鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【考察】恋愛対象と親の特徴

2016-08-08 04:20:30 | 考察

男性は母親に似た女性を好きになる。
女性は父親に似た男性を好きになる。

以前【考察】「育児」≠「強くてニューゲーム」という記事を書いたのですが、今回の記事はその続きというかスピンオフみたいな感じなるので気になったらこちらからどうぞ☆(まぁ読者なんて一人もいないと思うけどね♬)


私的な話ですが、母がしてくれた愛情を感じることの中でとても印象深いものが、

・家族みんなが寝静まった夜に、夜ご飯を食べていなかった俺のために好物が用意されてあった時
・遅くまで遊んで帰ってきためっちゃ寒い冬の夜に、自分の部屋に入ると、綺麗にメイキングされている布団にさらに電気毛布のスイッチが入っていた時

マザコンではないですが、心の底から余生を楽しんでほしいと思える自慢の母です。

将来、強くてニューゲームする際の話。つまりは自分の写し身である息子を育てる際に、その時の母ちゃんはつまり自分の結婚相手になります。

仮に、「男性は母親に似た女性を好きになる」という説が正しいとして、これを少しいじります。

「男性は母親が持つうちの良い特徴と同じ特徴を持つ女性を好きになる」どうですか?

より現実的な恋愛の要素を組み込むならば、これにさらに

母親の持つ中で良い特徴
+母親にはなかった良い特徴
+自分が人生で苦労してきたことを苦労せずに済みそうな遺伝的要素

まだあるよ〜

+母親の持つ中で悪い特徴と同じものを持っていないこと

こんなとこだろうか


なんだかドライな感じだよねw

つってもそれは至極当然な話なのですよ?w

考えてもみてください。

自分が人生やり直せるとします。自分自身を育てるのは他でもない母親なわけですよ。(もちろん父親もいますがw)

自分の好物を用意してくれたり、寒い夜に電気毛布を入れておいてくれたら凄く嬉しいですよね?それは一例ですが、そういった優しさというか愛情が、やり直した際になくなってしまうのは嫌ですよね?ということです。じゃあ保持しましょうよw

どうやって?w

母親に似た女性を探すだけですw

はい完成。これで「母親に似た女性を好きになる男性」の出来上がり。


そしてこの記事も終わり〜w

はやいよねー

やっぱり2つも連続で記事書こうとすると集中力続かないねw

素直におやつ食べるとか一息つくとかすればよかったーw
休憩って大事ねw

加筆修正の可能性あり

まあこれ書いて加筆修正したこと一度もないんだけどwww





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【考察】優秀さと人見知り

2016-08-08 01:47:15 | 考察

タモリ曰く「人見知りじゃない奴に面白い奴はいない」(=人見知りする奴は面白い)
松本人志曰く「根暗・貧乏・女好きの奴は面白い」(=根アカ人間と社交的な奴とハングリー精神がない人は面白くない)

今回のテーマは、《"面白い奴"が持つ特徴について》です。面白い奴と一言に言いましたが、人を笑わせる能力が高い人、面白いコンテンツを作る人、などなど人を楽しませる能力が高い人全般のことを指して面白いということにしておきます。

話を始める前に、そもそもタモリと松本人志が「面白い」と感じること自体のハードルが高い気がするw芸能界の大御所の中の大御所。「TVなんてー。芸能界なんてー。」と言いたくなる気持ちはわかります。しかしどの業界であろうともその頂に君臨するには生半可な努力や才能だけでなんとかなるものではありません。どの世界にもルールや競合相手がいて、それ相応の厳しさを必ず持っているものです。


まず、人は何種類かに分けられると仮定します。

1、組織内の空気やそこに属する人たちに迎合する「順応型」
2、迫害や孤立を厭わない「非順応型」

順応型の多くは社交性が高く、空気を読める。相手の要求に対して敏感である。

非順応型の多くはお喋りだが空気を読めない。なので状況によってその人の感性が好適ではない場合に浮いたり迫害を受ける。

主観だが、非順応型の多くは能力が高いと思う。なぜなら空気や対人においてそれらに同調する必要に迫られないからだ。そうというのも、順応型の多くが能力の低さを社交性や愛想でカバーする傾向にあるからだ。

例えば、器用で仕事を覚えるのが早い人間は社交性や愛想がなくとも評価される。小さい頃からなんでもそつなくこなしてきた人は、対人関係において愛想をふるまう必要性を知らずに大人になる。このパターンだと非順応型になる可能性が高い。

例えば、不器用で仕事を覚えるのが遅い人間は能力が低いせいで先輩や上司から叱られる機会が多い。その精神的負荷を減らすために礼儀や作法、不快に思われないための動作や身なりを覚える。いわゆる処世術とも言える。仕事を覚えるまでの時間稼ぎを社交性や愛想で凌ぐ。このパターンだと順応型になる可能性が高い。

非順応型が迫害や孤立を厭わないというのは、「迫害や孤立を受ける理由が"自分が無愛想なことや非社交性にある"」という結論ににはそもそも至らないからである。つまり"厭わない"のではない、そもそも"厭うことがない"のである。

タモリが言うところの「人見知りは面白い説」は、つまり非順応型人間の面白い率が高いことを言っているのではないかと考えます。


ちなみに、順応型だろうが非順応型だろうが空気を読める人もいれば空気を読めない人もいますし、順応型なのに迫害や孤立を厭わないタイプも全然います。今回のような記事の多くは、「傾向や特徴について」がテーマなので野暮な突っ込みは無用ですw

人見知り=優秀、という説が正しいとします。だとすれば、優秀な人間を見つけるための判断材料として人見知りである要素を探せばいいということになります。

初対面での会話が苦手な人=人見知り。しかし会話が苦手な人は初対面だろうが会うのが2〜3回目以上だろうが会話が下手くそな可能性もある。変人奇人は平均的な人とは価値観が合わないので会話が成り立ちません。成り立たないというよりかは、変人奇人にとって平均的な人との会話にあまり価値がないとして、彼らは望んで会話を弾ませようとは思わないということになります。そして変人奇人=天才(紙一重)なので確かに優秀な可能性は高いです。

異常な性癖や歪んだ感性を持ちながらも社会に馴染める人がいます。(ここでいう"異常・歪み"は単純に平均よりも遥かに離れた値を指すものなので、決してネガティヴな印象を持っているものとは限りません。ある集団やある時代の法律や倫理に反するか、或いは社会に貢献するか賞賛されるかで優秀かどうかが決まるので、人間の皮を被った化け物扱いをするのは場違いです)

「面白い小説に必要なのは、綺麗で正しい文章ではなく、面白い設定やぶっとんだ世界観をどれだけ思いつくかという想像力である」

新世紀エヴァンゲリヲンの葛城ミサト曰く「日本人の信条は思いやりと察しよ」というが、日本人はとかく礼儀や作法を重んじる。世界で日本のサービスが評価されているのもそのおかげだし、それについては異論はない。しかし、感謝や謝罪に形式があり、つまりはテンプレが多くて気持ちがこもっていないように感じることもある。メールのやりとりにおいてそれが顕著に感じる。しかし感謝や謝罪が必要になる毎にそれをきちんとこなすことこそがその人の気の細かさや誠意や人間性を示せる部分でもあるので一概に言えることでもない。

異常な性癖・歪んだ感性
面白い小説に必要なもの
日本人の信条

それらをここで引き合いに出したことで何を伝えたいかと言うと、「綺麗で正しい文章」や「礼儀・作法・テンプレ」や「社会に馴染むための能力」は人々が思うほど重要か?ということだ。

非順応型が順応型の能力(愛想や社交性など)を得ることによって、何かしらの秀でた能力が産む筈だった創造物が世に放たれることはなくなってしまうのだ。

逆に言えば順応型が非順応型のやり方を学ぶことによって、気づかなかった能力が見つかるかもしれない。

よく巷で耳にする「人の評価を気にするな!嫌われる勇気をもて!空気を読むな!」みたいな自己啓発的文句は、(因みに本屋で表紙が目に入っただけで一度も読んだことはない)そういうことを言いたいのではないか。そういえばアドラーの本にもそういうのあったっけな。



出る杭は打たれる。特に日本では秒殺されることが有名。

器用で物覚えが早い人はその才覚を発揮して奇天烈なことをしても、評価がその行為の正当性を安定させてくれる。

それに対して器用でもなく物覚えも悪い人の場合は、意見や主張に信用がないので多くの人に受け入れてもらえない。

タモリや松本人志が言いたかったのは「愛嬌や愛想や社交性の有無で判断することによって、失われている才能があること」であると思います。

課題としては、一見、口下手で内向的で根暗で人見知りで挙動不審で一癖も二癖もある人の中にも優れた才能があると仮定して、じゃあ彼らの才能を埋もれさせないためにはどうすればいいか?

どんな原石も磨かれてこそ一流になれる。つまり芽吹かせるためには経験とチャンスが必要だということ。

杭が打たれるどころか、埋もれてしまっていることもあるのでこの課題はなかなか難易度が高い。

俺のこの好奇心旺盛なところと、物書きが好きなところと、情報の整理が好きなところも、環境や時代によっては研究家になっていたかもしれないしライターになっていたかもしれないしジャーナリストになっていたかもしれないし冒険家になっていたかもしれない。誰にも話せない願望や性癖や物の見方があるのも自覚しているので、構成力さえあればヒットする小説を書けるかもしれない。

そういった可能性は俺に限らず全ての人に言えることだ。

会社に属する、組織に属する、集団に属する、他者に属する、世論に合わせる・・・etc。それらが必要な場合というのは目標が明確で、なおかつその目標を属する全員が共有できている時である。

そうでない場合には、属する者にとって無意味な統率になる。なぜなら統一する価値がわからない、或いはそもそも価値が無いかもしれないからである。それが何を意味するかといえば、組織や会社や集団に属する者にとって苦痛になるだけということだ。

会社にとって必要なことが、信用の維持と利益を増やすことだとして、それとは結びつかない上司のご機嫌取りになんの意味があるのだろう?? 因みにだが、ご機嫌取りによって上司をコントロールして間接的に(会社の掲げる目標に貢献できる)自分の要望を叶えるという手段については異論なし。

前回書いた記事と繋がってしまったが、ベーシックインカムによって根暗や人見知りや貧乏が才能を開花させる可能性は高まると思います。

おわり
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