鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【映画感想文】キングスマンみた ※ネタバレちゅーい♡

2015-09-17 00:09:49 | 感想文

予備知識無しで見たけど、なかなか楽しかった。

"過去の自身より優れているものが気高いのだ"っていう台詞に凄い感動した。

近頃「自信」というものについて考えていたのでなにか光を得た気がする。


豪華な予算でド派手アクションのごり押しかと思いきや、『紳士』について伝えたかった強い思いを感じた。

ヒューマンドラマでもない、ロマンスでもない、宇宙スケールなSFでもない、お下劣なコメディでもない、汗滲む心理駆け引きでもない。だからこそヒロインとのイチャコラもない。

ド迫力のアクションシーンは瞬きする間も惜しくなる。しかし、あれすらも『紳士』への情熱にとってはちょっとした飾りでしかない。

ええやん。その一途な感じは素敵や。


作品全体通して、全体的にノリが変拍子みたいな感じで捉えづらかったが、そのおかげで退屈せずに見れたと思う。


「誇り」と「品性」について考えさせられる映画だった。

一番興奮したシーンは終盤、敵本拠地にて義足側近との戦闘シーン。鋭い刃と針のついた足をブレイクダンスや体操術を使って振り回して相手を屠る技の数々は一度見ただけでは物足りないほど興奮した。
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【自信】思いこみと楽観

2015-09-11 22:07:12 | 日記

自分の持っているもの全てが、釈然とせず不確かなもので埋め尽くされている。そのどれもが胡散臭い。自分の中に本物と呼べるような、でたらめではない輪郭を持ったものが存在していないことに気付いた。

気付いた、というか思わざるを得ないというか。



今の俺の精神状態の全容をネガティヴだと捉える者が殆どだろう。

友人とこのことについて話した際に明らかになったことが一つある。

「俺は成功体験を持っていない。」

なにか努力の結果で実った成果を得たことがない。

人並み以上に努めて半人前の成果でなんとか暮らしている。

自分の中の突出した能力をまだ知らない、と言えば聞こえはいいがそんなものは言い方次第。そもそもそうした能力がある前提で過ごしていることが筋違いなのかもしれないとも言える。

厨二病の典型である「自分探し」。おそらく当てはまるであろうことを俺もしたことがある。けれども何も見つからなかった。往復だけで日が沈むような距離を一人バイクで走ったことがあるのだが、確かに遠い場所の風景は新鮮で感動もそれなりにあった。

けれどそれだけだった。興奮や期待は確かにあったが、割に合わない疲労感と燃料費、それと虚しさを背中に帯びただけのような気がした。それ以来、一人で遠出をすることはなくなった。



いい年して定職につかずコロコロと職を変えては不満と遊んでいる今日この頃である。

どの職場でもうまくいった試しがない。自分の気質や無能さがどういう風に作用し合ってこの悪循環を作っているか、それを理解するまでにかかった時間はそれほど多くない。

人見知りではないし、人と接することに何の障害も感じない。しかし学習能力や記憶能力の低さと知識量の致命的な少なさが"社会の仕事"にとって必要な基準を満たせていない。

他にも悪循環に陥ってしまう要因はあるのだが長くなるので省く。



この"なにもうまくいかない状況"の絶望感を常に味わう地獄というのは珍しいものなのだろうか?

それとも、これは自分自身がそう思わせているだけの世界なのだろうか?



確かに見渡してみると、俺の場合だったら恥や悔しさを強く感じるような能力不足を、AさんやBさんは笑い飛ばしている場面を見かけることが少なくない。

生まれつき器用な人も不器用な人もいる。はじめからうまくできないことは恥じゃないし、転ぶことが恥ではなく起き上がらないことが恥だと両津勘吉も言っている。

七転び八起きとは言っても、七回転ぶうちに見捨てられたらどうすればいいのだろう?

大器晩成とは言っても、晩成を待ってくれない時はどうすればいいのだろう?

どうすればいいのか、と問うこと自体が甘えなのかもしれない。そんなことは自分で考えるべきことなのだろう。

しかし、俺の場合は努力は大前提なのだ。努力する気はいくらでもあるのだ。ただ努力の仕方をいつも間違えてしまったり、努力が実らなかったりするのだ。

失敗や間違いを犯した時にはただただ謝ることしかできない。言い訳をするつもりなんて微塵もない。どんな処罰も甘んじて受けます。それでもこの態度を理解してもらえなかったことがある。ではどうすればいいというのだろう????

「努力してダメならそれでいい」とは小学生の時によく聞いた文句だ。

しかしそれは社会では通用しない。社会は成果至上主義だ。成果の質は誠意の証明だ。

つまり、成果を提出できない場合は誠意が不在という烙印を押されることになる。

それに不満を言うつもりはない。他でもない自分が悪いことは分かっている。




努力したと思える量でも、社会的には努力不足なのかもしれない。

単なる自己満足の量では足りないのかもしれない。

だとすれば解決法は単純。努力量は底上げするだけだ。




口で言うほど簡単じゃないね。

精一杯とか一所懸命とか努力とかって言葉の意味が分からない昨今であります。

一体だれに認めてもらいたいんだろう?だれに認めてもらえれば安心できるのだろう。

どういう評価であればそれを自信につなげられるのだろう。

公平な競争とはどうすれば築けるのだろう。そして誰が確かな基準を持っていてくれるのだろう。

あるかもわからないそんなつまらないものを探すぐらいなら俺は一人でいいと思う。

煩わしい人間関係なら要らないと思う。


一人でできる仕事に就きたい。

切実に。

作家とかトレーダーしか思いつかないけど…。
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【再読中】ジェノサイド -高野和明-

2015-09-10 22:24:18 | 感想文

章の変わり目で栞を挟み、閉じた本を膝の上に置く。

長らく同じ姿勢のままで疲れが溜まった首周りをほぐす。

揺さぶられた知性と野心が高ぶるのを、目を閉じて噛みしめるように味わう。



過去に読了した際にも感想文をなにかした書いた覚えがあるけど悪しからず。

『ジェノサイド』は、「このミステリーが凄い!(2013年)※略称このミス」で1位に輝いた作品であります。

とある寝付きの悪い夜にテキトーに開いたページからでも読み手を掴んで離さない面白さ。

590ページというボリュームと、本自体の重さはそれなりにストレスでありますが、それは作品が面白くなかった時の話です。

難解な表現が使われることもなく、どの描写もとても分かりやすく且つ見事に情景を伝えているものだと思います。

このミス1位(2013年)は伊達じゃない。


思うに、読書というのはなかなかその作業自体はとても単純なもので、尚且つ他と同時進行できるものではないうえに代替も不可能なので、このためだけに時間を割くというのはそれなりの心理的障壁を伴っているものだと思います。

しかし、字を追うだけだというのに広がる世界から得られるものには限りがない。

結局のところ、どんな感動も意識への作用の仕方が重要だということですな。



なんかオチのない感じになってしまったけど…

おーわり。







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