鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【映画感想文】『聲の形』観ました。

2018-05-29 00:58:53 | 感想文

ハートウォーミングなヒューマンドラマ。スクールカースト。同調圧力。弱者と強者。社会とハンデ。罪と償い。誠実とペルソナ。思いやりの果てに。

強い意志は弱さと後悔から生まれる。痛感に痛感を重ねて再確認し続けても俺みたいな無能が大成しないのは、「強い後悔」や「弱いことを自覚する体験」に遭遇しないからなのかなって。つまりそれは、俺がいる時代と環境が"平和で恵まれているということ"でもあるんだろうなって。五体満足であり健康であることも大いに含めて。

見苦しさを予感して視聴を躊躇ってしまう作品が多いなと感じる今日この頃。すぐに思い浮かんだのは「花より団子」や「この恋を思い出してきっと泣いてしまう」である。前者も後者もすれ違いが非常に多く、それは人為的だったり突然の雨のような運命のいたずらによって引き起こされている。それがどう文脈に沿うかと言えば、キーワードは"じれったさ"である。

『聲の形』では、耳が不自由な西宮に対して、コミュニケーション能力の低い石田がお世辞にも上手とは言えない立ち回りで彼女との時間を過ごそうと努力する。視聴者は「こうすればいいのに
」とか「こういう言葉を使えばいいのに」のような「志村うしろーっ!」と叫びたくなる心境になる。『花より団子』では、視聴者は早い段階で道明寺と牧野との間にすでに強い絆があるのを感じ取れているので、ちょっとした誤解やタイミングの悪さが最高にもどかしくなる。『この恋を思い出してきっと泣いてしまう』でもだいたい同じような展開に陥る。

とはいえまぁ、ある程度成熟して感覚の肥えた…特に、コテコテのミステリーや脳みそフル回転カオストリップ系SFに慣れてしまっている大人の鑑賞に耐えられる構成を『聲の形』のような類に期待すること自体がそもそも間違っているのだがw

うろ覚えだけど、だいぶ過去に週刊マガジンにて連載していて軽く読んでいたので、気になっていたのをこの度視聴するに至りました。

ショウコもそうだがユヅルもそう。君達はなんて素敵な心を持った子達なんだ。お婆ちゃんやお母さんのおかげなのかな?そういえば主要人物の父親って一人も登場してないね。もし自分がユヅルのような子の父親だったら感心してばかりで涙もろくて心配性で、困った馬鹿親父になっていただろうなと思う。やっぱり下の子って要領良くなるんだねぇ。(染み染み)

西宮のライフスタイルは、構成やテーマ的にしょうがないだけかもしれないが、とてもシンプルだね。170万円を高校生がバイトで稼ぐ、という事実がイコールで「趣味や身の回りに費やす分が無い」という意味になる。おそらく小学校卒業から罪悪感と共に過ごす日々が彼に趣味や娯楽への興味を向けさせなかった可能性が高いわけだが、「本当に価値のあるもの」がなんなのかを、彼の生活を見ていると考えさせられる。それはこうした作品を観ていなくとも俺が日夜考えることだからである。

つい本日も日中にスターバックスで、どえらい高額で激甘なハッピードリンクを購入したんだけれども、あれってニコチンカフェインアルコールドラッグとほとんど変わらないよねーって常々思ってる。なにがって・・・快楽との距離がね。だってとにかく「手っ取り早い」よね?

手軽で手頃。

最近ね、あることの技術の習得に勤しんでいるところなのよね。手っ取り早い快楽達とは違って、それがドーパミンのような快楽物質として還元されるまでには、多くの時間・目や腰の疲労・大量のブドウ糖を消費しなければいけないわけ。数十分と小銭で手に入る快楽に比べてコストが凄くかかる。でも、刹那的な快楽とは違って、この技術を習得することによってその先の時間には彩に差が生まれる。創造的なアイディアが生まれる度、可能になった手段を用いてどんどん新しいことに挑戦していける。すでに血肉となったその経験値と技を利用することにコストは必要ない。

『聲の形』では鯉の餌やりや、花火大会を穏やかに慎ましくもしっかりと味わい楽しんでいる。各々が独りきりではなく誰かと。人々の営みがどれほどハイテクになって、方法がどれほど多様化したとしても、肝要なことはそうした「味わう器」や「相手」だったりするのかなと、思いたい。母親の誕生日を祝うためのケーキを一緒に作ろう、とても素敵だと思います。

「耳が不自由」や「いじめ」が主要なテーマなんだろうけど、俺ってば全然触れてないねw感心が全くないわけじゃなくて、最近のいじめに疎いという理由が一つ。身体的ハンデのほうに対しては、「まぁ子供に理解を求めるのって本当に困難なことなんだろうな」ってある程度のところで思考が止まってしまっている感があったから。登場した教師のふるまいには賛否両論あるだろうね。それを間違いだと言うのは簡単だが、じゃあどうするのが正解なの?となるのでなんとも言えない。隔離された(障害者支援的な)教育機関で学ぶのも有りだろうけど、温室育ちからハードモードの社会でやっていけるかどうかという不安は残る。そうしなかった結果として西宮はいじめ被害を受け、石田は孤立した。二人をどちらとも救う方法を、刻一刻と深刻化する状況の中で、教師が実働時間外でわざわざ思案するのだろうか?その人は薄給で副業しているかもしれないし、一身上の都合で日々を忙しく過ごしているかもしれないし、そもそも教育に対して積極的じゃないかもしれない。事態が深刻化してから黒板をぶっ叩いて容疑者を吊るし上げるのは得策か否か。俺にはさっぱりわかりません。コミュニティを築いて誰かを入れたり退けたりするのは、社会生物として平均的なふるまいである。それを子供達は小学校で身につけようとしていただけという見方もできなくはない。自分とは違う相手のことを受け入れるというのがどういうことなのか、どういう解釈が正しいのか、それはきっと良い歳した大人達も俺もわかっていないと思う。信じる、というのも要は「相手が裏切っても文句を言わない」という解釈になっちゃったりする。だから俺なんかは面倒くさくなって考えるのをやめちゃうのである。

今の俺は、「独り」が好き。自分のアクションに対して評価してほしい気持ちは人並みにあるけれど、そのために煩わしい諸問題を背負うくらいなら要らないと思う。そういう意味で人間関係というのは8割以上が糞。お人好しが食い漁られていくだけで、利己的な連中が精神的にも健康でと〜っても長生きしてる。嵐の波や土石流みたいな人間ばかりで、テトラポッドや堤防な人達があちこちで消費されて失われていく。クッションだとか潤滑剤みたいな人間を必要とする状況を作る輩が死ぬほど嫌い。だから西宮視点で描写される罰印には安心感がある。

無理に他人と仲良くする必要なんかな〜いのよ〜ぅ。

おーわりっ


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【ゲーム感想文】#3(!!ネタバレ注意!!『UNDERTALE』3週目G√vsSANS 12戦0勝^q^【衝動書き】

2018-05-25 23:45:22 | 感想文

勝てまテン^q^不死身のアンダインでもかな〜り死んだけど、SANSは勝てる気がしないw

少しだけ調子の良い時があって「おっ、これはイケるかもしれないぞ?!いやまて、就寝直前にあのホラーエンディング見るのはちょっt
G A M E O V E R


てなわけで、MHW起動、幸運にもガイラ麻痺棍入手、からアンテ神曲集動画とSANSvsCHARA(MMD)動画見つつの記事投稿なう。


凄いですよ?今日単調な仕事中に脳内BGMでかかったHOPE&DREAMSで鳥肌ぶわぁあ〜って。屋外かつ仕事中の脳内再生なのにこの高ぶり…。さすがに我ながら頭おかしいんじゃないかと。。。

ここ最近UNDERTALEのことしか頭にない。ドット絵だけであそこまで感動できるなら今まで僕らがプレイしてきたゲームはいったいなんだったのかと思わずにはいられない。FINAL FANTASY 10はとても良く作品だと思ってたけど、今思うとなんだか馬鹿らしく思えてくる。『襲撃』『いつか終わる夢』『死闘』などなど名曲は数多くあるけれど、実際プレイした記憶を遡ると、尺の割に大した中身じゃないなって。UNDERTALEをプレイするよりも前ならきっとこんなこと思わなかった。本当に大好きなFF10だったのに、演出や構成にとてつもない格差を感じてしまってる。自分の大好きだった作品と比べて圧倒することを厭わないほど虜になってしまってる。

なんなんだろうね、このアンテの魔性な魅力って。

このサイズのゲームにこの質っていうのは勿論重要な要素であることは間違いないんだろうけど、それだけなのかなぁ?

デバッグや映像美に対するコストがイコールでソフト価格だとすれば、オイラちょっと他のゲーム買う気になれないゾ〜?
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【ゲーム感想文】#2(!!ネタバレ注意!!『UNDERTALE』宣言通り2週目でP√クリアしてきました【衝動書き】

2018-05-21 23:34:32 | 感想文

はいはい神ゲー。はいはい神曲。
はいはい語彙不足。

ゲームでこんなに長い間鳥肌が立っていたのは『UNDERTALE』がマジで初めてかも。

数時間前にクリアしてしばらく二次創作の動画を漁ってました。オリジナルイラスト(静止画)をバッグにボス戦の曲を順番に流す動画があったんだけど愛情とそのクオリティが素晴らしかった。

プレイする以前にアズリエル・ドリーマー戦を動画で見ちゃってたけど、それでも物凄い衝撃だったわ。これ書いてる最中もBGMずっと流してる。その動画が約26分なんだけど、こんな至高の26分間ってなかなか無いね。

動画サイトで再生すればすぐにでも聴けるんだけど、やっぱり自分で実際にプレイしてる時に流れて欲しいなと思ってセーブデータリセットからP√のアズリエル戦で聴くまで動画サイトでの再生を禁じたよ。一曲の音楽を聴くためにわざわざここまで頑張るってのは、音楽家が生のオーケストラを聴くために足を運ぶのと似てるよね。そういった意味では、現代の音楽へのアクセスがここまで容易なのは良いかもしれないし悪いかもしれないね。

まだドキがムネムネしてるよ。熱い。この感動をどうにかして昇華させたいけど、無能な俺には成す術が無いから悔しい。
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【ゲーム感想文】#1(!!ネタバレ注意!!『UNDERTALE』(PS4)クリアしました【衝動書き】

2018-05-20 23:13:20 | 感想文

今更ながら購入。
1周目しかクリアしてないので、熱狂なファンやコンプ勢からしたらチュートリアルが終わった程度だと思われるだろうなw

そもそもこのゲームの存在を認知したのは、Youtubeでおすすめ関連動画に現れていた「虐殺ルートのSANS戦の動画」をクリックしてから。「昔のゲームだけどBGMやシステムが秀逸で未だに熱狂的な支持を得ている作品かな」と直感で思った。なぜならそうした作品の音源や映像が動画サイトにて脚光を浴びることが昨今では珍しくないから。俺自身もそうした作品のBGMは未だによく再生しては恋しくて懐かしい感覚に浸りながら寂しいながらも心地良い時間を過ごしている。

プレイしてみた第一印象は、単調な育成やダンジョン探索がなくて好印象だった。最近のゲームってやたらと育成育成、レアドロレアドロで嫌気がさしてる。

戦闘システムも凄く良いと思う。若干覚えゲー(死にゲー)になってしまっているところはしょうがないかもしれないが攻略法をググれば簡単に戦闘をこなせてしまうゲームばかりな昨今においては、プレイしている感が十分にあって良いと思う。老若男女に平均的な難易度を提供できている点もGOOD。

簡素なヴィジュアルがこの作品における特筆要素の一つになっているが、映像美の追求が「感動や面白さ」に比例しないということを業界の人たちに今一度感じて欲しいなと思う。「ゼルダの伝説 風のタクト」や「ブレスオブザワイルド」だったり、「Borderlands」がその良い例だと思っている。重要なのはシステムであり、断じて解像度や滑らかさではないということ。仮に価格や制作コストあたりの評価を比較したとして、UNDERTALEに匹敵する作品が一体どれほどあるだろうか。余談だが、これをプレイしたのが小学生の自分だったら、その晩は一人で寝れない不気味さに溢れてる。ヴィジュアルが簡素であるがゆえに、一貫してこのゲームの雰囲気はやはり 超 不気味である。

普通にプレイしていれば主人公は正義であり、立ちはだかるは敵である悪なのだが、UNDERTALEは違う。失敗した、と思うのはYoutubeにてある程度ちょっとした好奇心で動画をいくつか見てしまったのがプレイするよりも前なのだ。エンディングが複数存在していることを知ってしまっていたし、その呼称が「虐殺ルート」となっていたことから「ぁあ、平和エンディング=不殺ルートがあるんだろうな」とか、「SANS戦の有無」についても把握できてしまっていた。まあそれはしょうがない、それがなければそもそもUNDERTALEの素晴らしさを知るキッカケを得られなかったのだから。

さて。

ここまで書いてきた一切のことなんてどうでもよくなるぐらい、BGMが良いです。

特に平和ルートのラスボス戦(『SAVE THE WORLD』)、プログレメタル好きな俺悶死不可避。やばい。これやばい。語彙が足りない。

修羅ルート(いわゆる皆殺しの虐殺ルート)を知っているからこそ、ラスボス戦での死闘が熱い。ひたすら「ゆめ」や「きぼう」で耐え続ける戦い!

熱すぎるぅぅぅぅううううううっっっ!!!!!!曲の途中で陽気な調子になったりメロディアスになって、ラスボスの猛々しさが迫り来るだけじゃない。立ちはだかる絶望と立ち向かう希望、陰と陽、つまり白と黒が絶妙に入りみだれるこの感じ!はああぁぁぁ…明日の仕事はこのアドレナリンのせいで寝不足確定ですわ。

勿論ほかの曲も良いよ!アズゴア戦も好きだよ!ああもうたまらん。二次創作でファンがAMVつくったりする気持ちが凄ぉお〜く良くわかる。

TCGの始祖『MagicTheGathering』の「ルールは壊すためにある」のと同じような感じがした。ボスがセーブデータにハッキングしてきたり、意図的にバグったような演出があったり、今ある「TVゲーム」の常識が通用しない感じも凄く新鮮で退屈しなかった。この年齢じゃなかったら不気味で怖すぎてやらないレベルだったけどねw

ふぅ。少しは落ち着いたかな…。動画で見ちゃったけど真ルート見るために明日から頑張ります。

おーわりっ





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【AI時代】近未来における個人の幸福について

2018-05-15 20:19:12 | 考察

『朝生〜激論!AI時代の幸せな生き方とは?!〜』を動画サイトにて今更視聴。

俺は個人的に堀江貴文と落合陽一をかなりリスペクトしている。加えて西村博之のことも同様にリスペクトしている

なぜその3人なのか?その答えは「彼らが発言の場においてポジショントークをしないから」である。彼らが議論をしている動画は他にも沢山あって、全て網羅しているわけではないが、やはりどこにおいても彼らは合理的であり、保守的ではないことが素晴らしい。その要因がなぜ重要なのかといえば、極端に言えばステマのような発信を行わないからである。つまり、そこには(例えばだが)購買意欲を促す誘導的恣意的な情報発信がないということ。もっと簡単に言えば嘘がないということ。

これは非常に貴重な価値である。「コカコーラを500ml飲むことによって引き起こされる不健康は存在しません」いやそれデータを出した研究機関とグルでしょ?というのがあるからである。高度情報社会である現代では、確かな情報を発信している存在はとても貴重なのである。

さて本題。

「鋼鉄のアームが雇用を"奪う"」や「シンギュラリティ」を筆頭に、AI問題は現代におけるホットな話題。

遺伝子の目的と快楽の目的を、ダーウィンやドーキンスの言葉からある程度の理解を固めた俺からすれば、ひろゆきの「あらゆるものは思い込みである可能性」を簡単に理解できる。このブログで再三執筆しているように、快楽は所詮「生存にとって正の結果を、肉体に反復させるための舵」でしかない。チョコレート、チーズ、ラーメン、セックス、ニコチン、アルコール、ギャンブル、etc。朝生では幸せな生き方について熱い議論が行われたようだが、貧困=不幸はおかしいと言う堀江と落合は極めて正しいと思う。幸福度はやはり環境によって変動するし、思い込みによっても変動する。年収4桁でも不幸な人がいれば、年収200万で幸せな人もいる。そりゃあ年収200万の人の目の前に年収1億の人がいれば前者は「すごいなあ」とか「羨ましいなぁ」とか思うかもしれないが、年収1億の人が通った艱難辛苦の歩みを同じように体験してまで欲しいかと言われれば「いやそこまでするよりかは今のままで十分幸せだからいいかな」と思うかもしれない。ビルゲイツを羨んでもしょうがないと言い放った堀江のまさに言う通りである。科学的な実験結果があって、一定の年収以上になると金額に比例した幸福度の上昇は殆ど無いらしい。個人的な体験では、かっこいいスポーツカーに乗りたいと思ったことが何度もあるのだが、それに乗っていて満たせるものはせいぜい所有欲とちやほやという承認欲求だけなので「あ、やっぱいらないや」となるのが常である。貧しいというのは結局のところ富豪に対しての差でしかないので、生活保護を受理できる以上は餓死がほぼありえない現代の日本において自身のことを貧しいと訴えるのはただの贅沢になる。そういう意味では日本は素晴らしい国である。

朝生の中では、堀江と落合が現実的で合理的な""アイディア""を発信しているのに対し他の人達は、
「じゃあ教育は一切不要ということですか?」
「じゃあ国語の勉強や識字は一切不要ということですか?」
「じゃあ〇〇は無駄だというのですか?」
「じゃあ弱者は救われなくていいというのですか?」
といったように、強引に敵対しようとしている印象を受けた。二人が説きたいのは、「効率的で合理的な方法がありますよ」と言いたいのであって、他参加者の主張を叩きのめしたいわけではない。例を挙げるとすれば豊田が言う「我々は実際に対象者と面会して相手(社会的弱者等)に寄り添って云々」
に対し落合が「ツール(インターネットやAI)を活用すればわざわざ物理的に陸を移動して会いに行く時間を省けます(面会することによる利点を否定しているわけではない)。わざわざ会いに行くための労力や時間やお金を、他の必要な部分へ回せたら社会はもっと良くなると思います」(※原文ままではない)と言うようなことを言っている。堀江と落合は一貫して合理主義なので、人間への感情的な配慮を排除した言い方をする。おそらくそれが他参加者の多くに受け入れられないのだろうと感じた。動画へのコメント蘭に至極同意できるものがあったので紹介したい。

>>
パネラーの多くが、自分の思考のベースや自分の存在意義(だと信じているもの)となっていること自体が全く「真理」ではなく作り上げた「虚構」であり、変化し得るものだということを理解できない、または受け入れることができていない。だから全く話が進まず、堀江さんと落合さんをまるで人でなしのように感じているように見受けられる。堀江さんと落合さんは自分の正義や心情をベースに話していない。現実に起こり得ること、現状を踏まえて最適解を生み出せるような仮説を述べている。パネラーたちも色々成し遂げてきた人たちだと思うけど、だからこそこの大規模なパラダイムシフトを受容できていないのかもしれない。仮に堀江さんや落合さんが既存の価値観に合わせればこの人たちは安心するのかもしれないけれど、容赦無く世界はどんどん変わっていくと思う。

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コメント蘭に関して他にも追求するのであれば、田原総一朗へのヘイトが目立っている件に関して感想をば。俺も彼について熟知しているわけではないが、へっぽこタレントやちょっとした作家や記者はともかく第一線の政治家や実業家を相手に一歩も恐れずに切り掛かっていくことができる存在は唯一無二である。天皇制についてを筆頭に、放送中に首相を名指しで批判したり、彼の言動にタブーは無いようである。彼の行っていることがどれだけ凄いかということを、コメント蘭で「田原のくちゃくちゃ云々、司会失格云々」と言っているお子ちゃま達は一生理解しないだろう。余談だが、議論中に論点の迂回をしまくる田原に対し落合が「面白いな!えーとそれは…」と言ったところは盛大にコーヒー吹いた。

この動画に関わらず、議論というのは非常に難しい。プライドや保身のない堀江・落合・田原は非常に強いというのが第一印象である。池澤と雨宮あたりは遺伝子ビークル説についてお勉強したら貧困=不幸という考えが変わると思う。牧野がAI議論の経験が豊富らしく、堀江落合が語る「AI技術発展将来なんでも可能説」を否定するが、期待や希望を持って実際に努力と活動を行う最前線の二人の言うことなので、俺も期待を含めて二人のほうを支持したいと思った。豊田と小西が明らかに一歩引いていて政治家のプライドだかなんだか知らないけど見ているこっちも冷めるしポジショントークが多いし炎上の可能性が極めて低い発言ばかりで正直気に入らないなと思った。

AI技術の進歩が結果的に雇用を奪うという点については、全く問題がないというのが俺の意見である。年金制度はすでに破綻していて現状どうにかしなくてはならないものなのでBI導入の検討以前の話である。過酷な環境での肉体労働は鋼鉄の体を持った人工知能が代行する。大いに結構。全日本人が行う労働の全体量は減って、過労による死亡、高所などの危険な場所で起きる事故による死亡なども減る。素晴らしいじゃないか。仕事が減って給料が減った?じゃあ贅沢をやめればいいじゃん。豪華な住まいなんていらないはず。明らかに栄養過多な食事もいらないはず。ブランド物のバッグや衣服もいらないはず。パチンコやタバコやお酒もいらないはず。高い車もいらないはず。欲しいなら多く働けばいいだけ。でもその結果体を壊しても自己責任。現代人はとにかく贅沢、つまり欲張りなだけで不幸でもないし貧乏でもない。糞みたいなプライドを捨てて活動すればいい。承認欲求に惑わされるべきではない。

あかんな。集中力が切れてきた。一応これにて投稿しますが推敲加筆修正または削除して書き直します。

おーわりっ
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