テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

世襲制度

2012-12-01 21:52:13 | シロートの戯言
日本の社会的文化的気質として家督を継ぐ、というのはごく当たり前に受け入れられるコトだと思います。政治家が権力の象徴である以上、芸事や武道などのお師匠とおなじように2世3世が現れてくるのも仕方ないことだと思います。
さらには、本来批判すべきはその点ではなくて本人の資質そのものであるべきだと思います。例えば、2世3世でなく、逆にそれを批判する側にも、先達の選挙区の後援会を受け継いで政治家になろうというひとはゴマンと居ますし、既存の政治家の批判ばかりして政治家になろうというひとも、逆の意味での伝承後継であるような気もします。要は権力を発揮して、他人に権威を感じさせる、その権威の希薄さが、批判を産むのでしょう。日本などでは、社会そのものの身近な明日を案じる必要が少なく、政党の主義主張が薄れてしまって、多数の無党派選挙民を発生させてしまっていますから、相対的に政治家の権威が薄れ、その権力に対抗できるのは、表裏一体の金権と、表現の自由という権力を持ち、圧倒的多数への折伏が可能なマスメディアしか無い状況です。政治家を口汚く罵倒するのは、道を踏み外した左翼、新左翼の暗い遺産としてのマスメディアの得意技ですから、政治家に真の権威など発揮しようもなく、より一層の批判を産むのでしょう。返す返すも、メディアが政治家を選ぶのには殆ど役に立たない報道しかしないのを残念に思います。