子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

目の付け所(私のやり方)その1

2009年05月09日 | 私が歩んできた道を振り返って
「目の付け所」(私のやり方)その1
。。。。(物事を考察、評価する時、対象の中で特に注目する部分。着目点。着眼店。)広辞苑から。

私は、戦後間もなくの時に、中小金融機関に40年間勤めた経験を持っている。
中学生のときに、東京が戦災で焼け野原になったあとに終戦を迎えるる、
自宅も学校も焼けてしまい、学校へ通う道を閉ざされてしまう、
結局一年浪人して、焼け残っていた中学に編入した。
昼間は、親父の仕事(レンガ職人)を手伝いながらの夜間中学3年生である。

ここの中学校で旧制中学の卒業資格を得たが、翌年から「新制高校制度」が発足する。
私はそのまま在学し、夜間の新制高校の道を選び、高校一年生となる。
昼間は親父の仕事を手伝い、土方仕事の後に夜間高校へ通う生活になった。
旧制中学3年生を一年。新制高校を4年間(夜間高校は4年制)、通算5年間の夜間学校を5年間を経過して、通常の人より二才遅れて20才の時に卒業した。
勿論、昼間の土方仕事をこなしての卒業である。

これから、私の仕事やり方、目のつけ方を少しずつ書く予定だが、私の20才台の土方仕事の毎日が、サラリーマンになった後で大変な影響を与えていることになる。

職人の仕事というのは、「出来上がりは、上手く出来て当たり前」その上「お客様に感謝されるような出来栄え」「次の仕事の時も注文し頼まれる」「工事の日程を守る」
ずらずら、と書いたが任された仕事をすると言うことは、これが当たり前だ。