鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【感動】狂気と愛と情熱と

2016-08-25 13:40:26 | 考察

「800万人を感動させるのも、
1人の大事な人を癒すのも、
同じ実りじゃないかなぁ」
by 宇多田ヒカル


友人の結婚式の披露宴で使うプロフィールビデオの製作を依頼されて、結婚式関連の情報を集める日々。

その中で、余興サプライズでフラッシュモブをやる人たちの動画を見た。



ダンススクールに通って、一生懸命に練習をする男性。その表情に感動した。



100年の恋が冷める瞬間はある。熟年夫婦になればつまらないことで喧嘩することもある。

あれほど深い愛を誓った二人が、互いに顔を見ただけで苛立ちを抑えられなくなることもある。

昨今の結婚離れや絶食系男子によって結婚というもののイメージが悪くなっていることも事実だが、「永遠の愛」や「素敵な結婚式」に対して絶望しているわけじゃない。むしろ今回の情報収集の日々は大切なことを教えてくれた。


一目惚れや小洒落たプロポーズに共通しているのは、悪く言えば「気の迷い」とも言える。

人の気まぐれというのは、時に華やかで、時に恐ろしい。一目惚れした相手への告白も、周到なプロポーズも、ちょっと魔が差した時の過ちも、どれも感情の針が振れた結果だ。それは脳科学的に言えば、ドーパミンだとかオキシトシンだとかそういう話で、つまるところ脳内物質が左右しているだけとも言える。

そう考えると、狂気、愛情、情熱のいずれにもほとんど違いがない気がする。



結婚式の披露宴で、例えばフラッシュモブともなればそれなりの人数が「新郎新婦のため」という""一つの目的""のために一丸となる。ビデオを製作した人がいればその人も同じ。

部外者からすればはっきり言って正気の沙汰じゃない。企画、打ち合わせ、練習などなどの準備と労力と時間と、さらにはそれにかかるお金と、仕事でもそんなに頑張ることはないのに、多くの人がものすごく頑張る。

いやいや普通にすごいことだと思う。だって新郎新婦という二人を喜ばせるためだけに、だよ?

フラッシュモブを使ったプロポーズの動画見てて普通に感動しちゃったよ。

なぜだか女性側に感情移入しちゃうせいかもしれないんだけど、まあ普通に嬉しいじゃん?そんなことされたら泣いちゃうじゃん?

自分のために、内緒でダンススクール通って、超真剣な顔で日々練習するわけよ。まあそれが他の余興だったとしても自分たちの仕事終わった後の大切な時間をみんなで持ち寄って二人のために頑張ってるわけよ。そこでみんな普段はなかなか見ない表情とかしてるわけよ。

嬉しくないわけないじゃん?

祝ってあげたい側の気持ちもわかるし、祝ってもらってすごく嬉しい気持ちもわかる。


さて今回の本題。

俺ひねくれてるけど、これは素直に「良いもの」だなぁと思った。妬ましいとか羨ましいとかじゃなくて、素敵なことだなって。

そういう晴れ舞台に立つような人間じゃないからきっと縁はないんだろうけどねw

以上

おーわりっ

と思いきや最後に、

フラッシュモブみたいな大勢の前でサプライズって、たぶんできる人とできない人がいると思うんだ。人見知りでシャイな人なんて絶対やんないよね。やりそうな人っていえば、人前に出ることが苦手じゃなくて、人前でふざけるとか笑わせるとかモノマネが得意だとか、そういう社交的で外交的な人が多いと思う。

なんでそういうこと考えてたかっていうと、フラッシュモブの動画で告白される側の驚いた表情を見てたのがきっかけ。

人の驚いた顔ってすごい好きなんだよw驚いた時のリアクションとかさ、なんでかはわからないけど凄い興奮しちゃう。フラッシュモブなんてどえらいもん仕掛けられてしかもその場に居合わせただけかと思いきや自分が告白されたらそらびっくりするやん。その動画の女の人の表情がまた最高なのよ。目まんまるく見開いて顔真っ赤にして口抑えちゃってw

驚きの提供の中では、フラッシュモブって相当ハイレベルなものじゃん?

それがどうしたかといえば、じゃあ内気で落ち着いた明らかにフラッシュモブなんて、まーやらないだろうなっていう人がキレッキレのダンス踊りながら登場したらどうよ?w

えええええええええーーーーーーーーーーーーっ?!???!?

ね?

つまり、周りから「これは絶対にできないだろうな」って思われてることをやってのけたらその人たちの超びっくりした顔を見れるってこと。これは俺にとってはなかなかの大発見なのですよ。

いやー大収穫でした。

ちゃんちゃん🎶
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【考察】ナショナルエコノミー(カードゲーム)

2016-08-21 08:55:21 | 考察

ナショナルエコノミーというのはカードを用いたワーカープレイスメントゲームです。詳細はこちらから。

目指すは国民的大企業!ということで、プレイヤーは経営者となり、資金および資産や労働者を運用してお金持ちになるゲームがこのナショナルエコノミーです。

とまぁ、軽く説明してみましたが、確か過去にも一度このゲームについて記事を書いたことがあるようなないようなw


このゲームの魅力はただ一つ。「ゲームバランスの良さ」であります。

次いで、ルールが簡単なこと。常套句ではあるが、それでいて奥が深い。


ゲームバランスの何たるかを語る資格が、私めにないことは十分把握しておりますが、購入から今に至るまででプレイした人には好評価を多くいただいております。進行の効率を良くするためのプライムポーカーチップを買った甲斐がありました。


今回書きたいのは、このゲームの大部分が現実に置き換えられるという点についてです。

このゲームで一番考えさせられることが「自転車操業」なのですが、つまるところが「運用の失敗」なのです。

一度の行動で6$か12$なら後者なのは当たり前ですよね。

二度の行動で12$+12$(合計24$)を得ることができるとしましょう。
しかし行動の仕方によっては0$+28$にもなります。

これが終盤になると
12$+12$+12$+12$+12$
(合計60$)

or

8$+8$+8$+24$+24$
(合計72$)
となったりもするわけですよ。

これを現実に置き換えると、出世できない会社で残業・休日出勤して毎年12$稼いだ場合と、定時で帰って知識や技術の取得に時間を費やした場合の違いに当てはめられたりもします。

これを現実で実行してみろと言われてもまあ容易ではないことがわかりますが、合理的に効率を考えると至極当たり前なことなんですよね。

転職や引越しや移住といったスケールで考えると難しいように思えますが、ミクロな視点で思い返してみると意外なことに誰もが合理的な選択に成功しているんですよ。

例えば、「あとでまとめて行う」というのは最もわかりやすい例です。

洗濯や食器洗いで言えば、シンク内の容量や洗濯物を置いておけるスペースさえあれば、一度に行う量が多いほど時間の短縮になります。

なぜかといえば、洗濯や食器洗いに限りませんが、ほとんどすべての作業(または行為)には"開始と終了ごとに必要になる時間が発生します"。

・エプロンを着る。
・手袋をはめる。
・髪を縛る。
・作業着に着替える。
・身だしなみを整える。
・料理する前に手を洗う。
・作業後の汚れた手(や体)を洗う。
などなど。

それらは作業や行為の一回毎に必ず必要になります。断続させればさせるほど多くの時間を消費することになります。


といったように、これだけに限らず他にもナショナルエコノミーの要素はいろんなものが現実にも置き換えられるのです。ちなみにこれはこのゲームに限ったことではありません。まったく別のように思える事同士でも、見方を変えれば選択する思考パターンは似通ってるものが多いのです。誰でも良い選択肢をとりたいのは同じことですから。

ナショナルエコノミーを遊んでいると、それを顕著に感じます。そういったタメになる気付きを得ながらも、尚且つ楽しめる。さらには、現実の経営法の基礎的なことを要求してくるので、人によっては良い教材になるでしょう。このゲームデザイナーが、ゲームデザインについて語る際に持ち出すのがCivilizationという文明を発展させるゲームなのですが、これが国によっては実際に学校の授業で使われているのだとか。

いやーすごいですね。まとめてみますか。

・ルールが簡単
・手ごろな価格
・奥が深い
・ゲームバランスがしっかりしている
・経営の勉強になる

腰が痛いのでこのへんでおわりにします^q^
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【考察】「凄い」という感情と予感と期待

2016-08-18 02:29:30 | 考察

2000個のビー玉を使用した楽器 - ピタゴラスイッチ

作成期間3ヶ月!?トリックが天才すぎるドミノ倒し

2000個のビー玉を使った楽器の動画、これすごい。いつの日か人類が滅びたあとの別の文明にそのままの形で発見されて超驚いてその凄さを知ってほしい。

ドミノ倒しのほうもまぁすごい。そもそもドミノ倒しって物理そのものだよね。最初の一押しであとは力が伝わるだけ。ザ・質量保存の法則って感じ。

動画の凄さに関してはどうでもいい。すごいにはすごいけど、なぜだか世界にはすごい人がいるということにはもうあまり驚けない。ネットの悪い一面だね。それを補って余りに余るメリットがあるからいいんだけど。


ドミノ倒しの動画を見ていて感じたこと。

欲を言えばメイキングビデオが見たい。トリックが凄いのはもう見ていればわかる。けど気になったのはその設計の仕方。例えばガムテープを転がしてその先にあるドミノに倒すトリックは、角度の調整を何度か繰り返したはずだ。

コロンブスの卵と同じで、悩む前に知ってしまうというのは、それがどれほどの難易度だったかに対して無関心を招く。まあそれについてもどうでもいいか。

俺が知りたいのは、このドミノ倒しの設計の仕方。作成者は設計図を用紙に書いてはいないかもしれないが、まあそれは別に脳内で済ませていようともどうでもいい。

なぜ設計の仕方を知りたいかと言えば、このドミノ倒しの素晴らしいトリックを生み出す才能はどこで役に立つのだろうか、それをふと疑問に思ったからだ。

浅い知恵で無いアイディアを絞り出してみよう。せいぜいジャングル内で地形を利用したトラップとかだろうか。木を切断する刃物とそれを支えるロープ、そして最後に欠かせないのがドミノ倒しのトリック。書けることはあるけど長くなりそうなので省く。

2000個のビー玉を使用した楽器の動画に関しても、あの楽器を作成する能力はどこで活かせるかについて考えた。

そもそもだが、「活かす」というのは、社会に貢献できるか否か、だ。

人々と社会はなにかと実利主義で、金になるか否かでその能力を評価する傾向がある。金になるかどうかは、つまり社会への貢献度によって多くが決まる。まあそれ以外もあると思うけど省く。

人々の心労が報われるべきは、それが感性に還元されるときだ。なんでもそうだろう。家族を養うためにせっせと日夜働くのは、家族を養えないことは苦しいからだ。養えていれば精神が安定するからだ。

美味しい料理やお酒、素敵な異性のために働くのも同じこと。欲しかったフィギュアや、好きな歌手のCDやコンサートチケット、などなど。末端にあるのは”気持ちよさ”だ。

ずらりと並んだフィギュアを眺めてうっとり。好きな歌手の曲をきいて気分が良い。美味しい料理を食べることができて気分がよい。素敵な異性にプレゼントを渡して交際を始められたら凄く嬉しい。

嬉しさ、楽しさ、気持ちよさ、安心、満足感、達成感を求めることによって、筋肉痛や腰痛や寝不足や節約への忍耐力を得られる。

ビー玉の楽器もドミノ倒しも、視聴率や注目や再生回数が欲しくてやったわけじゃない。楽器の設計の過程にある成長が欲しくてやったわけでもない。トリックの考案も、なにかのついでやなにかの副産物ではない。

コンテンツとしてどれだけ利益を生めるかなんてことを彼らは一切考えもしなかっただろう。

実利が伴うかどうかなんてどうでもいいはずだ。


つまり俺が言いたいのは、世の中の注目や評価の多くは、「活かせるかどうか」や「社会への貢献度」や「生殖相手として優秀か否か」によって決められている気がするということだ。

別に悪いことではない。人類の未来をさらに良いものにするためには必要なことだろうし、無自覚であろうとも大衆がそういった目で見ていること自体は人類の未来にとって悪いことではない。むしろ推奨されるべきですらあるとも言える。

しかし、俺が思うに、ビー玉楽器の凄さやドミノ倒しの凄いトリックには、その先がなくてもいいんじゃないかと思う。予感や期待は「感動」の中の重要な構成要素かもしれないが、社会への貢献とか活かすとか活かさないとかそんなのは、もうこんだけ人口増えてんだし躍起になる必要なくね?と思うのだ。

情熱だけで過ごしてもいいんじゃないか?それを言いたいのだ。情熱から生まれたものを買いたい人がいるなら買えばいい。その人が得た金は、更なる情熱が消費するだけだろう。また新しいものが生まれるかもしれないし生まれないかもしれない。

なにかのために頑張る。やりたいから頑張る。

その結果、最後にあるのは「楽しい」や「気持ちいい」という感動だけ。そこで終わりでもいいじゃないか。

とある休日に、明日や何年後かのために訓練勉強練習するってのは勤勉で推奨されるべきことかもしれないが、その一日を美味しい料理や素敵な音楽を「味わうためだけ」に費やすことのなにがいけないのだろう?

成果主義、実利主義、効率主義、成長主義な社会では、無自覚な自己欺瞞が溢れている気がしてならない。

目的と努力と結果、繋がってないよぅ全然。もっと利口にやろうぜって思うこと多々ありゆえ書きました。
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【考察】ベーカムと俺ガイル

2016-08-16 04:31:50 | 考察

社会性、協調性、絆、仲間意識、コミュ力、最大多数の最大幸福・・・etc、etc。


『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』はライトノベル原作のアニメ。数年以上前に見て以来、"自意識"や"メタ認知"について少し考え事をしていて「自意識の化け物」と呼ばれた当作の主人公八幡をもう一度見たくなったので、つい先ほど12話まで見終えたところ。

刊行:2011年3月~
アニメの放送:2013年4月~

主人公の八幡の主義主張、そして台詞の一つ一つがどれも痛快で爽快極まりないことこの上ない。

徹頭徹尾「社会が悪い、俺は悪くない、俺は変わらなくていい」

ヒロインのユキノが言ったように「あなた(八幡)を見ていると、(周囲や環境のために)変わろうとすることが馬鹿らしく思えるわね」という台詞には極めて同意。

インターネットが普及し、PCやスマホが1人1台が当たり前になり、2chやネットでの発言や交流も当たり前になった昨今では、「ぼっち」「根暗」「非リア充」「引きこもり」「ニート」などなど、つまりは組織や集団において少数派だった人達のそういった属性に関しては「え、でもお前友達いないじゃん」という決まり文句でオチがつくなど、自虐という行為によってネタとしての価値に還元されていたりもする。

『(略称)俺ガイル』では、ぼっちで根暗でひねくれ者で悲観主義な八幡が「究極の開き直り」をして物語が進む。視聴者はそこが痛快なのだろうと予想する。共感力という意味では、これほど視聴者達の心理をクリティカルに突いた作品はなかなか無いのではなかろうか。

アニメ全体としての総合評価はぶっちゃけそれほどだと思う。萌え豚歓喜狙いとしてはいまいちなキャラデザとクオリティだし、色気もない。作画に関してもまあ制作費相応といったところだろう。そういう意味では非常によくまとまっている作品とも言える。

所詮は原作がライトノベルと言えば、情報を受信しやすいという意味でアニメ化は重宝されるだろう。なぜなら活字から多くを読み取らずに済むからだ。迫力満点のアクションシーンやド派手な崩壊シーンがあるわけでも無い限りは、ぶっちゃけかかとが浮いてひざが軽く曲がって、つまりは廊下を歩いている最中の絵を一枚映しておけば、人物の足を動かす必要も髪を揺らす必要も無いはずなのだ。

困惑した表情で目を潤わせながら口を何度もパクつかせることもない。なぜなら静止画で済むはずだからだ。そしてその静止画を登場人物達の台詞やBGMや効果音と共に移し替えていけば「動く絵」なんてものは合理的に考えれば必要ないことがすぐにわかる。合理性を極端に追求すれば紙芝居ということになる。それはそれで今の人たちには受け付けないけどもw

それがどうしたかといえば、つまり『俺ガイル』のようなアニメに関してはキャラデザ作画お色気その他もろもろといった要素を求めるのは"筋違い"だということ。制作費が少なかったのだろう。それでオーライ。二期では見違えるほど綺麗な絵になってるからそれでいいじゃないか。

余談だが、『化物語(物語シリーズ)』はこの作品と似ている部分がかなり多い。主人公八幡は阿良々木暦と同じく友達がいなくてぼっちで女の子が大好きで自己犠牲心が強い。ヒロインの雪乃は、戦場ヶ原ひたぎと同じく才色兼備でサディスティックで自意識過剰。

設定だけかと思いきや、日常会話ではありえなさそう且つ数回噛みそうで更には打ち合わせが必要なんじゃないかと思える台詞は両作で共通している。

おまけに「失礼噛みました」だったり、化物語の制作会社シャフトの独特なキャラの動きが完全に一致するようなシーンもあったりするからさすがにこれは誰かの意図があったに違いない。

パクリ説云々はここまで言っといてなんだけどぶっちゃけどうでもいい。

仮にパクリだったとして、或いはとても似ているとして、では両作の差はなんだろうか?

・化物語は怪異譚であり、異能系として括られてもおかしくない。
・俺ガイルは完全に現実の世界であり、異能やお化けは登場しない。

しかしどちらも青春をテーマに学生達がなんやかんやと賑わう作品である。

個人的に好印象なのは俺ガイルのほうだ。西尾維新のファンではあるが、なぜか俺ガイルのほうが身近に感じられる。まあ現実世界のお話なのだから当然と言えば当然だが。

化物語は冗長的なのだ。言葉遊びはうまいし、台詞の中には含蓄を感じるものも多くて考えさせられることが多い。

書いていて気付いたぞ。俺ガイルの悲観主義的なところに俺は虜になってしまったのだろう。

化物語はなんだかんだ言っても明るい話だ。対して俺ガイルはベースが暗い。性に合っているということなのだろう。


なるほど。勢いで書き始めたせいか、割と書くことが無いw

なので本題(いまさら?!)

タイトルのベーカムについて。

ベーカムによって社会に迎合する必要がなくなる。無理に他者や周囲や環境にあわせなくてもよくなる。

八幡にとってこれほど嬉しい世界はないだろう。

少数派や価値観の違う者同士のどちらかだったりが愛想笑いをする必要がなく、ご機嫌とりをする必要がなく、各々が自分たちの好きなことをしていても誰にも迷惑がかからない。それのなにがいけないのだろう?

それはベーカムが導入された時の話。

俺ガイルのような作品では、つまりは理不尽に苦しめられた者と不要に苦しめた者が誰なのかというテーマを視聴者に訴えている気がする。個人的にそれは有意義なものだと思うし、社会にとって必要なことだと思う。

鈍感で無知な人間がどういう結末を迎えるかは毛沢東の知識層の撲滅の結果ですでに明らかだ。

すべての人に神経質になれというわけではない。ほんの少し想像力を働かせて他者の気持ちを想像し、自分の中の欲望に自覚的になれば、人々の不快指数は劇的に減ると思う。

戦争なんかせずとももっとうまいこと社会がまわって足りない人のところに余っているものが行き届けば不平等も減る。

理不尽な苦しみが減るのだ。めでたしめでたしだよぅほんとに。



まあそれがないと成長できないってんなら必要なんだろうけどもね。
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【考察】恋愛対象と親の特徴

2016-08-08 04:20:30 | 考察

男性は母親に似た女性を好きになる。
女性は父親に似た男性を好きになる。

以前【考察】「育児」≠「強くてニューゲーム」という記事を書いたのですが、今回の記事はその続きというかスピンオフみたいな感じなるので気になったらこちらからどうぞ☆(まぁ読者なんて一人もいないと思うけどね♬)


私的な話ですが、母がしてくれた愛情を感じることの中でとても印象深いものが、

・家族みんなが寝静まった夜に、夜ご飯を食べていなかった俺のために好物が用意されてあった時
・遅くまで遊んで帰ってきためっちゃ寒い冬の夜に、自分の部屋に入ると、綺麗にメイキングされている布団にさらに電気毛布のスイッチが入っていた時

マザコンではないですが、心の底から余生を楽しんでほしいと思える自慢の母です。

将来、強くてニューゲームする際の話。つまりは自分の写し身である息子を育てる際に、その時の母ちゃんはつまり自分の結婚相手になります。

仮に、「男性は母親に似た女性を好きになる」という説が正しいとして、これを少しいじります。

「男性は母親が持つうちの良い特徴と同じ特徴を持つ女性を好きになる」どうですか?

より現実的な恋愛の要素を組み込むならば、これにさらに

母親の持つ中で良い特徴
+母親にはなかった良い特徴
+自分が人生で苦労してきたことを苦労せずに済みそうな遺伝的要素

まだあるよ〜

+母親の持つ中で悪い特徴と同じものを持っていないこと

こんなとこだろうか


なんだかドライな感じだよねw

つってもそれは至極当然な話なのですよ?w

考えてもみてください。

自分が人生やり直せるとします。自分自身を育てるのは他でもない母親なわけですよ。(もちろん父親もいますがw)

自分の好物を用意してくれたり、寒い夜に電気毛布を入れておいてくれたら凄く嬉しいですよね?それは一例ですが、そういった優しさというか愛情が、やり直した際になくなってしまうのは嫌ですよね?ということです。じゃあ保持しましょうよw

どうやって?w

母親に似た女性を探すだけですw

はい完成。これで「母親に似た女性を好きになる男性」の出来上がり。


そしてこの記事も終わり〜w

はやいよねー

やっぱり2つも連続で記事書こうとすると集中力続かないねw

素直におやつ食べるとか一息つくとかすればよかったーw
休憩って大事ねw

加筆修正の可能性あり

まあこれ書いて加筆修正したこと一度もないんだけどwww





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