鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【考察】「育児」≠「強くてニューゲーム」

2016-08-04 02:36:12 | 考察

ちょうど去年ぐらいにこのブログで書いた記事を読み返しててふと思ったことがいくつかあるので、それを書きなぐります。


まずその記事からの引用(@2015-07-20 00:46:14
>>親は子供に、自分の愚かさゆえに味わった後悔や挫折を味わって欲しくない。失敗や敗北から得る成長があるゆえに必要な苦しみはあっても、間違った選択肢から生まれた災難や不幸からは遠ざけたい。

年齢とともに後悔は増えていく。やり直しがきくなら是非もないエピソードを誰しもが抱えている。

自分の子供はまさしく自身の写し身である。欠けているのは記憶だけであり、肉体や習性が交配相手の持つ要素とのブレンドであるというだけだ。

可能ならば自身の失敗や後悔を全て回避するために、その苦い経験と記憶をペーストできたらこれ以上のことがあるだろうか?

強くてニューゲームと同じで現実にはそんなことは不可能だ。

だがもしも、今過ぎ行くこの人生は、実は"同じ世界の同じ自分の2回目"だとしたら?
<<


TVゲームでもいいしポータブルゲームでもいいの想像してみてください。

ジャンルは育成型RPG。あなたはモニターの前でコントローラを握っています。つまりプレイヤーです。

一週目とは多少異なる二週目をプレイできる「強くてニューゲーム」の項目を選択しました。

基本的な戦闘システムや操作方法はほとんど一週目と同じ。違うのは遭遇するモンスターやダンジョンや手にはいるアイテムや歩く世界。

つまり一週目の経験を活かせる部分とそうでない部分がある。至極当然なことだね。

ここで現実世界の育児に置き換えてみます。

TVモニターの前でコントローラを握っているのがあなた。モニターの中でモンスターに遭遇したりダンジョンを歩いたり宝箱を開けたりしているのはあなたの息子です。

頭の中の小人(ホムンクルス)と似ていますが違います。

すでに一週目をクリアしているあなたはその経験を活かすことができます。しかし活かせない部分もあります。それは一週目にはなかった要素達です。

一週目になかった要素というのは、現実世界で言うところの時代です。自身の写し身である息子は、一週目とは違う世界(二週目の新しい要素が含まれた世界)で子供時代を過ごすのです。

昭和時代の常識が平成では通用しなくなるのと同じことが起きます。

どうですか?つまり今これを書いている俺もこれを読んでいるあなたも、

誰かの写し身であるかもしれないし
新たな写し身を生むかもしれないし
写し身にせっせと一週目で得た知恵を叩き込んでいる最中かもしれない。

不老不死は確かに羨ましいし、記憶と後悔を持ったまま青春時代のやり直しができたらきっと試さずにはいられないだろう。

しかし、記憶を引き継げないことや体験をリセットすることにメリットもある。新たな時代と新たな環境に肉体や感性を効率的に順応させていくには、"新しい肉体を成熟させる過程"があったほうが良い。

寒い土地に順応した成熟済みの体ではすでに手遅れ。パラメータのポイント振りはやり直しが効きません。感性も同じで、新たな環境にいち早く順応するためには、古い時代で馴染んだ感性では効率が悪いから。



ゲームと現実世界で異なるのは、コントローラがあるかないかである。

親にとって子供が完全な支配下にあるわけではないことと、子供が親の写し身であるという自覚がないこともゲームとは異なっている。

子供を疎ましく思う親は、パラメータの振り方を間違えてしまい、やり直したいけどやり直せないというシステムに腹を立てて家庭内暴力に及ぶ。

「お前は出来損ないだ!お前なんか生まれてこなければよかった!」


親を疎ましく思う子供は、一週目のクリアタイムや成績を早い段階で超えてしまって、オリジナルを排除したがるクローンと同じ心理状態に陥る。

「低学歴で僕私より年収低いくせに指図するな!偉そうにするな!」



早い話が、上位互換 or 劣化クローンということですねハイ。
コメント
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