きょう、テレビでデスノートのアニメをまとめたやつやってましたね。
なんでもリュークの視点から描いたとか。
南野は原作マンガと実写の映画は見たり読んだりしてますが、アニメは見てませんでした。だから、なかなか新鮮で楽しめましたよ。
実写映画の方は、オリジナル展開もあり、結末も変えてありましたが、アニメの方は原作に忠実なんですね。
一部だけとはいえ、よくあれを三時間弱の間にまとめたと思います。
とはいえ、かなり駆け足だったので、原作を読んでいない人にはわかりづらかったかも。
なんだかんだいっても、原作も映画もアニメもおもしろい。さすがデスノート。
やはりこの話のおもしろさはアイデアなんでしょうね。
名前を書いたら死ぬノート。ここまでのアイデアはけっこうありがちです。
デスノートのすごいところは、その特殊なルール下で、犯人と探偵側が知力をつくして戦う様子をきわめてまじめに描いた点につきます。
ある意味きわめて馬鹿馬鹿しい設定のもとで、ふたりの天才が出し抜き合い、真剣に戦うなんて発想は今までになかったと思うのです。
月《ライト》とLのふたりの推理はきわめて論理的で、それを読者にリアルタイムで表示します。だから、迫真の戦いになったのです。
これがいわゆる本格ミステリーという謎解き推理小説ではできませんでした。
なぜなら探偵は、最後の最後に意外な結末を論理的に導きだし、読者を驚かさなくてはならなかったから。
犯人と探偵の死闘よりも、そっちを優先させなければミステリーファンは納得しません。
だから作者は犯人はもちろん、探偵の心理描写もできないのです。その都度、探偵がどこまで見ぬいているかを読者にリアルタイムで知らせるとラストで驚かせることができないから。
そのタブーを破って、両者の対決に的を絞ると、こうなるんだという見本がデスノートなのだと思います。
そして対決に的を絞るのならば、天才同士が戦い、舞台を全世界に広げ、はったりをきかせた方がおもしろいですからね。
まあ、そこらへんはいかにも「ジャンプ」的なんでしょう。
そう考えると、デスノートはジャンプという特殊な舞台からしか生まれ得なかったミステリーなのかもしれません。
ブログランキングに一票お願いします
↓
なんでもリュークの視点から描いたとか。
南野は原作マンガと実写の映画は見たり読んだりしてますが、アニメは見てませんでした。だから、なかなか新鮮で楽しめましたよ。
実写映画の方は、オリジナル展開もあり、結末も変えてありましたが、アニメの方は原作に忠実なんですね。
一部だけとはいえ、よくあれを三時間弱の間にまとめたと思います。
とはいえ、かなり駆け足だったので、原作を読んでいない人にはわかりづらかったかも。
なんだかんだいっても、原作も映画もアニメもおもしろい。さすがデスノート。
やはりこの話のおもしろさはアイデアなんでしょうね。
名前を書いたら死ぬノート。ここまでのアイデアはけっこうありがちです。
デスノートのすごいところは、その特殊なルール下で、犯人と探偵側が知力をつくして戦う様子をきわめてまじめに描いた点につきます。
ある意味きわめて馬鹿馬鹿しい設定のもとで、ふたりの天才が出し抜き合い、真剣に戦うなんて発想は今までになかったと思うのです。
月《ライト》とLのふたりの推理はきわめて論理的で、それを読者にリアルタイムで表示します。だから、迫真の戦いになったのです。
これがいわゆる本格ミステリーという謎解き推理小説ではできませんでした。
なぜなら探偵は、最後の最後に意外な結末を論理的に導きだし、読者を驚かさなくてはならなかったから。
犯人と探偵の死闘よりも、そっちを優先させなければミステリーファンは納得しません。
だから作者は犯人はもちろん、探偵の心理描写もできないのです。その都度、探偵がどこまで見ぬいているかを読者にリアルタイムで知らせるとラストで驚かせることができないから。
そのタブーを破って、両者の対決に的を絞ると、こうなるんだという見本がデスノートなのだと思います。
そして対決に的を絞るのならば、天才同士が戦い、舞台を全世界に広げ、はったりをきかせた方がおもしろいですからね。
まあ、そこらへんはいかにも「ジャンプ」的なんでしょう。
そう考えると、デスノートはジャンプという特殊な舞台からしか生まれ得なかったミステリーなのかもしれません。
DEATH NOTE 1バップこのアイテムの詳細を見る |
ブログランキングに一票お願いします
↓