
空気感。
これが少しでも完璧でないと、せっかくの穴子も握りも台無しになってしまう。
空気感を愉しむために香らない香りに心を配る。
ほこりも多いと香りは愉しめない。
日々、店の掃除をしながら、また、花を活けながら、そんなことを考えている。
心のベースノート、保ちつづけたい。

寿司の自動販売機
昭和五十年代、のんちゃん寿司は東京の上落合にあった。
店から歩いて二十分くらいのところに淀橋の青果市場があり、そこの正門脇にはずらっと並ぶ自販機コーナーがあったそうだ。
その中に寿司の自動販売機が置いてあったという。
お父さんと職人さんが明け方三時まで営業した後、自動販売機に入れるための折り詰め作りをしていた。
「小学校低学年くらいだったかなぁ、割り箸入れたり包装紙にテープ貼ったり、小さいおてふき入れたりして。中身はかんぴょう巻きとかおしんこ巻き。自販機の脇にインベーダーゲームがあって、手伝うとやらせてもらえるから兄貴と一緒に運んでた。それで遊んで終わってから前の日の売れ残りを回収して帰ってくるの」
「二十四時間入れたまんま?」
私が訊くと主人は言った。
「あ、いや、一日二回だったかなー、あんまり憶えてないや。でも絶対やってたのは間違いないよ。ちょうどその頃欽ちゃんの24時間テレビが始まって、募金と一緒に持っていけって夜中に親父がその折り詰めを多めに作ってくれたもん」
「えっ、欽ちゃんに会えたの?」
「いや、いなくてスタッフの人に渡した」
ミーハーな私は主人のこういう話が大好きだ。テレビで見ていた憧れの東京がここにある。
特にすごいと思ったのは、ザ・ドリフターズの志村けん氏がのんちゃん寿司に来たことがある、ということだ。その時夜中だったのと、子供を呼んでどうこうする雰囲気ではなかったということで啓三少年は起こしてもらえず、翌朝泣きながら親に抗議をしたのだそうだ。『8時だヨ全員集合!』が全盛の頃のことである。
その後、寿司の自動販売機は半年くらいでなくなったという。

吟醸酒の会
吟醸酒の会当日は店を立ち上げて十日ほど経った頃だった。
「じゃ、行ってきます」
ランチの営業を終えてすぐ空きっ腹のままエプロンをはずし、地下鉄に乗った。
OLを辞める頃飲み屋のマスターから“日本吟醸酒協会主催・試飲の会”の入場券をもらった。
「俺、行かないから。よかったら行って」
友人二人との話題が寿司屋開店の際の日本酒選びの不安などだったからかわからないけれど、マスターは「行けば勉強になるよ」と言って送り出してくれた。
主人は寿司が専門で飲み物のプロではなく、私は何事にも素人のまま飲食業界に入るわけだから是非行って何かしら得たいと思っていた。
会場は赤坂プリンスホテルだった。入り口は裏側の方だったので迷ってしまいベルボーイの人に訊き、なんとか受付にたどり着いた。
主人の名前が書かれた名刺を出すともう一枚と言われ、首からぶら提げるピンク色のパスケースに名刺をホチキスで留められた。
いざ出陣とパーティ会場のような雰囲気に圧倒されながらも進んでいくと、係りの人にお猪口を渡された。
会場はお酒の竜宮城というか、もうパラダイスだった。三十以上の全国の酒蔵が自慢のお酒を飲んでもらおうとお祭り騒ぎのようになっている。
<岩手・浜千鳥><青森・田酒><奈良・やたがらす><長野・麗人><広島・賀茂泉>…
色とりどりの幟があがり、酒造会社の人はハッピを着てお酒を注ぎまくっている。
どうしてよいのかわからず他の人の様子を窺っていると、ほとんどの人が
お酒を注いでもらう→口に含む→酒蔵の人の話を聴く→杉みたいな植物が入っているバケツに吐き出す→ミネラルウォーターを飲む
という動きを繰り返していた。
見ると、柱まわりには沢山のミネラルウォーターと紙コップが置かれていた。
まずは最初の銘柄に挑んだ。確か田酒の一般販売していない限定醸造か何かだったと思う。「お願いします」と、お猪口を接客係の人に差し出すと首から提げた私の名刺をチラリと見ながらほんとに少しばかり注いでくれた。
お猪口に五ミリくらいだった。
ぐっと口に含んだらおいしかったけれど、ここで飲んじゃいけないことを思い出した。
日本酒のマスターからも「喉を通したららわからなくなるよ」と釘を刺されていた。
酒蔵の人の薀蓄をさも判っている風な顔をして聴き、クチュクチュとやりながらバケツにペッとやった。一応手で隠したりなんかして。
その後いくつかの銘柄を同じように繰り返した。
でも酒蔵の人も私と取引が成立するわけでもないし、私も的確な受け答えが出来るわけでもないし、なんだかよそよそしかった。
それにしても喉の手前で止めるのは難しい。飲み込めないというのはこんなにストレスが溜まるものなのか。
よく見ると、イエローとブルーのパスの人に対して酒蔵の人は、ものすごい熱心にアピールしていた。そりゃそうだ、イエローは大手百貨店の酒造コーナーのバイヤーだし、ブルーは酒の問屋なのだから。
なんだか知ったかぶりしてそこに参加している自分が背伸びしすぎて格好悪く、情けなく思えてきた。わかんないんだから。何やってんだ自分?アホか自分。あーあ、もういいや、飲んじゃおう。
「あ、これとこれ、飲ませて下さい、あ、こっちも全部お願いします」
もう、手当たり次第にガンガン飲んだ。
ミネラルウォーターが入った白い紙コップも握りつぶして捨てた。
「た、たらいまかえりましたぁぁぁ~」
店に帰って来たのは営業が始まってからだった。
「な、何を持ってんの?」
主人が言った。
私は両手に大きなケーキの箱を持って入り口でブレイクダンスを踊っていたそうだ。
『パティスリーSATSUKI』、ニューオータニのケーキ屋さんだ。
全然憶えていない。

ガラスのまな板
開店当初からずっと欲しいと思っていた道具にガラスのまな板というのがあった。
とり貝を貝からむき出し木や他の素材のまな板の上であれこれ動かすと、まな板のわずかにザラザラしているところととり貝のお歯黒という黒い部分が擦れて色が落ちてしまって商品価値が下がってしまうから、ガラス素材のものが欲しいんだと主人は言っていた。 
とは言ってもガラスのまな板は無いので、普通のまな板の上にラップを敷いてなんとか凌いでいた。
このラップ方式にはやや難があった。
とり貝をさばいた後の
ワタとラップがセットになって洗い場担当の私に来るのだが、本当は燃えるゴミと燃えないゴミに分別しなくてはいけないところをついつい生ゴミの落ちるところへ一緒くたに入れてしまうのだ。
とり貝はご注文を受けてからむくので、一日に五~六回は分別ルールを無視することになる。
生ゴミの中にビニールを混ぜて捨てることよりもっと後ろめたいことは人生において相当している。けれど、これがなんかやなのだ。
でも、もうそんな日々も終わりだ。
おかみノートで「トリ貝と沈丁花」を書き終えた時、これからは主人がとり貝をさばく場面が注目されるだろうと予想し、ガラスのまな板をついに特注することを決めた。
実は、注文する店は一年くらい前からチェックしていた。
奥を覗くと薄暗い作業場が見える近所のガラス屋さんで、よく前を自転車で通っては様子を窺ってきた。
しかし値段が分らない。一枚いくらするのか。
私の予想では850円だった。
というのも、店の脇に立てかけてあるジャマそうなガラスの切れっ端がちょうどまな板の何枚分かあり、捨てるにはナンだから置いてます、みたいな屑ガラスオーラを放っていたからだ。
捨てるよりは売れたほうがいい。ガラス屋さんの立場に立って手数料を考えると850円・・そんなものかなと思っていた。
「あの~、すいません。近くで寿司屋をやっているものですが・・」
奥から作業着姿のご主人が登場した。
「あの、とり貝をさばく時にガラスのまな板が必要でして、二枚くらい作って貰えませんでしょうか」
「えっ、何、とり貝さばくのに使うの?」
「はい、えーっと、黒い部分が落ちないようにですね、その~」
「なんだかわかんないけど、いいよ。フチを手ぇ切んないようにまぁるく仕上げりゃいいでしょ。どのくらいの大きさ?何センチか言って」
「えっと・・・じゃぁ、30センチ20センチで二枚お願いします」
「あそ。で、包丁当てんでしょ、つるつる過ぎると包丁の傷がついてかえってひっかかりが出来ちゃうから、表面つるつる、裏が加工の細かーいザラザラ、それだとどっちかの面でいけるでしょ。すごくいいガラスだから、まぁこれなら傷もつき難いと思うけどね」
「じゃあ、それでお願いします」
店の名刺を渡し、翌日取りに行く約束をした。
「もうバッチリ!!!絶対すごいまな板が来るからねっ」
興奮して店に戻り主人に報告した。
「でもさ、値段聞いてきた?」
痛いところを突かれた。私もそれがひっかかっていた。
「なんかさ、特注ってさ、聞けないんだよ。それ聞いちゃヤボな感じするじゃん、勢いみたいなものもあるしさ」
「そりゃそうだけど」
「だーいじょうぶだよ。そんなにしないよ。明日とってくるから」
主人に言われてなんとなく850円説は揺らぎ始め、最悪のケースを想定して一枚5000円×二枚分の1万円とあと万々が一のためにもう少し用意してガラス屋さんに行った。
「昨日お願いしていた者ですが・・」
「あぁ、出来てますよ」
新聞紙に包まれた30センチ×20センチの特注ガラスのまな板はずっしりととても心地いい重みだった。淡いグリーンの混ざったガラスを眺めながらジーンとなった。これがオリジナルのまな板か・・角なんか丁寧にまぁるく削ってあって素晴らしいっ。感動している場合じゃない、お会計だ。
「えっと、おいくらになりますか」
ついにきた。この時がきた。領収書を持ってご主人がやって来た。
「二枚で6000円になります」
ガーン!3000円。なんだ850円って!もうバカか~
私の心の動きを察知したご主人が言った。
「このガラスね、すごくいいものなんですよ。でね、割っちゃうとアレだから、もう一枚同じの作っときましたから、二枚で6000円なんだけど一枚余分に作っときましたからどうぞ」
さらに特別なガラスの種類なんだということをとても丁寧に説明してくれた。
ご主人としては、本当は一枚3000円じゃ済まないところを大きくおまけしてあげてて、なおかつ一枚余分に作ってあるんだからそんなにショックを受けないでおくれよ・・という気遣いがあるのだと思った。
勝手にゴミに出す前のガラスだと思っていたそれらは大事に扱っている立派な商品だったのだ。ごめんなさい、ガラス屋さん。
特注品というのは、金額の大小で一喜一憂するような人間が足を踏み入れちゃいけない領域なのだなぁと、改めてわかった。
ふと見ると、ガラス屋さんの時計は五時半を回っていた。
<早く主人に見せなくちゃ>
カゴから斜めに出ているまな板が落ちないように気を付けながら自転車のペダルをこいだ。