おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。
まかないの掟
オープン数日前のこと。
内装工事が終わって食器や調理器具を運びこみ、床にビニールシートを敷いた上でコンビニのお弁当を食べながら主人は言った。
「今はまだいいけどさ、店のまかないを作る時にニンニクを入れないでね」
「えっ、ニンニク嫌いだったっけ」
「いや、大好きだけど寿司を作る者として一切の余計なニオイを放ちたくないからもう食べない」
「えー・・っと、たしか勤めていた時は食べてたよ・・ね」
「まぁ土曜の夜とかね。休みの日でたまたま料理に混ざってたらそりゃ食べるよ。でも基本的には極力摂らないし。特にすりおろしたのは絶対にダメだから」
私が実家の母に習ったカレーにはすりおろしたニンニクが入る。
「カレーもですか」
「カレーも、です」
「ミートソースにでもですか」
「ミートソースにでも、です」
お義母さんの作るまかないのミートソースはすごくおいしくて以前レシピを教えて貰ったメモをボロボロになるまで繰り返し見て覚えたことがある。
<ほんのちょこーっとね、ちょこーっとだけニンニクを細かく刻んだのを入れて始めに炒めるとおいしいのよ>
親指の爪で小指の腹の真ん中あたりを押しながら私に教えてくれた。そのミートソースをも封印すると言うのか。
もはや牛乳とかリンゴジュースでどうこうするという話ではないようだ。
「わかった。入れたいけど入れないよ」
さようなら、ニンニク。特にすりおろしニンニク。
またいつか逢おう。
小樽の店
小樽に来たからにはどうしても納得のいく寿司屋に入りたかった。
ゴールデンウィークを使って旭川空港から入り、レンタカーで道央・道東・稚内、札幌と巡り、車を返して電車で小樽に来た。
正味四日間で小さく北海道を一周するというタイトなスケジュールで、しかも予約した各地の宿泊ホテルの夕食の時間には絶対に遅れてはならないというツアーを選んだため、ずっと走りっぱなし、パリダカのような新婚旅行だった。
さて、どうしよう。小樽になんのコネも知識もない私たちは、地元の人がよく行く寿司屋を訊いてしまうのが一番早いと思った。
「えー、いいですけど・・歩いて二十分くらいありますよ」
寿司屋を知っているというガラス工芸品を置いてある店の人が書いてくれた地図には、ほとんど目印らしきものはなく<アーケード街が終わるかなー・・というあたり>というヒントだけを頼りにひたすら歩いていた。繁華街からどんどん遠ざかっていた。
「アーケードったってなぁ・・三十~四十年前はここが栄えてたんだろうけどなぁ。ほとんどシャッター閉まったまんまじゃん」
「看板は出てないかもって言ってたよね」
日が暮れたせいか小樽特有の飴色の空気はますます濃くなってきた気がする。
「・・ここじゃねぇか?」
ガード下の焼き鳥屋という感じの店構えだった。
引き戸の上のほうを覗くと奥に裸電球のオレンジが見えた。
大将がいる。
「ここだ、混んでる。お客さんでいっぱいだよ」
入り口に待合用の丸イスが二つ並んでいた。
「いらっしゃい。時間かかりますけど、急ぎます?」
手の動きを止めずに私たちを見ながら大将が言った。首をブルブル振ると大将は目線を落として再び仕事に没頭した。
「どうぞ」
声がしたので右を向くとエプロンをした女将さんがカウンター越しに丸イスをすすめてくれた。
カウンターに座っている人と同じ向きに並んで腰を掛けると大将と女将さんの動きがちょうどよく見えた。
大将は使い込まれたまな板の上でマグロの表面を焼いてヅケにしたものや煮蛤を握っては目の前のお客さんに出していた。
「江戸前だね」
「生のエビやホタテばっかりじゃねぇな、だから人気あんのかな」
女将さんは右手に菜箸を持ったまま焼き網の穴子を凝視していた。家庭用コンロのかなり強火で炙っている。もうもうと煙が出ていた。ほんの一瞬の動きで大将の待つまな板へのせた。
大将は研ぎに研いで小さくなった出刃の刃先をコトンと穴子の上にのせる。出刃の重みだけで穴子の肉厚の部分が二つに分かれ、くっついたままの皮目は左手を峰に添えながら体重を少しかけるだけで切り離す。
切ったところから湯気が昇り、小骨がワシャワシャと見えた。
「骨すげぇな。かなり大きめの穴子使ってるな」
大将はその手では似合わないような細かい動きで小骨を何本か抜きすばやく握る。相当熱いはずだ。
「はいっ」
大将の合図で素早く女将さんがテーブル席にその穴子を運んだ。
三十分後には同じテーブルに座っていた。
箸を置き、垂れた煮詰めがくっついたゲタに視線を置いたまま飲み込んだ。
シャリと、穴子と、煮詰めと、黒く焦げてピンピン出ていた小骨も一緒くたになって食道を通過していった。
「・・おいしい」
主人も黙ってはいるけれどおいしいと思っているはずだ。
いつになるかわからないけれど、こんなふうな店をやりたいと思った。
海苔の背を叩く
白い帯で封をされた海苔は、100枚で束になっている。
帯をちぎり30~40枚くらいまとめて持つと厚さは5cmくらいある。
細巻用の大きさにするには半分にしなければならない。
分厚い海苔の束は、そろーっと端と端を合わせようとするとU字の磁石を少し押しつぶしたような状態になる。
そこで主人の動作は止まった。
「このままバリッと上から押すと、真半分にならないんだ。長いのと短いのができちゃうんだよね。だからこうするの」
五木ひろしのモノマネかと思えるような仕草で右手を拳にし、折れ曲がりそうになった背の部分を斜め45度の角度で慎重にトン、トン、トン、トンと叩き出した。
「えー、そんなんで切れるの?」
「そりゃ、一枚ずつ包丁で切ったらきれいに切れるよ。でもそんなことしてたら仕事が終わらないでしょ。素早くいっぺんにまとめて切ろうとしたらこうするのが一番早い」
「ひぇー、すごい。こんなの誰に教わったの?」
「兄貴かなぁ」
やっぱり清二さんはすごい。
新宿御苑
ある夜
お客様がお見えにならない日が続き
落ち込んだ気持ちを転じるために
カウンターに立つ主人の前で
欽ちゃん走りをし
坂田師匠のモノマネをし
デューク更家氏のウォーキングをし
主人に「もういいよ」と言われ
ガランとした店内で
自分たちのやり方が間違っているのか、とか
うちの店を知っている人が圧倒的に少ないんじゃないか、とか
近所のほかの寿司屋は混んでいるのか、とか
堂々巡りになるようなことばかり選んで
弱い自分から目を逸らそうとして
一方的にまくし立てた
「三年持てば店は安泰」
この定説らしきものはいったい誰が言い始めたのか
もうすぐ三年になろうとしているのに
うちはいつ潰れたっておかしくない
なんとか店を維持しようと
二時間だけ
ランチタイムの時給が1400円にハネ上がるカレー屋で
バイトすると言った
主人はダメだと言った
じゃあ、どうすればいいんだ
四月の中旬
八重桜にはまだ早い
でもどうしても桜が見たいと
百円玉4枚をふんぱつして
倒れこむように入った新宿御苑
ベンチで見上げた空はみずいろ
覆いかぶさるような桜の枝々
自分で決めた道とは言え
あまりの前への進めなさに
悔しくて
上を見たまま涙が湧いた
桜は
亡くなった人を思い出す
祐兄ちゃん
お義父さん
この辛さはいつまで続くか教えてください
出口近くの舗装道路には
花びらではなく
花のかたちのままの桜が不自然なほど散らばっていた
見上げると
小鳥が二羽くちばしで
満開の花の首のところをついばみ続けていた
花のかたちをしたまま
くるくると回りながら落ちてくる
主人とその下に立ち
いくつも
花のシャワーを浴びた
人生の最期に見る映像のラッシュがあるならば
きっとこのシーンは入ってくる
辛くても
いいこともあるもんなんだな
数寄屋橋交差点
携帯が鳴った。
ゆっくり上体を起こし、焦点の合わない目を凝らしながら画面を見ると“野上啓三PHS”の文字が出ていた。
「・・どうしたの?」
点けっぱなしのテレビは『特ダネ!』をやっていた。
「寝てた?あのさ、いま数寄屋橋なんだけど」
「え?数寄屋橋って数寄屋橋交差点?」
「そう。交通事故起こしちゃって。今から救急車乗るから」
「きゅ、救急車?ちょっと、だいじょぶなの!?」
「大丈夫、バイクですっころんで、ちょっと膝打っただけだから。今からタクシーの人が魚を持って店の前にくるから、とにかく冷蔵庫に全部突っ込んどいて」
「・・・えぇ?」
タクシーで魚?
とにかく顔を洗い急いで店に行く。シャッターを開けて電気を点けていたら、バンジュウという河岸で仕入れた魚を入れる箱を持たされた見知らぬ男性と主人が上がって来た。
「ここ、カウンターに置いてくれればいいですから」
主人の指示で降ろされたバンジュウの中には砕いた氷が沢山入ったビニール袋が無造作に載っており、その下には魚や貝が見えた。
「はい、あの、この度はとんだご迷惑を・・・すいません」
私に向かって男性がお辞儀をした。
「その話はあとでいいですから。先に病院連れてってください」
「・・はい」
その男性は階段で先に下りて行った。
「怪我、どこ?大丈夫なの」
「いきなり前のタクシーが左折してね。直進しそうになってたからわざと転倒して。膝がね、ちょっと。体重を支えちゃったからね。そしたら数寄屋橋の交番からお巡りさんが一斉に飛び出してきて、タクシーの人と交番の人みんなで道路に散らばったスズキとかヒラメとか拾ってくれて。オレは大丈夫だって言ったんだけど、絶対病院に行けって無線で救急車呼んでくれて。で、いっぺん病院に行ったんだけどやっぱり魚のほうが大事だからさ。加害者に乗せてきてもらっちゃったよ」
「いまの人?」
「車ん中さ、ずーっと気まずいの。黙っちゃって」
「病院どこ?」
「木挽町病院」
膝を庇いながら歩く主人を見送り窓から新宿通りを見ると、九時出社にはまだ早いからなのかゆったりと歩いている人が数人見えるだけだった。
トイレで鏡を見たら目の下にクマがあった。とりあえず仕入れたものをすべて冷蔵庫に入れた。
主人が帰ってくるまで少し時間がある。
となりのコンビニで缶コーヒーを買ってきてカウンターで飲んだ。
今回は何故かそんなに驚いたりうろたえたりしていない。
慣れか。いや、救急車に慣れてどうする。
未熟ながらも二年ほど店をやっていることで妙に度胸がついたか。
いずれにしても築地に通う途中に何があるかわからない。そしてもっと可能性を言えば包丁を使っているのだから大きな怪我だってしないとも言えない。
いろんなことを覚悟しなければいけない商売なんだなと思った。
処置を終えて戻ってきた主人が冷蔵庫を覗きながら大声をあげた。
「あっれぇ?いくら捜してもワサビが二本見つからねぇ。どこ行っちゃったんだ?オレたしかに買ったのに」
その日の数寄屋橋交差点はおそらくタイヤに何回も砕かれ潰されたワサビでツーンとなっていたに違いない。
足袋
きもの教室に持っていく道具を確認しては大きめのカバンに入れていく。
白い熨斗烏賊みたいになっている足袋は24cm。
「足袋はね、一度か二度使って洗ったものだけどお稽古なら別に問題は無いでしょ。とりあえず家にある着物関係のものは全部送るから、まぁ勝手におやんなさいな」
実家の母は言った。
「はいっ靴下を脱いで、持ってきた足袋を履いてくださーい」
着物姿の先生が歩きながら声を掛けていく。
二十畳ほどの稽古場に横並びで十五人、そして前にも十五人。
初級講座は無料のせいか大盛況だった。
取り出した足袋を見て動きが止まった。
指の入る部分の分かれ目が真ん中にきていた。というか、そう感じた。
ブタのイラストの爪の部分のような、バルタン星人の手のような、あるいは桜の花びらの一片のような。
とにかくシンメトリーな感じであることは間違いない。
ゴソゴソと履いてみると中指と薬指のあいだに分かれ目がきた。
これはおかしい。親指1:他の指4になるはずなのに3:2になっている。両隣の人を見ると既に履き終えていた。
「はいっ次いきますよ、立ち上がってー」
まずい、先に進んでしまう。このまま進まれると困るので勇気を出して質問した。
「先生、親指が入る場所に三本くらい指が入っちゃうんですけど・・」
目の前を通り過ぎようとした先生が立ち止まり、私の足を見て言った。
「あなた、ちょっとこれ、左右反対よ!コハゼが外側にきちゃってるじゃない、待っててあげるから急いで履き替えなさい」
寿司屋の女将なんだから着物くらい自分で着られなくちゃと飛び込んだ教室。
足袋は七五三を含めて数回は履いたことがあるのに、まさか自分がそんな簡単な間違いを冒すとは。
横に並んだ人たちがなんとなく顔を出しては引っ込めるという動きを始めた。前の列の人たちも荷物を捜すふりをしてチラチラ後ろを見ている。
(足袋の右左もわからないアホはどんな顔だろう)
空気がそうこだましているようだった。
体育座りの姿勢で私だけが必死に動いている。
耳が熱い。
浴衣
通い始めて三ヶ月。
そこのきもの教室はすべての教材を一斉に買わせるのではなく手持ちのものがあればそれをどうぞお使い下さい無ければ購入もできますよ、という方針だったからお金が無くてやる気だけ満々の私としてはなんとか母から送って貰った着物関係のダンボール箱の中から間に合わせようと必死だった。
自分が持っていく帯や長襦袢は、教室認定のワンタッチで開閉できる洗濯ばさみのようなものが付いているものとは違っていた。
それらを欲しいとは思わなかったけれど、自分だけが教室認定のものをひとつも持っていない状態がずっと続くとイヤでも目立ってくる。
もちろん何も買わなくても責められることはない。
ただ、何というか、例えばヤクルトの外野席で皆がビニール傘を振っている横でジャビット人形を抱きながら読売新聞を読みふける、みたいな居心地の悪さがそこにはあった。
教室が勧めるものをほとんど全部買って先生と和気藹々な雰囲気で授業を受けている人たちが羨ましかった。
次の授業は“浴衣の着付け”だった。
前日にまたダンボール箱に手を突っ込んだ。
すると、きちんと畳まれた白地に紺のチェック柄の浴衣が出てきた。
「お祖母ちゃんが縫った浴衣も入ってるからね」と母が言っていたのを思い出した。
拡げてしまうときちんと畳めないのでそぉーっと持ちながら柄を見ると、チェックの線が竹になっていて節々がポップな感じに切れている。ひょっとしたら江戸紋様のなんとかいうものなのかもしれないが、見ようによってはエルメスだかセリーヌだかのスカーフに縁取られている柄に似ている気がした。
海外のブランドがもし浴衣を作ったらこんな柄になるのかもね、なんて思いながらカバンに詰めた。
「浴衣はね、裏に力布が付いているのといないのがあるのよ。はい、自分の持ってきた裏地をよく見てくださいねー。背中の上のほうには“肩当て”。お尻全体の座ったり立ったりに負担がかかるところには“居敷当て”。補強のための生地が付いてますか、はい、見てー。そう、ほら、ね。これは付いてる」
先生がひとりずつチェックを始めた。
いつもの日曜午前中クラスのメンバーが五人、色とりどりの浴衣を並べていた。
「あれ、野上さんの、シブーい」
同級生が私の浴衣を見て言った。
「なんか、古臭いでしょ。祖母が縫ったものらしいんだけど」
「え、いいじゃん。かえって新しいってカンジだよ。いいよ、いいよ!」
「そ、そうかな~」
ちょっと嬉しかった。
「はい、ほら、野上さん。見せてごらん拡げて。え、手縫い?おばあちゃんの?あらま、いいじゃない。どれ、裏はどうなって・・・ん?」
全員が裏地に釘付けになった。
他の人のものはほとんどがサラシの無地だった。
でも、これは明らかに違う。
同級生が肩当てのほうを読み上げた。
「・・善光寺、参拝記念」
お尻の部分をまた別の人が読み上げた。
「牛に・・引かれて・・善光寺、詣り・・?」
オリジナルにもほどがある。
祖母は善光寺土産の手拭いを分断して当て布にしていた。
お尻の部分には“牛に・引かれて・・”の四行の文章の下に善光寺と松の風景が茶と紺と緑色でデカデカと描かれていた。
「・・あらぁ、なんだか縁起がいいじゃない?」
先生が言った。同級生たちは固まっていた。
「そ、そうですねえ!わはははは~!!私のおばあちゃん、面白いっすねぇっ、いやぁ~まいった!!!」
私がひとりではしゃぎ、笑った。
皆が困っているのが何ともいたたまれなかった。
『善光寺詣り』をお尻に持ってきた祖母。
こんなシュールな浴衣を作る人だったなんて。
あまり接点がないと思い込んでいた祖母のことを亡くなって二十年近く経ってから考えるとは思わなかった。
「寿司屋の女将なのに何かヘンじゃない?どことは言えないけどさ」
とお客様から言われ続けて数年。
もしかしたら私は祖母の“善光寺センス”を受け継いでいるのかもしれない。
おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。
予行練習
オープン初日の予約は鮨雅時代のお客様と私の職場の同僚で埋まっていた。
予約ノートを見ながら祐兄ちゃんが言った。
「11日がオープンだけど、事前に知り合いの人に頼んでお客さんの席に座ってもらってよ、啓三が寿司を握ったり、有紀子が飲み物出したりしてみたほうがいいな。動きがスムーズに行かないところとかな、絶対に出てくるから。今はわかんないだろ、どこが問題か。実際動いてみるとあるんだよ。友達なら遠慮なく気付いたことを言ってもらえるし、いいだろ?・・そうだな、ほんとは余裕をもって2~3日前がいいんだけどよ。啓三、どうだ、できそうか?」
「いや~・・穴子の煮つめなんかまだこれからだし・・どう頑張っても前日かな」
「前々日とか無理か」
「無理」
「よし、じゃあ前日。10日の日に予行練習。で、初日を迎える」
「えー、何頼んでもいいの?」
プラスチックのスタンド型のおしながきを手に取りながら私の友人が言った。
「うん、もう練習だからどんどん言って。明日なんか満席だからこんなもんじゃないし、一気にわざと“わーっ”て言ってもらってもいいんだけど」
すると主人の友人が手を上げて言った。
「じゃあさ、俺、生ね。そのあと瓶。あとウーロンハイと熱燗と、冷酒と・・。とにかくさ、全部飲むから一通り出してみたら」
祐兄ちゃんは手伝うとかえって私たちのためにならないからと言ってどこかに外出していた。お義父さんは同じビル内の雀荘のマスターに誘われ「宣伝してくる」と言って販促物のライターを一箱抱えて消えてしまった。
意外にも飲み物を作って運ぶのは順調で、主人が穴子のにぎりを出すのを見ながら(あぁ、穴子の煮つめを作るの間に合ったんだ)と心配できるくらいの余裕を醸し出していた。
カウンターに並んだ友人の面々は、けっこうお腹いっぱいになってきたようだった。
そろそろお茶でも、と準備に向かったとき友人が言った。
「カメちゃーん、このさ、“おすすめのアイスクリーム”っていうの、どんなの?」
暖簾から顔を出して私は言った。
「あ、頼んでくれる?これ食べてみて欲しかったんだよね。見ただけだと何のアイスかわからないと思うよ。当ててみて」
「ふぅーん、じゃ、それ二つ」
「かしこまりましたーっ!!」
倉庫に置いてある大型冷凍庫から5リットル入りの業務用の容器を取り出した。それはプランターのような形で底が深く、ずっしりと重い。
「カメ、めし行くぞ」
プリンターのところで自分の出したデータが出力されるのを待っていると後ろから声がした。
「え、私?」
「今月末までやろ。送別会したろ思うてももうタイミングが昼しかないねん。あの、同期の、あの子も呼べ」
「○○ちゃん?」
「そうそう。はよ、行くぞ」
今はもう部長の、かつては同じ課の先輩だったその人には私を含めいろんな人がずいぶんとお世話になった。私たちだけでは到底敷居が高くて入れないような食事をする場所に「勉強だから」と言っては連れて行ってくれた。
揚げたての天麩羅を食べながら、寿司屋を立ち上げる話をすると「カメが好きなようにやったらええ」と言ってくれた。
コースも終わり、ほうじ茶とともにアイスクリームが運ばれてきた。
「・・・・!」
おいしい。なんだこのアイス。板前さんに尋ねた。
「これ、なんのアイスですか」
「白胡麻と黒胡麻です。白いから何だかわからないですよね。外側の皮を剥いて作っているんですよ」
「ぬぉぉ・・」
あまりの衝撃で唸り声にしかならない。
「カメちゃん、たしかデザートで悩んでたよね。抹茶アイスとか柚子シャーベットじゃないもので何かないかなって。これ、お寿司屋さんでも“和”だから合うよ。いいんじゃない?」
同期の問いかけに頷きながら正面の板前さんに訊いた。
「これ、手作り・・ですか?」
「いえ、違います」
「あの、・・仕入れ業者さんとか教えてもらえませんか」
「・・・と、それは勘弁してください」
間髪入れずに言われた。
「ですよね。はい、わかりました」
そう甘くはない。
ぼちぼち探していつかこのアイスに辿り着けばいいと思った。
その後、清二さんの勤めている寿司屋さんがアイスクリームを業者から仕入れていると聞き、商品の一覧表をFAXですぐ送ってもらった。
胡麻のアイスがあった。しかも三種類も。
営業の人は、抹茶、あずき、柚子、胡麻、きなこなど、20個くらい試食用のカップアイスを持ってきてくれた。
白い胡麻アイスはひとつしかなかった。ひとくち、口の中で溶かして味わってみる。
「・・これだっ!これ○○ホテルの天麩羅屋さんに入れてるなんてことないですよね?」
「え、入れてますよこれと同じもの。ご存知なんですか?」
「おお――――!!!」
主人とふたりで叫んだ。
ディッシャーをカシャカシャと動かしてみる。自分でこれをパカッとやってみたかったのだ。いざ、最初のひとすくい!
ガチッ ガチッ
え、なんで・・?ディッシャーがアイスクリームに入っていかなかった。
その瞬間わかった。
冷凍庫の温度は常にマイナス50℃に保たれているのだ。寿司屋の業務用冷凍庫は家庭用のフリーザーとは違うのだ。それをすっかり忘れていた。
そりゃ固いはずだ。バナナで釘が打てるのだから。
外気との温度差があり過ぎて、こまかい湯気のようなものが表面からわんわんと出ていた。
しかし、このまま待っていてもそう溶けるものでもない。
「カメちゃん、まだぁー?」
客席から友人が冷やかし半分に声をあげる。
「はぁーい、ただいまぁ」
とは言ったものの、どうやったら溶けるのか。ふと横を見るとおしぼり保温器が目に入った。
「これだっ」
アイスクリームと蓋の間には保護のために薄い半透明のカシャカシャしたビニールが一枚かかっている。その上からおしぼりで温めよう。
巻いてあるおしぼりを伸ばし、二枚拡げて覆ってみた。
「・・どうだ・・どうだ」
みるみるうちにおしぼりは冷たくなり、やがて板状のタオル、というか巨大な白い油揚げのようになってしまった。
「か、固いっ」
しかもアイスはいっこうに溶ける気配もなく、おそらくマイナス50℃がマイナス45℃になったくらいのまま、プラスチックの容器に霜みたいなものをどんどんつけながら作業台の上で、びくともせずに座っていた。
「・・ちょっとー。今日はいいけど、本当のお客さんだったらシャレになんないよー」
友人の声が聞こえる。
「は、はぁ~い。ちょ、ちょっと待って、もうすぐ・・」
ま、まずい、なにか温めるもの・・っていうか、相当熱いものじゃないとマイナス50℃には太刀打ちできない・・と目を走らせた。
「あ!」
とっさに吊るしてあったビニール袋の束から一枚をちぎり、口を広げ保温ポットから熱湯を注いだ。
「氷嚢の、逆じゃあ――!!」
アイスクリームの上の薄いビニールに、熱湯が入ったビニール袋をギューっと押し当てた。
「おぉっ」
アイスクリームは液状になり、ビニールの下でうっすらと波打ち始めた。
しかし、気を許すと瞬時に固まってくるので溶かしてはディッシャーで寄せ、また溶かしては寄せ、を繰り返してなんとか客席に持って行った。
「ずいぶん時間かかったねー。あ、・・でもおいしい。ん~・・なんだろ、白いけど、ナッツみたいな味がする・・胡麻?」
「・・当たり!」
明日のことを考えたら不安ばかりだ。
生ビールを運びながらつまずいて、お客様にぶちまけたらどうしよう。
お燗はうまくできるだろうか。
そして予期せぬトラブルは・・考えたらキリがない。
予行練習をしてよかった。
マイナス50℃の問題点がひとつでもクリアーできたから少し気がラクだ。
祐兄ちゃんに感謝だ。
負け
「すいませーん!」
振り返るとすごい勢いで走ってくる女将さんが見えた。
「これ、・・店の、ハァ、すいません、湯呑みです。つまらないものですけどよかったら使ってください。今日は、ほんとに遠いところをありがとうございました」
私たちに会釈をするといま来たであろう踏み切りをまた戻って行った。レールの上を跨ごうとして小さく飛ぶように走る後ろ姿を目で追った。オレンジ色の綿のエプロン。背中の、太く“H”になっている部分をじっと
見た。
「行こうか」
「いや、まだ」
主人の言葉を遮り店に戻って行く女将さんを見ていた。扉が閉まり、しんとなった店構えをもう一度見た。
「よしっ行こうかっ」
黙々と歩いている私を見て主人は言った。
「先輩だけど・・違う課なの?」
「そう。お名前は知っているけど、一緒に仕事をしたことはない」
「ふーん・・。旦那さん、銀座の○○にいたって言ってたね」
それには答えず駅の階段を上りきったところで言った。
「こういうの、“勝ち負け”で言うことじゃないのはわかっているけどさ」
「うん」
「あちらもべつにそんなことさらさら思ってなくて、むしろ自慢にならないようにじゃないけど、ものすごく気を遣ってくれていたのもわかっているけどさ」
「うん」
「負けた。やっぱり実際に店やんないと何も言えないね」
「・・・・・」
「うちらはさ、店やろうとはしてるけどじゃあリスク背負って始めているか?っていうとそうじゃないもんね。そりゃ多少書類とか集めて融資の手続きどうしようとか言ってるよ。でも実際に何にも進んでないし。やっぱりやってる人は強いよね。余裕っていうかさ」
「・・・・・」
「先週ガツンとやられたじゃない。“野上君がやる気になってるのになんで協力しないんだ?”とか言ってさ。先週のことも今日ここに来たのも、もうつべこべ言ってないで早く店出せっていうことなんじゃないのかな?」
「そうだね」
「正直、羨ましかったもん。“醤油差しと小皿はどうしても自分で選びたかったから、納得のいくものが手に入ってよかった”とか、“出前下げに行ったらシャリの味についての意見メモが入っていたけど自分の味を貫こうと思ってる”とかさ。・・くやしいっていうか、もう、やられたって感じ。だから、ここでこの気持ちを胸に焼き付けるためにさっきの光景をずーっと見てたワケですよ」
真紅のビロードの座席に並んで座るとすぐに電車は動き出した。
見慣れない長いつり革が一斉に同じ動きで揺れている。
「飛び込もう。カッコわるくてもいいからやろう。同じステージに立たなきゃ始まんないよ。もうこういう店に行くときは自分も店をやっている立場で行きたい。もうオーディエンスはイヤだ・・!」
「やろう」
ご主人のしっとりとした指先から出てくる洗練された小振りのにぎり。
少し甘めの一粒一粒がおいしいシャリ、よく切れる包丁で切りつけた白身、いいマグロ、まだ温かい玉子焼き。
二階につながる階段からもれてくるお座敷のお客さんの笑い声。
せめて昼だけでも顔を見ていたいと、カウンターの一番端にホルダーで固定した子供用の椅子に座らせていた一歳くらいのかわいい息子さん。
みんな羨ましかった。
帰ったらすぐにまた事業計画書にとりかかろうと思った。
鉄火茶漬け
昆布と鰹節でとった出汁が雪平鍋に張ってある。
塩をひとつまみ入れたので“吸い地”になった。
主人は沸騰前の鍋の状態を背中で感じながら巻きすを広げ海苔を置いた。
シャリを円錐形にとり底辺のほうを海苔の左肩にあて右へ右へと流してゆく。
白い土手のようなシャリの上に両手の指を乗せ二手もしくは三手で均しながら真ん中に横一本窪みをつくる。
鮫皮でおろしたワサビを人差し指の腹で掬い取り漢字の“一”を書くのと逆の動きでその窪みにのせる。
マグロの赤身を素早く並べ手前から巻きすを向こうに渡しアーチ型になるよう細巻きの形を整える。
鉄火は六つ切り。
お椀の中に納め刻みたくあんを入れる。
コンロの火を全開にする。
煮立つ直前まで熱しておくのは鉄火巻にくぐらせるのを考えてのこと。
おたまで慎重に注いでいく。
かるく火が通ったマグロはみるみる白っぽくなり、ふだん目にする断面の色ではなくなる。
立ち昇る湯気を遮るようにして青いネギをふり入れ、鉄火茶漬けの完成だ。
はじめは鉄火巻を、そうっとお箸で掴むことができる。
そのうち崩れてお茶漬けになる。
そうなれば
木杓子でふうふうやるのもいい。
お椀のふちに口を付け
じゃくじゃくとかっこんでしまうのもいい。
おから
主人もやはり、おからで寿司の握り方を覚えたそうだ。
「靖国通りの手前の二七通りにとうふ屋があるでしょ。店に入りたての頃“おから買って来い”ってオヤジさんに言われて休憩時間に走ってさ。二袋くらい買ってきたかな。量りのお皿の上にラップを敷いて一個握っては指示どおりの重さかどうか量って。それを何回も何回もやるんだよ」
引き出しの中からゴソゴソと何かを探している。
「たしか、一個何グラムか書いたノートがあったんだけど・・まぁ手が覚えているからシャリを握ってみればそのグラム数だけど」
次々と引き出しを開けてはかき混ぜている。さらに主人は続けた。
「おからはね、そのあと冷蔵庫で保存するんだけど手で握って崩して握って崩してを何回も繰り返してるでしょ。いくら手をキレイに洗ってからやっても、さすがに三日くらい経つと臭くなるんだよね。そしたらまた新しいのに買い替えてさ、繰り返し繰り返しやるの」
「その修行はどのくらい続くの?」
私は訊いた。
「うーん、二ヶ月くらいかなぁ。おからで形が出来るようになったら今度は本当のシャリでやるから」
「ほんとの酢飯で?」
「そう。定休日の前の日のまかないはちらし寿司なんだよ。それを食べないで取っておいて、寮に帰ってからそれで何回も練習する」
「えっ、最終的にそれを食べるの?」
「いや、それは食べない。だってもう手でこねくり回しちゃってすごいことになってるから」
「何食べるの?」
「まぁ適当に。お弁当とか買ってきてさ」
やっと出てきた資料にはにぎり一つ当たりのグラム数は書いていなかったようだ。それでもフチが茶色くなりかけたレシピのメモや小さいノートを懐かしそうに眺めていた。
開店の日
開店の日のことで覚えている場面は数ヶ所だけだ。
朝、お祝いのお花が次々届いて受け取り証にサインをするところ。
お隣の関西鮓『八竹』さんにお寿司をもっていって、すごい勢いで螺旋階段を駆け上がって戻ってきたところ。
お客様をお迎えする準備をしなければならないのに床から二センチくらい足が浮いたような状態で、意味もなくふらふらと歩き回っていたところ。
お昼に何を食べたか。
たしか主人の友人のお母さんが作ってきてくれた差し入れのおはぎかおにぎりを「入らなくても食べておけ」と義父に言われてお茶と一緒にいただいたと思う。
気持ちだけが焦ってしまい、(掃除をして、醤油差しに醤油を入れてテーブルマットを敷いて、割り箸を並べて、ビールは冷えているか、とっくりの数はちゃんと確認したか、あとは・・)と、迫りくる開店の時間へのカウントダウンを勝手にして、どんどん無口になっていった。
主人も自分のことで精一杯だった。
祐兄ちゃんもお義父さんもあまり手伝ってしまうと私たちの今後のためによくないと言って、あえてフォローの手を差し伸べなかった。
困ったことが起きた。
店で着るシャツとエプロンを持ってこなかった。開店一時間前を切っていた。
「どーしよう?どーしよう、間に合わないよぉ・・!もうダメだ!!」
自分でも大袈裟な言い方なのはわかっていた。でも喚くことを止められない。
大声で嘆いて誰かに気に留めて欲しかった。「大丈夫だよ」と言って欲しかった。
半泣きで騒ぎ続けていると主人が厨房から
「落ち着け、家が近いんだからぜんぜん大丈夫だよ。時間のことより慌てて交通事故に遭わないように気をつけて」
と言った。そして、祐兄ちゃんも
「あのな、こういう時のために俺らがいるんだろ?もしおまえがいなくても開店直後はお客様が見えても俺がなんとかする。でよ、親父もいるんだぞ。な?大丈夫だろ?」
割り箸を一膳ずつ袋に入れながら言った。
厨房のお義父さんを見ると何も言わず仕込みを続けていた。
己の不甲斐なさに落ち込みながら自宅に向かって走り、畳の上に置き忘れていたシャツとエプロンを引っ掴んで家を出ようとすると留守電のランプが点灯しているのが見えた。
<ピーッ> もしもーし、有紀ちゃん?あ、もうお店行っちゃったかな? ワタシですー。えー、いよいよ今日ですね。おめでとう! ついにやりましたねぇ。三十代は思い起こせばいろいろ何でも出来る時期・・だったかなーと思います。だから大いに頑張って!あ、今日はね、実はワタシもちょうど始まりのことがあってね。フフ・・一緒ですねー。えーっとね、十八日にお父さんと行くからね。楽しみにしてます。その前に何かあれば連絡ください。・・まぁ、便りがないのは無事な証拠だと思ってるから、じゃねー。
母からだった。母の声を聴いて我に返れた。
三十分後には店に立ってる。
ティッシュで涙と鼻水を拭くと急いで店に戻った。
玉子焼き
悩む主人を見たのは初めてだった。
店を立ち上げてから一ヶ月。
三日にいっぺんのペースで「玉子焼きの甘味が少し強いんじゃない?」とか「塩味だけのにしろ」とか「もっと甘いほうが好きだな」とか様々なご要望をお客様から頂戴していた。
「オレの決めた味、・・うーん・・。そんなにヘンかなぁ・・」
主人はこうと決めたら動かない。どんなに「違うよ」と言ってもまっしぐらに自分が考えている方向に突っ走る。
「おいしいと思うよ」
私は言った。でも主人は黙ったままだ。
さらに半月が経ち、以前私がよく行っていた飲食店のマスターがお祝いに来てくれた。食事をしてお帰りを見送った後主人が言った。
「マスターがさ、玉子焼きを食べてボソッと言ったんだよね。“・・あのさぁ、玉子焼きくらいは河岸玉じゃなくてさ、自分で焼こうよ”って」
「えっ、“自分で焼いてます”って言ったんでしょ?」
「いや、独り言みたいな感じだったんでそのまま特には何も」
「えー、何でそう思ったんだろう」
「オレ、河岸玉買ったことないからわかんないんだけどさ。あれってたぶん外側も中側も焦げ目がついてないんだよ」
「あ、そうなの?」
「実家も鮨雅も焦げ目をつけるのね。でもホテル海洋は一切焦げ目をつけずに焼くんだよ。見た目がきれいだからうちでもそうしようと思ったんだけど、“自分で焼いてます”って感じがするのは焦げ目がある方なのかな」
「あー、なんかわかる。表面とか切った断面のぐるぐるのところが焦げてトラ模様になってる感じ。いいよねー」
「一番端っこのところも人気あるしな・・」
「そうそう」
「・・なんかさ、一生懸命焦げ目つけないで焼いて買ったものと間違えられるくらいなら、いっそ焦げ目をガツンとつけようかなこれから」
沈黙が続いた。
「よし!決めた。甘味をもう一回見てみて、あとは動かさない。オレの気持ちがハッキリ決まっていなかったのがいけなかった。もうブレない」
翌日からは不思議なくらい言われることが少なくなった。たまにご意見を頂戴しても「これがうちの味ですから」と主人は静かに言った。
厚手の玉子焼き用のフライパン。
軽くけむりが出る頃合いで油をひく。お玉で一杯、卵液を流し込むとジュッという音とともに均等に泡が立つ。フチから火が通っていく。
長い菜箸で向こう側に寄せる。軽くまた油をひいて卵液。今度は真四角のフライパンを傾けながら寄せた玉子の下に液をもぐり込ませる。
左手の持つ手と腰を使って煽りながらパタン、パタンとひっくり返す。
何度か寄せて卵液、ひっくり返すを繰り返すと、ぶりんと大きな玉子焼きが出来てくる。ここからが焦げ目をつける本番だ。
菜箸からゲタと呼ばれるフライパンとほぼ同じ大きさの木の板に持ち替えると、その板に玉子焼きを載せたりフライパンに戻したりしながら何度も熱したフライパンの側面に板でギュウーっと押しつけていく。
ぶるぶるんと揺れる姿はとても卵八個ぶんの液体だったとは思えない。
できあがった玉子焼きのどの面にもまんべんなく焦げ目がついていた。
端から四~五センチの厚さで切ると湯気が立ち昇っていく。
「こっち、ひとつね」
「わたしもちょうだい」
いつしかお客様の前で焼くようになっていった。
玉子焼きは次々と切り分けられお皿に載ってお客様の前へ。
お箸でくずしながら頬張り、あまりの熱さから身悶えるお客様もいらっしゃる。
このときの空気がたまらなく好きだ。
しろ
中に何も入れない巻き物がある。
当店では「しろ」と呼んでいる。
海苔と酢めしだけ
六つ切りにしてお出しする。
「何か変わった巻き物を」と言われると
主人はこれを巻くことがある。
「・・・?」
お客様は訝る。
ひとくち口に入れ
「!」
に変わる。
うちのシャリと海苔だから
この巻き物がおいしいのか
それはわからない。
直球すぎて戸惑う人もいるかもしれない。
でもある意味これは
うちの店の
真骨頂かもしれない。
おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。
留め袖
普段着るような着物の試験が終わったと思ったらすぐに留め袖の試験があると言われ、この三週間は予行練習に明け暮れていた。
10分間で着終える。しかも手の感覚だけを頼りに鏡を見ずに帯まで締める、という内容だ。
「留め袖は着ようとすると重くてズルズルずれてしまうから自分で着る着物の中で一番難しいの。これが着られるようになったら何でも上手に着られるわよ。それにね、結婚式場に行って着替えのお部屋に通されるでしょ。鏡なんかひとつくらいしかないんだから。仕上げに後ろ姿をちらっと確認するくらいしかできないわよ。狭い部屋で何人もで着替えるし、半畳くらいのスペースで出来るようになれば、あとは広くなる分には問題ないでしょ。やっぱり留め袖って、やっとくといいのよ。これはほんとよ」
先生は言った。
私以外の四人のメンバーはほぼ合格間違いなしだった。また私だけ出遅れている。普通の着物の試験の時もそうだった。
もともと着丈が短い母の着物で無理におはしょりを作っていた、というのも苦戦した理由である。でもこれは言い訳だ。何度もやらないと習得できないタイプなのだ。
今回の留め袖もまた何度着ても、胸のところが微妙にずれて、はだけて、決まりがわるく、その原因がわからなかった。
(この池袋教室で、しかも私のクラスで落第者を出すわけにはいかない)
向かい合って指導してくれている先生の顔がそう言っているようだった。
母と同い年のその先生は着物のセンスがとてもよくて、毎回先生の着物を見るのが楽しみでなんだかんだ一年半も続いたようなものだった。
「野上さん、いい?前身ごろはバストトップの上にかぶせてもってくるのよ。あなたはいつもここで間違っちゃうからずれているの!わかった?ほら、やってごらんなさい早く、バストトップの上、ほらっ」
え?ちょっと待ってなに、バストトップ?平浩二?あれはバスストップか。
若干イラついていた。マンツーマンのスパルタ指導で頭がグルグルになっているところに抽象的な馴染みのないバストトップという名称を言われても何のことだかよくわからなかった。
しかも下着メーカーに勤めていた人間としての余計なプライドが頭をもたげた。
バストまわりの呼び方や範囲はたくさんあるのだ。このバストトップがいったいバストのどの位置なのか、胸のトップの頂点そのものなのか、胸のトップのあたり全体を指すのか。それを突き止めなければ納得もできないし、前へ進めないと思った。
「先生!バストトップというのは、つまり“乳頭”のことですか?」
先生の耳はみるみる真っ赤になった。
「にゅ、にゅう・・?まっ!なっ・・の、野上さんッ!なんてことをッ!!」
先生はいきなりついたての後ろに入ってしまった。
二つ年下の同級生が自分の練習を止めて、留め袖をざっくり羽織ったまま足袋で畳を擦りながらカラクリ人形のように近寄ってきた。
「もうっ!野上さんってば最高ッ!面白いねー。くぅ~」
私の背中をバンバン叩きながら大笑いしていた。
真面目に「乳頭」と言ったつもりだった。
べつに「乳首」と言ってもよかった。でも「ち・く・び」と口に出すのはなんだか恥ずかしいから、医療用語っぽい「乳頭」を選んだだけだ。
例えるならば「ハマる」と言うのは俗っぽいから「著しく傾倒する」と言い替える、そんなノリで言ったつもりなのに。
「乳頭」で怒ってしまうなら、いっそ業界用語でいうところの「ビーチク」とでも言ってしまえばよかったのか?
いずれにしても私の不適切な発言で教室の空気を汚してしまったことには違いない。
先生がついたての奥から出てきた。
「先生、・・あの、すいませんでした。そんな意味で言ったんじゃないんですけど、ヘンなこと言って、すいませんでした」
頭を下げた。足袋を履いた先生の足と、足袋を履いた自分の足が見えた。
「いいのよ、いいのよ。わかった、わかった。・・はいっ!ほれっ、がんばりましょ―――!」
肩をポンポンと叩いてくれた。
謝って、赦してもらえた。
職場のような厳しい場ではなく、もう少し甘い、・・学校生活などの人間関係の中で起こった、小さな小さなイザコザの着地点。
謝るのは悔しくて、でも、ほっとして、でもやっぱり悔しくて。
小学生の頃はそういうことがあると溢れ出る涙を隠すために、いつもハイソックスを直すフリをして下を向いてごまかしていた。
今ならわかる。私があの時泣いていたのは、つまんないプライドのずるくて弱い自分を見据える勇気がなくて、泣くとなんでもうやむやにできそうだったから涙を出していたのだ。
三十三歳でやっとわかるっていうのも情けない。
先生が「がんばりましょ―!」と言った時、同級生がみんな私を見てうん、うん、とうなずいてくれていた。
テレビドラマみたいだった。
とっさにうつむき、留め袖を畳む作業に没頭した。
留め袖 2
自宅に戻ると午前二時を過ぎていた。
八時間後にはきもの教室に到着して「留め袖の着付け」の試験を受けている予定だ。
『バストトップは頂点のこと』だとわかったものの、制限時間が10分のところを11分近くかかっていた。できればタイムを縮めて、願わくば10分を切ってから寝たいと思った。
「ごめん、これからバサバサうるさいけど気にしないで寝て」
「大丈夫。オレ全然そういうの気になんないから」
主人は数分で寝てしまった。
留め袖は教室の所有物で持ち出しが出来ない。
仕方がないので手持ちの着物に安全ピンで衿を二重につけて留め袖仕様にして練習をすることにした。本当はこの一週間毎日練習をしたかったけれど、仕事で疲れたということで延び延びにしていた。
でももう後が無い。今日やらねば。今、やらねば。
先週のお稽古が終わる直前に先生から言われたことを思い出していた。
「野上さん、ずっと見ていたけどね、帯を締めるのはあなたはまぁ、普通。でもね、裾の線を決めるのと、おはしょりのところでものすごくもたついているから遅れをとっちゃっているの。だから、スタートからあまり悩まないでどんどんやっていけば間に合うと思うのよ。来週、がんばってちょうだいよ!」
布団を脇に寄せ、スペースを作ってから、帯、紐、帯枕と帯あげ、帯板、帯締めを並べていく。試験では紐はどこに置き、帯はどういう畳み方、すべて決まっていて、きちんと並べてからスタートしなければならない。
これが間違っていても減点対象なのだ。
PHSのストップウォッチ機能を初めて使ってみる。よーいスタート!
悪戦苦闘しながらも帯まで締め終わり、畳に転がしてあるPHSを急いで拾いあげて画面を見た。
10’32
ぬぁ――― だめだ!
これって数時間の練習で縮まるのかな!?
大幅に短縮できるところはどこだ?先生に言われたことをガンガンやればなんとか10分を切れるのか!?
着物までで一回、また着物まででもう一回、そして帯を入れてもう一回、もう一回、としつこく繰り返した。
10’06という記録を出したときにはもう五時を回っていた。このまま練習し続けたら、ひょっとしたら自宅で9分台が出るかもしれないけれど、あくまでも本番で出さないと意味がないのでここでやめることにした。
あと二~三時間しか眠れない・・果たして起きられるだろうか。
「野上さん、顔色わるいよ。大丈夫?」
今日一緒に試験を受ける同級生が声を掛けてきた。
「大丈夫じゃないよ。ほとんど寝てないもん」
「えっ?ウソ、何で」
「夜中練習してたから」
「え――、そんなことやる必要ないじゃん。オーバーしたらしたでいいじゃん別に」
そうかもしれない。ここまでベストを尽くしている私は小心者、あるいはバカかもしれない。
バッグから道具を出していると先生がやってきた。
「野上さんいい?○○さんを見ながらやんなさいよ。あなたは自分だけの世界に入っちゃうから、ペースの早い○○さんだけを見ながらおやんなさい。あの人は8分くらいで仕上がるから追いつきっこないんだけどそれはいいのよ。べつに一緒の動きでやれってんじゃないの。いろんな人を見るとただ焦っちゃうだけからね、あの人だけよ。○○さんが着替え終えたってまだ2分もあるんだから、なんとでもなるでしょ。そのくらい急ぐペースでね、ほらっ、がんばんなさいよ!」
ものすごい勢いで耳打ちをしてどこかへ行ってしまった。
「はい、始めてください」
よその支部から来た試験官の先生が掛け声をかけた。
一斉に私たちは立ち上がり、留め袖に手を通した。ここまでは私もほぼ同じ動きだ。
畳と足袋の擦れる音、着物と紐が擦れる音だけがする。
担任の先生は助手の先生と並んで立ち、五人の動きを凝視していた。
○○さんだけを見て、頑張る、頑張る・・・悩まない、裾丈も何もバンバン決めるんだ。
やがて深海にいるような、プールに潜ったときのような、真空状態の中で頭がクリアーで、ただひたすら着物を着る動きだけがすごい勢いで進んでいるような状態に陥った。
周りの人の進行状況などどうでもいい。全く気にならない。
自分の力を出しきればいいじゃないか、もしこれで結果がダメでもまた追試でも受ければいい・・
実に爽やかな気分でそう思った。帯を締め上げる手だけが自然に動いていた。
「はい、やめてください」
気がついたら留め袖を着終えていた。
一人ずつ前に出て試験官の先生のチェックを受ける。
「はい、後ろを向いて」
帯の位置や状態を細かく見られる。
「はい、ごくろうさま。結果は後日出ますので」
試験官の先生が帰るところを見送った後、先生が私の傍に寄り添って言った。
「野上さん、よく間に合ったわね。口も手も出しちゃいけないからハラハラして見てるだけだったけど、見違えるようだったわぁ。あなた、やればできるのね!よかったわ、よかったわ」
・・やればできるっていうよりも、できるまでやった、というほうが正しいような気もするけれど。 しかも途中から○○さん見てないし。
あまり寝ていないせいか、安堵と一緒に小さな吐き気も込み上げてきた。と同時にひとつ山を越えた嬉しさもじんわりと込み上げてきた。
開店二時間前。
買い物を終え店の前の駐輪禁止の歩道に自転車を置き、一気に階段を駆け上がる。
十個ある椅子を全部隅によける。
漂白剤を薄めた液体を中腰になったまま床全体に噴霧する。
霧が捉えて落ちたホコリ、わずかな足跡、すべてリセットして十八時にいい空気の店にするため、今日も床に這いつくばるようにして掃除をしている。
いま、この店に着物姿の自分が必要なのだろうか。
答えはノーだ。
嬉々として小僧のような仕事をしている方が私らしい。
着物を「着たいけど着られない」から
「着られるけど着ない」に変われた。
それでじゅうぶんだ。
キッカケ
先輩がやっている寿司屋を主人が手伝ったお礼にと夫婦でご招待いただき、いろんな牡蠣を五種類も食べさせてもらい、さてそろそろにぎりに行きましょうか・・というタイミングだった。
「・・それでなに、奥さんは仕事を辞めて手伝わないの」
「いやー、そういうわけじゃないんですけど、あまりにもリスクがあるっていうか」
「だって野上君、店やりたいって言ってんでしょ」
「うーん、いずれはやりたいんですけど、なかなか踏み切れないっていうか」
「・・・・・」
「・・・・・」
気まずい沈黙が続いた。「寿司屋を自分で立ち上げたい」という気持ちを主人が強く持ち始めた時、私はまだ何もかも捨ててそこに賭けようという決意が出来ていなかった。
『すしの雑誌』という業界誌をパラパラめくっていた時、開業の苦労話を書いたおかみさんの投書が載っていた。
“開店から三年は主人と私の下着の買い替えだけはしましたがあとは一切何も買わず、ひたすら運転資金に回しました”と書いてあり、かなりひるんだ。
開業資金はあればあるだけいいのかも・・。でもどのくらいあればいいのだろう。漠然とした不安な思いだけが胸いっぱいになっていた。
具体的に考えたいのだけれど、どう踏み出していいのかわからない。
何かの理由をつけて店の問題はただ先延ばしにしたかった。
「あのさ」
ご主人が金箸をバチンと置いた。
「・・それじゃあ、あまりにも野上君がかわいそうだろうがッ!!!」
あまりの剣幕に少し呆気に取られた。
「えっ?なんなんだアンタ!?せっかく野上君がやる気になってんだろうが、それを奥さんであるアンタが手伝ってやんなくてどうすんだよッ?」
「・・・・・」
「“いや~、え~、でもぉ、できな~い”とか言ってよ?えっ?ちがうか?そうやってたら一生店なんかできねぇじゃねぇか。いいか?野上君が店を出せなかったらな、アンタが野上君の夢を潰したってことになるんだぞ!!!!」
「・・・はい」
「だろ?応援してやらなくてどうするんだよ」
「・・・はい、そうですね」
そのあとは普通のやりとりをしたつもりだった。でも何を食べて何を飲んだか喋ったか完全に、飛んだ。
JR駅の券売機で切符を買い、振り返りながら私は言った。
「あのさ」
「ん?」
「店、すぐやろう」
「・・・・・」
「だってさ」
涙が出てきた。
「あたしがどれだけ店のこと考えてるか知らないのに、なんであんなことまで言われなくちゃなんないわけっ!?」
「・・・・・」
「それにさ、初めて会った人に“アンタ”なんて、それに“アンタのせいだぞ”なんて、そこまで言われる筋合いはないッ・・!!!」
悔し涙が両頬を同じ速度でつたい、顎で一緒になって落ちた。
斜め前のみどりの窓口を睨みつけていた。
「・・ぜったいやってやる」
主人は私の分の傘も一緒に持ち、黙っていた。
「あそこまでコケにされて冗談じゃないよ。やってやるよ絶対に何も言えないくらいの店立ち上げてやる。あー、かえってガツンて言われてよかったよ。やろう、家に帰ってすぐ企画書、書こう。すぐ動こうよもう」
なかなか重い腰を上げず、なるべくラクをしようという私の背中を押すのにはこのくらいの荒療治でなくてはダメだ。
それに、やっぱり主人が一生店を出せずに終わってしまったらそれは私がブレーキをかけたからということになる。
危険を冒さずに、やっとけばよかったという気持ちで一生を終えるより、たとえ失敗したとしても「でも、思いっきり自分がやりたいと思える店をやってみてよかったね」と後に語り合える関係になりたいと思った。
結果的にあの先輩には感謝している。
ほこりの膜
OLの時、よく行く寿司屋のランチで五回に一回くらいの割合でほこりが醤油に入っているのがどうも気になっていた。
「あれさ、何で注ごうとすると細かいほこりがブァ~って出てくるわけ?」
勤めから帰って来たばかりの主人にいきなり質問を浴びせた。
「醤油?・・もしかしてランチ開店直後に行ってる?」
「うーん、そうねぇ・・だいたい十二時過ぎだね」
「その日の初めてのお客さんだってことだよね。夜、営業が終わるでしょ。それで醤油差しをお盆か何かに集めるでしょ。生醤油だとそのまま放置しておく店もあるんだよ。何か上に被せたりする店もあるけど、しないところもあるわけ。そうすると穴のどこかからほこりが入ってそのまま翌日のランチの最初のお客様の小皿にドッと出ることになる・・」
「えー、そうなの?」
「まぁせいぜい醤油差しの表面を拭いて、減った醤油を足すとかね。これは店によってかなり差があると思うよ」
「私たちが店をやるとしたら、こんな管理はしたくないんだけど」
「大丈夫だよ。オレは醤油に出汁と味醂と酒を入れてオリジナルの煮切り醤油を作ろうと思ってるから、店に常温で出しっぱなしになんかしないよ。それだけで傷んじゃうからね。必ず毎日別の器に入れて冷蔵庫で管理して、醤油差しは毎日洗う。いろんな人が触るし、飛び散った醤油とか受け皿に付いたりするでしょ。ちゃんと洗って伏せておくよ。で、開店間際にひとつずつ注いで蓋をする。そしたら大丈夫でしょ」
“オレが出す店でそんなことあるわけないでしょーが”
横顔がそう言っていた。
春子にみりん
寿司屋の環境に身を置いていたらいつの間にか春子と書いて“かすご”と読めるようになっていた。
春先になると登場するお馴染みのネタなので、もうすっかり春子のことは充分わかっていますよぐらいに思っていた。
いつものようにカウンターに座り厨房で仕込みをする主人に訊ねた。
「で、今日は何かエピソードはありますか」
毎日パソコンでアップする『きょうのひとこと』を書くため、おすすめのネタの話を聴いておくのだ。
主人はメモ用紙を見ながら“うーん・・”と小さく言った。
「今日はね、春子かな。春子は他の酢〆のものと〆方が少し違うんだよね」
「ほう」
「塩をして、酢水で洗う。ここまでは一緒」
「うん」
「最後、酢に浸けるときにみりんを入れるんだよね」
「みりん?」
「少しね」
「どのくらい?」
「8:2くらい。店によって違うと思うよ」
「へぇー」
「あんまりみりんを感じないくらいにしているけどね。強いと下品な味になっちゃうんだ」
「みりんが入ってたなんて知らなかった~」
「小鯛って味が淡いのよ。酢が100%だとキツく感じちゃうんだよね」
「板前さんてさ、こういうこと皆知ってるの?」
「知ってると思うよ。でも浸け方は店によって違うから、みりんを入れないところもあると思うよ。それより最近春子を扱っている店自体が減ってきてるんじゃないかな。ものすごく手間がかかるのよ。春子十匹仕込む間にコハダだったら三十匹くらいラクに仕込めちゃうから」
「なんでそんなに時間がかかるの?」
「まずはウロコ。びーっちりついてるから。コハダだと包丁でスッスッととれるんだけど、春子は力を入れて丁寧にとらないととれない。あと、小さくても一応鯛だからね。中骨も一本一本抜かないと口にあたっちゃう、骨がけっこう硬いんだ。コハダや小羽イワシだったらガンバラだけ除いて中骨はとらなくても大丈夫なんだけど」
「うわ、手間かかってんだ」
「そうだよ、板前泣かせだよ」
「・・えー、でもさ、毎年見てるけど、春子の時期になると“出たよ”とか言ってウキウキしているように見えるけどなー」
「そりゃ、自分の店で自分のやり方で丹精こめて〆たものを食べてもらえるっていうのは寿司屋冥利に尽きるでしょう」
主人のやり方はこうだ。
浸け込むお酢は特徴のある二種類を調合する。その中に板状の昆布と少しのみりんを入れる。
そしてなにより、店主の心意気が入っている。
おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。
真っ白
店を始める前は相当な“アタマでっかち”になっていたと思う。
私もどこかの飲食店で経験を積んでからじゃないと店に参加してはいけないのではないかと考えていた。
「ね、お願い。できれば半年待って。ムリなら三ヶ月。寿司店か和食の店でお給仕の仕事してから店に出たいから」
店の物件が決まりかけた時、主人に懇願した。
「だいじょうぶだって。ホテルの仲居さんにうちのカミサンがどこかで勉強してからじゃないとダメじゃないかって悩んでるんですけどって訊いてみたけど“下手にどこかの店のクセがつくより、気持ちがちゃんとしてれば、技術は後からついてくるから心配ないわよ”って言ってたんだから」
それでもぐずぐず決めかねていると
「あのね、何ヶ月かやったからって同じだよ。多少慣れたかなっていうくらいだよ。準備準備・・って準備ばっかりしてたら年を取っちゃうよ。たとえばね、八十歳、九十歳くらいになって資金が貯まったし店をやるノウハウも取得できた、さぁやりましょうったってその時は体力が無いよ多分。どのくらい修行したら店を出していいですよ、なんていう決まりはないんだよ。何もかも完璧にしてからスタートなんかできないし、そりゃ始めてからもいろんなことがあると思うよ。でもそんなのしょうがないじゃん。やるしかないの」
そう言われそうかなとも思い、同時に店の賃貸契約がどんどん進みお客様をお迎えすることになった。
開店初日。
緊張もあってどの方が生ビールを頼まれたのかがわからない。
「・・ビ、ビールのおきゃくさまぁ・・」
満席の中、小さい声なので誰にも聞こえない。泡はどんどん減っていく。見かねたカウンターの女性のお客様が満席の店内に向かって
「生ビールどなたですかー?はーい、そちらですねー」
と救いの手を差し伸べてくれた。運んでからお礼を言うと
「わからない時は大きな声で“生ビールのお客様はどちらですかぁー?”って言っちゃっていいんじゃない?のんちゃんも手が放せない状況だし。アッケラカーンと言っちゃえばいいのよ。さ、ほら、がんばって!」
その後も焼酎の水割りを作ったりお茶を入れたり、お会計をしたり食器を洗ったり、前日の予行練習が功を奏してかどうにか乗り切ることができた。
閉店間際、最後のお客様から「お椀四つね」とオーダーが入った。しばらくすると「あがったよ―!」と言われたのでカウンター越しにお盆を差し出し、お味噌汁を四つ主人にのせてもらい、小上がりのテーブルにひとつずつ置いていった。すると
「ゆびッ、ゆび――ッ!」
と突然怒鳴るように言われた。
言われて自分の手を見ると、中指と親指でお椀を持ち人差し指がピーンと立っていた。
「お椀を片手で持つのもそうだけど、人差し指を立てたまま持っちゃダメでしょうが――!常識でしょ?そんなこともわかんないの?こう、両手で持って、静かに置くッ。こういうのはクセになっちゃうから最初が肝心なんだ。覚えといたほうがいいよ!」
その人はOLの時よく通っていた飲食店の方で、ホールの責任者という仕事柄気になって注意してくれたのだろう。一緒に来た店長は黙ったまま少しニコニコしてその人に
「まぁ、まぁ」
と言っていた。
「はぇっ、すいません・・あ、ありがとうございます」
“はいっ”ではなく“はぇっ”となってしまったのは動揺していたからだ。
まさか人前でそんな勢いで叱られるとは思っていなかった。
いや、もちろんありがたかった。
陰でコソコソ「間違ってるのにねー」とか言われるほうがよっぽどイヤだ。
でもやっぱり恥ずかしかった。
笑顔でお客様を見送ったあと、暖簾を入れながら少し泣いた。
「そんなことでいちいち落ち込んでたらキリがねぇぞ」
祐兄ちゃんに言われた。
そうだ。
私は素人のまま飲食の世界に足を踏み入れたのだ。
これから間違ったことをしでかす可能性がゴマンとある。こんなことで日々落ち込んでいたら本当にキリがない。社会人として十数年やってきたというプライドが「ゆび――ッ!!」という一言で見事に砕け散った。
真っ白。
そう、すべてリセットして真っ白だ。
かっこつけないでひとつずつ吸収していこう。
入魂のゲソ焼き
夕方、カウンターを拭きながら主人に話しかけた。
「きのうお客さまに“ここのゲソ焼きはうまいね”って褒められてたよね」
「それはね・・」
アルコール除菌スプレーを厨房の作業台やその周りに噴霧しながら、少し考えるようにして主人は続けた。
「言われたことがあるんだよね」
今度はきつく絞ったサラシでまな板を拭き始めた。
「鮨雅に勤めてた時にね、お客さんに怒られたんだ。“手を抜かないでちゃんと焼け!”って」
「へぇーそんなことがあったんだ」
「その時さ、下っ端だったから同時に四つくらいのことをやらなきゃならなかったんだよ。巻き物やりながら裏の厨房のお吸い物のようすを見に行ったり、出前が入ったら握って届ける準備をしたり」
「うわ、すごいね」
「いや普通だけどね。その時、イカのゲソ焼きの注文が入って」
「うん」
「網にのせて中火・・うーん、弱火だったかな。そのまま別のこといろいろしてて、けっこう焦げ焦げになっちゃったのね」
「あらー」
「で、ブツブツ切ってそのまま出したらものすごい怒られた」
「ありゃりゃ~」
「“イカゲソってな、ものすごくうまいもんなんだぞ。俺はな、この店のゲソ焼きが好きなんだ。こんな焼き過ぎてな、ガビガビになったもん出すんじゃねぇっ!”って言われて」
柳刃包丁を納めてあるところから出し、まな板の正面、いつもの位置に置いた。
「その時うわ~って思って。もうそれ以来毎回必ず気合い入れて焼いてっから」
私はゲソ焼きの風景を思い出していた。
たしか強火だ。網の上でイカを躍らせるくらいガンガンに熱して、金箸で何度も素早くひっくり返し、短いタイミングでまな板にあげ、食べ易い大きさに切っていたなと思った。
熱い網に生のイカが触れた瞬間に“キューン”あるいは“チュイーン”と鳴っている音だけは、洗いものをしながらでも耳に入っていた。
あの時そんなことを考えながら焼いていたのか。
「おいしそうな焦げもあるんだけれども、イカのプリプリ感は残しつつ火は通っているけどガリガリに焼き過ぎない、と。そう肝に銘じてやってるから」
開店五分前。
帽子の位置が中心になっているか両手で確認しながら店の中全体に聞こえるように主人は言った。
「さ、今日もがんばりますかぁ!よろしくお願いします!!」
振り袖
明日のお稽古は振り袖だ。
十三年前、成人式には出席しなかったし振り袖を着た写真も撮っておかなかった。
ならば三十歳を過ぎたとしても七五三以来せっかく晴れ着を着るのだから、親に見せておこうというのが娘ゴコロというものだ。
着物教室用のカバンの中にカメラを入れた。
教室に着くと、すでに貸衣装の振り袖を広げて雑談しているひとが何人か目に入った。
「おはようございまーす」
小さい声で挨拶をして靴箱に自分の靴をしまっていると
「おはよう・・あれ?野上さん、お化粧してる」
「・・ん?髪もちゃんとアップにしてるじゃん!あ、きょう振り袖だからだ~」
同級生に目ざとくチェックされてしまった。
ふだんの練習の時はシャワーを浴びたまんまの顔で頭は茶色のゴムでぐるぐると高い位置にしばり、ポニーテールだと襟足に髪がかかってしまうので最後のひとくぐらせを中途半端にして髪を挟み、つまり家にいる時と全く変わらない状態で授業を受けていた。
いくら無頓着な私でも晴れ着にはちゃんとしたヘアメイクをしたほうがいいくらいわかる。
振り袖を着るというだけでこんなにも気分が昂るものか。
いつもより少し早く起き、いつもより華やかな気持ちで仕度をして電車に乗ってここまでやってきた。
「野上さん、たしかオレンジだったよね」
同級生が箱の中から畳んだ振り袖を渡してくれた。
家から持ってきた袋帯もオレンジ色だった。
先週、好きな色を生徒が順番に選んでいった。私のところにきた時には青かオレンジが残っていた。
オレンジ色の帯を持っているならば青の振り袖が映えると思う。しかし七五三の時の母の一言がよみがえってきた。
「肌の色が白いひとは赤、青、ピンクが似合うのよ。有紀ちゃんは色が黒いから黄色がよく似合うわ」
山吹色の着物に千歳飴を持った自分の姿を思い出した。
「オレンジでお願いします」
思わず口走っていた。
「はい、ふたり一組になってー。それぞれ相手に着せてあげてくださーい」
自分のを着付けてもらう時は鏡は見えない。
でも、いまどうなっているかはわかる。
高い位置で帯を締め、帯揚げをいりく結びにされていくだけで振り袖だぁ、華やかだなぁ・・と思う。
少女の気持ちになってうっとりしていると
「さ、できたよ」
と鏡を向けられた。
「うわっ」
そこには全身オレンジの、やや疲れ気味なミカン星人が立っていた。
ファンデーションはくずれ、目じりにはシワ。
顔全体に脂が浮いていた。それで“大振り袖”という違和感。
あまりの似合わなさに声が出た。
体を斜めにして帯を見るとかわいらしいふくら雀を背負っている。
「・・やっぱりちょっとムリがあるのかなぁ」
がっくり肩を落としていると、あとの四人は「かわいいー♪」を連呼してお互いを褒めあっていた。
よく見ると、けっこうみんな似合っていた。
二十代の人はもちろん、私より年上の人もいたが若く見えるし馴染んでいる。
私に足りないものは何だ。
何で私だけウキウキできないんだろう。
「野上さんもカメラ持ってきたんでしょ?撮ってあげるから貸して」
己を鼓舞できないまま撮影タイムになり、それでも必死にポーズを作って“いかにも成人式”という感じの写真を何枚かは撮った。
「はーい、じゃそろそろ着替えてくださーい」
先生の指示で一斉に帯を解き始めた。
隣で着替えている同級生に話しかけてみた。
「ねぇ私、腐りかけのミカンみたいじゃない?」
「そんなことないってー。いいじゃん似合ってるよ」
「“オレは、オレは、腐ったミカンじゃねぇっ!”」
「・・・?何それ」
「加藤優のマネ」
「かとうまさる?」
「金八先生の」
「え・・」
「松浦悟と同級生の、ほら松浦悟は沖田浩之」
「・・・・」
「加藤優は直江喜一」
「・・ごめん、わかんない」
そのあとは黙って着替えた。
「写真が届いたよ」と母から電話があったのは定休日の昼間だった。
「お父さんがね、“有紀子らしいや”ってウケてたよー」
「私、なんだかミカンのお化けみたいじゃなかった?」
「あははは」
「もしくは売れない演歌歌手」
「まぁそんなこともないけどね・・」
「クラスでみんな盛り上がってたんだけど、私だけ テンションあがんなくてさ・・」
と言うと母は言った。
「三十過ぎて振り袖着りゃあんなもんでしょうよ。土台ムリがあるんだから。あなたね、気負い過ぎ」
そうか。
私に足りないものは肩の力を抜くことだった。
二人で寿司屋に
「○○通りにあるビルの地下一階のお寿司屋さん、あそこはおたくの店に似ているからぜひ行ってごらん」
とお客様に言われて主人が行く気になった。
普段はどれだけお客様に勧められてもまず行かない。
主人は寿司は好きだが、寿司屋に行くのがあまり好きではない。
でもなぜだか今回は乗り気な様子だ。
さっそく定休日に予約を入れた。
ビルの前で確認した。
「“寿司屋やってます”って言う?」
「うーん、紹介だし、言ったほうがいいでしょう。それにオレ水仕事してるから酒飲むとすぐ手が赤くなっちゃうし、板場を見る目つきなんかでどうせわかっちゃうからね」
「よし、じゃ行こう」
早い時間にもかかわらず、八席ほどあるカウンターには既に二組のカップルが座っていた。私たちの席がど真ん中ふたつ空いている。
「いらっしゃいませ、さ、どうぞ」
四十歳くらいのご主人に席をすすめられて私たちは座った。
生ビールを頼み、主人は「お刺身でマグロとヒカリものを」と言い、私は「イカと貝を何か」とお願いした。
ビールをぐぐっと飲むとすぐに目だけで主人と会話をした。
(シパ、シパ)
→「ちょっと、どうすんの?同業者だってカミングアウトするなら今のタイミングなんじゃないの?」
(シパ、シパ、シパ)
→「いや、待って。まだ、まだ」
コソコソしていると ご主人が声を掛けてきた。
「あの、きょうはシマエビが北海道から入ってますけど」
「あっ、頂きます」
私が答えると、エビを取りに行くためかご主人が板場から離れた。すかさず小声で会話をした。
「なんですぐに言わないの?」
「両横にお客さんがいるでしょ?こういう時はね、板前としてはものすごくやりづらいのよ。“うわ、寿司屋に寿司屋が来てる!さぁどんなもん出すんだろう”って、食べに来てるお客さんも興味津々になっちゃうしね。だから様子見て周りのお客さんが少なくなった時を見計らって言うから」
座り直して何事もなかったような顔をしてお刺身をつまんでいると、まな板の上でシマエビを持ち上げながらご主人が言った。
「ほぉーら、大きいでしょう?甘エビはよく見るでしょうけど、シマエビっていうのはなかなかないんですよ。縦に縞が入ってるからシマエビって言うんですけどね。このエビはね、海水の中では薄い緑色をしているんですよ。でもね、引き上げたとたんにパァ~って真っ赤になっちゃうんですよ。不思議でしょー」
私を見ながらご主人が熱心に説明してくれた。
「は、あぁ、そうですね。・・はっ、恥ずかしがり屋さんだから海から出た途端、真っ赤になっちゃうんですかね~・・なんて、ははは」
私の苦し紛れの返答にご主人は少し笑うと、生きているシマエビの殻を手際よくむき、赤い筋が入ったプリプリの身のほうだけ残し、エビのミソが入った頭と殻と腹に抱えていた黄緑色の卵を数尾分まとめて捨てるのかあるいは何かに使うのかわからないけれど、それを持ってまた暖簾の奥に消えていった。
「ほらっ、言わないからもう、すっごい薀蓄バリバリ教えてくれちゃったじゃん!どうすんの?いまさら“寿司屋です”なんて言ったら丁寧に説明してくれた大将が恥かいちゃうよ。もう言えない、あぁ、もう言わないほうがいい」
それだけをまた小声で手短に言うと、あとはひたすら食べて飲んだ。
主人は穴子、こはだ、〆鯖、玉子焼き、かんぴょう巻きなどを中心に頼んだ。これらは店によって特に個性が出るものだ。
主人は包丁さばきも、じーっと見る。目がずっと動きを追っている。
もうバレたらバレたでいいか、と思いながらお茶と柚子シャーベットまでいただいた。
「じゃ、ごちそうさまです」
主人が言うと女将さんがおしぼりを持ってきてくれた。
お会計を待つ間、カウンター越しにご主人が私に向かって言った。
「月曜日・・平日。ご夫婦おふたりで・・。六時から揃ってお食事に来れるってことは・・ひょっとして自営の方?」
固まったまま曖昧に弱く笑った。
「アパレル・・かな、洋品店か何かやってらっしゃる?」
もうそれに乗っかろうと思った。
「あっ、まぁそんな感じです。はい」
隣の席で主人がズボンの後ろのポケットにお財布を納めたのが見えた。
「あっじゃあどうも、ごちそうさまでした!」
地上に出る階段を駆け上がった。
「もう今度からお店に行く時は、先に言うか、ずーっと最後まで明かさないかどっちかにしよう。いや、まいったよー」
息をあげながら私が言うと主人がひとこと言った。
「今回は行ってみたけど、やっぱりオレは寿司屋に行くのはあんまり好きじゃないなー」
あのお店のご主人はきっと気付いていたのだろう。
私たちの職業予想候補第二位の、アパレル関係を持ち出して出方を見たのだろう。
「寿司屋さんだとは思うけど、そっちが言いたくないなら聞かないよ」
ということなのだと思う。
あぁ、やっぱり二人で寿司屋に行くのは考えたほうがいいのかもしれない。
五ツ切り
かんぴょう巻きを五ツ切りにしてみようかと主人が言った。
「は?“かんぴょう巻きは四ツ切り”って決まってるもんなんでしょ」
「よく知ってるね」
「だって『将太の寿司』に書いてあったもん」
「あ、そうなの」
「五ツ切りなんていうのがあるの?」
「いやないよ。オレが考えた。かんぴょう巻きの四ツ切りってひとくちで食べると大きくない?昔やってみたことがあるんだよ。一本の細巻きを切らないで何口で食べ終えるのかって」
「うん」
「そうしたらね、五回だった。だから五等分に切ってみよう、と」
「ほー・・」
主人は手早くかんぴょう巻きを巻くと細巻きの腹の真ん中あたりに柳刃包丁の切っ先を、何度も何度もあて始めた。
「・・・・」
眉間にシワが寄っている。
「・・・切らないの」
「どうやって切っていいのかわかんない」
「はぁっ?」
「いやね、細巻きはまず真ん中で切るでしょ。で、その二等分したものを揃えて、六ツ切りならそれを三等分、四ツ切りならもう一回真ん中を切るっていう動きを目ぇつむってもさ、ピチーッと同じ長さに切り揃えられるまで繰り返し繰り返し叩き込むわけ。大げさに言うと五等分にしようとすると、どうしても四ツ切りか六ツ切りかのいつも切る位置に手が自然に戻っていっちゃう、みたいな」
「ひぇー・・」
「・・五等分となると、一本を三対ニになるようにして、それぞれを切り分けたほうがいいのか、端っこの一切れをまず五等分のサイズに切って、残りを四等分にしたらいいのか」
そう言いながら主人は既に巻いてあった一本は前者の切り方で、そしてもう一本すぐに巻き、後者のやり方で五つに切った。
「あれ!やっぱ、ずれちゃうなー」
バラバラの長さのかんぴょう巻きが十切れ、まな板に並んだ。
主人にとってはかなりショックな出来だったようだ。リベンジでもう一本巻こうとしている。
私はレジ横に置いてある定規を持ってきて言った。
「測ってみたら?細巻きの長さが・・19.5cmでしょ。えーとえーと、割る5で・・ひと切れあたり3.9cm」
端っこのひと切れを定規で測って3.9cmに切り、あとを四等分にしたら、きれいな五ツ切りになった。
「おー、できたけど、これまたやれって言われるとオレ無理かもしんない」
「まな板のどこかにさ、四ツ切りとか六ツ切りの目盛りを付けとく人とかいないの?そういう感じでこっそり五切れ用の印を付けておくとか」
「あっはっは、板前はそんなことするわけないでしょ。たとえばね、全然知らない板場に行ったとして“目盛りがないから切れません”なんてあり得ないでしょう」
たしかにそんなことをするわけがない。自分の姑息な部分を見られたようで恥ずかしかった。
少しの間黙っていると
「ちゃんと切れたやつ、食べてみようよ」
と促された。
同時に五ツ切りのかんぴょう巻きを口に入れた。
「・・・・・」
「・・・・・」
先に呑み込んで終わった主人が言った。
「あんまりうまくねぇな」
私はまだ口に入ったままだ。
「大きさは口にジャストサイズだけどな」
「・・・うん。やっぱり口に余る四ツ切りのほうがおいしく感じるね」
「この長さになったことには理由があるんだな。やっぱり」
「そうなんだね」
お茶をすすりながら残ったふぞろいのかんぴょう巻きを黙々と食べた。
おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。
シャリの寿
オープンして十日も過ぎると最初に見えなかったものが見えてくる。
主人と義父とのあいだに常に流れている協力体制が途切れ、ときおりつっかえるような瞬間が訪れる。
「オヤジ、もうあげて」
「なんだ、もうあげちまうのか」
「うちは出前やってねぇからガチガチに火を入れないの」
「・・そうか」
お義父さんはヤットコで雪平鍋をつかみ、ザパァッと竹串に刺した車海老をザルにあける。
そして冷ましたあとネタ皿に並べるのだが、その並べ方にも主人の考えがあるようで夕方一本ずつ並べなおしているのを見たことが何度もある。
車海老だけではない。
スミイカの子供、新イカの仕込み。
主人はゲソの先のほうは必ず切り落とす。義父はおそらく落とさない。
いろんなものを触っているところだし食べた感じも切り落としたほうがいいと主人は思っているからだ。
コハダを仕込む時はさすがに「塩は何分、酢は何分か」と主人に聞いて義父はその通りにやる。そしてネタ皿に並べ冷ケースに仕舞う。
すると主人がすぐにひっぱり出して包丁の先で尻尾だの開いた両端の角度だの、カタチが気に入らなくて一枚ずつ整え始める。
切れ端がまな板の上に溜まっていく。
お義父さんはそんな息子を黙って見ていた。
午前中私は床掃除をしていた。
カウンターの椅子の背もたれは木で出来ており、しゃがんだ状態で見上げるとちょうどその隙間から義父とのやりとりが見える。
あおやぎの仕込みを終えたらまたネタ皿にきちんと並べる。
「ほい、お願いしますっ!」
お義父さんはおどけた感じで主人に声を掛ける。
主人はみつばを湯掻き水に放つとすぐにあおやぎをチェックし始めた。
ヒモが繋がったまま仕込んだかどうか。ヒモについている薄い膜は取り除いてあるか。開き方は。火の通り具合は。舐めるようにひとつずつ見終えると主人が言った。
「お、いいね。カンペキだね、オヤジ」
「・・・・・」
お義父さんは黙っていた。
「うん、これ、いいよ。パーフェクト」
主人がさらに言うと
「初めて褒められたんじゃねぇのか?、おい」
お義父さんは半分怒っているような、でも冗談ともとれるような口調で言った。
お義父さんのお昼ご飯は朝と同じメニューだ。
剥いたバナナを食パンで巻いて、食べながら牛乳で流し込む。
私は常にその三つを切らさぬようにと言いつかっていた。
糖尿病でカロリー制限のあるお義父さんは私たちと同じ食事は摂れない。店の立ち上げからずっとコンビニ弁当が続いていた。
皆には申し訳ないと思ったがどうにも余裕がない。
病院から指導を受けた時間にきちんと食べ終わった義父は小上がりで新聞を読んでいた。
私たちがお弁当を食べ始めると電話が鳴った。
同じビルの雀荘のマスターからだった。
「社長いる?社長」
主人に声を掛けて受話器を渡した。しばらくすると
「オヤジ、電話」
と今度はお義父さんに代わった。
主人は元の位置に戻り唐揚げをひとつ口に入れると固まったご飯をまたわしわしと押し込み、数回噛んで呑み込んだ。
「・・だからよぉ、社長は俺じゃねぇの。息子だっていうの」
お義父さんは後頭部をポンポンと叩きながら戻ってきた。
「メンバー足りねぇってぇから、・・言ってくらぁ」
すぐ雀荘のある五階に行ってしまった。
夜のカウンターは主人が取り仕切ることになっていた。
お義父さんは白衣に捻じり鉢巻。お茶を携えて小上がりの隅に腰掛けて息子の姿を眺めていた。
「おとうさんの握ったお寿司が食べてみたいです」
女性のお客様からそう言われ、私もおどけて
「よっ、お義父さん。御座敷掛かりましたよ!」
と促した。
しかし、なかなか立ち上がらない。
「お義父さん、ほら」
「あるじのよ・・」
「え?」
「この店の主のお許しがねぇとよ・・」
出来るだけ明るい声でカウンターの向こうの主人に声を掛けた。
「ねぇ、お義父さんにお願いしたいよねぇ?」
主人は無言のまま軽く眉と瞼の辺りを引き上げ、三回ほど頷いた。
「・・じゃ、しょうがねぇなぁ」
お義父さんはゆっくりと前掛けを締めなおし、板場に上がった。
カウンターに立ったお義父さんは華がある。
主人はその陰になった。
閉店時間が近づいた頃、お義父さんはいきなり猛烈な速さでシャリだけのにぎりを握りだした。
四十個くらいになった時
「柳のまな板を倉庫から持ってこい」
と私に指示を出すと、そこにシャリを並べ始めた。
シャリで “寿” という文字がつくられていた。
その女性のお客様は
「うわぁ、おとうさん、すごい、ね、すごいですよね」
と私と主人に同意を求めてきた。
「このな、ことぶきの最後の点をな、食紅か何かで赤くしてな。ちょん、とやってもいいしな。半分の数を赤くして交互に並べてもいいんだぞ。緑が映えるから、こう、葉を飾りつけてな」
喋りながらステンレスのボウルに入った手酢を手に馴染ませてひとつふたつシャリを握ると、“寿”のバランスを見て足りなそうな部分 ― カーブしている一番先っぽのところや、最後のハネの部分 ― に置いていった。
見たことのない飾り寿司に興奮して
「お義父さんすごい!初めて見たー、ね、ね、いいじゃない?」
主人に視線を向けて頷いてもらおうとした。
「・・・・・」
主人は黙ったままだ。
「・・ねぇ、すごいよ、ねぇ?こういうの覚えとくとさ、いいよねぇ?」
それでも主人は何も言わない。少し顔が紅潮している。
苦虫を噛み潰したような、でもあからさまな怒りではない。
「面白くない」と顔が言っていた。
吉報つる
折り詰めをつくり、蓋をする前に必ず笹を寿司の上にのせる。
主人が好んで細工するのは“鶴”だ。
一枚の笹から出刃包丁で羽ばたく鶴の姿を瞬く間に切り出してしまう。
仕上げの、くちばしの部分は慎重に包丁を動かす。
細く長いくちばしで手紙をくわえているようにするからだ。
蓋をする前にお客様にご注文のとおりか中身を斜めに向けて確認していただく。そしてこう言う。
「上にのっている鶴は“吉報つる”と言います。よい報せの手紙を運んできますようにという縁起物の笹です」
さらに付け加える。
「笹はいまは水気を含んでいますが、やがて縁から乾いてこの鶴の羽の部分からどんどん丸まってきます。ビニールではなく天然のものだからです。どうか笹が乾いてしまう前にお早めに召し上がってください」
殺菌効果だけでなく、笹にタイムリミットを知らせる時計としての役割があるのはこのとき初めて知った。
そのことを主人に話すと「鶴や亀や松竹梅に切るのはもちろん、かなり以前は家紋を専門に切る笹切り屋などもいて、冠婚葬祭の寿司桶にその家の家紋の形に切った笹を盛り込むことがあったのだ」と教えてくれた。
鶴を切るだけでもすごいのに「吉報」をくわえて飛んでくるという発想が素敵だし、引き継がれてこうして今の時代にもあることがいいなぁと思った。
さいまき海老
お義父さんと祐兄ちゃんが福島に戻ってからは仕込みのお手伝いは私がやるものだと思っていた。
茹で上がったランチ用のさいまき海老が二十尾ほどザルに入っていた。
「これ、殻を剥くんだよねぇ」
覗き込みながら訊くと
「あぁ、まぁ・・そうね」
と主人は大根のツマを剥きながら答えた。
のんちゃん寿司のお手伝いで何回も茹で海老の殻を剥いたことがある私は、得意満面で海老の殻を剥き始めた。
のんちゃん寿司で私がやれる海老関係のことといったら『殻剥き』と『背ワタ取り』だけだった。
茹でる前の海老に竹串を刺すのはお義母さんか板前さん。
茹で上がった海老の殻剥きは私を含めて手が空いている全員で。
包丁を入れて開くのはお義母さんか板前さん。背ワタを取るのは私も含めて何人か、といった具合に役割が分かれていた。
店の女将になったのを機に殻剥きと背ワタ取りだけでなく、『海老を開くこと』&『竹串刺し』を任されるのではないかと秘かに思っていた。剥き終わった海老を前に
「これ、開いてみたいんだけど」
と訊いてみた。すると主人は
「あ、それはオレがやるから」
と茹で海老にすっすっと包丁を入れ、酢と塩と水を入れたボウルに開いた海老を入れて私によこした。
腰を屈めながら背ワタを取っていく。諦めきれない私は訊いた。
「あのー、あのさぁ、海老開いたりさ、竹串刺すの、やりたいなー。全部任せてもらったりとか、できないのかなぁー」
大根のツマを打ちながら主人が言った。
「殻剥くのだって簡単じゃないよ。しっぽの上の尖ったところの殻を取り忘れてないからってそれで済むもんじゃないんだよ。竹串をおかしな場所に刺すと真っ直ぐ傷つけずに茹でられないしね。それに茹でた海老ってどうも軽んじられているように思うから、オレはそういう概念をひっくり返したいと思っていつもやってるのね」
切ったツマを流水に放ち、ボウルの中に浸かっている海老を一尾取って私の横に立った。背ワタを指で丁寧に取りながら主人は続けた。
「開いたときに左右の厚みが大幅に違ってごらん。酢水に漬けた一尾の浸かり具合が左右で違っちゃうんだよ、わかる? 真半分にするのって意外と難しいんだよ。オレは一本一本開きながら“きっちり均等かどうか” を常に自問自答しながらやってる。そりゃ店で出せないような開き方はしないよ、でも自分の中で更に高い基準を設けているわけ。これはカンペキだと思える出来なんて、毎日やっていてもそうそうない。そのくらい慎重にやってるんだよ」
背ワタを取る手を止め、立ち尽くした。
ショックだった。そこまで言われるとは思わなかった。
“私にでも簡単にやれるでしょ”と思った自分が恥ずかしかった。
と同時に主人はすべての仕込みの工程を誰にも触らせずにやりたいと思っているのだとわかった。
とにかく生半可な気持ちで仕込みは手伝えない。
この日を境に厨房の中はすべて主人がやり、私は私に出来るそのほかのことをしようと誓った。
入居審査
そのマンションに住むには面接をクリアーしなければならないと不動産屋さんから聞いた。
築三十五年とはいえ、麹町で十万を切る2Kの物件なんてあまりない。
結婚して一緒に住むには一番町の鮨雅に歩いて通える距離がベストで「バイクで通える距離になると遠いから、できればそのマンションに決まってほしい」と主人は言った。
そこを断るとあとは軒並み十五万円台になる。
「面接受けます。申し込んでください」
不動産屋さんに返事をするとすぐ翌週にということになった。
当日は午前中会社を休み八重洲にある大手の建築会社の仲介管理部門を訪ねた。
小さな会議室に通され身上書のようなものに記入して終わり、そういえば朝から何も食べていなかったな…などと思いながらぼーっとしていると面接担当の男性が入ってきた。
「はい、書けましたか。ええ、どうぞ楽にしてください」
その書類を私から受け取ると黙って目を通し始めた。
「野上さん・・ですね」
「はい」
「ご主人は、えーっと、お勤めは、と・・お寿司屋さん」
「はい。あの、一緒に伺いたかったんですけれども平日に休みを取れないもので申し訳ありません」
「えぇまぁいいですよ」
少しの沈黙があった。
「うーん。ざっと見させてもらいましたけど特にはねぇ・・うーん。この面接も念のためってことで、形式上段取りの意味合いが強いんでね。オーナーさんの強い意向でやっているようなものなんですけどね」
「はぁ」
「オウム事件なんかもありましたからねぇ」
「あぁ…」
「あと、このマンション皇居に近いでしょ。何やかやと管理をしっかりしておきたいというのもあるんですよ」
「はぁ…」
「・・・・・」
「・・・・・」
なかなか結論を出してくれない。
入居審査の面接など初めてで、どうしていいのかわからない。
まいったなぁと思いかけた時、書類を見ながらその男性が言った。
「24歳!?」
「・・・はい?」
「24歳で、板前かー」
「・・・・・」
「こんなこと訊いたらアレですけど、あー、どうしようかな」
「何ですか」
「いいですか、訊いちゃって」
「はい」
「旦那さん、板前でしょ。夜中に、包丁持って暴れたりしませんかねー?」
「・・・はぁぁあっっ?!」
「いや、ま、イメージですけどね、ほら若くて板前だと血の気が多いタイプの人だとちょっとアレなんでね」
「あのー、そういうことはぜんっぜん心配ないと思いますけど」
「あ、そーお?でも、寿司屋、板前、若い。う~ん、イメージがねぇどうも・・“荒くれ男”って感じじゃないの?」
キレそうになったが堪えた。ここで我慢をしなければ。カバンの中を必死にまさぐる。あった、証明書用の顔写真。
「あのー・・見てもらえばわかると思うんですけど、実に穏やかな感じですし、ご想像のイメージのまったく逆な感じだと思います」
テーブルに証明写真を置くとその人は指でつまみ、回転椅子をゆっくり反転させながらモノクロの主人の顔を見ていた。
深読みかもしれないが、私の反応も試されていると感じたのでさり気ないほほえみを絶やさないようにしながら、自分の中の“キレないちゃんとした人間ですのでよろしくねオーラ”を全開にして頑張った。
面接の結果は後日出るということでビルをあとにした。
審査結果は入居OKということで、無事引越しができた。
でも切なかった。
板前がそういうイメージだったこと。
そのイメージを面と向かって浴びせられたこと。
浴びせられたのに媚びへつらい、希望のマンションをものにしたこと。
面接があった夜。主人に電話で話したら
「傷ついたかって?全然。へぇー、まだ板前ってそういうイメージがあるんだなーって、それだけだよ」
私はまだまだ甘い。
こんな程度のことでめそめそしていてはいけないんだなと思った。
回転寿司
勤めていたビルの二軒となりには回転寿司があった。
寿司が大好きな私はお昼になるとお財布とハンカチを掴み回転寿司屋さんの自動ドアをくぐった。
月曜日、同じ課のAさんとBさんと。
火曜日、同期のCちゃんとDちゃんと。
水曜日、一人で。
木曜日、回転寿司には行かず、会社の社員食堂。
金曜日、また同じ課のAさんと。
・・といった具合にほぼ毎日という週もあった。
「カメ、ほんまに寿司好っきやなぁ」
「お寿司屋さんと結婚したのにまだ回転寿司食べてんの?」
「えっ?今週ほとんど回転寿司!?飽きないの?」
・・といった具合にかなり気味悪がられていた。
でも、回転寿司はいいのだ。
好きなものを好きなだけ、手早く食べられて値段も手ごろ。
私は大好きだ。
寿司屋を始めてからというものほとんど行く機会がない。
主人は行かないので、私が一人で食事をするチャンスにこっそり行く。しかも店の向かいの回転寿司にはさすがに行きにくいので、原宿とか、新宿とか、四谷三丁目から少し距離を置いたところに行く。
「週に三~四回という記録を更に伸ばしたい」と野望に燃えていた時期があった。
週に数回なら会社にいくらでも行っている人がいる。
私は“回転寿司に行く回数”で抜きん出てみたかった。
「おぉっ、すげぇな・・」とか、言われてみたかった。
ある週、月曜から木曜まで途切れずに連続で食べに行けたことがあった。金曜日も行けばパーフェクトだ。
記録更新を控えた11時55分頃、「さぁ食べに行きましょう」と思った途端、吐き気を催した。
気持ちは行きたいのだけれど身体が受けつけない。
好きな気持ちにブレーキが利かなくてやり過ぎてキライになってしまうのだ。いつもの悪いクセが出た。
私はエレベーター前で立ち止まって考えた。
無理矢理行って“記録は残るけれどキライになる”より、回転寿司を好きなままでいたかった。
その日は喫茶店でナポリタンを食べた。
わたしにとって回転寿司は大切なものだ。
江戸前の、立ちの寿司屋をやっているからといってもういいとか、そういうことじゃない。
小学校三年生の時、千葉のショッピングセンター内に出来た『元禄寿司』に連れていってもらって以来、あの回るお皿の前に座ると楽しい気持ちになる。
なんと言っても社会人になって自分の采配で自由に寿司を食べることが出来るようになった第一歩なのだから。
うえちゃん
主人の毎日は概ねこうだ。
6:20起床、シャワーを浴び6:50バイクで築地に向かう。
7:20築地市場に到着。仕入れを終え、店には早ければ9:00ちょっと前、遅い時は9:30過ぎに到着する。
それから仕込み。
まずラジオのスイッチを入れる。
ニッポン放送からは『うえやなぎまさひこのサプライズ』という番組が流れてくる。
“うえちゃんのサプライズ”を聴きながら仕込みをするのが主人のスタイルだ。
手を動かしながら聴けるラジオは時計代わりであり、ニュースを仕入れる情報源なので欠かせないものだ。
東京駅のコンコースで“うえちゃんのサプライズ”が公開生放送されると知った主人は「定休日だから行く」と言った。
早起きして行った会場には既に100人くらいの見物人がいて、並べられたパイプ椅子にほぼびっしり座っていた。
「前の方、飛び飛びに空いてるよ、座れるよ」
と私が言うと主人は
「いや、オレは後ろで見てるから」
と言って腕を組んだまま動かなかった。
映画館などもそうだが、主人は自分の座高が高いと後ろの人に迷惑だからと言ってとても気にするのだ。
番組開始まであと15分。その後もきっと1時間くらいは見ていくだろうから、私だけ前の方の席に座った。
開始10分前。新人の女性アナウンサーが挨拶をし、前説のような話をした後ついにうえちゃん登場ということになった。
うえちゃんは舞台袖からではなく、会場の横の見物客が座っている脇のあたりからフラッと現れた。
「うえちゃ―――っん!!うえちゃ―――っん!!」
男の人の声で、しかも「う゛え゛ぢゃ―――っん」みたいなダミ声で叫んでいる人がいる。
あぁ、きっと熱狂的なファンの人なんだろうなぁ・・と思って後ろを向いたら主人だった。
「う゛え゛ぢゃ―――っん」
うえちゃんは声がする方に軽く手を振ってステージに上がった。
8:30スタート。
あとは公開生放送がどんどん進められていった。
主人が大きな声を出すところを初めて見た。
あんなふうに熱くなるんだ。
ちょっと驚いた。