おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。
『 2カンのチャンチキ 』
寿司の教科書を見ていたら、江戸時代末期のにぎりずしが載っていた。
赤貝、きす、アジ、車海老などネタは今と同じである。
ページの隅に (原寸大) と書いてある。
ひとつのにぎりが現代のにぎり3~4個分はある。
私がじっと眺めていると、主人が言った。
「昔は屋台で注文するとき、“2カンのチャンチキ”といって、“にぎり2カンと、のり巻き1本”がほぼ1人前の分量とされていたって聞いたことがあるよ」
「のり巻きってかんぴょう巻きのことでしょ。何でチャンチキっていったの?」
「当時は細巻きを3等分していて、まず1切れを横長に置いて、そこに2切れをクロスさせて建て掛け、太鼓のバチに見立てた。で、チャンチキ」
「あ、なーるほど!」
指を宙で泳がせながら、チャンチキチキチキ・・・とやってみる。
江戸の香りが漂った気がした。
『 吉報つる 』
折り詰めをつくり、蓋をする前に必ず笹を寿司の上にのせる。
主人が好んで細工するのは“鶴”だ。
一枚の笹から出刃包丁で羽ばたく鶴の姿を瞬く間に切り出してしまう。
仕上げの、くちばしの部分は慎重に包丁を動かす。
細く長いくちばしで手紙をくわえているようにするからだ。
蓋をする前にお客様にご注文のとおりか中身を斜めに向けて確認していただく。そしてこう言う。
「上にのっている鶴は “吉報つる” と言います。よい報せの手紙を運んできますように、という縁起物の笹です」
さらに付け加える。
「笹はいまは水気を含んでいますが、やがて縁から乾いてこの鶴の羽の部分からどんどん丸まってきます。ビニールではなく天然のものだからです。どうか笹が乾いてしまう前に、お早めに召し上がってください」
殺菌効果だけでなく、笹にタイムリミットを知らせる時計としての役割があるのはこのとき初めて知った。
そのことを主人に話すと、「鶴や亀や松竹梅に切るのはもちろん、かなり以前は家紋を専門に切る笹切り屋などもいて、冠婚葬祭の
寿司桶にその家の家紋の形に切った笹を盛り込むことがあったのだ」と教えてくれた。
鶴を切るだけでもすごいのに、「吉報」をくわえて飛んでくるという発想が素敵だし、引き継がれてこうして今の時代にもあることが
いいなぁと思った。
『 ポッキーG 』
オフィスグリコの営業の人がパンフレットを持ってきたのは店を始めて二年半が過ぎた頃だった。
「富山の薬売りのお菓子版だと思っていただければ・・。ええ、ええ、そうです。オフィスのフロアーに置いてある、はい、あ、ご存知ですか。ありがとうございます。あの・・居酒屋さんやスナックで置いてあるところが好評なものでお寿司屋さんはどうかなーと思ったんですけど、一応ですね、パンフレットだけ置いていきますんで」
すぐに立ち去ろうとした営業の人に声を掛けた。
「あの、やります。やってみます。ダメだったらすぐにやめてもいいんでしょ?」
その場で契約の書類に住所やら必要事項を記入し、準備が整い次第お菓子のボックスが運び込まれることになった。
しばらくして届いた引き出し型のケースにはぎっしりお菓子が入っていた。
「しかし決めるの早かったねー」
契約の時黙って見ていた主人は半ば呆れ気味に、でも愉しげに言った。
「無意味かもしんないけど現状を打破したいんだよね。お菓子があるからお客さんが来てくれるかどうかなんて、それはちがうかも しれないけど、なんかさ、この鬱々とした空気が動く一要素にはなるかもしんないじゃん。あと会社辞める時には無かったんだけど、 今はフロアーにあるみたいでさ。カエルのパックンていうのを一度やって みたかったんだよね」
もがきという言葉がぴったりの状況だった。
閑さ加減を見かねていろいろアドバイスをくださる方のお声をきちんと聴けていなかったと思う。特に自分の耳に痛いことは。
突き刺さったのは、お二人の方から同じことを言われたことだ。
「雑誌に載ったら店の雰囲気が変わるという危惧はわかる。でもな、野上君の腕は良く何ら問題は無いのにここまで店がヒマでそれでも手を打たずツッパッてな、もし潰れたとしたらそれは広告担当であるお前のせいだからな」
「この店、ダメになったらご主人ではなくあなたのせいですよ。わかってますよね?」
オフィスグリコを採用するのが正解ではないというのもわかっていた。
むしろ現状から逃げ出したいがためにあえてズレたものに執着したいというふしもあった。
だから私はヘンにはしゃいだ。
「すごいよ、すごいよ、お菓子屋さんじゃないのにお菓子を仕入れた気分だよ」
ボックスの中を覗くとコンビニで見たことのあるものもあれば昔懐かしのキャラメルも入っていた。
上段は小さめなもの。ビスコ・アーモンドグリコ・キスミントなど。
中段はWILLブランドのチョコ三種やひとくちサイズのクッキーや袋入りのプリッツや百恵&友和、俊ちゃん&聖子ちゃんのアーモンドチョコ。
下段は深くなっており、コロンやキティランドビスケットが入っていた。
小躍りしながら騒いでいると主人が言った。
「あのね、あくまでもお預かりしているだけだからね。減った分だけお金を払わなくちゃいけないんだよ」
「わかってますよ、百円でしょ?そうそう、これをやってみたかったんだよね~」
書類ケースのようなそのボックスの端にはプラスチックのカエルが載っていた。
口を開けており、そこに百円玉をひとつ滑り込ませるとパックンと呑み込んだ。
「やったー!パックンだパックン!!さ、ひとつ取ろう。何にしよう」
中段の引き出しからショートブレッド・SUNAO<プレーン>というのを選びカウンターに座って食べ始めると、営業の人が置いていったクリアファイルが目に留まった。
「すっごい、商品一覧表。こんなにあるんだー。へー、リクエスト用紙もあるよ。あ、でも100パーセント希望が通るわけではないんだ。在庫があればの話でね。はいはい」
それから三ヶ月ほど減っては補充、減っては補充を繰り返した。
メンテナンスの営業の人は日によって変わったけれど、どの方も礼儀正しく親切で、いつも気持ちよく対応をしてくれた。
お客様は面白がって帰りに買っていかれることもあった。
だからといって店の経営がたちどころに改善したかと言えばまったくそうではなかった。
「もー!なんでポッキーGはダメなのよう!!」
A4のリクエスト用紙に向き合いながら叫ぶと主人が仕込みの手を止めて言った。
「なに、ずっと入ってこないの」
「もう何回リクエストしたかわかんないよ!」
「新製品なんだっけ?」
「そう」
始めてから半年ほど経ち物珍しさもなくなり、正直に言えば品揃えなどのメンテナンスが重荷になってきていた。
でも契約を打ち切るほどの踏ん切りもつかず新製品投入で活気づけたかった。しかもポッキーGはコンビニやスーパーでもなかなか手に入らなかったのでどうしても食べてみたかった。
「大きいオフィスとか優先なんじゃないの?わかんないけど」
「でもさー、ずっと待ってんだからさー。コメント欄にもお願いしますって書いたしさ。一個ぐらい分けてくれたっていいじゃん」
「メンテナンスの人に言ったの?」
「言ったよ。でもいつも品切れだから違うものを補充しますねって」
「じゃあしょうがないじゃん」
「でも一回でいいから食べてみたいんだもん」
「あくまでオフィス・グリコなんだから。スシヤ・グリコじゃないんだから」
「わかってるよ!」
用紙を抱え込み、ポッキーGの注文個数欄のところに上限である「3」を鉛筆で引きちぎれるくらいの筆圧で書いた。
ポッキーGへの熱い思いもあまりの入荷のなさから醒めかかっていたある日、店の近くを手押し車で颯爽と歩くメンテナンスの人を見掛けた。面識のない方なので担当エリアが違うのかなー・・と思って手押し車のストックに目をやった。
「あっ、ポッキーG!」
なんとお菓子が詰まっている手押し車の側面に“ポッキーG”が満員電車のドアに貼りついた人の頬っぺたみたいに透けて見えた。
なんだ、あるじゃん。ポッキーG。でもまぁ、エリアが違うってか・・。
しょんぼり店に戻ると、主人にオフィスグリコを辞める旨を伝えた。
「え?もういいの」
「はい」
「もう少し待ってればポッキーG入ってくるんじゃない」
「いや、もういいです」
ポッキーGが好きなんじゃない。終わらせるキッカケを探していたのだ。しかも自分に非の無い形で。
その証拠に契約を終了する理由欄に“ポッキーGがあるのに入ってこなかったからです”と私は書いた。
この卑怯なオフィスグリコの件はほんの一例だ。
私は心に余裕がないとき、常に弱者に八つ当たりをしていた。
その時の関係性での強者と弱者という意味だが、たとえば合羽橋で食器を買うときのお店の人だったりスーパーのレジの人だったり銀行の窓口の人だったり。
少しでも相手に非があればメッタ打ちにして気持ちよくなっていた。
しばらくぶりに思い出し、実はそうしていたのかと気付いたのが最近でこれは記しておかねばと思った。
傲慢な日々のことを忘れるな。
それにこれからもやるかもしれない。
それでも思う。
こうして戒めながらも
過去の自分の臆病な心のあり方は完全には否定せず
そっと抱きしめてやりたいと思った。
『 うえちゃん 』
主人の毎日は概ねこうだ。
6:20起床、シャワーを浴び、6:50バイクで築地に向かう。
7:20築地市場に到着。仕入れを終え、店には早ければ9:00ちょっと前、遅い時は9:30過ぎに到着する。
それから仕込み。
まずラジオのスイッチを入れる。
ニッポン放送からは『うえやなぎまさひこのサプライズ』という番組が流れてくる。
“うえちゃんのサプライズ”を聴きながら仕込みをするのが主人のスタイルだ。
手を動かしながら聴けるラジオは時計代わりであり、ニュースを仕入れる情報源なので欠かせないものだ。
東京駅のコンコースで“うえちゃんのサプライズ”が公開生放送されると知った主人は、「定休日だから行く」と言った。
早起きして行った会場には既に100人くらいの見物人がいて、並べられたパイプ椅子にほぼびっしり座っていた。
「前の方、飛び飛びに空いてるよ、座れるよ」
と私が言うと、主人は
「いや、オレは後ろで見てるから」
と言って腕を組んだまま動かなかった。
映画館などもそうだが、主人は自分の座高が高いと後ろの人に迷惑だからと言ってとても気にするのだ。
番組開始まであと15分。その後もきっと1時間くらいは見ていくだろうから、私だけ前の方の席に座った。
開始10分前。新人の女性アナウンサーが挨拶をし、前説のような話をした後ついにうえちゃん登場ということになった。
うえちゃんは舞台袖からではなく、会場の横の見物客が座っている脇のあたりからフラッと現れた。
「うえちゃ―――っん!!うえちゃ―――っん!!」
男の人の声で、しかも「う゛え゛ぢゃ―――っん」みたいなダミ声で叫んでいる人がいる。
あぁ、きっと熱狂的なファンの人なんだろうなぁ・・と思って後ろを向いたら主人だった。
「う゛え゛ぢゃ―――っん」
うえちゃんは声がする方に軽く手を振ってステージに上がった。
8:30スタート。
あとは公開生放送がどんどん進められていった。
主人が大きな声を出すところを初めて見た。
あんなふうに熱くなるんだ。
ちょっと驚いた。