鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【日記】底辺の俺が為替の勉強を始めたらしい

2017-05-27 15:44:49 | 日記

外国為替市場は月曜の朝〜土曜の明け方までが取引時間になる。つまりその間であればいつでもお金を稼ぐチャンスがあるということ。それは言い換えると、稼ぎやすい時間帯か否かという話でなければその中で自分のワークタイムを設定できるということである。組織に属したくない俺にとってこうした仕事は魅力的なので、それが事の発端に該当している。

本格的な学習に臨み始めたのはちょうどひと月前ぐらいだった。CymoVTというデモトレードができるFXアプリをDLして、動画やブログを片っ端から見漁りながら手探りであれこれ試していた。書籍や情報商材は現在数え切れないほどの量が流通しており、その中から良質な情報源を見つけ出すのは困難だったので手を出さずにいたが、基礎の基礎的なことを網羅している書籍であれば質はどうあれまずは一冊読み通すことが、なんだかんだで手っ取り早いらしいという意見を参考に購入。オーソドックスな各テクニカルチャートや、環境認識の重要性に対する認識はすでにネット上で得た知識によって基盤が固まりつつあったので、最初のほうは流し読みで済むレベルだった。

そもそも今回の投稿記事を執筆する理由は、約一ヶ月が経過した今しがたにチャートを眺めていたいろいろと気づいた点が多かったのでそれをまとめたいと思ったからである。

最初はiPhone&iPadで『YJFX CymoVT』を触っていたが、「これってPCのマウスで操作できるツールのほうが便利なのでは?」と思い、ブラウザ上の管理が多機能な『みんなの為替』の高機能チャートを使い始めた。便利ながらも無料会員では、作成したラインや設定がブラウザを一度閉じるとまた一から組み立てなければいけないので、環境認識に逐一時間がかかって勿体ないと感じていた。そこで、口座を開設しなくても設定を維持してくれるツールを探した結果『Trade Intercepter Forex』の存在を知って使い始めたのがつい先日なのだが、これが驚くほど便利で今までのかゆいところに手が届いていて快感ですらある。

この便利な『Trade Intercepter Forex』を触っていて気づいたことがある。もしも自分が他者をFXで稼げるまでに教育する機会が、万が一にも訪れるようなことがあれば、まずはこのツールを使わせたいと思うだろう。なぜならツールを探したり試してみたりという手間が勿体ないからである。勿論、不便なツールを知っているからこそツールの質を見極めることができるというメリットもあるが、初心者であればまずは環境認識に時間を費やすべきだと説きたい。そしてそのためには、ライン描画だったりチャート画面の行き来だったりという、経験値とは無関係な行程に対するコストは最小限であることが望ましいということを言いたかったのだ。

テクニカルチャート分析について。原理は難しくとも視覚的に直感で使用できるものについては慣れたものから利用していけばいいと思うが、脱インジケーターを勧める意見もあるのでテクニカルチャート分析を勉強する比率は今の所少なくていいと感じた。いずれのテクニカルチャート分析にも得手不得手があり、機能する場合と機能しない場合もあり、地政学リスクや大事件などによってはその圧倒的な力の前には抗えないとのことである。とはいえ、ある人によれば「ノウハウコレクティングは必ずしも悪いことではない」らしい。

ひと月の学習によって(今更かもしれないけど)気づいた点。物凄ぉ〜くざっくり言うと「あれ?FXってレジスタンスとサポートを精確に把握できてブレイクのタイミングさえ極めればイケイケなんじゃね??」と思ったのである。無論だが FXのリスクを侮っているわけではない。そこには精度の高い環境認識が要求されることを日々痛感している。現在のトレンドの特徴だったり直近のレンジの長さから市場のエネルギーを把握して次のトレンドの勢いを予想したり、というようにトレーダーの脳内でバチバチと忙しく処理されているやりとりを一つ一つ挙げていてもキリがないのは言わずもがな。そうした処理を潜在意識に落とし込み、無意識かつ迅速に環境認識を行えるようになるのは一朝一夕ではかなわない。これはFXに限ったことではなく、どんな学習プロセスにも言えることだと思う。かくいうイチローも「意識しなければできないことを無意識にできるように、無意識にしていることを意識してできるように」と言っている。

まだたったのひと月とはいえ、正直なところ手応えのない闇雲に手探りな日々が続いていた中で、初めて点と点が繋がった感覚を得たので、これを節目として執筆に至ったわけである。

バイナリーオプション(以下:略BO)には手を出したことがなく知識もないのだが、バイナリーオプションがAT自動四輪だとすればFXはMT自動四輪というところだろうか。BOは上がるか下がるかの二択。FXも極端に言えばそうなのだが、注文して終わりではないよね。なんか我ながら馬鹿っぽい言い方で笑う。

フィボナッチリトレースメントとは、フィボナッチ数列をチャート分析に用いたテクニカル分析である。黄金比率というのはそもそも自然界に存在していて、調べてみたらあらびっくり人間が最も美しいと感じやすいものの多くには黄金比率である可能性が高いらしいのだが、それがどうしたかといえば、為替レートというものは意図的な介入を除けば人々の動向や欲求を反映していると言えなくもないという点とフィボナッチ数列の関係に、気づいたことがあるのだ。一人の人間が対面している相手にお金を支払って物を買ったり、物を売ってお金を得たりする。それが海や国境を挟んだり、多人数になったり、大きな物の売買になると、小さな集団の集まりは大きな集まりとなり、その集団が集まれば大きな大きな集団となる。わけがわからんことを言い始めたと思うかもしれないがもうちょっと待ってほしい。「生物濃縮」という言葉をご存知だろうか。マグロを大量に食べると、同時に水銀のリスクに脅かされるという話である。これはプランクトンの体内に海中のメチル水銀が取り込まれ、そのプランクトンを小魚が食べ、食物連鎖の上位に行くほどその作用が強まり、結果的にマグロに含まれる水銀の量が高くなって我々のもとへ届くというのが一般教養だろうか。それがどうしたかといえば、人間一人一人がいわばプランクトンのようなもので、為替レートというのはマグロだったりクジラのようなものに思えたのだ。体がとても小さいプランクトンの小さな口で行う食事が、巡り巡って為替レートの動きや流れを築き上げたものだからこそ、自然界の法則であるところのフィボナッチ数列に当てはまっているのではないかと思ったのだ。説明とか比喩が下手すぎてワロエナイ。。。無駄に長い気がするし。。。

さて。環境認識の勉強をしていてもう一つ気づいた点がある。トレンドラインを引いていた時のことである。ブレイクにはダマシがあり、何によってか規則性の外にはねたとしても、いずれはレジスタンスよりも下にかえってくる。相場には本命の流れがあり、環境認識をする際にはそれをまず把握することが重要になる。どれがメインストリートで、どれがイレギュラーなのかを判断する。人はみな別々の道を行くが最終的には同じ場所に辿りつく、みたいな言葉があるでしょう?学習プロセスにおいても似たようなことを感じたことがあって、今回のFXにしても、みんなブログに書いてたり動画で喋ってることは違っても、メインストリートがあるなあって。最初は正解がどれかはわからないんだけど、イレギュラーを削ぎ落としてみると、同じ答えに辿り着いている人達には似たような傾向つまりはメインストリートを通っているような感じがある。早く目的地につくために細い路地に入ることを勧める人も中にはいる。何が言いたかったかもうわかりませーんww


気づいたら習慣化していたのでひと月という時間を長いと感じたりしんどいと感じなかったのだが、成果を感じられるのはいつになっても気持ちがいいものだ。今回の気づきが良いものなのかどうか定かではないがw

おーわりっ
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【考察】ゲーム依存症と人間の性

2017-05-13 06:03:26 | 考察

『OverWatch』
『BattleField 1』
『Gravity Daze 2』
...etc。

主にやっているゲームである。(FPS含む)アクションが多いが、ストラテジーも好きである。CivilizationシリーズもPCゲーに慣れていたら今頃こんな糞みたいな記事を書かずに徹夜してプレイしていただろうと思う。なのでCSにストラテジーの良ゲーがあればアクションとの比率は拮抗していたかもしれないだけでアクションがめっちゃ好きというわけでもない。

ネットのフレンドとプレイしていて、その彼が落ちたら独りになるので、そうしたらグラビティデイズ2に移行するのが最近のサイクルである。

さて本題。

そういう時間を過ごしていて思ったことがある。なぜ俺たちはこれほどまでにゲームを取っ替え引っ替えしていつまでもゲームをプレイし続けてしまうのだろう??と。

PvP(対人)にしてもオフラインRPG(対AI)にしても、なぜ似たようなことを繰り返すだけなのに飽きもせずに続けているのだろうか。アンサー:突きつけられる課題をクリアしたいから。

つまり俺たちは課題が連続する場所で能力を発揮し続けていたいんじゃないかと。まだまだ考察が浅く甘いと思うので抽象的になってしまうが悪しからず。FPSは使用する兵器だったり戦術だったり戦場が変わっても基本的には対抗勢力の無力化というゴール地点は変わらない。厳密に言えば防衛の拠点だったり物資の護送のようなものもあるのだが、勢力が二分化されて銃で撃ち合うことには変わりない。しかし、これがGravityDaze2(以降GD2)のデルヴール採掘海溝における個人対AIの戦闘アクションであっても、課題をクリアするという意味ではFPSに限らずどんなゲームにおいても同一であると言える。

FPSであれば重戦車と歩兵数人に対して"最適な"戦術で臨むことによって課題をクリアする。先述したGD2の場合は、対人のように心理戦にはならないが、AIの規則的な動きに対してやはり同じく"最適な"先述で臨むことによってクリア条件を満たす。これはアクションだろうがRPGだろうがストラテジーだろうが同じことである。

変化しているのは課題の難易度しかないので、今回俺はそこに注目したわけである。OverWatchにしろPUBGにしろBF1にしろ、FPS界をリードしている最前線のゲームであるそれらは、求められる技能の洗練化が極めて進んでいると感じる。人間の報酬回路は、「今自分の技能でぎりぎり届く課題を達成することで快楽を感じる」ようになっているので、もともと技能の高いプレイヤーたちは、必要とされる技能がより多いゲームを求めている。彼らの発揮する反射神経・操作精度・知識戦術に対してより誠実な報酬を与えてくれる場を、彼らは求めている。それはプロゲーマーと呼ばれるほどの達人に限らず、現実世界の肉体を使った競技をする人にも同じことが言える。

時代が進むごとに、特にFPSは現実の銃火器を用いた戦争にリアリティが近づいている。ただ、ミリオタを除いて彼らが楽しむゲームはそうしたサバイバルゲームでなくともいいのではないかと疑問に思っている。世界観がファンタジー系でキャラクターに自身を投影してなりきることに喜びを感じている人も、狩猟の必要がなくなった現代において戦いや戦果への欲求を満たそうとしている厨二病な人も、リアル戦争ゲームに熱中する人もざっくり言えば似たような快楽を得ている気がする。

まあそれは今回のテーマとは異なるので置いといて。

とにもかくにも、ゲーマーである彼らは、常に課題あるいは難題を求めているような気がしたので今回の記事を執筆した。

加筆修正なし推敲なしだけど、考察がまだまだ甘いので今後の執筆にて再考したいと思う我ながら興味深いテーマである。

おーわりっ

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【考察】人間観察のフィールド

2017-05-13 05:37:25 | 考察

最近PUBG(※PlayerUnknown'sBattleGrounds)の実況生放送をよく閲覧している。実況者は2人〜4人。顔出しはなしで、プレイ画面のみの映像。

Youtuber(?)の中でもFPSを中心に配信している人なのだが、彼らの会話の内容は
多い順に
・本ゲーム内の話、他FPSの話
・放送参加者の身辺の話
・コメントへのリアクション
が主である。

もちろん、俺が関心のあるゲームを見ているわけなので、本作に関する情報は当然価値があるわけだが、他の実況者についての話も面白い。特定の人物に対する意見交換が行われているんだが、俺とは全く無関係でも面白いと感じる。なぜかといえば、彼ら同士がどんな風に関係をもっているかが見えてくるからだ。

言葉一つ一つにしても、それに対する反応にしても、そのときの抑揚や口調にしても、それらが色んな角度から人間関係を見定める際の情報となる。

ネット間でなくとも、現実世界で同じことができるわけだが、前者と後者で状況は大きく異なっている。実際に対面した相手に対しては不快な態度を示すわけにはいかないし、退屈だと感じたり飽きたからと言って突然無視してその場を離れるわけにもいかない。これがネットを通しての実況生放送となると、コメントというリアクションも自由、ブラウザバックも自由、ミュートも自由、巻き戻しも再生も自由である。要するに、極めて安全圏なのにも関わらずかなり自由に情報収集を行えるということだ。

当然なことだが、PUBGという場を離れて他に関心を持てそうな対象を探してそちらを選ぶこともできる。というのは、人間観察のフィールドを自由に取っ替え引っ替えできるということだ。テレビの番組とは違い、実況生放送という括りであればそこには台本がなく、作為的な演出も少ない。それは人間観察(人間分析?)を行う俺のような悪趣味な者にとってかなり質の良い観察対象ということになる。

言わずもがな、広大なインターネットを場合は現実世界と比べてその効率が天と地の差になる。とはいえ別に人間観察が第一目的でゲーム実況動画を閲覧しているわけではないので悪しからず。

おーわりっ
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【日記】GW豪遊、そして切り替え

2017-05-06 21:43:57 | 日記

食べたいものを食べたいだけ食べて、酒を飲みたいだけ飲んで、気がすむまで騒いだ。お金と時間とエネルギーをフルに消費して、刹那的な快楽にひたすら向かい続けた。

それはもう紛う事なき刹那的な快楽で、それ以下でもそれ以上でもなく、文字通りなままの意味である。そこから生まれる何かがあるわけではないのでそのちょっとした時間の前と後ろで変わることも何も無い。

そのへんに放っておいた向上心と焦燥感を拾い上げてまた体内に戻す。以前より重みを増しているような気がして足がよろめく。後悔背徳感罪悪感も加わってなお重くのしかかる。

でもすでに意識は切り替わって快楽に向かおうとする心はすっかり鎮められている。

そこそこな年齢になってきた俺である。人生はきっとこういうサイクルの連続なのだろうと感じた。切迫感や焦りや使命感ばかりの日々から解放される瞬間は、短くとも訪れてくれるようになっていて、年を重ねるごとにその波を巧く乗りこなせるようになっていく。

昔から遊びと仕事をあまり明確に区別していない俺だ。物事は楽しいかつまらないか、合理的か非効率かで判断しているから、その呼称である仕事とか遊びとかいうのは単純な分類用の名称でしかない。友情や愛情とかも一緒で、呼称にこだわるから本質を見失うのだ。とはいえそんな俺も「働きたく無いでござる」の徒ではある。時間と労力を合成して金銭を得ているだけであり、その選択が合理的である以上は作業が苦痛だろうと働かざるを得ないだけなので、苦痛な作業をしなくて済むのであればそんなものは一切したくない。

遊びも同じで、相手に合わせることが対価に見合わないのであればそれは苦痛な作業である仕事と大差がない。もっと言えば、金銭を得るという長所がある選択肢に対して主に消費活動である遊びは仕事よりもタチが悪い可能性すらある。

このように、何を失い、何を得るか、で物事を見るようになると呼称なんてどうでもよくなるのは先述したとおり。そして何を得るかを重要視するようになると、学ぶことや知ることや記すことや磨くことに対する報酬回路が再配線されていく。言わずもがな、それは焦燥感や向上心の強さに比例して強化されていく。

稼ぎは少なすぎずあればあるだけ嬉しいが、自分の快楽追求度に見合う以上の過剰分を無理して稼ごうとは思うわない。少し余るぐらいで気づいたら貯まるぐらいあれば十分。必要なのはやる気と質だ。

誰もが快楽、あるいは幸福、または安心感だとか陶酔という同じものを求め、人間がそれぞれ自身の回路に従うだけである以上は、義務だとか倫理だとかを気にせずに好きに生きて良いものだと思っている。

相も変わらず主旨のわからん内容になりましたな。まあ日記なので問題無いか。

おーわりっ
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