鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【考察】〜人生の彩り〜 前進というか進歩というか

2016-11-18 09:44:06 | 考察

貴重な休日を、無気力に浪費してしまったことについて考察。

「やる気・意欲(モチベーション)」については常々書いています。俺が普段、これが自分の趣味だと自覚しているものは

・執筆活動(主にこのブログだったり)
・ゲームデザイン考察
・調べ作業(資料の閲覧)
・ゲーム(コンシューマーゲームなり非電源ゲームなりスマホアプリなり)
・資料作り
・音楽鑑賞

調べ作業のことを勉強と呼んでも広義的には当てはまるかと思います。そんなことはどうでもいいです。

せっかくの休日なのでやりたいことを片っ端から気の済むまでやろうと思うのは毎度のことですが、そういう時に限って気が乗らないことってよくあるんだよね。

それで、無駄遣いをしてしまう。無駄遣いというのは、生産性の低い消費活動のことを指します。俺にとっての多くは主に「お腹が空いた。あれ食べたいな〜、よし食べに行こう」というのが当てはまります。でもそればっかりだと消費がかさんで趣味なり生産的な活動に費やせるお金が減ってしまう。

生産的な活動というのは何か?

簡単に言えば、結果的に収入のアップにつながるもの。それが長短期問わず。調べ作業の対象が金融関係なら、将来それが役にたつことがあるかもしれない。料理の技術であれば、誰かの胃袋をつかめた際に得た評価がそのまま信頼関係になって新たな人脈を築くきっかけになるかもしれない。自動車の整備関連であれば、身近なトラブルであれば対処できるようになるかもしれない(小さいもので言えば山中でのパンク修理など)。金融や経済に強くなれば、将来投資活動をする時に役立つかもしれない。大型自動車や船や重機の運転免許の取得はそのまま仕事の幅を広げることができる。語学の勉強は、知見を広げることにつながるし、新しい交流の場を得るチャンスにもなる。

単純にこれらを目標とはしなくてもいいと思う。目指す目標は違えど、その道中で副産物として得られるものに、免許取得や技術習得や資格の獲得が含まれている可能性もある。しかし、お金の使い道のほとんどを、短期的な欲求の発散に費やしていてはいつまでも去年と同じ自分のまま進歩しないことになる。

「自分は過去と比べてどれくらい進歩しているだろうか?」この問いかけが大事だと思う。5日間なり6日間のストレスを焼肉やお酒などといった即効性はあるがそれだけでしかない快楽ばかり選んでいてはいずれツケがどんどん巨大に膨れ上がってくると思っている。

おわりっ
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【考察】作業機械とベーシックインカム

2016-11-15 05:40:54 | 考察

工業製品を加工する機械。農耕地で土をうったり、根菜を掘り出したりする農耕機械。などなど。

文明の発達は「人々の仕事を減らしてきた」。しかし、ロボットなり自動化によって「仕事が奪われる」という見方もある。俺はこれに対して思ったことがあるので一筆したいと思い今回の執筆に至る。


「きちんとした分業が徹底されていれば、現代の国民が一日に8時間も働く必要はないはず」という意見がある。最低限の食べ物、次いで清潔な水、そして電気やガスや衣食住という一定の生活レベルが存在していて、その一定ラインを下回らないのであれば、人は生きていくうえでは困らないはずだ。

例えば、衣食住や電気やガスのために働くのをやめて食べ物だけに執着したスタイルで国民全員が生活したとしよう。間違いなく食べ物は余る。ならその余った分のために働くのをやめて、次は衣食住のために働くとしよう。服は十分作れたし、安全な水も確保できたし住処もたくさんできてこれ以上必要ないかな。じゃあ余った分の時間で築けた富はどうしよっか? 体の不自由な人や保助が必要な人のために使おう=病院。

ここまで文字を綴らなくても分かるようなことを書いたつもりだ。何が言いたいかと言えば、国民全員がそういう意思を持っているのであれば、今のような格差は生まれていない筈なのだ。格差を生んでいるのが誰なのかといえば、欲張りな人である。「そんなことはないだろ!一部の高額納税者にはトップアスリートやノーベル受賞者みたいな欲張りじゃない人もいるじゃないか!」反論はノーです。よく調べてくれれば分かると思いますが、東北大震災の時に寄付をした有名人が何人もいたでしょう? 知名度は問わずにいたことでしょうけど。

天災などによってたくさんの人が困った時にはそのような行いをするのが正しいのだと思います。そもそも税金というシステムは、みんなで少しづつお金を出し合って大きな買い物をするためにあるものです。

現代の技術は昔に比べてとても発展していて、生み出されてきた加工機械や農作機械は、国民全員が最低限の生活をするぐらいなら養えるはずなのです。つまり「仕事を奪う」のではなく「する必要がない」のであるということを言いたいのですよ。

話がややこしくなるのは、規模が「国全体」であるからです。これがもし10人というコミュニティだとしたらどうでしょう?10人が働かなければ何人かが飢えてしまうような環境だったとして、そこに生産性の高い作業機械なり自動機械を導入したとして、働くのはその機械を管理する2〜3人だけで済むとしたら7〜8人は働かなくても済むのです。その2〜3人という必要最低限の労力を10人の中でローテーションさせるのも良いですし、余っている人は料理を上達させるなり、音楽や娯楽を生み出すなり、好奇心が強い人はさらなる栄養素や物の成分を調べて文明の向上に貢献するなり、とにかくいくらでもやりようがあります。いずれであってもその10人にとって恩恵がある行いをしようと思う筈です。それが国というものになっているはずなのですが、1億人ともなると話が変わるようです。

この国では、日々残業し休日を返上し、体を壊して精神を病んで、それでもなお薬を飲んだり気丈に振舞ったり、弱い人は自殺をしてしまったり、etc。なぜそれが無くならないのかといえば、「一部のずるい人達」のせいであります。既得権益というやつです。

一月20万円あったらこの国ではよほど贅沢をしない限り充実した日々を過ごせると思うのですがどうなんでしょう?? 文明の発達や分業の発達によって娯楽はかなりリーズナブルになっています。昔は高価だったパソコンも安く手に入ります。図書館に通わなくても、足を棒にして歩き回らなくてもたくさんの情報を仕入れることができます。もし贅沢をしたいのであればその分だけ働けばいい。それがベーシックインカムです。

お金をもらえなくてもやりたいこと。あると思います。情熱や才能がある人は率先して行ってください。けれども、下手な人や難しい人は身を引いてください。使えない上司に敬語を使うのは嫌ですからね。

ベーシックインカムの基本的なお話もさすがにくどくなってきましたねぇ・・・。

考えればわかるはずのことの認知が足りないということは、BIの導入が先か、教育が先かって感じですね。

おーわりっ。
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【考察】情報のダウンサイジングとその作業工程

2016-11-15 05:05:32 | 考察

とあるスマホアプリの年表を知りたくて調べていたのがきっかけ。

一体なんのキッカケかといえば、年表作りに至るキッカケである。とあるスマホアプリの実装当時から催してきたイベントや変更や改善などの何れかに特化した年表ならいくつか参照しやすいものが見つかった。しかし、情報量の多さが原因である程度見づらくてもいいから1ページにずらっと時系列順に並んだものは見つからなかった。というわけで、「ないなら自分で作ってみよう」と思った。

1、情報収集
2、データの記入
3、見る人の情報受信労力軽減のための工夫

iMacのNumbersでとりあえず編集。

・時系列順に揃える
・目がチカチカすることへの対策(とはいえ灰色と白を交互にするだけ)
・注目させたい部分への強調加工(固定名詞⇨画像 & 文字の拡大 & 色分けなど)

今回のスマホアプリの年表自作に限らず、思い立ってこういうことをする機会が多い俺である。

今回思ったのが、「これって結構高度なことしてるよな・・・」と。なにが高度なのかと言えば、記載したい情報量が多い時ほど、「同時にこなさなければならない」ということだ。

なぜそうなるかと言えば、Numbersのような表計算アプリを使用するうえでは、縦軸と横軸の長さと幅は軸で共有されているのでA1で文字が入りきらなかったり止むを得ず改行する羽目になるとAの縦軸が全てずれてしまうということが頻繁に起きるからである。それに限らずテキストのフォントや大きさや枠の仕様などはある程度最初の段階で決めてしまえば専用のシート的なものがパパパパッと作ることができる。それをせずに進めてしまうと、3歩進んで2歩下がる状況が連続してしまう。

下がるのは0歩、とまではいかなくとも1歩にしたい。なので常套句だが「段取り」が必要になるわけである。マウスをカチカチする時間やタイピングする時間に加えて、空を仰いで段取りを組む時間も積み重なっていく。

情報収集 ⇆ ( 作業 ⇆ 段取り ) ⇨ ダウンサイジング

ちなみにだが、ダウンサイジングというのは文字通り「小さくすること」である。ここでいう場合は、見る側の労力を軽減する工程のことである。大量の活字と1枚の絵から得られる情報量が同じ場合というのがよくあるでしょう? 小説などが心象描写するような時とは違い、早見表などのようにコスパの向上が最優先目標のシートである場合は、くどいようだが「速さが命」である。

小説は、時間を楽しさに変えるためのものである。
早見表は、情報量を楽に早く伝えるためのものである。

効率向上に達成感や充実感という"楽しさ"を求めるのは誤りではない。
しかし、"楽しさ"に効率を求めるのは誤りである。

そう思う俺にとって、友人に多いのだが美味しいものを「早食い」するのは欲求に矛盾した選択だと思っている。

おーわりっ
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【ゲーム考察】非電源ゲームとコンピュータゲームの違い

2016-11-12 05:50:01 | 考察

ここ最近、自作カードゲームに奮闘中の俺である。奮闘とは言っても、プロトタイプ製作にすら至っていないので語弊があるかもしれないが。

ゲームデザインのことばかり考えているせいか、普段何気なく過ごしていても結構アイディアが湧いてくる。なんでもゲーム化しようとする癖がじわじわと浸透し始めている気がする。

さて本題。

俺が自作しようとしているのはカードゲームで、専用のコマやボードを必要とし最低でもプレイ時間が60分を超えるようなものではなく、そのカードのみでプレイできるようなものを作りたいと考えている。

自動計算機を使用しない非電源ゲームを作る際に、「ここから先はコンピュータゲームの領域」という境目に触れる。

その一つが「膨大な数値の管理」である。計算それ自体に罪は無い。計算が多いことと複雑なことは、非電源ゲームでは言うまでもなく最も犯してはならないタブーである。

ルールをシンプルに、それでいて奥が深い。これを誰もが目指したいことだろう。多様さや複雑さは悪いことではないが、分かりにくさや不要な手間の多さはプレイヤーの集中力を欠くだけのジャンク要素である。育成型RPGではキャラクターのパラメータの上昇値やダメージ計算は機械が勝手にやってくれる。せいぜい攻撃力と防御力、多くてももう一つ程度だろう。

それがどうしたかといえば、カードゲームを作るうえで、多様さのために数値の種類を増やしたいのだが「管理が難しい」のだ。トランプやUNOぐらい手頃にしたいところだがなんともなぁといったところだ。

大したオチもないけどおーわりっ
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【考察】知的活動というか好奇心を満たす活動というか…それについてw(適当

2016-11-08 06:07:32 | 考察

ここ数日、仕事と交際に忙殺されて創作活動的なことと好奇心の赴くままな活動がご無沙汰だった。

時間的な余裕のなさが原因なのだとばかり思っていた。余剰空間に埋まるべきものが必然的に埋まっていく、物理の法則がエネルギーの差(温度差、密度差、気圧差、etc)を嫌うように、人間の心理的な作用にもそうしたものが作用しているのだと期待していた。生物の中で唯一理性を獲得したヒトが、退屈を嫌って多くの禁忌へ時に躊躇なく手を出してしまうのは、退屈という何かしらが欠け或いは不足しているという穴がまるでブラックホールのように存在していて、それは理性をも飲み込んでとにかく"埋まろう"とする。それを根拠として扱うことが相応しいかどうかはさておき、つまるところはマズローの欲求段階説でもあるように、満たされてなお余裕のある状態においてに限り、知識欲なり自己実現欲を満たそうとするのだとすれば、最近は忙殺されていたから知識欲なり自己実現欲なりが湧かなかったのではないか?と思うのは妥当だと言えないだろうか。

しかし、先ほど睡魔を感じつつも貴重な休日を寝て過ごすのは如何なものかと、寝床で横になってスマホ片手に最低限の労力でネットサーフィンに興じていたら、なんだかんだで興が乗って今ではPCを起動し調べ作業の前にこうして今回の体験を執筆している始末である。

「作業興奮」というものがある。言説や根拠や出自や研究データ発見されておらず、それについて執筆記事があるブログ主曰く「単なる造語であり、ネーミングセンスと共感者の多さから言葉自体が自ら勝手に普及したものではないか?」という意見があり、そのメカニズムの信憑性は不確かだが、仮にこのメカニズムを肯定する前提で話を進めるのであれば、今回の俺の心理状況に綺麗に当て嵌まる。

きっぱり寝るつもりで寝床で横になり、スマホを触らず目を瞑り続けていたのであれば、この記事が存在していない世界の朝を迎えていたことだろう。

「作業興奮」の信憑性やメカニズムについては置いておくとしよう。問題は、今回の創作活動と知的活動へのやる気が湧いた理由についてである。

忙殺され気味の最近、本日も仕事と日課を終えてあとは寝るだけという状況において、冒頭でも書いたような「時間的な余裕があった」とは些か考えにくい。感覚としては睡眠時間を削って徹夜状態なのだ。健康的な入眠に十分な眠気もあるほどに。

さて本題。

「マズローの欲求段階説」と「作業興奮」が今回俺の中で否定された。好奇心を満たす活動、ここではそれを知的活動と定義するが、今回その知的活動へのモチベーションが、「心身の疲労度合いに関わらず上昇傾向に動いた」。

これは個人的にとても貴重な体験である。というのも、肉体を酷使する労働を日々8時間以上続け、オフタイムに美食や友人知人と交際をする生活の中では、創作活動なり知的活動なりへのモチベーションを維持するどころか0から1にすることは困難だと思っていたからである。「人の一生なんて仕事して飯食って、たまに仲間と酒を飲んだり遊んでいれば幸せに過ごせる」と言われれば確かにそうなのだが、(定義については省くとして)遊びでも仕事でもない"好奇心の赴くままに活動すること"が人生を豊かにしていくうえで、俺にとってはとても重要なことなのだ。

美食、嗜好、女遊びor男遊び、仕事熱心。大いに結構。しかし"彩り"という意味では、俺としては非常に物足りない。飽くなき探求と追究、そこに存在する情熱にこそ、媒体がなんであれ俺は魅力を感じる。

そこで忙殺である。不安や焦り、そして疲労や生理的欲求の不足と不満があるうちは、好奇心を育む機会が得られない。そういう時は、とりあえず休息、とりあえず娯楽というふうになってしまう。しかしそうした営みが状況によって必要であり時に尊ばれるべきであることも事実。でも俺はそれをどうにかしたい。

なぜならそうした日々を送っているうちに人は老いてしまうからだ。積もった思い出のひとつまみを顕微鏡で覗いてみても、どこそれの店の料理だのどこそれの男や女との猥談だのが並んでいるだけの人生の価値というのは如何ほどだろうか?

知見でもいいし環境でもいいし技能でもいいからステップアップや開拓があったほうが絶対に良い!というのが俺の価値観である。衣食住の充足は、自然と好奇心がそれを年収という名の副産物にしてくれると、俺はそう期待している。

「鉄は熱いうちにうて!」それを理解していくらそうしたいと思っていたとしても、鉄が熱くなるにしても、そもそも鉄を得るにしても、そして打つための槌を得るにしても、それは待っていれば自然と寄ってきたり降ってくるようなものだとばかり思っていた。しかし自分で着火させて始動できるものなのだという確信に近づいた気がした。

「疲れたし腹が減ったからたまには美味いものでも食べよう」「たまにはパーっと楽しもう」それでもいいかもしれないが、当然のことながら安くは済まない。知的活動なり創作活動なりをするためにもお金はかかるし時間もかかる。日々と将来に発展を呼ばない短期的な発散である前者と、新たな可能性や貴重な体験に満ち溢れた後者とで、どちらが優先されるべきかは明白だろう。この平和で飽食な時代だからこそ特に。
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