四谷三丁目すし処のがみ・毎日のおしながき

冬から春が旬である貝がそろそろ終盤、初鰹・鰈・鱸・鯵など夏の魚が出てきました。

おかみノート5 真っ白~五ツ切り

2004-11-19 00:10:00 | おかみノート5

おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。

真っ白
店を始める前は相当な“アタマでっかち”になっていたと思う。
私もどこかの飲食店で経験を積んでからじゃないと店に参加してはいけないのではないかと考えていた。
「ね、お願い。できれば半年待って。ムリなら三ヶ月。寿司店か和食の店でお給仕の仕事してから店に出たいから」
店の物件が決まりかけた時、主人に懇願した。
「だいじょうぶだって。ホテルの仲居さんにうちのカミサンがどこかで勉強してからじゃないとダメじゃないかって悩んでるんですけどって訊いてみたけど“下手にどこかの店のクセがつくより、気持ちがちゃんとしてれば、技術は後からついてくるから心配ないわよ”って言ってたんだから」
それでもぐずぐず決めかねていると
「あのね、何ヶ月かやったからって同じだよ。多少慣れたかなっていうくらいだよ。準備準備・・って準備ばっかりしてたら年を取っちゃうよ。たとえばね、八十歳、九十歳くらいになって資金が貯まったし店をやるノウハウも取得できた、さぁやりましょうったってその時は体力が無いよ多分。どのくらい修行したら店を出していいですよ、なんていう決まりはないんだよ。何もかも完璧にしてからスタートなんかできないし、そりゃ始めてからもいろんなことがあると思うよ。でもそんなのしょうがないじゃん。やるしかないの」
そう言われそうかなとも思い、同時に店の賃貸契約がどんどん進みお客様をお迎えすることになった。

開店初日。
緊張もあってどの方が生ビールを頼まれたのかがわからない。
「・・ビ、ビールのおきゃくさまぁ・・」
満席の中、小さい声なので誰にも聞こえない。泡はどんどん減っていく。見かねたカウンターの女性のお客様が満席の店内に向かって
「生ビールどなたですかー?はーい、そちらですねー」
と救いの手を差し伸べてくれた。運んでからお礼を言うと
「わからない時は大きな声で“生ビールのお客様はどちらですかぁー?”って言っちゃっていいんじゃない?のんちゃんも手が放せない状況だし。アッケラカーンと言っちゃえばいいのよ。さ、ほら、がんばって!」
その後も焼酎の水割りを作ったりお茶を入れたり、お会計をしたり食器を洗ったり、前日の予行練習が功を奏してかどうにか乗り切ることができた。

閉店間際、最後のお客様から「お椀四つね」とオーダーが入った。しばらくすると「あがったよ―!」と言われたのでカウンター越しにお盆を差し出し、お味噌汁を四つ主人にのせてもらい、小上がりのテーブルにひとつずつ置いていった。すると
「ゆびッ、ゆび――ッ!」
と突然怒鳴るように言われた。
言われて自分の手を見ると、中指と親指でお椀を持ち人差し指がピーンと立っていた。
「お椀を片手で持つのもそうだけど、人差し指を立てたまま持っちゃダメでしょうが――!常識でしょ?そんなこともわかんないの?こう、両手で持って、静かに置くッ。こういうのはクセになっちゃうから最初が肝心なんだ。覚えといたほうがいいよ!」
その人はOLの時よく通っていた飲食店の方で、ホールの責任者という仕事柄気になって注意してくれたのだろう。一緒に来た店長は黙ったまま少しニコニコしてその人に
「まぁ、まぁ」
と言っていた。
「はぇっ、すいません・・あ、ありがとうございます」
“はいっ”ではなく“はぇっ”となってしまったのは動揺していたからだ。
まさか人前でそんな勢いで叱られるとは思っていなかった。
いや、もちろんありがたかった。
陰でコソコソ「間違ってるのにねー」とか言われるほうがよっぽどイヤだ。
でもやっぱり恥ずかしかった。
笑顔でお客様を見送ったあと、暖簾を入れながら少し泣いた。
「そんなことでいちいち落ち込んでたらキリがねぇぞ」
祐兄ちゃんに言われた。
そうだ。
私は素人のまま飲食の世界に足を踏み入れたのだ。

これから間違ったことをしでかす可能性がゴマンとある。こんなことで日々落ち込んでいたら本当にキリがない。社会人として十数年やってきたというプライドが「ゆび――ッ!!」という一言で見事に砕け散った。
真っ白。
そう、すべてリセットして真っ白だ。
かっこつけないでひとつずつ吸収していこう。

入魂のゲソ焼き
夕方、カウンターを拭きながら主人に話しかけた。
「きのうお客さまに“ここのゲソ焼きはうまいね”って褒められてたよね」 
「それはね・・」
アルコール除菌スプレーを厨房の作業台やその周りに噴霧しながら、少し考えるようにして主人は続けた。
「言われたことがあるんだよね」
今度はきつく絞ったサラシでまな板を拭き始めた。
「鮨雅に勤めてた時にね、お客さんに怒られたんだ。“手を抜かないでちゃんと焼け!”って」
「へぇーそんなことがあったんだ」
「その時さ、下っ端だったから同時に四つくらいのことをやらなきゃならなかったんだよ。巻き物やりながら裏の厨房のお吸い物のようすを見に行ったり、出前が入ったら握って届ける準備をしたり」
「うわ、すごいね」
「いや普通だけどね。その時、イカのゲソ焼きの注文が入って」
「うん」
「網にのせて中火・・うーん、弱火だったかな。そのまま別のこといろいろしてて、けっこう焦げ焦げになっちゃったのね」
「あらー」
「で、ブツブツ切ってそのまま出したらものすごい怒られた」
「ありゃりゃ~」
「“イカゲソってな、ものすごくうまいもんなんだぞ。俺はな、この店のゲソ焼きが好きなんだ。こんな焼き過ぎてな、ガビガビになったもん出すんじゃねぇっ!”って言われて」
柳刃包丁を納めてあるところから出し、まな板の正面、いつもの位置に置いた。
「その時うわ~って思って。もうそれ以来毎回必ず気合い入れて焼いてっから」
私はゲソ焼きの風景を思い出していた。
たしか強火だ。網の上でイカを躍らせるくらいガンガンに熱して、金箸で何度も素早くひっくり返し、短いタイミングでまな板にあげ、食べ易い大きさに切っていたなと思った。
熱い網に生のイカが触れた瞬間に“キューン”あるいは“チュイーン”と鳴っている音だけは、洗いものをしながらでも耳に入っていた。
あの時そんなことを考えながら焼いていたのか。
「おいしそうな焦げもあるんだけれども、イカのプリプリ感は残しつつ火は通っているけどガリガリに焼き過ぎない、と。そう肝に銘じてやってるから」
開店五分前。
帽子の位置が中心になっているか両手で確認しながら店の中全体に聞こえるように主人は言った。
「さ、今日もがんばりますかぁ!よろしくお願いします!!」

振り袖
明日のお稽古は振り袖だ。
十三年前、成人式には出席しなかったし振り袖を着た写真も撮っておかなかった。
ならば三十歳を過ぎたとしても七五三以来せっかく晴れ着を着るのだから、親に見せておこうというのが娘ゴコロというものだ。
着物教室用のカバンの中にカメラを入れた。

教室に着くと、すでに貸衣装の振り袖を広げて雑談しているひとが何人か目に入った。
「おはようございまーす」
小さい声で挨拶をして靴箱に自分の靴をしまっていると
「おはよう・・あれ?野上さん、お化粧してる」
「・・ん?髪もちゃんとアップにしてるじゃん!あ、きょう振り袖だからだ~」
同級生に目ざとくチェックされてしまった。
ふだんの練習の時はシャワーを浴びたまんまの顔で頭は茶色のゴムでぐるぐると高い位置にしばり、ポニーテールだと襟足に髪がかかってしまうので最後のひとくぐらせを中途半端にして髪を挟み、つまり家にいる時と全く変わらない状態で授業を受けていた。
いくら無頓着な私でも晴れ着にはちゃんとしたヘアメイクをしたほうがいいくらいわかる。
振り袖を着るというだけでこんなにも気分が昂るものか。
いつもより少し早く起き、いつもより華やかな気持ちで仕度をして電車に乗ってここまでやってきた。
「野上さん、たしかオレンジだったよね」
同級生が箱の中から畳んだ振り袖を渡してくれた。
家から持ってきた袋帯もオレンジ色だった。
先週、好きな色を生徒が順番に選んでいった。私のところにきた時には青かオレンジが残っていた。
オレンジ色の帯を持っているならば青の振り袖が映えると思う。しかし七五三の時の母の一言がよみがえってきた。
「肌の色が白いひとは赤、青、ピンクが似合うのよ。有紀ちゃんは色が黒いから黄色がよく似合うわ」
山吹色の着物に千歳飴を持った自分の姿を思い出した。
「オレンジでお願いします」
思わず口走っていた。

「はい、ふたり一組になってー。それぞれ相手に着せてあげてくださーい」
自分のを着付けてもらう時は鏡は見えない。
でも、いまどうなっているかはわかる。
高い位置で帯を締め、帯揚げをいりく結びにされていくだけで振り袖だぁ、華やかだなぁ・・と思う。
少女の気持ちになってうっとりしていると
「さ、できたよ」
鏡を向けられた。
「うわっ」
そこには全身オレンジの、やや疲れ気味なミカン星人が立っていた。
ファンデーションはくずれ、目じりにはシワ。
顔全体に脂が浮いていた。それで“大振り袖”という違和感。
あまりの似合わなさに声が出た。
体を斜めにして帯を見るとかわいらしいふくら雀を背負っている。
「・・やっぱりちょっとムリがあるのかなぁ」
がっくり肩を落としていると、あとの四人は「かわいいー♪」を連呼してお互いを褒めあっていた。
よく見ると、けっこうみんな似合っていた。
二十代の人はもちろん、私より年上の人もいたが若く見えるし馴染んでいる。
私に足りないものは何だ。
何で私だけウキウキできないんだろう。
「野上さんもカメラ持ってきたんでしょ?撮ってあげるから貸して」
己を鼓舞できないまま撮影タイムになり、それでも必死にポーズを作って“いかにも成人式”という感じの写真を何枚かは撮った。
「はーい、じゃそろそろ着替えてくださーい」
先生の指示で一斉に帯を解き始めた。
隣で着替えている同級生に話しかけてみた。
「ねぇ私、腐りかけのミカンみたいじゃない?」
「そんなことないってー。いいじゃん似合ってるよ」
「“オレは、オレは、腐ったミカンじゃねぇっ!”」
「・・・?何それ」
「加藤優のマネ」
「かとうまさる?」
「金八先生の」
「え・・」
「松浦悟と同級生の、ほら松浦悟は沖田浩之」
「・・・・」
「加藤優は直江喜一」
「・・ごめん、わかんない」
そのあとは黙って着替えた。

「写真が届いたよ」と母から電話があったのは定休日の昼間だった。
「お父さんがね、“有紀子らしいや”ってウケてたよー」
「私、なんだかミカンのお化けみたいじゃなかった?」
「あははは」
「もしくは売れない演歌歌手」
「まぁそんなこともないけどね・・」
「クラスでみんな盛り上がってたんだけど、私だけ テンションあがんなくてさ・・」
と言うと母は言った。
「三十過ぎて振り袖着りゃあんなもんでしょうよ。土台ムリがあるんだから。あなたね、気負い過ぎ」
そうか。
私に足りないものは肩の力を抜くことだった。

二人で寿司屋に
「○○通りにあるビルの地下一階のお寿司屋さん、あそこはおたくの店に似ているからぜひ行ってごらん」
とお客様に言われて主人が行く気になった。
普段はどれだけお客様に勧められてもまず行かない。
主人は寿司は好きだが、寿司屋に行くのがあまり好きではない。
でもなぜだか今回は乗り気な様子だ。
さっそく定休日に予約を入れた。

ビルの前で確認した。
「“寿司屋やってます”って言う?」
「うーん、紹介だし、言ったほうがいいでしょう。それにオレ水仕事してるから酒飲むとすぐ手が赤くなっちゃうし、板場を見る目つきなんかでどうせわかっちゃうからね」
「よし、じゃ行こう」
早い時間にもかかわらず、八席ほどあるカウンターには既に二組のカップルが座っていた。私たちの席がど真ん中ふたつ空いている。
「いらっしゃいませ、さ、どうぞ」
四十歳くらいのご主人に席をすすめられて私たちは座った。
生ビールを頼み、主人は「お刺身でマグロとヒカリものを」と言い、私は「イカと貝を何か」とお願いした。
ビールをぐぐっと飲むとすぐに目だけで主人と会話をした。
(シパ、シパ)
 →「ちょっと、どうすんの?同業者だってカミングアウトするなら今のタイミングなんじゃないの?」
(シパ、シパ、シパ)
 →「いや、待って。まだ、まだ」
コソコソしていると ご主人が声を掛けてきた。
「あの、きょうはシマエビが北海道から入ってますけど」
「あっ、頂きます」
私が答えると、エビを取りに行くためかご主人が板場から離れた。すかさず小声で会話をした。
「なんですぐに言わないの?」
「両横にお客さんがいるでしょ?こういう時はね、板前としてはものすごくやりづらいのよ。“うわ、寿司屋に寿司屋が来てる!さぁどんなもん出すんだろう”って、食べに来てるお客さんも興味津々になっちゃうしね。だから様子見て周りのお客さんが少なくなった時を見計らって言うから」
座り直して何事もなかったような顔をしてお刺身をつまんでいると、まな板の上でシマエビを持ち上げながらご主人が言った。
「ほぉーら、大きいでしょう?甘エビはよく見るでしょうけど、シマエビっていうのはなかなかないんですよ。縦に縞が入ってるからシマエビって言うんですけどね。このエビはね、海水の中では薄い緑色をしているんですよ。でもね、引き上げたとたんにパァ~って真っ赤になっちゃうんですよ。不思議でしょー」
私を見ながらご主人が熱心に説明してくれた。
「は、あぁ、そうですね。・・はっ、恥ずかしがり屋さんだから海から出た途端、真っ赤になっちゃうんですかね~・・なんて、ははは」
私の苦し紛れの返答にご主人は少し笑うと、生きているシマエビの殻を手際よくむき、赤い筋が入ったプリプリの身のほうだけ残し、エビのミソが入った頭と殻と腹に抱えていた黄緑色の卵を数尾分まとめて捨てるのかあるいは何かに使うのかわからないけれど、それを持ってまた暖簾の奥に消えていった。
「ほらっ、言わないからもう、すっごい薀蓄バリバリ教えてくれちゃったじゃん!どうすんの?いまさら“寿司屋です”なんて言ったら丁寧に説明してくれた大将が恥かいちゃうよ。もう言えない、あぁ、もう言わないほうがいい」
それだけをまた小声で手短に言うと、あとはひたすら食べて飲んだ。
主人は穴子、こはだ、〆鯖、玉子焼き、かんぴょう巻きなどを中心に頼んだ。これらは店によって特に個性が出るものだ。
主人は包丁さばきも、じーっと見る。目がずっと動きを追っている。
もうバレたらバレたでいいか、と思いながらお茶と柚子シャーベットまでいただいた。
「じゃ、ごちそうさまです」
主人が言うと女将さんがおしぼりを持ってきてくれた。
お会計を待つ間、カウンター越しにご主人が私に向かって言った。
「月曜日・・平日。ご夫婦おふたりで・・。六時から揃ってお食事に来れるってことは・・ひょっとして自営の方?」
固まったまま曖昧に弱く笑った。
「アパレル・・かな、洋品店か何かやってらっしゃる?」
もうそれに乗っかろうと思った。
「あっ、まぁそんな感じです。はい」
隣の席で主人がズボンの後ろのポケットにお財布を納めたのが見えた。
「あっじゃあどうも、ごちそうさまでした!」
地上に出る階段を駆け上がった。
「もう今度からお店に行く時は、先に言うか、ずーっと最後まで明かさないかどっちかにしよう。いや、まいったよー」
息をあげながら私が言うと主人がひとこと言った。
「今回は行ってみたけど、やっぱりオレは寿司屋に行くのはあんまり好きじゃないなー」

あのお店のご主人はきっと気付いていたのだろう。
私たちの職業予想候補第二位の、アパレル関係を持ち出して出方を見たのだろう。
「寿司屋さんだとは思うけど、そっちが言いたくないなら聞かないよ」
ということなのだと思う。
あぁ、やっぱり二人で寿司屋に行くのは考えたほうがいいのかもしれない。

五ツ切り
かんぴょう巻きを五ツ切りにしてみようかと主人が言った。
「は?“かんぴょう巻きは四ツ切り”って決まってるもんなんでしょ」
「よく知ってるね」
「だって『将太の寿司』に書いてあったもん」
「あ、そうなの」
「五ツ切りなんていうのがあるの?」
「いやないよ。オレが考えた。かんぴょう巻きの四ツ切りってひとくちで食べると大きくない?昔やってみたことがあるんだよ。一本の細巻きを切らないで何口で食べ終えるのかって」
「うん」
「そうしたらね、五回だった。だから五等分に切ってみよう、と」
「ほー・・」
主人は手早くかんぴょう巻きを巻くと細巻きの腹の真ん中あたりに柳刃包丁の切っ先を、何度も何度もあて始めた。
「・・・・」
眉間にシワが寄っている。
「・・・切らないの」
「どうやって切っていいのかわかんない」
「はぁっ?」
「いやね、細巻きはまず真ん中で切るでしょ。で、その二等分したものを揃えて、六ツ切りならそれを三等分、四ツ切りならもう一回真ん中を切るっていう動きを目ぇつむってもさ、ピチーッと同じ長さに切り揃えられるまで繰り返し繰り返し叩き込むわけ。大げさに言うと五等分にしようとすると、どうしても四ツ切りか六ツ切りかのいつも切る位置に手が自然に戻っていっちゃう、みたいな」
「ひぇー・・」
「・・五等分となると、一本を三対ニになるようにして、それぞれを切り分けたほうがいいのか、端っこの一切れをまず五等分のサイズに切って、残りを四等分にしたらいいのか」
そう言いながら主人は既に巻いてあった一本は前者の切り方で、そしてもう一本すぐに巻き、後者のやり方で五つに切った。
「あれ!やっぱ、ずれちゃうなー」
バラバラの長さのかんぴょう巻きが十切れ、まな板に並んだ。
主人にとってはかなりショックな出来だったようだ。リベンジでもう一本巻こうとしている。
私はレジ横に置いてある定規を持ってきて言った。
「測ってみたら?細巻きの長さが・・19.5cmでしょ。えーとえーと、割る5で・・ひと切れあたり3.9cm」
端っこのひと切れを定規で測って3.9cmに切り、あとを四等分にしたら、きれいな五ツ切りになった。
「おー、できたけど、これまたやれって言われるとオレ無理かもしんない」
「まな板のどこかにさ、四ツ切りとか六ツ切りの目盛りを付けとく人とかいないの?そういう感じでこっそり五切れ用の印を付けておくとか」
「あっはっは、板前はそんなことするわけないでしょ。たとえばね、全然知らない板場に行ったとして“目盛りがないから切れません”なんてあり得ないでしょう」
たしかにそんなことをするわけがない。自分の姑息な部分を見られたようで恥ずかしかった。
少しの間黙っていると
「ちゃんと切れたやつ、食べてみようよ」
と促された。
同時に五ツ切りのかんぴょう巻きを口に入れた。
「・・・・・」
「・・・・・」
先に呑み込んで終わった主人が言った。
「あんまりうまくねぇな」
私はまだ口に入ったままだ。
「大きさは口にジャストサイズだけどな」
「・・・うん。やっぱり口に余る四ツ切りのほうがおいしく感じるね」
「この長さになったことには理由があるんだな。やっぱり」
「そうなんだね」
お茶をすすりながら残ったふぞろいのかんぴょう巻きを黙々と食べた。

 


おかみノート5 シャリの寿~うえちゃん 

2004-11-19 00:00:00 | おかみノート5

おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。

シャリの寿
オープンして十日も過ぎると最初に見えなかったものが見えてくる。
主人と義父とのあいだに常に流れている協力体制が途切れ、ときおりつっかえるような瞬間が訪れる。
「オヤジ、もうあげて」
「なんだ、もうあげちまうのか」
「うちは出前やってねぇからガチガチに火を入れないの」
「・・そうか」
お義父さんはヤットコで雪平鍋をつかみ、ザパァッと竹串に刺した車海老をザルにあける。
そして冷ましたあとネタ皿に並べるのだが、その並べ方にも主人の考えがあるようで夕方一本ずつ並べなおしているのを見たことが何度もある。
車海老だけではない。
スミイカの子供、新イカの仕込み。
主人はゲソの先のほうは必ず切り落とす。義父はおそらく落とさない。
いろんなものを触っているところだし食べた感じも切り落としたほうがいいと主人は思っているからだ。
コハダを仕込む時はさすがに「塩は何分、酢は何分か」と主人に聞いて義父はその通りにやる。そしてネタ皿に並べ冷ケースに仕舞う。
すると主人がすぐにひっぱり出して包丁の先で尻尾だの開いた両端の角度だの、カタチが気に入らなくて一枚ずつ整え始める。
切れ端がまな板の上に溜まっていく。
お義父さんはそんな息子を黙って見ていた。

午前中私は床掃除をしていた。
カウンターの椅子の背もたれは木で出来ており、しゃがんだ状態で見上げるとちょうどその隙間から義父とのやりとりが見える。
あおやぎの仕込みを終えたらまたネタ皿にきちんと並べる。
「ほい、お願いしますっ!」
お義父さんはおどけた感じで主人に声を掛ける。
主人はみつばを湯掻き水に放つとすぐにあおやぎをチェックし始めた。
ヒモが繋がったまま仕込んだかどうか。ヒモについている薄い膜は取り除いてあるか。開き方は。火の通り具合は。舐めるようにひとつずつ見終えると主人が言った。
「お、いいね。カンペキだね、オヤジ」
「・・・・・」
お義父さんは黙っていた。
「うん、これ、いいよ。パーフェクト」
主人がさらに言うと
「初めて褒められたんじゃねぇのか?、おい」
お義父さんは半分怒っているような、でも冗談ともとれるような口調で言った。

お義父さんのお昼ご飯は朝と同じメニューだ。
剥いたバナナを食パンで巻いて、食べながら牛乳で流し込む。
私は常にその三つを切らさぬようにと言いつかっていた。
糖尿病でカロリー制限のあるお義父さんは私たちと同じ食事は摂れない。店の立ち上げからずっとコンビニ弁当が続いていた。
皆には申し訳ないと思ったがどうにも余裕がない。
病院から指導を受けた時間にきちんと食べ終わった義父は小上がりで新聞を読んでいた。
私たちがお弁当を食べ始めると電話が鳴った。
同じビルの雀荘のマスターからだった。
「社長いる?社長」
主人に声を掛けて受話器を渡した。しばらくすると
「オヤジ、電話」
と今度はお義父さんに代わった。
主人は元の位置に戻り唐揚げをひとつ口に入れると固まったご飯をまたわしわしと押し込み、数回噛んで呑み込んだ。
「・・だからよぉ、社長は俺じゃねぇの。息子だっていうの」
お義父さんは後頭部をポンポンと叩きながら戻ってきた。
「メンバー足りねぇってぇから、・・言ってくらぁ」
すぐ雀荘のある五階に行ってしまった。

夜のカウンターは主人が取り仕切ることになっていた。
お義父さんは白衣に捻じり鉢巻。お茶を携えて小上がりの隅に腰掛けて息子の姿を眺めていた。
「おとうさんの握ったお寿司が食べてみたいです」
女性のお客様からそう言われ、私もおどけて
「よっ、お義父さん。御座敷掛かりましたよ!」
と促した。

しかし、なかなか立ち上がらない。
「お義父さん、ほら」
「あるじのよ・・」
「え?」
「この店の主のお許しがねぇとよ・・」
出来るだけ明るい声でカウンターの向こうの主人に声を掛けた。
「ねぇ、お義父さんにお願いしたいよねぇ?」
主人は無言のまま軽く眉と瞼の辺りを引き上げ、三回ほど頷いた。
「・・じゃ、しょうがねぇなぁ」
お義父さんはゆっくりと前掛けを締めなおし、
板場に上がった。
カウンターに立ったお義父さんは華がある。
主人はその陰になった。

閉店時間が近づいた頃、お義父さんはいきなり猛烈な速さでシャリだけのにぎりを握りだした。
四十個くらいになった時
「柳のまな板を倉庫から持ってこい」
と私に指示を出すと、
そこにシャリを並べ始めた。
シャリで “寿” という文字がつくられていた。
その女性のお客様は
「うわぁ、おとうさん、すごい、ね、すごいですよね」
と私と主人に同意を求めてきた。
「このな、ことぶきの最後の点をな、食紅か何かで赤くしてな。ちょん、とやってもいいしな。半分の数を赤くして交互に並べてもいいんだぞ。緑が映えるから、こう、葉を飾りつけてな」
喋りながらステンレスのボウルに入った手酢を手に馴染ませてひとつふたつシャリを握ると、“寿”のバランスを見て足りなそうな部分 ― カーブしている一番先っぽのところや、最後のハネの部分 ― に置いていった。
見たことのない飾り寿司に興奮して
「お義父さんすごい!初めて見たー、ね、ね、いいじゃない?」
主人に視線を向けて頷いてもらおうとした。
「・・・・・」
主人は黙ったままだ。
「・・ねぇ、すごいよ、ねぇ?こういうの覚えとくとさ、いいよねぇ?」
それでも主人は何も言わない。少し顔が紅潮している。
苦虫を噛み潰したような、でもあからさまな怒りではない。
「面白くない」と顔が言っていた。

吉報つる
折り詰めをつくり、蓋をする前に必ず笹を寿司の上にのせる。
主人が好んで細工するのは“鶴”だ。
一枚の笹から出刃包丁で羽ばたく鶴の姿を瞬く間に切り出してしまう。
仕上げの、くちばしの部分は慎重に包丁を動かす。
細く長いくちばしで手紙をくわえているようにするからだ。
蓋をする前にお客様にご注文のとおりか中身を斜めに向けて確認していただく。そしてこう言う。
「上にのっている鶴は“吉報つる”と言います。よい報せの手紙を運んできますようにという縁起物の笹です」
さらに付け加える。
「笹はいまは水気を含んでいますが、やがて縁から乾いてこの鶴の羽の部分からどんどん丸まってきます。ビニールではなく天然のものだからです。どうか笹が乾いてしまう前にお早めに召し上がってください」
殺菌効果だけでなく、笹にタイムリミットを知らせる時計としての役割があるのはこのとき初めて知った。
そのことを主人に話すと「鶴や亀や松竹梅に切るのはもちろん、かなり以前は家紋を専門に切る笹切り屋などもいて、冠婚葬祭の寿司桶にその家の家紋の形に切った笹を盛り込むことがあったのだ」と教えてくれた。
鶴を切るだけでもすごいのに「吉報」をくわえて飛んでくるという発想が素敵だし、引き継がれてこうして今の時代にもあることがいいなぁと思った。

さいまき海老
お義父さんと祐兄ちゃんが福島に戻ってからは仕込みのお手伝いは私がやるものだと思っていた。
茹で上がったランチ用のさいまき海老が二十尾ほどザルに入っていた。
「これ、殻を剥くんだよねぇ」
覗き込みながら訊くと
「あぁ、まぁ・・そうね」
と主人は大根のツマを剥きながら答えた。
のんちゃん寿司のお手伝いで何回も茹で海老の殻を剥いたことがある私は、得意満面で海老の殻を剥き始めた。
のんちゃん寿司で私がやれる海老関係のことといったら『殻剥き』と『背ワタ取り』だけだった。
茹でる前の海老に竹串を刺すのはお義母さんか板前さん。
茹で上がった海老の殻剥きは私を含めて手が空いている全員で。
包丁を入れて開くのはお義母さんか板前さん。背ワタを取るのは私も含めて何人か、といった具合に役割が分かれていた。
店の女将になったのを機に殻剥きと背ワタ取りだけでなく、『海老を開くこと』&『竹串刺し』を任されるのではないかと秘かに思っていた。剥き終わった海老を前に
「これ、開いてみたいんだけど」
と訊いてみた。すると主人は
「あ、それはオレがやるから」
と茹で海老にすっすっと包丁を入れ、酢と塩と水を入れたボウルに開いた海老を入れて私によこした。
腰を屈めながら背ワタを取っていく。諦めきれない私は訊いた。
「あのー、あのさぁ、海老開いたりさ、竹串刺すの、やりたいなー。全部任せてもらったりとか、できないのかなぁー」
大根のツマを打ちながら主人が言った。
「殻剥くのだって簡単じゃないよ。しっぽの上の尖ったところの殻を取り忘れてないからってそれで済むもんじゃないんだよ。竹串をおかしな場所に刺すと真っ直ぐ傷つけずに茹でられないしね。それに茹でた海老ってどうも軽んじられているように思うから、オレはそういう概念をひっくり返したいと思っていつもやってるのね」
切ったツマを流水に放ち、ボウルの中に浸かっている海老を一尾取って私の横に立った。背ワタを指で丁寧に取りながら主人は続けた。
「開いたときに左右の厚みが大幅に違ってごらん。酢水に漬けた一尾の浸かり具合が左右で違っちゃうんだよ、わかる? 真半分にするのって意外と難しいんだよ。オレは一本一本開きながら“きっちり均等かどうか” を常に自問自答しながらやってる。そりゃ店で出せないような開き方はしないよ、でも自分の中で更に高い基準を設けているわけ。これはカンペキだと思える出来なんて、毎日やっていてもそうそうない。そのくらい慎重にやってるんだよ」
背ワタを取る手を止め、立ち尽くした。
ショックだった。そこまで言われるとは思わなかった。
“私にでも簡単にやれるでしょ”と思った自分が恥ずかしかった。
と同時に主人はすべての仕込みの工程を誰にも触らせずにやりたいと思っているのだとわかった。
とにかく生半可な気持ちで仕込みは手伝えない。
この日を境に厨房の中はすべて主人がやり、私は私に出来るそのほかのことをしようと誓った。

入居審査
そのマンションに住むには面接をクリアーしなければならないと不動産屋さんから聞いた。
築三十五年とはいえ、麹町で十万を切る2Kの物件なんてあまりない。
結婚して一緒に住むには一番町の鮨雅に歩いて通える距離がベストで「バイクで通える距離になると遠いから、できればそのマンションに決まってほしい」と主人は言った。
そこを断るとあとは軒並み十五万円台になる。
「面接受けます。申し込んでください」
不動産屋さんに返事をするとすぐ翌週にということになった。

当日は午前中会社を休み八重洲にある大手の建築会社の仲介管理部門を訪ねた。
小さな会議室に通され身上書のようなものに記入して終わり、そういえば朝から何も食べていなかったな…などと思いながらぼーっとしていると面接担当の男性が入ってきた。
「はい、書けましたか。ええ、どうぞ楽にしてください」
その書類を私から受け取ると黙って目を通し始めた。
「野上さん・・ですね」
「はい」
「ご主人は、えーっと、お勤めは、と・・お寿司屋さん」
「はい。あの、一緒に伺いたかったんですけれども平日に休みを取れないもので申し訳ありません」
「えぇまぁいいですよ」
少しの沈黙があった。
「うーん。ざっと見させてもらいましたけど特にはねぇ・・うーん。この面接も念のためってことで、形式上段取りの意味合いが強いんでね。オーナーさんの強い意向でやっているようなものなんですけどね」
「はぁ」
「オウム事件なんかもありましたからねぇ」
「あぁ…」
「あと、このマンション皇居に近いでしょ。何やかやと管理をしっかりしておきたいというのもあるんですよ」
「はぁ…」
「・・・・・」
「・・・・・」
なかなか結論を出してくれない。
入居審査の面接など初めてで、どうしていいのかわからない。
まいったなぁと思いかけた時、書類を見ながらその男性が言った。
「24歳!?」
「・・・はい?」
「24歳で、板前かー」
「・・・・・」
「こんなこと訊いたらアレですけど、あー、どうしようかな」
「何ですか」
「いいですか、訊いちゃって」
「はい」
「旦那さん、板前でしょ。夜中に、包丁持って暴れたりしませんかねー?」
「・・・はぁぁあっっ?!」
「いや、ま、イメージですけどね、ほら若くて板前だと血の気が多いタイプの人だとちょっとアレなんでね」
「あのー、そういうことはぜんっぜん心配ないと思いますけど」
「あ、そーお?でも、寿司屋、板前、若い。う~ん、イメージがねぇどうも・・“荒くれ男”って感じじゃないの?」
キレそうになったが堪えた。ここで我慢をしなければ。カバンの中を必死にまさぐる。あった、証明書用の顔写真。
「あのー・・見てもらえばわかると思うんですけど、実に穏やかな感じですし、ご想像のイメージのまったく逆な感じだと思います」
テーブルに証明写真を置くとその人は指でつまみ、回転椅子をゆっくり反転させながらモノクロの主人の顔を見ていた。
深読みかもしれないが、私の反応も試されていると感じたのでさり気ないほほえみを絶やさないようにしながら、自分の中の“キレないちゃんとした人間ですのでよろしくねオーラ”を全開にして頑張った。
面接の結果は後日出るということでビルをあとにした。

審査結果は入居OKということで、無事引越しができた。
でも切なかった。 
板前がそういうイメージだったこと。
そのイメージを面と向かって浴びせられたこと。
浴びせられたのに媚びへつらい、希望のマンションをものにしたこと。
面接があった夜。主人に電話で話したら
「傷ついたかって?全然。へぇー、まだ板前ってそういうイメージがあるんだなーって、それだけだよ」
私はまだまだ甘い。
こんな程度のことでめそめそしていてはいけないんだなと思った。

回転寿司
勤めていたビルの二軒となりには回転寿司があった。
寿司が大好きな私はお昼になるとお財布とハンカチを掴み回転寿司屋さんの自動ドアをくぐった。
月曜日、同じ課のAさんとBさんと。
火曜日、同期のCちゃんとDちゃんと。
水曜日、一人で。
木曜日、回転寿司には行かず、会社の社員食堂。
金曜日、また同じ課のAさんと。
・・といった具合にほぼ毎日という週もあった。
「カメ、ほんまに寿司好っきやなぁ」
「お寿司屋さんと結婚したのにまだ回転寿司食べてんの?」
「えっ?今週ほとんど回転寿司!?飽きないの?」
・・といった具合にかなり気味悪がられていた。
でも、回転寿司はいいのだ。
好きなものを好きなだけ、手早く食べられて値段も手ごろ。
私は大好きだ。
寿司屋を始めてからというものほとんど行く機会がない。
主人は行かないので、私が一人で食事をするチャンスにこっそり行く。しかも店の向かいの回転寿司にはさすがに行きにくいので、原宿とか、新宿とか、四谷三丁目から少し距離を置いたところに行く。
「週に三~四回という記録を更に伸ばしたい」と野望に燃えていた時期があった。
週に数回なら会社にいくらでも行っている人がいる。
私は“回転寿司に行く回数”で抜きん出てみたかった。
「おぉっ、すげぇな・・」とか、言われてみたかった。
ある週、月曜から木曜まで途切れずに連続で食べに行けたことがあった。金曜日も行けばパーフェクトだ。
記録更新を控えた11時55分頃、「さぁ食べに行きましょう」と思った途端、吐き気を催した。
気持ちは行きたいのだけれど身体が受けつけない。
好きな気持ちにブレーキが利かなくてやり過ぎてキライになってしまうのだ。いつもの悪いクセが出た。
私はエレベーター前で立ち止まって考えた。
無理矢理行って“記録は残るけれどキライになる”より、回転寿司を好きなままでいたかった。
その日は喫茶店でナポリタンを食べた。

わたしにとって回転寿司は大切なものだ。
江戸前の、立ちの寿司屋をやっているからといってもういいとか、そういうことじゃない。
小学校三年生の時、千葉のショッピングセンター内に出来た『元禄寿司』に連れていってもらって以来、あの回るお皿の前に座ると楽しい気持ちになる。
なんと言っても社会人になって自分の采配で自由に寿司を食べることが出来るようになった第一歩なのだから。

うえちゃん
主人の毎日は概ねこうだ。
6:20起床、シャワーを浴び6:50バイクで築地に向かう。
7:20築地市場に到着。仕入れを終え、店には早ければ9:00ちょっと前、遅い時は9:30過ぎに到着する。
それから仕込み。
まずラジオのスイッチを入れる。
ニッポン放送からは『うえやなぎまさひこのサプライズ』という番組が流れてくる。
“うえちゃんのサプライズ”を聴きながら仕込みをするのが主人のスタイルだ。
手を動かしながら聴けるラジオは時計代わりであり、ニュースを仕入れる情報源なので欠かせないものだ。

東京駅のコンコースで“うえちゃんのサプライズ”が公開生放送されると知った主人は「定休日だから行く」と言った。
早起きして行った会場には既に100人くらいの見物人がいて、並べられたパイプ椅子にほぼびっしり座っていた。
「前の方、飛び飛びに空いてるよ、座れるよ」
と私が言うと主人は
「いや、オレは後ろで見てるから」
と言って腕を組んだまま動かなかった。
映画館などもそうだが、主人は自分の座高が高いと後ろの人に迷惑だからと言ってとても気にするのだ。
番組開始まであと15分。その後もきっと1時間くらいは見ていくだろうから、私だけ前の方の席に座った。
開始10分前。新人の女性アナウンサーが挨拶をし、前説のような話をした後ついにうえちゃん登場ということになった。
うえちゃんは舞台袖からではなく、会場の横の見物客が座っている脇のあたりからフラッと現れた。
「うえちゃ―――っん!!うえちゃ―――っん!!」
男の人の声で、しかも「う゛え゛ぢゃ―――っん」みたいなダミ声で叫んでいる人がいる。
あぁ、きっと熱狂的なファンの人なんだろうなぁ・・と思って後ろを向いたら主人だった。
「う゛え゛ぢゃ―――っん」
うえちゃんは声がする方に軽く手を振ってステージに上がった。
8:30スタート。
あとは公開生放送がどんどん進められていった。
主人が大きな声を出すところを初めて見た。
あんなふうに熱くなるんだ。
ちょっと驚いた。