3代目の支店長は、役所の助役を定年退職し再就職した人であった。
支店長の赴任の挨拶は、金融機関の仕事は判りませんので、皆さん職員に任せますが、
1.「命の次に尊いお金を扱う職業です。金銭にまつわる不祥事があれば、厳罰に処す覚悟です。」
2.「真面目な仕事振りを全員に期待しています。」
こんな赴任時の挨拶だったと覚えています。
3.「普段の職員一人ひとりを見る眼は厳しく、長い役所生活の匂いが漂います。」
《3代目の支店長から教わったこと》
前回の項目に書きましたが、3代目の支店長に教えて頂き、私の永いサラリーマン生活で、役立ち・参考になったものの一つに「会議の準備と司会の役割」でした。
この「会議と司会」は私が定年を迎えるまで40年間、大変に役立ち参考になりました。
《戦後の結婚事情》
1.さて、戦後の結婚事情ですが、3代目の支店長は「男女交際はご法度」だぞ。という時代です。
もしも、男女関係での不始末があれば、「男女両成敗」二人共退職してもらうぞ。
かりに「結婚と言うことになる場合、どちらか一人は、他店舗に転勤してもらうぞ」と言う。
2.この時代の世間の「結婚年齢」は。
男子が25才前後には結婚を。
女子が23才くらいまてには結婚を。
当時の女子の就職年令は、高校卒業が殆どでしたから、18才で就職して5年目で23才です。
大体この年令なると両親も放っておけず、嫁入り先探しが始まります。
この年令過ぎても結婚しない娘は、「傷もの」扱いでした。
そこで、結婚の仲立ち役になるのが、保険屋さんのおばさん。隣近所のおばさん。親戚の人。でした。
じつは、私の場合もこんな噂話がありました。
私が25才前後の時でした。一つ目の話は、近所の金物屋さんの娘とどうかという話。
二つ目の話は、表通りに喫茶店と牛乳屋を持っているいる家の娘さんはどうかという話。
何れも「婿」にと言う話だった。
実は、この話は私に直接親から何もなく、お袋が近所のお神さんたちと、お茶のみ話の種になっていたというものです。
お宅の倅は、夜間大學も出ていて真面目に勤め人をしている、そこそこ財産のある家に「婿入り」がいいのではない。近所のおばさんと家のお袋が真面目に話していたという。
我が家は、職人の家庭で資産らしきものは何も無い家庭でしたから、息子の将来を近所の人も心配して噂するのかな。
《職場での私の交友関係》
家でお袋が私の「婿入り」話をしていることは、何も知らない私は、25才になり職場でも中堅職員になっていた。
夜間大學の通学もなくなったので、日曜日の時間は自由になった。
当時は、土曜日も午前中は店舗を開けて営業していたから、土曜日は午後3時ごろでないと帰れない。
それでも、自由になる時間が増えたので、25才の年令は楽しい。
「そろそろ、嫁さんで無いのかい。」という人もいるが、当分そんな気になれない私。
「じゃ、女子との付き合いは」と思うだろうが、3代目の支店長の言う「男女交際はご法度」が私を縛っている。
どちらかというと、私は「女子をちやほやし、女子と上手く話をするタイプでない」
専ら私は、「夏は海水浴かキヤンブ」「春と秋には日帰り登山ハイキング」「冬にはスキー」などの遊びに忙しい。
職場に私より2才年下の男子職員がいて、彼もハイキングが好きで二人であちらこちらと日曜登山をしていた。
この話を職場で二人でしている時に、中堅の女子職員が3人程私達も一緒に連れて行ってと言い出した。
断る理由も無いので、女子も登れる「山」を選んで一緒に日曜登山が始まった。
このために、私は「時刻表」を調べ。「山岳ガイド」と「5万分の1の地図」を買って調べた。
最初は、「高尾山から陣場山」程度で、できる限り帰宅時間が遅くならないよう配慮したハイキングにした。
この時期コピー機などは無いから、集合地、服装、食料、帰宅予想時間、目的地、歩行予定時間、などを出来るだけ細かく口頭で、事前に知らせる。
当日の登山は、トップは私が勤め、女子を中に挟んで、アンカーは仲の良い同僚と言うことに何時もした。
次は「私の結婚相手」です。
支店長の赴任の挨拶は、金融機関の仕事は判りませんので、皆さん職員に任せますが、
1.「命の次に尊いお金を扱う職業です。金銭にまつわる不祥事があれば、厳罰に処す覚悟です。」
2.「真面目な仕事振りを全員に期待しています。」
こんな赴任時の挨拶だったと覚えています。
3.「普段の職員一人ひとりを見る眼は厳しく、長い役所生活の匂いが漂います。」
《3代目の支店長から教わったこと》
前回の項目に書きましたが、3代目の支店長に教えて頂き、私の永いサラリーマン生活で、役立ち・参考になったものの一つに「会議の準備と司会の役割」でした。
この「会議と司会」は私が定年を迎えるまで40年間、大変に役立ち参考になりました。
《戦後の結婚事情》
1.さて、戦後の結婚事情ですが、3代目の支店長は「男女交際はご法度」だぞ。という時代です。
もしも、男女関係での不始末があれば、「男女両成敗」二人共退職してもらうぞ。
かりに「結婚と言うことになる場合、どちらか一人は、他店舗に転勤してもらうぞ」と言う。
2.この時代の世間の「結婚年齢」は。
男子が25才前後には結婚を。
女子が23才くらいまてには結婚を。
当時の女子の就職年令は、高校卒業が殆どでしたから、18才で就職して5年目で23才です。
大体この年令なると両親も放っておけず、嫁入り先探しが始まります。
この年令過ぎても結婚しない娘は、「傷もの」扱いでした。
そこで、結婚の仲立ち役になるのが、保険屋さんのおばさん。隣近所のおばさん。親戚の人。でした。
じつは、私の場合もこんな噂話がありました。
私が25才前後の時でした。一つ目の話は、近所の金物屋さんの娘とどうかという話。
二つ目の話は、表通りに喫茶店と牛乳屋を持っているいる家の娘さんはどうかという話。
何れも「婿」にと言う話だった。
実は、この話は私に直接親から何もなく、お袋が近所のお神さんたちと、お茶のみ話の種になっていたというものです。
お宅の倅は、夜間大學も出ていて真面目に勤め人をしている、そこそこ財産のある家に「婿入り」がいいのではない。近所のおばさんと家のお袋が真面目に話していたという。
我が家は、職人の家庭で資産らしきものは何も無い家庭でしたから、息子の将来を近所の人も心配して噂するのかな。
《職場での私の交友関係》
家でお袋が私の「婿入り」話をしていることは、何も知らない私は、25才になり職場でも中堅職員になっていた。
夜間大學の通学もなくなったので、日曜日の時間は自由になった。
当時は、土曜日も午前中は店舗を開けて営業していたから、土曜日は午後3時ごろでないと帰れない。
それでも、自由になる時間が増えたので、25才の年令は楽しい。
「そろそろ、嫁さんで無いのかい。」という人もいるが、当分そんな気になれない私。
「じゃ、女子との付き合いは」と思うだろうが、3代目の支店長の言う「男女交際はご法度」が私を縛っている。
どちらかというと、私は「女子をちやほやし、女子と上手く話をするタイプでない」
専ら私は、「夏は海水浴かキヤンブ」「春と秋には日帰り登山ハイキング」「冬にはスキー」などの遊びに忙しい。
職場に私より2才年下の男子職員がいて、彼もハイキングが好きで二人であちらこちらと日曜登山をしていた。
この話を職場で二人でしている時に、中堅の女子職員が3人程私達も一緒に連れて行ってと言い出した。
断る理由も無いので、女子も登れる「山」を選んで一緒に日曜登山が始まった。
このために、私は「時刻表」を調べ。「山岳ガイド」と「5万分の1の地図」を買って調べた。
最初は、「高尾山から陣場山」程度で、できる限り帰宅時間が遅くならないよう配慮したハイキングにした。
この時期コピー機などは無いから、集合地、服装、食料、帰宅予想時間、目的地、歩行予定時間、などを出来るだけ細かく口頭で、事前に知らせる。
当日の登山は、トップは私が勤め、女子を中に挟んで、アンカーは仲の良い同僚と言うことに何時もした。
次は「私の結婚相手」です。