鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【勇者と守護者】救世の価値

2024-08-03 00:56:41 | 日記

きっと心の底から同胞を救いたいと思えば、とても大きな力を伴って事を成し遂げられそうな個人は沢山いる。けれど、我々大多数の庶民は、彼らから見て「救ってあげたい」と思われるに値する存在だろうか。答えはNoなのだろう。

水は低きを流れ、人の心もまた低きを流れる。善悪を問わず力を持つ者によって扇動され、利用される。自分たちだけ得をしようという者のほうが動機無き英雄よりも遥かに意志を固く持ち、実行力に優れている。

救世主の気を引きたいのであれば、弱者である大多数は自らを厳格に律さなければならない。そして苦しくてもそれを諦めず何度転んでも立ち上がり歯を食いしばって戦わなければならない。彼らはそうすることでやっとこちらに気付いてくれるかもしれない。

搾取され、利用され、踏みにじられる側であった我々は隣人との絆を見直し、強めて、遥か昔の村落のような繋がりによって強固な監視社会を築き、侵略せんとする者の脅威から家族や友を守らなければならない。個人が悪事を働かないのは、小さな集団であればすぐに露見しては叱りを受け、最悪の場合は排斥されるからだ。集団の規模が極大化した令和においては、露見が敵わず、しても逃亡が可能だ。お人好しや弱者を騙しては浮浪するほうがゲームとして合理的なのだ。

だが、こと日本という島国において、海の向こうから悪意ある余所者が先住民を蹂躙してのさばるようなら話は別だ。奈良の鹿が意図的に攻撃された時、その場にいた殆どの日本人全員が結束して当人の行為を防ぐなり団結して警察へ届け出るなりすれば良いのだ。たった1人の勇者だけでは名前と顔を覚えられて報復を受けることになってしまうが、その場にいた大勢であれば悪党は標的を定められない。集団リンチせよなどと言っているわけでは決してない。たった1人の勇者に全てを負わせるべきではないということ。

令和においてそうした結束力が今の日本人達の中にはどうしても湧いてこないのだろう。根本にあっても今一歩が踏み出せない。あれほど同調圧力に弱い人種だというのに全くもって嘆かわしい。

外国人や難民に対し排他的で攻撃的なわけがない日本人。我々が極めて遺憾なのは、日本人の殆どが息をするように守っている暗黙の規律を尊重してもらえていないことだ。

観光するもよし、住むもよし、働くもよし。同僚なら絆を深めて持ちつ持たれつの関係になるだろう。隣人なら笑顔で挨拶をするだろう。日本に限った話ではない。

自動販売機が壊されない日本の性善説を愛している。ひとたび崩壊したらばその復興と人類絶滅はどちらが早いだろうか。

日本国民の大多数である弱者や庶民は試されている。日本という国の価値を改めて知らなくてはならないし、日本という国を護るために必要な方策を見つけるためにそうしたことへ無関心だったことによるツケを払わなければならない。

文明や技術や事業は強かった。しかし教育や社会制度をあまりにも蔑ろにしてしまった。愚民政策による被害者だといえばその通りかもしれないが、今の時代では甘えることはできない。泣き言を言ってももう選択肢はない。ファイトオアフライト。比較的安心できる国へ移住するか、知識を身に付け力を蓄え団結して戦うか。その二択。

奮起する国民が増えれば、力ある者の動機もえられるかもしれない。勇ましくて思いやりに溢れ誇り高い日本が再びその姿を表してくれるかもしれない。
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【強迫観念】終末の足音

2024-07-31 23:27:19 | 日記
日本は侵略されている。今に始まったことではない。全日本国民にとって川口市の実態は対岸の火事にあらず。どんな国の出身であろうと、悪い者は悪い。それは比較的温厚で親切だと評価してもらえている日本国民でも同じこと。寛容で誠実なエピソードよりも陰湿で残虐なエピソードのほうが人々の記憶に刻まれやすい。悪いものは目立つ。あたかもそれが平均か或いはそれ以上のように知覚されがちなバイアス。

中国人もロシア人もアメリカ人もクルド人も日本人も、みながみな悪い人間なのではない。親や大人や時代や環境から与えられるものによって人格を形成する。寛容で誠実で公平性と知性を持ったまま成人を迎えられる人とそうではない者を、ただ運がよかった悪かっただけで隔てられている可能性だっていくらでもある。

純粋な日本国民として日本に生まれ育ち、自国がいかに優れているかという情報に浸っていたら気付かないことがある。いま窮地に立たされているのは決して日本だけではない。獲得し得る軍事的兵力が(戦術的核兵器の登場により)頭打ちになり、人口減少フェイズに入り、異常気象などの環境問題がホモサピエンスへの淘汰圧となっている今、既に築き上げられた文明とその利便性を維持するためには人々の平均的能力を底上げしなければならない。世界を牛耳る黒幕は全人類をシミュレーションゲームにおける駒のように扱い、憚れて当然の優生主義的な策を躊躇なく進行させている。足手まといになりうる個人は不要。溢れかえる高齢者も不要。障害者も不要。必要なのは従順な労働力と勘の悪い有能な技術者。

日本において愚民政策はこれを効率的に成し遂げ、着々とステップを進めている。若者の政治への関心を奪い「個人の一票など全く力を持たない」と無力感を抱かせ、「自分と伴侶さらには配偶者さえ健やかであれば良い」という非民主的な生涯を送らせるよう誘導することに恐ろしいほど成功している。鋭い意見があったとして、それが実際のところ全くの事実であったとしても愚衆は少数派の意見を許さずこれを陰謀論的だとして受け入れない。老若男女への発信力が極めて高い個人は黒幕にとって脅威となりうる。救世主になりえた存在は誰がそうだっただろうか。直近では松本人志や自動車メーカーのトヨタが該当するだろう。過去であればホリエモンもその杭を叩き潰されてしまった。気付いてしまった人、発信してしまった人、行動に移してしまった人は、必ず黒幕からリアクションを受ける。「余計なことをするな、タダじゃおかないぞ、大人しく身を引け」と。

埼玉県警はクルド人を筆頭に外国人が起こす問題の多くに対し見て見ぬ振りをしている。このままいけばムスリム教の教会が完成し、そこへ入信しない者はみな非宗教の者とみなされ特に女性がこの脅威にさらされるだろう。

軍事的に極めて重要な地点は中国人による土地の売買が着々と進行していて、専門家によれば「選ばれ方には明らかな意図を感じる」とのこと。北海道では情報収集のために中国人がドローンを飛ばしまくってるそうだ。

いずれ日本列島の南北はロシア自治区と中国自治区となり、中央に追いやられた残り少ない純日本人が所狭しと今にも絶滅しそうになりながら苦しい生活を送ることになるかもしれない。

日本では、厳格な基準と法のもとに美しいと言っても過言ではないそのインフラ設備が、豊かな自然と共存している。クリーンで安全。自動販売機を破壊する人など滅多にいないし、柵のない畑の作物を盗む者もいない。ゴミのポイ捨ても少ない。日本なら当たり前のことだ。しかしそれが過去のものになる未来が訪れようとしている。永く続いた文化、慣習、伝統、誇り、歴史が破壊されて失われるかもしれない。

男は殺され、なんの罪もない女子供は凌辱されるかもしれない。それは何キロも離れた遠い世界の話ではなくなるかもしれない。通報しても警察が来なくなるかもしれない。そうなれば救急車も来るはずがない。病院はとっくに制圧されていて、敵対勢力に属する人間のみを治療しているかもしれない。殺されたり凌辱されたりするのはあなたの伴侶かもしれないし、家族かもしれないし、親友のそれらかもしれない。当然、警戒はするし、備えもする。その時が来たら文字通り命をかけて大切なものを守る意志がある。いざとなれば大和魂で特攻することも厭わない。

きたる未来に暗い気配を感じて止まないというのに、世間はオリンピック。明日も明後日も、一昨年と対して変わらない仕事に心身を費やしている。大国同士の軍事的衝突や超巨大地震はいつ起きてもおかしくないというのに、新作の映画や新しい事業などといったちょっとした未来の予定に一喜一憂している人々を見るとまるで別の世界に生きているかのようだ。

いつも通りの営みを否定する気など全くない。終末の気配を感じるというのなら、それを強く予感する者ほど「今ある楽しみや喜びを深く味わい抱きしめるべき」だ。

Everybody feels same.
Everybody finds, In the end.
俺の好きな言葉だ。世界平和など綺麗事。蹴落とされる者、搾取される側の者、奪われる側の者、妬む者。絶対にゼロにはならない。わかってる。

Bad is stronger, than good.この言葉も、人の世を的確に表しているという意味で好きな言葉だ。悪貨は常に正貨を駆逐する。

失われる未来を予感した途端に、母国である日本を日本たらしめている景色や人や習慣が愛おしくて尊くてたまらないんだよ。無力な自分も含めてそれらを土足で踏み荒らす連中が同じぐらい憎くてたまらない。

ふんぞりかえった権力者の何が面白くないかって。お前らにはドラマがないんだよ。ただ駒を右へ左へあっちこっち並べ替えてるだけ。一番面白くない。大して苦労もしてない。なんかよくわかんないけどスゲーものを作り出してくれそうな期待が全く湧いてこない。高そうな椅子にドスンと座ってワインを転がしてる。大して舌なんか肥えてないうえに物凄く粗チンでおまけに早漏。息臭くてデブでハゲでチビ。足の爪めっちゃ巻いてるでしょ。きしょい。

ニコニコ動画で一銭にもならないのにコメ職人やって時代を盛り上げた人たちの足元にも及ばない。誰にも迷惑かけずに楽しんでた。お前らがしゃしゃるから気を利かしてすみっこでおとなしくしてたのに、イチャモンつけてきた。真面目に仕事して、ちゃんと納税もして、ゴミも捨てないし、困ってる人がいたら助けたし、それが当たり前だと育てられた。けどチンカスの権力者どもは違う。人間の幸福度なんて全人類どれだけ富豪だろうがどれだけ貧民だろうが大して変わんないのに、遊ぶのが下手なだけじゃんお前ら。めちゃくちゃ汗水流した後のお茶の美味さすら知らない。おばあちゃん家で過ごした夏休みの1ページの景色をおまえらは知らない。
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言葉にしてみるだけ

2024-07-12 00:08:27 | 日記
ここ数日の苛立ちはなんなのだろう。

高温多湿による肉体への負荷?
外出すれば極端な寒暖、引き篭もれば運動不足と血行不良。
疲労感?加齢?
バッドニュースの過剰摂取?

挙げればキリがなく、そのどれもがそれなりに妥当。大きな要因から排除したいが難しいだろう。

日本が突入しているこの時代のあらゆる局面の負の側面は、その殆どが庶民にとって防衛のしようがない。過剰に思える徴税、使い道が不透明な税収、溢れる陰謀論と終わらない水掛け論。一部地域では移民によって日本の尊厳が脅かされ、司法も警察もその本質と機能を疑われている。日本人である女子供を果たして男達は守り通せるのだろうか。女子供でなくとも守りたい人・モノはあるだろう。

国境で分断され、権利によって分断され、年齢によって分断され、日本の結束力はじわじわと崩されてきている。自分の"イマ"も"将来"も"家族"もいっぱいいっぱいだというのに、国のことを案ずる余裕がどこにあるのだろう。ミクロな視点でもマクロな視点でも懸念材料の多さにいつも目を背けてしまう。TVを消したところで、否応なしにSNSから臭いニュースが鼻を抜けていく。

そういうものには蓋をしてしまって、作り話でもいいからくだらない話をしたくても、家族や知人や同僚がせーのでメディア断ちをしてくれるわけはない。そうなるともはや現実逃避するためには、東出のように山籠りするしかなくなる。あるいはひろゆきのように海外という安置で過ごすしかなくなる。生まれ育った場所でなくとも幸せになれるタイプの人間ならそれで良いと思う。

攻めに転じるべきか、逃げという名の防御に徹するべきか。その二択に到達すらできない人間がどれほどいるだろうか。「せめて大恐慌時代から逃れられなくなるその時まではこの残り少ないかもしれない平和な日々のうちに人生を楽しもう、きっとヤバイ時がこなくとも突然の病や事故でだってゲームオーバーは訪れるのだから。」という考え方が、全うな正解だと断言はできなくとも極めて安心できるアイディアだと思えてしまう。宵越しの金は持たず、疲れたらケチらず好きな物や美味しい物を食べよう。こんなことになるならもっと食べておけば遊んでおけばとなるかもしれないから。

救いは無い。侵略は既に進んでいて、"敵"は恐ろしいほど狡猾で強かだ。時間をいくらでもかけて着実に計画を成功させようとしている。川口市や北海道を脅かしているものは遅かれ早かれ必ずみなのところへ到達する。あれらは臭いものを抱えてきて美しい緑や清流をあっという間に灰色に変えていく。

そんなことに思考を割いたところで、積極的に署名活動に協力したり意見を発信したりするわけでもないのでいち庶民である自分にとってこれほど非生産的な行動は他にない。憤慨や悲観したところで精神衛生を損なうだけ。であれば可能な限り自分自身のQOL向上に努めるべきだ。

世間に普及する情報の真偽はどうせ庶民には判断ができない。それをわかっていてメディアは悪意で切り取って発信している。仮に真であると証明ができたとしても、愚衆は信じたいものだけを信じる。埋もれる。揉み消される。そして忘れ去られる。強大な力が働いていて為す術がない。

ただ一つ、もしかしたら救いがあるかもしれない。それは人為的でないもの。宇宙からの来訪者だとかそうしたトンチンカンな話ではなく、荒天や地震のようないわゆる天災である。それは言い換えて仕舞えばただの不謹慎な神頼みと言っても過言ではないが、人類みな殆どが等しくコロナウィルスのダメージを被ったように、敵である者達にとってもそうでない者達にとっても文字通りそれはもはや敵味方関係なくそして善悪のない純粋な"力"として人類を脅かす。我々が土地を奪い合っているという事実が意識から思いがけず欠落してしまうような事態になったなら或いはー。

という妄想をしてしまうほど、はっきり言って未来が見通せない。

もっと身近なものに目を向けよう。そう思っても仕事もお金も家庭もままならない。彼らも自分も苛立っている。人間なのだから。綻びから亀裂。裂け目から瓦解。どれだけ広い器で理性的な生活と言動を心がけていても、人間の負を視界から消し去るのは難しい。いっそのことホームレスや野人のほうがQOLが高いとすら言えるかも知れない。

健やかな精神衛生を維持できている人は、令和ノイズへの自衛術を極めている。この年齢にもなればあとは前年と変わらない繰り返しが続くだけかと思っていたが、存外そういうわけでも無いらしい。

数十年前とは違って、変化の激しい時代の世代は順応する間もなく振り回されるだけの生涯になるかもしれない。

守りたいモノがそれほど多くない自分はそうでない人に比べて幸いなのかもしれない。

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【最高の漫画、最高のアニメ】Dr.Stone

2024-06-12 02:14:53 | 感想文

Dr.Stoneという作品は人間の持つ「自然への敬意」を尊重する。

人間の「世代を超えて受け継ぐ意思」を教えてくれる。

「飽くなき探究心と好奇心の楽しさとその偉大な価値」を教えてくれる。

あるべき社会の在り方について考えさせてくれる。

文明の発展に伴い人類がどのようにして間違ってきたかを教えてくれる。

不殺や裁きについて教えてくれる。



書ききれないほどの多くを、Dr.Stoneという作品は教えてくれる。アインシュタインも言っていた。富や名声などではなく、我が子に「この情熱を渡せたらどれだけ良いだろうか」と。未来を担う子供たちにこれほど知ってほしい作品はDr.Stoneを差し置いて他に一切無いと確信できる。

漫画であり、アニメである。小学生の時にDr.Stoneの虜になっていたらと思うと悔しくてたまらない。

教科書やきっかけとしてこれほど楽しく優しくそして聡い作品は他に無い。特筆したいのは、それでいて加えて漫画としてもアニメとしても、その出来が圧倒的に凄まじい。構成力がどうのとか、演出やカメラワークがどうのとか、アニメーションがどうのとか、その全てがとてつもなく良くできていて何も言うことがない。

日本に日本人として生まれ育ったことをこれほど感謝したくなる一番の作品は間違いなくDr.Stone。ただ出来が良くて面白いアニメで終わらない。本来であれば鬱陶しく思うようなメッセージ性や説法じみた台詞や演出の全てに全く抵抗を感じない。とてもすんなりと染み込んでくる。清々しくて格好良い。

登場人物達は「歯を食いしばったら能力が覚醒してどうにかなっちゃった」なんてご都合主義で状況を打開しない。1人の天才ではどうにもならない状況に、ひどく地味で味気のない方法で突破していく。突然どこからともなくヒーローが登場することはない。一生懸命念じたらファイヤーボールが敵を打ち倒すなんてこともない。ひたむきさと執念と信じる心と、時を超えて繋がる意思で難関に立ち向かう。これぞ超絶究極のJUMP。

完全無欠の「Dr.Stone」。この現代に必要な「世界の教科書」はこれで決まり。千空の言葉の数々が、きっと"良い方向"へと人を導いてくれる気がする。どうするべきかはみんなある程度わかってるはずだけど、そのまとめ方とか良い感じの言い方みたいなのがわからないんだと思う。その誰もやりたくなかったできなかった作業をDr.Stoneの作者様がやってくれたような、そんな気がする。

他の作品を見ずにこの作品を知れなんて言わない。楽しくて面白い作品は世の中にたくさんある。そんなもののほとんどはほっとけなんて思わない。日本が世界に誇る漫画アニメは数えきれない。俺は好きな作品があっても他者へそれをおすすめすることを滅多にしないが、Dr.Stoneだけは全力で推したい。見てくれ。読んでくれ。知ってくれ。絶対に後悔はしない。読む人によっては気分が悪くなるような下手を、この作品は犯していない。

原作はとうの昔に既読済み。今し方シーズン3をシーズン1から見返し終わって余韻に浸るのを兼ねて執筆。シーズン4の完成の際には、また1から見直そうと思う。
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ポケモンカードとワンピースカードで遊んでみた

2024-01-12 00:10:10 | 日記
スタートデッキ¥550〜1100ほどのものを知人の分も含めそれぞれ何種類か購入して遊んでみた。

子供時代にはこれほど画期的かつ手頃な値段で遊べるカードゲームは無かった。コストパフォーマンスだとかタイパという言葉を多用することには抵抗があるが、このスタートデッキはコスパが非常に高い。下手をすればちょっとしたボードゲームよりもよっぽど安く済む。ボドゲに比べて楽しさが長続きするかは別としても、楽しみ方を工夫できる大人の手にかかればなんてことはない。

スタートデッキ同士で対戦するのであれば、カードパワーの均衡がそれなりに保たれている。プレイングと運で埋まる程度のデッキポテンシャルなので、たった2種類のスタートデッキでもやりごたえがある。

しかし、ギャザリングや遊戯王で育った身としては、ゲームデザインの粗さに注目してしまう。せっかく洗練されたカードゲームが存在していて見習えばいいというのに、なぜあのような不親切なテキストが綴られているのか。任意なのか、強制なのか、対象はどれで、何を指しているのかがこんなにわかりづらく、不明なものは随時ネット検索で補正しなければならない煩わしさを感じた。慣れてしまえと言えば簡単だし、ネットがある時代なのだからその程度の手間は惜しむなと言われればそれまでなのだが、検索を前提にしていたり、慣れるまで我慢しろというのはクリエイターやデザイナーとしては消費者に対してさすがに甘えすぎだと思わざるを得ない。

とはいえ、ポケカやワンピースカードに関してはターゲット層が幅広く設定されているように感じるので、目を瞑れないほどではない。文章が易しく、少し曖昧なニュアンスになってしまうのは、国語力に優れた大人に対してというよりかは子供に対し受け取りやすくするためなのだろう。

せっかくこうしてブログに投稿しようと思ったので不満な部分も一応ある程度文字にしてみただけで、実際のところそこまで気にしてはいない。手頃なお金しか消費してないし、そこまで勝敗にこだわっているわけでもないからである。今やこの2種類のカードに関しては転売厨の餌食になっており、ブースターパックが入手困難になっている。自分好みのデッキを作りたい場合は、カードショップやオンラインショップにて1枚づつ欲しいカードを選択して入手するほかない。パックを剥いてみて獲得できたカードを組み合わせてデッキを作るという遊びは叶わない。シークレットレアやかっこいいデザイン可愛いデザインのカードは瞬く間に値段が高騰して、転売かコレクション目的の人間に渡ってしまう。

つまり、スタートデッキのみで遊ぶのが最もコスパの高い方法なのである。

転売厨がおらず、シングルカードの価値が高騰せず、カードショップがそこそこ近場にあってブースターパックが気軽に入手できるなら自分好みのデッキを作るのはとても楽しい行為なのだが、ポケカの闇だとかワンピースカードの闇だとかの検索結果を見ている限り、そんな時代が訪れる気配はまるで無いだろうね。

割と若者がとっついてそうなワードの記事なので変なコメントが来そうだが、自己満足でやってるブログなので悪しからず。

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