子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

15 結婚式が終わって、新婚旅行に その11

2009年01月27日 | 私が歩んできた道を振り返って
《結婚式も無事に終わって新婚旅行に。》

結婚式は、先に地元の神社へ行き、神主さんの下で、仲人と両親に新郎新婦で挙式を行いその足で披露宴会場の浅草の小料理屋へ向かった。

披露宴の参加者は、私の親族9人、嫁側の親族8人、私の職場から支店長以下同僚を含め7人、嫁さんの友人4人、我が家の近所の世話になった人5人、義父側の知人と同業者5人、参加者は全員で38人になった。

お土産は、浅草の名物「雷おこし」と「赤飯」を小料理屋に頼んで用意した。
披露宴の司会は、私の職場の同僚でこのような行事に慣れている者に頼んだ。

披露宴も賑やかに、和やかに終わることが出来た。

戦後間もなくの「結婚式」は、こんな様子であった。

《いよいよ新婚旅行へ》

当初私は新婚旅行は、「南紀州の白浜温泉と那智の滝方面」に夜行寝台で行きたいと思っていた。
こんな旅行計画を義母にしたら、大反対されてしまった。
「嫁さんは、結婚式の着付けやその準備で朝早く起きて、朝食もままならないのだよ。」
「結婚式場でも飲食は着飾っているから思うようにならないし。」
「精神的にも負担が大きくて、相当疲れているものだょ。」

「その上、新婚旅行は南紀州で夜行寝台は無理だよ。」
「まあ、伊豆半島の伊東温泉程度にしておいてください。」
義母にやんわり断られて、計画の手直しをした。

《新婚旅行のスケジュール》

伊豆半島方面は、私も好きで20才台に高校時代の学友達と、東伊豆や西伊豆方面によく観光に行っていたから、知識もあり伊豆半島は良く知っていた。

当時の乗り物は、東海道本線で東京駅から熱海駅へ。此処で乗り換えて伊東駅へ鈍行で行く。
その先の下田に行くのには、伊豆急行に伊東で乗り換えるて行くのだ。

現在なら、東京駅から伊豆下田駅まで直通で行かれるが、戦後は伊豆半島に行くのも大変だった。


私の新婚旅行は、こんなスケジュールになった。
東京駅から熱海まで東海道線。熱海駅で乗り換えて伊東駅に。

第一日目は、伊東温泉に泊まる。
この日は、宿に出来るだけ早く着いて、観光もせずにゆっくりすることにした。

二日目の宿は、下田の蓮台寺温泉に取ってある。
伊東から、「伊豆の最南端・石廊崎」の定期刊行バスに乗ることにした。
学生時代に良く利用していて、バスガイドが途中の観光地の案内をしてもらえるので、のんびりとバスに揺られている内に目的地に着くのでいい。
「石廊崎」で観光船に乗り、観光して再度観光バスで下田に戻る。
私達二人は、下田駅で途中下車して、今日の宿泊地の「蓮台寺温泉」にタクシーで向かう。

三日目は、早く家に帰って、翌日からの出勤の支度をしておかなければならないし。

家内は、台所の整理と翌日以降の食事の支度の手配もしなくてはなら無い。
当面二人は子供が出来るまでは共稼ぎの予定なので、観光どころでない。

東京に早く帰ることにした。
東京に戻って、義父の家に寄り新婚旅行のお礼をと、旅行のお土産を渡して、我が家に帰った。
我が家に入ると、台所はキチンと整理されており、食材も揃っており、部屋の掃除も進んでいる。
義母が留守の間に、我が家に見えて娘のために用意してくれたとのだ。
「ありがたかった。」

次回は、新婚家庭の金銭管理です。