鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【映画レビュー】『昼顔』見てきた ※ネタバレ注意

2017-06-19 00:18:13 | 感想文

ドラマは見てない。知人に鑑賞を誘われたのがキッカケ。

いま流行りの「不倫」がテーマ。「女は怖い」という感想で溢れているだろうけれども、個人的には「人間の恋愛感情」が怖い、と思った。女の怖さを知りながらも他の女を愛そうとする男の熱にも同じぐらい強い力を感じる。

良くも悪くも、これが人間なのだろうなって思った。性欲の存在意義とは無関係に、ただただ甘い時間だけを、愛を感じる時間が一秒でも長いことを望んでいる。リアリストからすれば鼻糞みたいな話だが、一人の男や女を巡って展開される物語には強い感情が宿っていて、だからこそいつの時代もトレンドを独占しているのかなと思った。
これが一般教養の外にあるような少しでも専門性を帯びるような話だったらきっととっつきが悪く、「恋愛」という誰もが通る道だからこそ注目や流行を得るのだろう。

俺の恋愛観からすると、極めて不純な行為に「独占」が該当している。対象の幸せを望むことが、俺にとって世間で言うところの「愛」だと思っている。しかしその一方で、自分の望みの為ならば他者への配慮を一切省みないというウルトラ野心主義には賛同している俺である。

肝心なのは、「その人の望んでいること」である。それさえはっきりしていれば、その望みに対して手段や選択が合理的かどうかという判断を下すことができるからだ。

俺は自分の望みに対しての問答を、嫌になる程繰り返し続けてたどり着いた結論が「その人の幸せを望むこと」だった。その人の幸せのために自分ができることがないのなら、おとなしくしていることがベストだと思っている。

自分の恋愛観に干渉できるような材料は得られなかったが、収穫が全くなかったわけでは無い。結婚生活が長引けば長引くほど、夫からの愛情は感じにくいものとなる。そこで奪いにくる男性の熱意は、マンネリ生活を送る妻にとって熱い愛情であり、中毒になるほど強い刺激だ。

書いていて気づいたが、恋愛体質(恋愛していないと不安になるor etc体質)の人は、おそらく彼氏彼女を求めてばかりで無趣味な傾向があると思うので、色恋沙汰以外に関心が向きづらい。恋愛というものは人間の本能を簡単に支配する。結果、無趣味な人は恋愛以外で日々の充実を図ることができず、火遊びに興じてしまうのではないだろうか。

俺から言わせれば無趣味な人間と幸せな人間は面白くない。恋愛話はどこでも聞けるから貴重ではない。

一夫一妻制は古いものになろうとしてるのかな、と感じた。新しい恋愛観を持った人たちと、平均的で既存の恋愛観を持った人たちの思想がぶつかり合っていて、近い将来に「恋愛の在り方の変わり目」として年表に刻まれるような時期が今なのかなって。現に肉食系とかロールキャベツとか絶食系とか、もうわけわかんないもんね。

ベーシックインカムの「能力の高い人だけが生産活動を行うべき」みたいに「能力の高い遺伝子だけが複製されるべき」ってなっていくのかなw いつしか恋愛はただの娯楽になりそうだよね。もうなりかけてる気がするけどw

生殖器同士の接触による快楽の発生を楽しむ行為、即ちセックスは非合理的な手段になる時代ってもうSFじゃんw

おーわりっ
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【考察】なぞなぞ&ダーウィニズム

2017-06-18 02:34:31 | 考察

「何かを支払ったらば、何かを得なければ気が済まない」

これはどこかから引用してきた言葉ではない。探せば同じ言葉を発した人が見つかるかもしれないが、今しがたふと思った言葉である。『◯の錬金術師』に似たフレーズが登場している。

「人は対価なしには、何かを得ることができない」

前者では、先に支払っていて
後者では、先に得ているという印象を持っている。

普段何気なく過ごしていて、人は自分という資源の詰まった袋から何もせずとも零れ落ちていくそれらを、どうにかしてかき集めようとしているような錯覚を感じた。

時間、金銭、労力、気分、所有権、etc。理性を得て知性を得た人間は、己の生涯が有限であることを知っている。自分という意識で感じることができる時間が限られていることを知っている。終わりを告げる死神が背後から迫っていることを感じなくとも、人は損を避けずにはいられない。焦燥感や切迫感を抱いてはいなくとも、人は損を避けずにはいられない。

それは極めて健康的な生き様である。現代の社会において"利口"或いは"賢さ"は賞賛の条件である。人間ひとりの生涯あたりに対して人類への貢献効率が高い者ほど、支持され、守られ、奉られて、模倣されていく。生産力の乏しい個体が増えるよりかは、生産力が豊かな個体を増やすほうが利口な手段なのは言うまでもない。

話が逸れた。

人は一日に活動できるエネルギーを使って、情報収集をしたり金銭に還元したりする。筋肉や頭脳を動かして金銭に換える。それを使って手段を購入したり道具を購入したりする。そして何かの目的を達成する。やがて最終的に頭の中で快楽を得る。

自分が望む生活を誰もが胸に秘めている。その中には、「未だかつてない発見を求める」という類もあるのだろう。しかし「金銭や健康の充足を望む」という類もあるだろう。

この道の先はもう分岐点が無いかもしれない。折り返すための道幅があるのは今のうちだけかもしれない。誰しも不安を感じたことがあるはず。パラレルワールドが存在するかのように、こうではなかった世界を想像して自分を省みる者がどれだけいるのだろうか。いま在る仲間達との関係を放ってまで得るべきものがあるかもしれない。しかしそれを得たときに自分が後悔するのではないかという不安がある。

自分の生きがいを得られたとしても、いまの友が遥か遠くの旧友となってしまうような未来に、彼らのことを懐かしんで寂しく思うのならば、いま在るものたちを温め続けていることのほうが正解なのかもしれない。

どんなに沢山の賞賛や尊敬を得られたとしても、自分にとって真の喜びが仲間達との他愛ない時間が連続する平和な世界にあるのだとするならば、俺はどこへも行く必要が無いのかなと思う。

みんなもそんな気がしないか?

情熱に身を任せて、無我夢中で何かを為そうと一所懸命に打ち込む姿は確かに美しい。分野によっては人々の笑顔を増やすことができるものもあるだろう。何かを救うこともあるだろう。しかし、俺は世界とその人々を見ていて思うのは、結局のところみんな「笑い疲れて良い夢を見たいんだ」ってこと。

救われるべき仲間がいて、そのために費やされる労力は必要かもしれないが、「笑い疲れて良い夢を見る」ために苦しみが必要だとは思わない。苦しさがあったからこそ得られる喜びはあっても、得られる喜びを増やすために生み出される苦しみは必要だとは思わない。

欲望レベルと満足のイタチごっこレースに、参加する気にはなれないというお話。欲求に良いも悪いもない。それが有害だろうが無害だろうが、頭の中で快苦に還元されるだけ。高尚も糞もない。

緻密に設計された完璧で理想な世界を描けていない頭で見る睡眠中の夢が、そもそも良い夢であるはずがないよね。そんな夢が見れたなら、俺はきっと現実の世界には帰ってきてるはずがないんだから。
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【日記】ウーパールーパー今までありがとう

2017-06-05 05:39:12 | 日記

友人のところでお粗末に飼育されていたウーパールーパーを引き取ったのがキッカケで、水棲生物どころかペットに関心すら持っていなかったのに水槽を買ったり中の土管を買ったり飼育方法を調べ始めたのが4年ぐらい前だろうか。

環境に順応する力が強いウーパールーパー。絶食状態が1ヶ月続いたとしても生存できる(但し健康を損なう)。暑さに弱いが寒さに強い。真夏には室内温度が27~31℃近くにもなる俺の部屋でも逞しく生き続けてくれた。

ぴくりとも動かず水流にただ身を任せるようにしている姿を見て何度も「・・・これ生きてる??」と思い10分以上眺めていた。しばらくすると動くので「また騙された・・・」というのが恒例だった。

ど素人の俺が飼育したにしてはずいぶんと長生きしてくれたもんだなぁと思った。

またウーパールーパーを新たに飼おうかとも考えた。水槽やポンプなどの環境はある程度整っている。しかしすぐに考えるのをやめた。主が不在の水槽を眺めていると猛烈に悲しさが襲ってきた。同じぐらい可愛がるだろう、ちゃんと世話もするだろう、けどいろんな葛藤をするし、また喪失した時の感情に苛まれるのは嫌だ。だから俺はきっともうウーパを飼うことはない。

今更ながら、いろんなところに飼育するうえで至らないところがあったのでは、と考えた。餌のタイミングが少しずれたことが何度もあった。ちょっとぐらいの汚れは気にしなかった。水換えを怠ったことも何度もあった。決して褒められるような主人ではなかった。それでも投げ出したことはなかった。自分の意志で飼うことになったわけじゃなく、半ば強引に押し付けられたようなものだったが、嫌嫌で飼育していたわけではなかった。飼っているうちに愛着を抱いたし、何か異常が現れれば心配になって夢にも出てきた。

もっとしてあげられることがあったんじゃないか。俺の悪い癖で、人間ではない生き物にはこういう思考をしてしまうのだ。犬であれ猫であれ虫であれなんであれ、対象の願い事を叶えてあげたくなってしまう。ウーパールーパーの願い事とはなんだろうか?きっとこんな狭い水槽の中で生涯を終えたいなどとは思っていなかっただろう。だからきっと自然界にある限りなく広い水源の中で生きたかったのではないだろうか。しかしさすがにそれは叶えてあげることはできない。なぜならきっと生きてはゆけないから。言葉を発することができない者はつくづく不幸だ。このウーパールーパーが願い事を俺に伝える術を持っていたのなら或いはー。

ツンデレよろしく「これで晴れて水流やポンプの振動音に悩まされずに済んでせいせいしてるぜ!ぐすん」って感じだ。いつからかとっくに悩まされずに眠れるようになっていた。あの小さく弱い体で、もしかしたら俺に元気をくれていたのだろうかと思うと胸が苦しくなる。都合の良い解釈をしてしまいたくなる。人間はいつだって自分勝手だ。ウーパの死の結果に勝手なシナリオを書き足して勝手に気持ちよくなろうとしている自分がとても気持ち悪く思えた。

たかだが小型水棲生物の死なのに大袈裟な記事だなと思う人もいるかもしれない。でも俺にとって死にでかいもちいさいも無いと思った。これも死を尊ぶ蠍座の性なのだろうか。蠍座だろうがなんだろうがどうでもいいけれど。

俺が祈ることは一つ。どうか次に生まれてくる時は人間の手の及ばない自由な世界に生まれてきますように、今までありがとう。過酷な環境だったよね、ごめんね。おつかれさま。おやすみなさい。

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【日記?】本能を改善する

2017-06-01 03:44:09 | 考察
※誤字ではありません。

日々実感していること。本能の快楽システムも報酬回路も、現代において効果的に働いているものは、科学および文明の発展に比例して目減りしている。ちょっと話が逸れそうなので冒頭からこの話は置いておく。(じゃあ書き直せよw)

報酬回路に関連することを過去の記事に何度か書いているが、今回も似たようなことを書く。

栄養の摂取の仕方もそうだが、生物は基本的に快楽によって行動する。然るに苦痛によっても行動する。快楽と苦痛は生存戦略において確かな判断基準だったが、現在ではそれが間違っている。明らかに合理的ではない選択をし続ける人間が大多数である。快楽に溺れて自ら破滅していく人間が後を絶たない。俺が人類の未来が栄えることを望んでいるわけではないので悪しからず。俺は俺の未来が栄えることを望んでるので自ら破滅する生涯を送りたいとは思っていないので、快苦のシステムを可能な限り修正したいと考えている。

高級食材や三大珍味などのように、まさかそれらがドラゴンボールに登場する仙豆のようなものでもないのに一口で数日間分の食費と同等だなんておかしいと思わない?

こういうふうに考えるようにいたった原因の中でも、認知バイアス・進化心理学・鬱病や自殺と扁桃体の関係についての知識を得たことは大きかったと思う。

認知システムは錯覚を起こして誤認する。本能は耐性強化と反復を無差別に促す。扁桃体は逃げろ逃げろと無闇に叫ぶ。つまり不具合だらけだということ。アホ過ぎる先輩上司社長になんの疑いも持たずに従っているようなもの。馬鹿馬鹿しいよね。

それが嫌なので、快苦のシステムだったり報酬回路を作り変える。極めて合理的になれるように。喜怒哀楽ですらもメスが入る対象である。選択の一つ一つも同じく。

自分を支配して、惑わすものが憎たらしい。意識で回避できるものは可能な限り回避したい。無論、どうにもならないものは多い。自分の能力には遺伝・体質・センスetcなどによって限界がある。生まれた環境も育った環境によっても限界が決まる。けれどこの間違いだらけのシステムを改造していくことは可能だと思ってる。

やばい。眠すぎて書きたいことがまとまらない。寝る。
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