堂蓮記<北海道富良野成田山布部不動堂>

毎月の『御心言』と不定期の『祈願講釈』と徒然なるままの箴言・戯言・読書感想等・北の大地の坊主富良野生活記。

戯れに語る!〈音色に叶う言乃葉〉

2010-08-23 21:08:20 | 日記
〈戯言・音色に叶う言乃葉〉

『いちにちのおわりにぶるうすながれる』

『あめとぶるうすとこおひいときぶんと』

『きずつくもりのみどりにながれるおと』

『きずつくもりのなかこおひいかたてに』

『きずもりでたましいのきょういくをよむ』

『ぞくぶつときょせいとがまちにがをはる』

『がをはられたまちにあるのはむなしさ』

『せせらわらいがひびきわたるむなしさ』

『みちすじうらがえしまことをことわる』

『ありえぬかぜにならいつちがかたまる』

『みずにながれるわらいのかずかずしる』

『ぶこうすきいさらりとおもいだすよる』

『だらだらふるあめとぶるうすとどくしょ』

南無

戯れに語る!〈なるほど!〉

2010-08-23 09:03:23 | 日記
〈戯言・なるほど!〉

『一喜一憂、山在り谷在り、其場凌ぎ取り繕いに生きて来て変わらず成長せず、此儘生き続ける者も居る事を知り、罪を憎んで人を憎まずの意味を覚え、冷静冷徹寛容寛大の大切さを学ぶ。

州堂 南無 』


※ぎりぎりで生きてる奴も、いっぱいいっぱいで生きてる奴も、環境や期間にもよるが、最早、全体を観る事が出来なくなっている場合がある。其場其時、好き嫌いの感情の起伏のままに都合の良いままに言動を行うようになる。

「此人は、こうやって生きて来て、これからも〈此生き方〉で生き続けるより他に無しなんだな~。」と思えば腹立ちも和らぐし、段々と腹が立たなく成るものである。

戯れに語る!

2010-08-23 08:21:57 | 日記
〈戯言〉

『せけんそうばがおなじとはかぎらない』

『すじみちがおなじみちとはかぎらない』

『どうりがつうじているとはかぎらない』

『いちようではなくさまざまいろいろと』

『ぜんたいみずぶぶんでひたはしるもの』

『ぎりおんじょうがまるでないことあり』

『いからずきにせず おちこまずしずかに』

『なるほどなるほど それもこれもありか』

『いかりはせんがあてにもできんことだ』

『しかたなししようがなしからはじまる』

『なるほどのきしつせいしつとはじめる』

『きしつせいしつにぎもんなしにきずく』

南無

戯れに語る!〈蓮想祈譚〉

2010-08-23 07:15:59 | 日記
〈戯言・蓮想祈譚〉

『あつさのなかにもいみがありやくあり』

『さむさのなかにもいみがありやくあり』

『あたたかいなかにいみがありやくあり』

『すずしさのなかにいみがありやくあり』

『かいふかいのなかにもいみとやくあり』

『ここちよさのなかにもいみとやくあり』

『ここちわるさのなかにいみとやくあり』

『なかそとうちにいみとやくをみつける』

『いみとやくをみつけあいしいかしあう』

『いみとやくはすべておなじことはない』

『ながくみじかくはやくおそくいろいろ』

『かるくおもくかたくやわくさまざまに』

『いみがなくともしらずともそれもよし』

南無