
解説なし!
にしようかと思ったけど、とある、公園美術館での写真。
意図して、手前の壁まで前ピン気味にして、窓の風景画っぽくしました。
雨模様で手持ちだったので、もう少しむこうまでピンがいってればいいなとは思うのですが、まあ雰囲気はそれなり。
撮った写真をプリントしてアルバムに貼り、何冊も何冊もアルバムが増えていく、なんて云うのは過去のこと。
今は、ヒトに頼まれた場合でも、写真はCDやDVDに焼いてくれ、或いは、
USBメモリやSDカードでちょうだい、というのがキホンで、どうやって観賞するかというと、スライドショー形式のスクリーンセーバーにしたり、フォトフレーム、スマホ等の液晶画面で見る場合が多いという。
ナカバヤシ等のアルバムやさんも苦労しているだろうと思いきや、意外にそうでもないという。
要は、デジカメとインクジェットプリンタが底辺を広げ、インクとインクジェット対応の印画紙含め、結構、ビジネスとしてある程度上手く回っているらしい。
加えて、DTPが普及したおかげで、ワタシが写真の次にメシのタネになるかも・・と考えた校正とゲラ刷り運びライダー職も消滅したので、個人的には、好ましい趨勢ではないのですが・・
閑話休題、とどのつまり、写真の観賞の仕方は多様化しつつ、底辺から広がり、ネットを通じて互いに観賞し会う機会も飛躍的に増え、このようなブログでも、写真は大事にしないとなぁと感じた次第。
今は、ヒトに頼まれた場合でも、写真はCDやDVDに焼いてくれ、或いは、
USBメモリやSDカードでちょうだい、というのがキホンで、どうやって観賞するかというと、スライドショー形式のスクリーンセーバーにしたり、フォトフレーム、スマホ等の液晶画面で見る場合が多いという。
ナカバヤシ等のアルバムやさんも苦労しているだろうと思いきや、意外にそうでもないという。
要は、デジカメとインクジェットプリンタが底辺を広げ、インクとインクジェット対応の印画紙含め、結構、ビジネスとしてある程度上手く回っているらしい。
加えて、DTPが普及したおかげで、ワタシが写真の次にメシのタネになるかも・・と考えた校正とゲラ刷り運びライダー職も消滅したので、個人的には、好ましい趨勢ではないのですが・・
閑話休題、とどのつまり、写真の観賞の仕方は多様化しつつ、底辺から広がり、ネットを通じて互いに観賞し会う機会も飛躍的に増え、このようなブログでも、写真は大事にしないとなぁと感じた次第。
結局、カメラマンや、暗室マンや、カメラやさんには成らなくて、キャパやサワタリへの強いあこがれと、ユージン・スミスへの反発、マン・レイへの傾倒などを持ち、テンバのカメラバッグをブリーフケース代わりに通勤するサラリーマンになった。
その昔は写真を撮るのにはテクニックが必要で、連写には高価なモードラが必須、流し撮りなんて、訓練が必要でした。
デジタルカメラ全盛の今でも、写真撮影には最低限の知識が必要なのは変わりがないですが、各社のカメラのマニュアルをみても、どうやったら、こんな風に撮れる、キホン的なところへの記載は少なく、ズームレンズは画角を変化させる機構ではなく、アップで撮るための仕組みでしかないような感じです。
ああ、沈思黙考してみると、まだまだ自分のなかに、写真に対するコダワリが残っているのに、ちょっと驚く夜更けなのでした。
その昔は写真を撮るのにはテクニックが必要で、連写には高価なモードラが必須、流し撮りなんて、訓練が必要でした。
デジタルカメラ全盛の今でも、写真撮影には最低限の知識が必要なのは変わりがないですが、各社のカメラのマニュアルをみても、どうやったら、こんな風に撮れる、キホン的なところへの記載は少なく、ズームレンズは画角を変化させる機構ではなく、アップで撮るための仕組みでしかないような感じです。
ああ、沈思黙考してみると、まだまだ自分のなかに、写真に対するコダワリが残っているのに、ちょっと驚く夜更けなのでした。
考えるに、MovieBoyE1といい、C-2100UZといい、それぞれの分野でのハシリとなる手ぶれ補正採用機であった。
実はその後購入したN社のコンパクトデジカメも、強力な光学式手ぶれ補正機構を持つ製品で、250mmズームで1/30手持ち撮影を極めようとしていた頃の私に較べると、サヨク的堕落であるのかもしれない。
思うに、レンジファインダー機にしても、銀塩一眼レフにしても、レリーズを押す前の緊張感、フィルムを巻き上げ、ファインダーを覗き込み、露出、ピントを合わせながらフレーミングし、シャッターを切る。
この一連の作業が集中を高め、カメラを安定して保持する行為と一体化していたことは、間違いない。
トリップ35で、綺麗な記念写真を撮っていた家人がオートボーイを使い出すと変なフレーミングになったり、ブレた写真が多くなったりしていた。
シャッターを押せば写るんだという感覚が、折角三脚を使っていても、タイマーや、ケーブルレリーズ、リモコンを使わずに、わざわざブレた写真を撮っている人を増やしているのかなと思う。
その上、失敗しても、フィルムのコマ数は減らない。
写真機のほうもしばしば改悪されつつあって、例えば指の腹でなく、指先でしか押せないようなシャッターボタンを持つモノすらあります。
あ~自分が手ぶれ補正機を使っている言い訳みたいになってるなぁ。
ワタシハダラクシテシマッタ
実はその後購入したN社のコンパクトデジカメも、強力な光学式手ぶれ補正機構を持つ製品で、250mmズームで1/30手持ち撮影を極めようとしていた頃の私に較べると、サヨク的堕落であるのかもしれない。
思うに、レンジファインダー機にしても、銀塩一眼レフにしても、レリーズを押す前の緊張感、フィルムを巻き上げ、ファインダーを覗き込み、露出、ピントを合わせながらフレーミングし、シャッターを切る。
この一連の作業が集中を高め、カメラを安定して保持する行為と一体化していたことは、間違いない。
トリップ35で、綺麗な記念写真を撮っていた家人がオートボーイを使い出すと変なフレーミングになったり、ブレた写真が多くなったりしていた。
シャッターを押せば写るんだという感覚が、折角三脚を使っていても、タイマーや、ケーブルレリーズ、リモコンを使わずに、わざわざブレた写真を撮っている人を増やしているのかなと思う。
その上、失敗しても、フィルムのコマ数は減らない。
写真機のほうもしばしば改悪されつつあって、例えば指の腹でなく、指先でしか押せないようなシャッターボタンを持つモノすらあります。
あ~自分が手ぶれ補正機を使っている言い訳みたいになってるなぁ。
ワタシハダラクシテシマッタ
それまで、色々とデジタルカメラを使ってきて、趣味の対象としては、不要っ。
と考えていた私が、自分で最初に買ったデジタルカメラであります。
まず、何を血迷ったんだと思った。
この、アリエナイ外観。シャンパンゴールド。
しかも全身プラスチックのかたまり、キヤノンA1でさえ、あの手触りに拒否感を示したというのに。
そのうえ補色フィルターCCDで、緑色の再現が苦手。
オリンパスの製品でありながら、レンズはキヤノン、中身(製造組み立て)は三洋。
購入するにあたっては、E-100RSとかなり悩んだ。

最終的に2100を選んだ理由は画質、当時の150万画素と200万画素の差は大きく(現在の1000万画素、2000万画素の差よりずっとずっと大きい)、キャビネ版でのプリントに耐える2100にした。
もう、使い倒しまくりました。
常にスマメは6枚用意して、替え電池も4組、49、52、55mmのフィルターが使えるので、PL、UDからツァイスのソフター等の特殊効果もの、ゼラチンに至るまで用意し、フォトショで加工なんて概念がない私にとっては記録された画像が全てとばかりに、気合いが入ってました。
あの当時、迷走するオリンパスに先見があり、両機種の正当な後継機がでていれば、、、と思うことしきりなのです。
また、この写真機については、色々と書くかもしれません。
と考えていた私が、自分で最初に買ったデジタルカメラであります。
まず、何を血迷ったんだと思った。
この、アリエナイ外観。シャンパンゴールド。
しかも全身プラスチックのかたまり、キヤノンA1でさえ、あの手触りに拒否感を示したというのに。
そのうえ補色フィルターCCDで、緑色の再現が苦手。
オリンパスの製品でありながら、レンズはキヤノン、中身(製造組み立て)は三洋。
購入するにあたっては、E-100RSとかなり悩んだ。


最終的に2100を選んだ理由は画質、当時の150万画素と200万画素の差は大きく(現在の1000万画素、2000万画素の差よりずっとずっと大きい)、キャビネ版でのプリントに耐える2100にした。
もう、使い倒しまくりました。
常にスマメは6枚用意して、替え電池も4組、49、52、55mmのフィルターが使えるので、PL、UDからツァイスのソフター等の特殊効果もの、ゼラチンに至るまで用意し、フォトショで加工なんて概念がない私にとっては記録された画像が全てとばかりに、気合いが入ってました。
あの当時、迷走するオリンパスに先見があり、両機種の正当な後継機がでていれば、、、と思うことしきりなのです。
また、この写真機については、色々と書くかもしれません。
(愚痴です)
両手の親指と人差し指を使って、ひとつの丸をつくり、前に手を伸ばして
その丸の中心に対象を捉えるように狙いをつける
以上を両目で行い、対象が丸の中心にある状態で、今度は順に片目を閉じ、
より丸の中心からずれて見えない方の目が利き目なのです。
私は利き目が左で、当然最初に写真機のファインダーを覗いたのも左目でしたが、使う写真機がレンジファインダー機から、一眼レフになると、右利きの世の中の不幸に直面しました。
で、結構な集中度で訓練して、右目でファインダーを使いこなすことを習得し、副次効果で、両眼視(両目を開けてファインダーを覗くこと、両目からの視覚情報を別個に扱い、ファインダー内でピントを合わせながら、ファインダーの外を意識して、フレーミングできる)にも熟達しました。
昨今、ファインダーレスの写真機が増えて、LCD画面を見ながら撮影するのが定着し、今日見たテレビでも、一眼レフタイプのLCDを見ながら撮影する、私にとってはアリエナイ、そんな様子が放映されていました。
ペンタプリズム、ファインダー視野率、ファインダー倍率、交換可能なフォーカシングスクリーン、明るいレンズ、等々、カメラ小僧のコダワリが雲散霧消してしまうのです。
目の延長として使いこなしてきたファインダーの広大な視野に比して、矮小ともいえるLCD画面で撮影するのは、苦痛ですらあります。
せめて、よりLCD画面を大きく見ようとすると、眼前数センチまで近づけねばならず、加齢により、マクロ機能が損なわれつつある私の眼球にはツライ。
なんとかしてくれ。
両手の親指と人差し指を使って、ひとつの丸をつくり、前に手を伸ばして
その丸の中心に対象を捉えるように狙いをつける
以上を両目で行い、対象が丸の中心にある状態で、今度は順に片目を閉じ、
より丸の中心からずれて見えない方の目が利き目なのです。
私は利き目が左で、当然最初に写真機のファインダーを覗いたのも左目でしたが、使う写真機がレンジファインダー機から、一眼レフになると、右利きの世の中の不幸に直面しました。
で、結構な集中度で訓練して、右目でファインダーを使いこなすことを習得し、副次効果で、両眼視(両目を開けてファインダーを覗くこと、両目からの視覚情報を別個に扱い、ファインダー内でピントを合わせながら、ファインダーの外を意識して、フレーミングできる)にも熟達しました。
昨今、ファインダーレスの写真機が増えて、LCD画面を見ながら撮影するのが定着し、今日見たテレビでも、一眼レフタイプのLCDを見ながら撮影する、私にとってはアリエナイ、そんな様子が放映されていました。
ペンタプリズム、ファインダー視野率、ファインダー倍率、交換可能なフォーカシングスクリーン、明るいレンズ、等々、カメラ小僧のコダワリが雲散霧消してしまうのです。
目の延長として使いこなしてきたファインダーの広大な視野に比して、矮小ともいえるLCD画面で撮影するのは、苦痛ですらあります。
せめて、よりLCD画面を大きく見ようとすると、眼前数センチまで近づけねばならず、加齢により、マクロ機能が損なわれつつある私の眼球にはツライ。
なんとかしてくれ。
その昔、逆光などの悪条件下で、ストロボを使った日中シンクロ撮影は、
露出の難しい撮影の代表で、今でこそ、多点評価測光でマイクロプロセッサに演算させ、
プリ発光でメイン被写体の反射率を測り、メイン発光の光量を制御してシャッターを切る、
なんて事を勝手にカメラがやってくれて、例えポジでもそこそこ破綻のない写真が撮れる、
なんてアタリマエなのです。
「望遠レンズ」の記事で、脇役として登場した、オリンパスOM-2は、
世界初のTTLダイレクト測光(露出中の光量を測る)一眼レフで、
専用ストロボのクイックオート310はTTLダイレクト測光対応のストロボで、
露出中のカメラから光量を制御されるTTLオートストロボだったのですが、
取説では日中シンクロはオート非推奨、
マニュアルで距離、ガイドナンバーから絞り設定して撮るのが推奨で、
残念でした。
ただ、ディフューザーつかったり、バウンスさせても、TTLオートにお任せできるのはさすがで、
最短で数万分の一秒になる、ストロボの発光時間をよく制御していました。
当時、中学生が、OM-2にバウンスグリップと310をつけて、
バシャバシャとバウンス撮影している姿はさぞかし奇妙に見えたでしょう。
オールド写真機ファンには、大判はリンホフ、ブローニ判はローライかハッセルブラッド、
135判はライカというような微動だにしない神機があったようです。
私は、写真機に興味を持ち始めた頃、135判においては、日本のカメラのが、ずっと優れている
という新しい信念をもった先達の影響を受けて、日本のカメラメーカーこそ世界の頂上にそびえる
山脈だと考え、いまでもその考えは変わっていません。
(それとは別に、自動車はつい去年までずっと西ドイツ製、ドイツ製、ドイツ製とゲルマンな気風に
心酔していた)
ニコン、ペンタックス、オリンパスのレンズはどちらかと云えばモノクロが得意で
かたやキヤノンやミノルタやツァイスのレンズはカラーが得意だとかいう様な傾向を
検証してみたり、暗室内でロールからフィルムを切り出して、パトローネに巻き、
セルフコッキングでないカメラに装填したり、コドモの頃から、ジジくさいセミプロみたいな
写真機生活を送っていました。
だいたい、露出なんて、モノクロやカラーネガを使う場合、ほとんどの場合カンと
経験で決めるもので、ピントは、被写界深度を考えながら若干前ピンで撮るのが
セオリーだなんて、超マニュアル(手動)な世界の住人でした。
そんなカメラ生活を送っていた私の家にキヤノンのオートボーイがやってきました。
「あ、コレもアリかもしれない」
ふと感じたその思いは、やがて世の中の主流となり、ギヤーとカムとレバーとバネで
動作していたカメラはスイッチとダイヤルで操作し、モーターとリレーで動作する
電子機器となりました。
実を言うと、未だに電気仕掛けのカメラには違和感があって、特に、レンズの光学的
収差から生じる偽色まで画像エンジンで補正してしまう昨今のデジカメには
「なんか、ズルい」って思ってます。
135判はライカというような微動だにしない神機があったようです。
私は、写真機に興味を持ち始めた頃、135判においては、日本のカメラのが、ずっと優れている
という新しい信念をもった先達の影響を受けて、日本のカメラメーカーこそ世界の頂上にそびえる
山脈だと考え、いまでもその考えは変わっていません。
(それとは別に、自動車はつい去年までずっと西ドイツ製、ドイツ製、ドイツ製とゲルマンな気風に
心酔していた)
ニコン、ペンタックス、オリンパスのレンズはどちらかと云えばモノクロが得意で
かたやキヤノンやミノルタやツァイスのレンズはカラーが得意だとかいう様な傾向を
検証してみたり、暗室内でロールからフィルムを切り出して、パトローネに巻き、
セルフコッキングでないカメラに装填したり、コドモの頃から、ジジくさいセミプロみたいな
写真機生活を送っていました。
だいたい、露出なんて、モノクロやカラーネガを使う場合、ほとんどの場合カンと
経験で決めるもので、ピントは、被写界深度を考えながら若干前ピンで撮るのが
セオリーだなんて、超マニュアル(手動)な世界の住人でした。
そんなカメラ生活を送っていた私の家にキヤノンのオートボーイがやってきました。
「あ、コレもアリかもしれない」
ふと感じたその思いは、やがて世の中の主流となり、ギヤーとカムとレバーとバネで
動作していたカメラはスイッチとダイヤルで操作し、モーターとリレーで動作する
電子機器となりました。
実を言うと、未だに電気仕掛けのカメラには違和感があって、特に、レンズの光学的
収差から生じる偽色まで画像エンジンで補正してしまう昨今のデジカメには
「なんか、ズルい」って思ってます。
写真は、最初に志したメシのタネで、近所のカメラやさんに籠城と云っていいくらい入り浸り、
そのうち、暗室作業させてもらったり、色々基本的なことを教わったりした。
当然、いろんな写真機にもさわらせて貰い、自分のカメラが欲しくなり、手に入れた(ここらへんはまた別の機会に語ろう♪)
しばらくすると、やたらに望遠レンズが欲しくなった。
遠くの、肉眼ではよく見えないものを、間近に捉えることのできる、
その機能というか、概念に妄執した。
で、手に入れたのが、このレンズ、85~250mm、F5のズーム。
ダブルリングで回転ヘリコイドという、当時でも全く目新しいところのない手堅い設計のレンズで、重く、でかい(そして高価)。
ここで私は考えた、「手持ちでこのレンズを使いこなせるようになろう」
写真を撮るために、腕力と背筋力を鍛えなければならないことを
思い知った。
そのうち、暗室作業させてもらったり、色々基本的なことを教わったりした。
当然、いろんな写真機にもさわらせて貰い、自分のカメラが欲しくなり、手に入れた(ここらへんはまた別の機会に語ろう♪)
しばらくすると、やたらに望遠レンズが欲しくなった。
遠くの、肉眼ではよく見えないものを、間近に捉えることのできる、
その機能というか、概念に妄執した。
で、手に入れたのが、このレンズ、85~250mm、F5のズーム。
ダブルリングで回転ヘリコイドという、当時でも全く目新しいところのない手堅い設計のレンズで、重く、でかい(そして高価)。
ここで私は考えた、「手持ちでこのレンズを使いこなせるようになろう」
写真を撮るために、腕力と背筋力を鍛えなければならないことを
思い知った。
オリンパスのTRIP35
母方の叔父が、趣味人で、私の家のようなごく一般の家庭には
これが良いだろうと選んでくれたらしい。
当然、フィルムカメラなので、幼少の砌の私は、あんまり使わせてもらえなかった
(現像、プリント代がかかる。当時はまだヒトの手でDPEが行われていて、
プリント一枚40円とか、3つ並んだチロルチョコが10円の時代に、
驚くべき金額で、文字通り旅行の記念写真とか、運動会、冠婚葬祭等々、
なんらかの行事にしか使えなかった)。
ただ、残っている写真を見ると、現在のデジカメプリントや、
フルオートDPEの一枚5円などと比べて、明らかにイイ!ので、
40年近く経った今、手軽にはなっても、写真(プリント)は
あまり進歩していないのかな、と思う。
母方の叔父が、趣味人で、私の家のようなごく一般の家庭には
これが良いだろうと選んでくれたらしい。
当然、フィルムカメラなので、幼少の砌の私は、あんまり使わせてもらえなかった
(現像、プリント代がかかる。当時はまだヒトの手でDPEが行われていて、
プリント一枚40円とか、3つ並んだチロルチョコが10円の時代に、
驚くべき金額で、文字通り旅行の記念写真とか、運動会、冠婚葬祭等々、
なんらかの行事にしか使えなかった)。
ただ、残っている写真を見ると、現在のデジカメプリントや、
フルオートDPEの一枚5円などと比べて、明らかにイイ!ので、
40年近く経った今、手軽にはなっても、写真(プリント)は
あまり進歩していないのかな、と思う。